それぞれの得意分野を生かす

おはようございます。
早朝のパセーラのパブリックスペース(リーガロイヤルホテル広島のフロントにつながっているので、出入り可能)に入って、いろいろ調べてみましたが、やはり広島のバルーンアーティストの作品ではないと判明しました。
これが一昔前だったら、悔しさのあまり…というところでしょうが、今はそういうことはありません。
むしろバルーン業界の幅が大きく広がったのが今の実態です。
関西の方はお気づきかと思いますが、昨年の「ガスてん」。毎年大阪ガスが主催して、関西各地で都市ガスを使ったPRを行うイベントですが、これを手掛けたのは実は広島の「じゃっきい」さんでした。聞いた話では、ものすごい仕事だったとか…膨らませる風船の数が半端ではなかったそうです。
一方私はそのころ、静岡→大分→東京と、まるでボートレーサーのような動きをしていました(ボートレーサーは地元の競艇場で仕事(=レース)をするのは正月とお盆ぐらい)。大がかりなブライダルでのバルーン演出のご依頼があちこちから入っていたのです。
このころは心身の状態が安定しており、ヘリウムガスの状態も悪くありませんでした。復帰を優先して考えていたころです。

全部私が手がけた仕事です。すべて2008年以降の仕事で、2010年ごろの仕事が特に多いです。実質休業状態になった2012年6月以降の仕事も含まれています。
自分は「成功させて当然」という極度のプレッシャーと常に戦っていました…大したことはしてない、と思っていたのですが、気がつくとトップリーダーの位置に…

こちらは2001年から2003年にかけての仕事。
究極の最高の瞬間を追いかけていたころの動画集です。
結局、地元という枠にとらわれてしまうと、いい仕事ができなくなってしまうのかもしれません。
かつて、広島の某バルーン業者の方は自らを「何でも屋」と揶揄していました。一方、バルーンデコレーションの分野は非常に細分化され、結果業界全体が大きくなりました。
その人その人の個性が作品の一つ一つに出てきています。
私が全面廃業ではなく、縮小継続を選択したのも、「私が作り出す瞬間で最高の感動を提供したい」というニーズがあるからなのです。
それがヘリウムガス問題でできなくなっている、というのが現時点での最大の問題なのです。

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