月別アーカイブ: 2011年7月

今年も感動…ありがとう

おはようございます。

今、JBAN会場だったホテルのすぐそばの駅を朝6時に出発した「ひかり493号」の中からこの記事を書いています。

今年はコンテストをお休みし、観客の立場で作品を見ました…いまだにだれがどの作品か、入賞作品以外は分からない部門が多いです。

そして残念ながら、会えなかった人もいました…

しかし、今年も収穫が多く、楽しいひと時を過ごせました。

みんな苦しくても頑張っていることがわかりました。

正直、私も苦しいです。

でも、「来年のJBAN Conventionでみんなに笑顔で会える」ことを目指して、これから1年頑張っていきます。

この列車が終着駅広島に着いたなら、そこから新しい1年がスタートします。

来年は作りたい作品ができたら、コンテストに再びチャレンジします。

いずれラージにも挑戦したいです。ツイスト技術は私は皆さんの足元にはるかに及びません。

しかし一つだけ私には願い、そして夢があります…

それについてはいずれお話したいと思います。

また、一度はスタッフとしてJBANに参加したくなりました。

私にはあのミリオンプランニングの宮崎さんもしていない演出を持っています。

この演出とミリオンプランニングさんがコラボできたら、もっとすごいことになるかも…と思います。その時が来るよう、演出に磨きをかけます。

そしてブライダル業界。

ブライダル業界は正直言って問題だらけです。

今回のJBANでもそのことを身をもって体験された方のお話を聞くことができました。

本当に新郎新婦に最高の瞬間を作り上げたい…

一つだけ確かなのは、

自分のスタイルを貫く

与えられた仕事は、全責任を持って果たす

お金のことだけ考えて風船を膨らませてはいけない、お金は後から付いてくる

ということです。

今回の旅の途中、チャンスが来るかも…という話をいただきました。

チャンスが与えられたら、最高のものを全国の新郎新婦に見せてあげたいです。

そして今回

東日本大震災という日本国民の大多数に与えられた試練

私も被災地に足を運びました。

私は宮城県を重点支援地域として選び、石巻の取引先さまに足を運び、南三陸町歌津ではバルーンパフォーマンスショーを行いました。

私はこれでひとまず一区切りをしますが、シーフレンド様の再建には最大限の協力をしますし、3月13日に結婚式を挙げられなかった新郎新婦様には何らかの形で風船を提供できれば、と思っているところです。そして2012年3月11日、日曜日になりますが、広島で風船のイベントを開き、エンジェルパルテさんの前の公園からたくさんの風船を舞いあがらせたい、と思います。

今新幹線車中のLED表示機のスクロールでは「復興財源を増税で検討」とかいうニュースが流れています。

正直言って日本の政治家と官僚は最低最悪です。

しかしそんなことを言ってられません。

風船で笑顔を…Smile For All…

絆…がんばろう日本 がんばろう東北

東北新幹線にも「つなげよう日本」というステッカーが貼ってあります。

新幹線は東京で切れているとはいえ、鹿児島から青森までつながっています。やがて北陸へ、北海道へ…

中国では高速鉄道がとんでもない事故を起こして、大問題になっていますが、日本の新幹線は誰一人として殺人をしていません。それも47年続いています。

こういう誇りが日本にはちゃんとあるのです。

バルーンアーティストにも、日本には誇れる方が多数います。

家泉あづささん、野村昌子さん、細貝里枝さん、そして大曾根康弘さん…ほかにも多数

そして日本には…

JBAN Conventionがあるのです。JBANというネットワークがあるのです。

今回のJBANでは、パンフレットにないパネルディスカッションがありました。私も拝聴させていただいたのですが、昨年のフリートーキングといい、本当にいいことだと思います。

広島にいると、震災が海の向こうのことに思えるときがあるのは事実です。

しかし、日本という一つの国全体が、試練に立ち向かっているのもまた事実です。

そういう試練の中、笑顔を届けていく、感動を届けていくのが私たちの使命、責任、そして役割なのです…

そうこうしているうちに関ヶ原まで戻ってきました…この記事を書き始めたのは富士山が見えていたころでした。浜名湖も名古屋も越えていました。

この列車は10時に広島に着きます。広島に着いたなら、またスタートです。

来年もみんなの笑顔に会えるよう、私も笑顔を忘れず、頑張ります!

JBAN会場のホテルより

こんばんは。

只今JBAN開催中です。

ようやく合流しました。

HI3G0096

古川→広島、仙台と新横浜の途中下車印字、画像拡大でご覧下さい

実を言うと、日曜日にのぞみ130号から更新後、更新ができる環境にありませんでした。

JBAN参加者にはお話していますが、更新が滞っている間、

私は宮城県にいました。

日曜日は東京都内に1泊し、月曜日の朝一番の「やまびこ」で宮城県入り。

真っ先に向かったのは、「シーフレンド」さんがあった石巻市中瀬。

「シーフレンド」の社長様にお会いでき、関係者全員無事が確認できました。

しかし…3月13日に予定されていた結婚式はできず。

「何かの形でぜひやってあげたい」ということで一致しました。

シーフレンドさんの再建、今後とも応援し続けます。

そこから車で2時間かけて宮城県大崎市、鳴子温泉へ。今回はここの湯治場に宿泊します。

大汗かきながら仕込み。

翌日26日火曜日は、大崎市鳴子温泉から宮城県北部を2時間かけて横断し、南三陸町歌津へ。

HI3G00867月26日の本吉
HI3G00837月26日の志津川

風船屋にできること、

それは風船で笑顔をもたらすこと

私は2か所の保育園でボランティアバルーンショーを実施しました。

詳細については広島・大朝に帰ってからこのブログで報告させていただきます。

そして今日27日水曜日、朝6時30分に鳴子温泉を後にして、レンタカーを返却した後、

仙台駅にて

買い物大会

宮城県物産品約1万円購入

JBANスタッフへの差し入れ以外はクール宅急便にて広島へ…

そして正午過ぎにJBAN会場入り。

今こうしてブログ更新中です。

明日はいよいよファイナルパーティーです。

絆…頑張ろう日本

今年のJBAN Convention、コンテストは…

こんばんは。

まだまだ外は明るいです。

明日は早起きでデコレーションの現場、その後炎天下の屋外でスパークバルーン。

仕込みの段階でかなり疲れています。

どうにかならないのかこの猛暑。

というより、この三連休が暑さのピークの予感が…

というより、私のこの夏の最初の大きな山場です。

といいますのも…

今年、私はJBAN Conventionのコンテストはお休みします。

もちろんJBANには参加します。

しかし、今年は自分から情報発信はしません。

出したい部門がない、というのが一つの理由なのですが、それより大きな理由が…

今年は観客の目で作品を見てみたくなったのです。

コンテストに出すと、どうしても自分の作品に目が行ってしまいます。

昨年の場合、最後まで作品の体をなしているかどうか…なんとか作品として体をなしていました。

私は入賞を目指すつもりでコンテストに参加していません。

時間内に作りたいものが作れたか

展示終了まで作品の体をなしていたか

この二つの条件が満たされていれば、私はそれでいいのです。

私にとって本当に悔いが残る場合、それは

この二つの条件が満たされなかった作品を作ってしまった

場合です。

あれは11年前でした…8年前にもありました…

時間内に作りたいものが作れなかったことは一度もありませんでした…

11年前と8年前は展示終了までの間に作品としての体をなさなくなってしまったのです。

4年前と2年前は別の意味で…でした。

4年前は5年前に作った作品を発展させようとしてみたのですが、あまり進歩を感じさせない作品になってしまいました。

2年前は「基本に立ち返ろう」というコンセプトで作品を作ったのですが…

本当に悔しかったのは11年前と8年前だけでした。

4年前と2年前の場合は悔しさというより「仕方ない」という気持ちでした。

というより4年前、2年前とも調子が悪く、悪い時は悪いなりに表現する、という姿勢でチャレンジしました…

5年前と昨年は共通したコンセプトがありました。

「近い将来の商品として送り出すためのプロトタイプを作る」

こういうコンセプトがある年は納得いく作品になります。9年前はいちばん大きい部門にチャレンジしましたが、この時もやはり明確なコンセプトがありました。

「地域社会と共存する」

私はこの時、地元大朝の看板を背負って挑戦しました。地元のみんなが応援してくれる、地元の応援にこたえなければいけない…とにかく自分に課した二つのノルマは絶対に果たそう、という気持ちで臨みました。結果、最低限のノルマは果たすことができました…この時、ノルマさえ果たせれば入賞しなくても構わない、という気持ちでした。

当時は大朝町という地域社会を作り上げていこう、というムードが町中にありました…今は市町村合併の結果、町はズタズタになりました…

この時は自分の限界を悟り、「これ以上の作品は作れない」と判断、以後ラージ部門には一度も出展していません。というより限界までやったことに満足し、納得しているのです。これ以上の作品を作ろうとすると、自分の実力以上のものが求められます。

私が思うに、今ラージスカルプチャー部門などで求められているものは、

人間としての総合力

だと考えています。一人の人間としてできることは限られています。それをどうやって一つの作品としてまとめ上げていくか、その際に必要となるのはバルーンアートの技術以上に人間力でしょう。

それに最近の傾向として、コンテストに出る前に試作や練習を繰り返して本番に臨む傾向があります。私の場合、おおざっぱに所要時間は計算するのですが、試作や練習は一切しません。それでも過去に一度も時間内に作りたい作品が出来上がらなかったということはありませんでした。正確にいうと、

それだけの余裕がない

のです。すべて机上の計算だけでこれまでコンテストに臨んできたのです。

そして今年、本当に余裕がありません。金銭面でもそうですが、それ以上に精神面での余裕が全くありません。

お客様に最高の感動を提供するために何をすべきか、ということに全精力を使い果たしている状況です。

4年前と2年前(それと今回同様観客席に回った3年前)、同じように精神的に余裕が全くありませんでした。昨年も精神的に余裕はなかったのですが、この年は「自分にしかできないバルーン演出を形にしよう」という挑戦意欲があり、その一環でコンテストにチャレンジしたのです。

挑戦したいものがなく、精神的に余裕がない今、コンテストに出展しても何も発信できません。そのため今年は観客としてJBAN Conventionに参加することにします。挑戦したいことが現れるまで、コンテストには出ません。コンテストに出るには精神的な余裕も必要です。

ただ、バルーンの技術は日夜進歩しています。必要な情報は毎年少しずつ変化しています。そしてなにより

年に一度、全国で頑張っている仲間たちと絆を確かめ合う時

それがJBAN Conventionです。

あと10日で始まります。

私は2日目、27日より合流します。

JBAN Conventionの前に、あるものに乗ってあるところに行ってきます。そこから合流します。


ひと夏のプロポーズ…バックトゥ1996

こんばんは。

やっと夜です…

気が付くと、もう7月。

JBAN Conventionのある月ではありませんか…

さて、見出しのドラマ。

あの「エミリーズバルーン」の創業者、エミリー杉浦氏がバルーンを全面的に協力し、バルーンアートの普及に一役買ったあの番組です…

ようつべには全くアップされていません…

一方、かくいう私…

1996年といえば、ある意味「どん底」でした…

ちょうどその番組がオンエアされていた時期、私は当時付き合っていた彼女に振られ、会社の中の権力闘争に敗れて左遷が決まったころでした…

この番組が始まる少し前、1996年4月に私は「エミリーズバルーンビジネススクール」に中級まで通いました。

「エミリーズバルーンアートビジネススクール」の存在を知るまで私は

ギャンブルにおぼれていました…

当時住んでいた島根県益田市の住まいには隣に今は無き

益田競馬場競馬

があり、それに飽きたらず

小倉競馬場競馬

まで通っていました。

さらには

防府競輪KEIRIN

徳山ボート競艇

下関ボート3号艇

そして

手の運動もとい

パチンコパチンコ台

これが原因で当時付き合っていた彼女に振られました

もっとも当時は

「バルーンアートはあくまでも本業にしない」

つもりでした…が、15年の月日を経て今では…

どっぷりつかっています

15年前に比べると、

バルーン業界の様子は全く一変し

初期に活躍していた方も何人かは引退したり他業界に転出したり…世代交代が進んでいます。

balart119

1997年の作品です…もう多くは語りません。