こんにちは。
先日、本当に久しぶりに「悔しい」現場を経験してしまいました。
当初予定していた場所が「視覚障碍者向けバリアフリー設備(点字ブロック等)」と干渉し、設置不能となり、やむなく場所変更。
スパークバルーンシャワーは2個用意したうち1個は風に流され、もう一つは本番寸前にアクシデントで消える…
アクシデント多発の現場となり、本当に悔しいことこの上ありませんでした。
こうなると、いくら気を付けても出てしまうのが、私が抱えている発達障害の特性…
キャパシティオーバー→パニック発生…悪循環
当然クレーム続発となり、多大な迷惑をかけてしまうことに…
もっとも、今回のイベントプロデューサーは、私の抱えている障がいを理解していた方。このため、「実は…」となり、ほかの関係者も一同納得し、収拾がついたのですが…
「発達障がい者」である現実が壁となってしまい、残念かつ悔しい結果になってしまいました。
しかし、私がそれでも風船を続けていくのには、理由があるのです。
発達障がい、とりわけASDやADHDに苦しむ人たちの希望であり続けたい
ASD(自閉症スペクトラム、いわゆるアスペルガー症候群)やADHDに苦しみ悩む人たちは、周囲の理解のなさから、多大な苦しみを抱えて生きています。そして、人生の選択肢が狭まり、つらい思いをしています。
さらに、発達障がいに対する偏見もいまだに見られます。一番悔しい思いをしたのは、7年前、2012年に私が発達障がいを抱えているという現実をカミングアウトした途端、手のひらを返したように態度を変えて、取引停止をした結婚式場が出たことでした。発達障がいがある、ということを理解して、取引継続を申し出たり、再度取引を申し出た結婚式場もあったのですが…
このような偏見を見返したい、という想いもバルーン活動継続の意思の一つとなりました。ヘリウムガス払底及びその他の諸事情が重なって、2013年に一度引退を余儀なくされるのですが…2016年に現役復帰することができました。今こうして風船に生命を吹き込み続けることができているのも、多くの方に私が抱えているASDという障がいを理解していただき、それを踏まえた上でバルーンアーティストとしての活動ができているからなのです。
だったら、なぜ「障がいのある人を起用するのか」という意見が出てきます。先述の発達障がいを理由に取引を停止した結婚式場もそうですし、今回も一部でそのような声が出たと聞きました。しかし、それを踏まえて共存していくことも必要だという意見が今回もあったようです。
そうなると、私が創る作品たち、感動の瞬間たちの意味が大きくなります。実際、私はごく一部で
天才バルーンアーティスト
と呼ばれているようです。私の作品よりももっと素晴らしいものを制作するバルーンアーティストが数多くいるにもかかわらず、です。突き詰めていくと
風船に対する想い、姿勢がほかのバルーンアーティストにないものがある
ということになるのでしょう。実際私自身、そう思いつつあります。
当初、私は「もっと素晴らしい作品を制作する人はほかにいくらでもいる」と思い、自分の作品に満足していませんでしたし、納得していませんでした。もっと上がいる、と思い、ひたすら自己否定をしていました。そればかりか、納得いかなければ、大幅値引き、代金受け取り辞退といった行為を何度もしていました。かつてのY’s Dreamにはネットショップがありましたが、そこでは
「お客様が満足しなかった場合、代金は支払わなくてよい」
というようなことを標榜していました。お客様を感動させるのが私の仕事であり、それを全うできなかった以上、代金を受け取る資格はない、という考えからでした。結果、未収が多発しましたが、私は「満足も感動もできなかったから、代金を支払わないのだ」と考え、ごく一部の悪質なケースを除き、未収のままとしていました。旧Y’s Dreamの10年以上の間、そのような未収のままとなったものは、合計すると30~40万程度になっていたようです。旧Y’s Dreamの年商が1年で1000万円あるかないかでしたので、10年余りで1億近くの総売り上げと考えると、バルーン演出の結果代金をいただけなくなった「返還欠場」と併せても0.5%にも満たないですが…
「返還欠場」(これは何度も述べているように、ボートレースのフライング等のスタート失敗すなわち「スタート事故」が語源)という言葉を
そのような自己否定の塊であり、引退に一度は追い込まれるまでに至った私が、どうして復活できたのか…
自ら抱えている障がいと真正面から向き合い、そしてそれに伴う生きづらさ、その原因は何か、ということを根本から解明できたことが大きかったのかもしれません…答えを求めて何度も故郷である鹿児島を訪れたりもしました。
同時に、周囲の理解が大きかったことに感謝しなければなりません。とりわけ4年前、2015年に私を拾ってくださったあの会社…結果、あの会社には3年あまりお世話になりました。最後は目指す方向性に大きなずれが生じて退職せざるを得なくなりましたが、そこで多くの人に出会い、さまざまなつながりができ、その中で新たなつながりがたくさん生まれ、結果「ふうせんまつり~ゆめの国の宝さがし」を成功させることができるまでに至りました。あの会社によって、退職した後も、新たなつながりができたり、次につながるステップができたりしました。本当にあの会社には感謝しています。
現状私は無職でありますが、就労移行支援事業所に通う必要性はありません。あの会社にいた3年余りの間に、多くの出会いがあり、多くのチャンスを与えられ、結果バルーンアーティストとして復活できたのです。そしてレクリエーション介護士2級の資格取得、さらに介護職員初任者研修を修了するまでに至り、長年続けてきたバルーンアーティストとしての経験を高齢者・障碍者福祉につなげるという次なるステップにまで結び付けるまでに至ったのです。そして、「ふうせんまつり~ゆめの国の宝さがし」の成功…
ここまで書いてきて、やはり
本当に好きだからこそここまでやってこれた
という結論に至りそうです。というか、、現実にそうなのです。正直私は日本でも5本の指に入ります、風船に対する想いの強さ、という点では。