月別アーカイブ: 2012年7月

私も感動した仕事

こんにちは。

今日、広島県内のどこかのキャンプ場で、結婚式&パーティーが行われたとか…

私はどこのキャンプ場か知りたくなり、廿日市市・安芸太田町・北広島町のキャンプ場を一つ一つしらみつぶしに回ってみましたが、どこでもやっていませんでした…

どこのキャンプ場だったのか…

もし仮に風船を全く使わなかったとしたら、これほど素晴らしいことはないです。

といいますのも、このような全く何もない空間を祝祭空間に変えるには、風船が一番効果的なのです。

私も実を言いますと

町民広場(=農業公園)

市民会館

での結婚式を手掛けた実績があります。

それも手作りです。

いずれも実行委員会が地域で立ち上がり、

その中で私が風船でお手伝いさせていただいたものです。

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スパークバルーン準備中。合計約250個+リリース100個のバルーンが舞う感動の瞬間を演出しました。

HI3G0034集合写真の様子

この時は披露宴の再入場でドリームバルーンを実施しました。

あまり写真が少なくてすみません。本番に全力を注いだため写真が少ないのです涙

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こちらは農業公園での結婚式&披露パーティー。

地元新聞の取材も来ました。

代表的な例を2つあげましたが、共通するのは

私も感動した

仕事でした。

市民会館での結婚式のときは、撤収中に舞台裏で実行委員同士が抱き合って泣いている光景を目撃しました。

一方、農業公園の時はもっとすごかったのです。私と新婦さんが抱き合っていました。

新婦様が感激のあまり涙を流す…

そのような仕事を私はしたのです。

本当に最高の仕事をした、と私もうれしくなります。

一方、一部結婚式場では

次から次へと「こなす」披露宴。

そこに感激の涙はあるのか…

確かに私はとある結婚式場で1150組もの新郎新婦様の門出を彩る演出をしてきました。

しかしその中で心に残る演出となったものは…

すべて関係者でした。

担当プランナーさんだったり

配膳掛の女の子だったり

司会者様だったり

関係者の場合、私は普段提供することのないスペシャルバージョンを制作しました。

本当にこの演出を見て感動し

さらなる販売促進につながりました

その結果ウェディング系口コミサイトで

この結婚式場=バルーンが舞う

という口コミを多数いただき、高い評価を得ました。

ところがこの結婚式場、最近になって残念なことに

私を「利用」するようになってしまいました。

私を「金のなる木」とみてしまったのです。

この結婚式場、最近本当に笑顔が消えています。

みんなつまらなそうに結婚式、披露宴を「こなして」います。

舞台裏では陰口、悪口のオンパレード…

私はこの結婚式場との契約を打ち切りました。

最大の売り上げがあり、足かけ8年1150組もの実績があるにもかかわらず、です。

私の心身の状態が悪化し、責任を持って演出が提供できなくなったのが主な原因ですが…

その結果、今年に入ってから挙式組数が激減

結婚式場全体にしらけムードとよどんだ空気が充満しています

これで本当に人生最高の感動的な瞬間を提供できるのでしょうか

仮に復帰できたとしたら

本当に感動させる仕事を

していきたいです。

金だけのための、「こなす」仕事はもういいです。

風船の力

こんにちは。
今日は以下の動画を見てください。

このスパークバルーンは弊社から発送されたもの。

こちらのバルーンシャワーセットも弊社から発送。
あとの画像は使い方を間違ったようで、結構残っていたようであった。
ちなみに後の画像の方が先です。
いずれもカウントダウンイベントで使われました。
ここ数日、私は今までの作品を振り返ってみています。
とにかく、
風船の演出は一瞬です
しかしその瞬間が
いつまでも感動として心の中に残るのです。
私はひたすらその感動の瞬間を追いかけて
走り続けてきました。
膨らませた(=私が生命を吹き込んだ)風船の数は数知れず。
私は今、みじめな状況になっていますが、
私が膨らませた風船によってもたらされた感動は
いつまでもそれを見た人の心の中に残っています。
結婚式で、成人式で、カウントダウンイベントで…
そういう仕事をしてきたことに対して、私は誇りを持っています。
これだけは間違いありません。

究極の感動の瞬間って

いったいなんだろうか…
昨日私は、とあるお宅のホームパーティーに呼ばれ、そこでバルーンショーをしてきました。
最後に用意したのは
くす玉バルーン
最初は子供たち全員、耳をふさいでいました
しかし、
はじける瞬間
そして、はじけた後の表情
最高でした
子供たちの最高の表情…
私も感動しました。
と同時に、忘れかけていた何かを
取り戻したような気持になりました。
そもそも私は
1997年1月に日本で初めて行われた
本格的バルーンパーティーに
参加しました。
この時、私は究極といってもいい感動を味わいました。
遠い昔から風船は好きでした
しかし、私は昔(それこそ自閉症=障碍児)だったころ、
風船が上から降ってくる光景に恐怖を感じていました
それが一転、最高の興奮と感動を感じるようになってしまいました。
時期的には幼稚園時代のことではなかったでしょうか…
それ以降、私は風船が好きでした
サラリーマン時代、何も趣味がなく、唯一の趣味がギャンブルという状態の時期がありました。競馬とパチンコが多かったのですが、競艇や競輪もやっていました。競輪と競艇は訳が分からず、すぐにやめましたが…当時はパチンコが一番多かったですね。競艇は最近になってスタート返還欠場ルールに関心を覚え、競艇場の近くに移り住んだこともあり、時々しますが、ほかはやめました…競輪のわけのわからない「ライン」、競馬は血統が複雑化、そしてパチンコは…
パチンコにはまった私を見て、当時付き合っていた彼女は愛想を尽かしました…
そのような状態で見つけたのが「エミリーズバルーンアートビジネススクール」。
私はとりあえず参加しました。
その後、いろいろあって風船を仕事にしました。
しかし13年前、初めてバルーンドロップを成功させたときのあの何とも言い難い快感、
あれはいまだに忘れられません。
それから私は
数多くのバルーン演出を作り上げてきました

しかし一番忘れられないのは
2007年1月に北海道・夕張に送ったスパークバルーン
あのバルーン、実はブライダルフェアの予備を再利用したものでした。
前年の2006年1月、九州は福岡県八女郡上陽町の成人式に呼ばれました。
なぜ私が呼ばれたのか…理由は簡単で、「最後の成人式、ぜひやりたい」ということでした。
とても素晴らしい、感動的な瞬間を演出できました。

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しかし翌年は呼ばれませんでした…2006年10月、上陽町は八女市に編入合併されたのでした。
当時夕張市は、成人式ができない…という状態でした。企業でいう「破産」状態でした。
私は余りもののスパークバルーンを膨らませて、宅急便で夕張に出しました。
予備バルーン、しばらくブライダルフェアが先だったこともあり、処分するぐらいなら、夕張の皆さんに役立てていただこう、と思い、送ったのです。
当時はテレビでも取り上げられ、一時は話題になったくらいでした。
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私もとてもうれしかったのは今でも覚えています。
今、倉庫になっている部屋から、当時のお礼の手紙を引っ張ってきました…
「最高のプレゼントでした」とありました。
この手紙を開封したとき、私は余りにもうれしくなり、思わず自分で自分のために「くす玉バルーン(これ自体別のブライダルフェアの予備だったが)」を作ってしまったことを思い出しました。それだけ感動したのです。
私が目指していたもの…
それは「風船で一人でも多くの人を幸せにしていきたい」
といったものでした。
その理念を忘れずにやってきたつもりだったのですが…
どこかに忘れ去ってしまっていたのかもしれません。
一度すべてを無にする必要があったのでしょう。
そしてもう一度始めるのなら
その理念を忘れないようにしなければいけません。
風船は数少ない
究極の感動の瞬間を作れる道具です
その道具を用いて
私は究極の感動の瞬間を作り上げてきました
究極の感動の瞬間を作り上げる
アーティストが
金、マネーだけに走ると
何もないスカスカばかりになってしまいます。
結局スカスカになって
私はボロボロになってしまいました。
ここ数日、私は
忘れていた何かを
取り戻す日々が続きました…
私は本当に作りたかったもの
それは
究極の感動の瞬間
だったのです。
あるところまでは
達成できたのですが
ゴールは果てしなく遠いところでした
というか
ゴールのない戦いを私は
していたのかもしれません。