はじまりから20年…歳月の重み

  こんにちは。
私がエミリーズバルーンアートスクールに通ったのが20年前。1996年4月のことでした。
思えば、これが始まりだったのです…Y’s Dreamの。

当時私はとあるバス会社に勤務するサラリーマンでした。
ギャンブルにおぼれ、当時付き合っていた彼女とは別れ、どうしようもない状態でした。
風船が好きだったのは言うまでもなかったのですが、いったい何ができるのか、後々役に立つかもしれない、と考え、私は参加しました。

やがて私は、「風船を膨らませた方が地域社会に役に立つ」と考え、いろいろなことに挑みました。一方当時勤務していたバス会社は将来の展望を描いていませんでした。ただ縮小均衡だけを望んていたのです。

4年後、私はプロに転向しました。

2年間、模索しながら続けていましたが、2002年、完全に自立。
そこからひたすら走り続けました。

あっという間の10年間でした…

2011年3月11日、東日本大震災発生。
それをきっかけに世の中の流れが少しずつ変わりました。
2012年、長年の無理からうつ発症。加えてヘリウムガス払底が起き、大きく流れが変化しました。
私は引退を決断、2013年8月に旧Y’s Dreamは全面活動停止しました。
その後「風船の世界はどう変わるのか…」を外から見つめ続けました。

2015年、規模を大幅に縮小して細々と再開しました。
できることは限られている、と判断したからです。
そして福祉、とりわけ障害者の就労の分野でバルーンを生かすことはできるのではないか、という結論に至り、今年に入ってからAWESOME!という新名称で活動を本格的に再開しています。

私がこれからやるべきこと、やりたいことは多くの人を感動させる演出を生み出すことではありません。
小さな感動をもたらすことによって自信を身につけさせるためにバルーンを活用し、そこから新たな道を創り出すことなのです。

この三連休、私は久しぶりに弾丸長距離ドライブを行いました。
20年前の同じころもやはり弾丸長距離ドライブを行いました。
あのころは必死に何かを探していました。
今回はあの時とは全く違う目的で弾丸長距離ドライブを行いました。

当時私は20代でした。
今は40代中盤、もう若くありません。

 
バルーンを始めて間もないころ、1997年だったと思うが、由布岳を眺めて「ここでバルーンリリースができたら…」と思った。それは2000年4月に現実になった。

その時の様子。

 
2000年4月、由布院に住み込んで作品展をしていた。これがきっかけで地域と共存するバルーンアトリエを構想するようになり、それは2002年から2011年まで大朝、今の北広島町で実現した。

バルーンドロップ

昨年7月の作品。広島に戻っても、北広島町とのつながりは続いた。

 

この温泉、熊本県の阿蘇外輪山の懐にある。1990年以来の再訪。阿蘇・九重一帯は何度も訪れているが、ここだけは25年ぶり。25年前といえば大学1年生。まだ10代だった…
 
25年前、いや戦前からこのたたずまいだったのだろう。
平和だからこそ風船を膨らませられる、平和だからこそこのようなことができた…

 1997年1月

  1998年11月

 1999年12月

  2000年4月

 2000年7月

  2003年1月

2003年4月
 
 

2004年10月



 
    2006年1月

 2007年4月

  2008年10月

  2009年4月

  2010年12月

  2011年1月

  2012年10月

  2012年11月
 

  2013年3月

  2013年7月

  2013年8月

  2014年3月

3回目公演

外からステージを望む

バルーンドロップ

1回目公演

1回目公演

  2015年7月

  2015年11月

 これでほんの一部。
2013年8月に引退・営業終了する際に作品集をまとめている。このブログからもリンクを張っているので、ご覧いただければと思う。

そして…
  現在進行形。

バルーンショップはプレオープンし、現在営業しながら問題点を模索している段階。結構な問題点が出ている。
随分いろいろな風船屋を私は見てきたが、本格的にやっていくにあたって、まだまだ手探りである。
いずれにせよいえることは、
勉強しなければいけないことは山ほどある
ということ。

経験に甘えてはダメである。

そんなことを身をもって実感した三連休であった。

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