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令和の時代…風船の常識は変わるのか

こんにちは。

2020年最初の投稿なのですが、かなり厳しい話からしなければなりません。

私は昨年末、「これからバルーンは厳しくなる」とみていました。当初私が予想していた「厳しくなる要素」は、ヘリウムガスの価格高騰と少子高齢化による市場の変化、といったものでした。

しかしながら、それとは全く異なる要素で「これからバルーンが厳しくなる」と私は判断しました。

それは「地球環境の問題」なのですが…ここ最近になって、思いもよらぬ話が世界各地から伝わり始めました。

ウミガメなど海洋生物の生態系にゴム風船が悪影響を及ぼしている

という報告がここ数年、世界的に相次いでいるのです。

過去に風船が地球環境に悪影響を及ぼしているとされ、問題になり、バルーンリリースが一時期廃れました。1990年代前半のことです。これにバルーン業界が危機感を抱き、メーカーはゴム風船を天然ゴム100%化し、「天然ゴム100%のゴム風船は自然分解され、環境に影響を及ぼさない」として、バルーンリリースは復活しました。現実に天然ゴム100%の風船は光分解と熱酸化によって自然に還ります。

ところが、ここ数年、新たな研究結果が報告されたのです。

それは、

天然ゴム100%の風船が海の上で分解されるには、陸上より長い時間がかかり、さらに分解される間に形状がウミガメの餌である鉢クラゲやイカと似たものになり、ウミガメが間違って食べてしまう。さらに小さな破片は体外に排出されるが、クラゲに似た大きな破片はウミガメの体内で消化できず、死んでしまう

というものでした。

ソウス1「プラなし生活」

ソウス2「廃プラで新条例。オーストラリアの「バルーンリリース」禁止」

これがレジ袋をはじめとした、脱プラスチックの流れに乗り、昨年2019年にはアメリカやオーストラリアのそれぞれ一部の州、さらにジブラルタルなどのヨーロッパの一部でバルーンリリースが禁止されるまでになりました。もっとすさまじいところでは、バルーンの販売が全面禁止された地域まで存在するようなのです。

そのようなトピックを、何と世界最大のバルーンメーカー、クオラテックスで知られるパイオニアバルーンカンパニー社が取り上げ、

バルーンリリースを止めて、それに代わる演出を考え出し、バルーンの将来を守ってほしい

という呼びかけをするまでになったのです。

ソウス3「放さないで: クオラテックスバルーンからのお願い」

つい最近まで、バルーンリリースを公認していた世界を代表するメーカーがこのような呼びかけをするまでに至ったこと自体、

パラダイムシフト

が起きつつある、と考えます。

この流れは、近い将来、間違いなく日本にも伝わるとみています。平成から令和に時代が変わり、昭和末期(昭和60年代)から平成初期(平成5年ごろ)、すなわちバブル期の前後の日本を取り上げ、

時代とともに常識も変わる

というようなことを、最近よくテレビなどのメディアで取り上げているのを目にします。タバコ、バイクのヘルメット(1986年義務化)…ほかにもいろいろあります。大部分は科学技術の発展で変わったものが多いのですが、社会の進化と共にかつての常識が今では非常識となったものも数多く見受けられます。

日本国内でもSDGs(Sustinable Development Goals)という新しい価値観が少しずつ広がっています。その中には「作る責任、使う責任」「海の豊かさを守ろう」といったものが含まれています。

ソウス4「Japan SDGs Action Program」

私は今後、

障がい者・高齢者を含むすべての人たちが自分らしく生きていける社会をつくるのにバルーンを役立てたい

という考えを基本にバルーンに取り組むことにしていますが、その中で

子どもたちにどのようにしてバルーンを通した情操教育をしていくのか

という課題に取り組まなければなりません。

海外でバルーンリリースが海洋生態系に悪影響を及ぼしている可能性が取り沙汰され、禁止の方向に向かっているという現実があります。長年、「いつまでも心に残る感動を生み出したい」とバルーン演出に取り組み、無数の風船たちに生命を吹き込んできた私としても、真剣に考える時期が来たと思います。

何しろ、この冬は超が付く暖冬で、晩秋なのか早春なのかわからない日々が続いています。地球温暖化が進行しているのは明らかです。2018年の西日本豪雨、2019年の台風…漁業の世界でも、ここ数年サンマやイカなどのの不漁が深刻化しています。

これからの時代、子どもたちに地球環境に対して正しい認識を持ってもらうためにも、バルーンリリースを今後扱うか、たとえ地球環境に及ぼす影響が微々たるものだとしても、真剣に考える必要が出てきました。

次の投稿では、「なぜバルーン演出に感動するのか」「なぜ風船は多くの人を魅了するのか」ということについて考えてみます。私がなぜ風船が好きになり、風船を愛するようになり、風船を仕事にするまでになったのか…そこから私が歩んできた道のりを振り返り、今後どのようなバルーン演出をしていきたいか、そして風船で一体何が社会に対してできるのか、考えていきたいと思います。

 

たくさんのくす玉を華開かせた2019年…これから

こんにちは。

前の記事で「正直これからバルーンの仕事は厳しくなる」というようなことを述べました。

本当にそうで、バルーンだけで生計を立てることは到底困難だと思いますし、もしバルーンだけで生計を立てていく決心を固めたら、それこそ「学びなおし」「学習放棄」が必要です。そのような時間もお金も余裕もありません。正直バルーンにかける投資は控えたいくらいです。

むしろ、これからの自分ができることは

長年やってきたことを無理なく生かして、若い世代を育てる

ことだと思います。

一方で、長年バルーンアーティストとしてやってきた経験が、福祉の分野で求められているということを、ここ数年実感しています。発達障害があるとされる子どもたちから、認知症予防が求められる高齢者まで、必要とされています。「レクリエーション介護士」という資格を私は2017年に取得しましたが、これでは不十分だと前職で痛感したので、「介護職員初任者研修」を受講し、終了しました。そこでも「勉強が足りない」と痛感していますので、来年2020年は福祉及び介護の分野の勉強および実践に力を入れたいです。

そのため、来年2020年は、バルーンの仕事は少し絞り込もうと考えています。「ふうせんまつり」「バルーンハッピープロジェクト」といった自ら立ち上げたプロジェクトは既に完結しました。これからやりたいことも今は考えられません。大きな仕事は年に多くても3~4回程度にとどめ、できる範囲のことをしっかりとやっていきたいと考えています。

一方で、数は少なくなっても、大きな仕事は最低年に1~2回はやりたいと思います。なぜなら、夢をかなえるために汗を流す姿が多くの人たちを元気づけているのは事実だからです。とりわけ発達障害に苦しむ人たちおよびその親にとって、好きなことで夢をかなえてきたという実績、それ自体が「すごいこと」であり、「くす玉のひもを引っ張るような達成感」を実感することが求められているこれからの時代にたくさんの子どもさんとその親に必要とされているからなのです。

それゆえ「くす玉バルーン制作ワークショップ」は顧客満足度が高いのです。もちろんこれは今後も主力として、継続していきます。さらに、認知症予防のためのバルーン教室、バルーンをふんだんに取り入れた高齢者施設でのレクリエーション、これらを来年2020年以降は充実させたいです。

ご利用案内はこちら

「くまさんのげんきだま」発達障がいのある子どもさんおよび親へのメッセージ

2019年の記事のアップは、これを最後にしますが、2019年の作品たちを1枚のバルーングラフィックというか、今回はただのスクラップブックなのですが、それをアップして終わりにします。それでは皆様、よいお年を。

 

 

たくさんのくす玉を華開かせた2019年…振り返る

こんばんは。

まず、正直言います。

今後、バルーンの活動は厳しいです。

理由はいくつかあります。

まず、ヘリウムガスの問題。ヘリウムガスは来年2020年になると、もっと価格が高騰するとみています。2001年ごろの価格を1とすると、2018年の今頃が1.5でした。2019年の春ごろが1.9で、来年2020年1月以降は2.5になる模様です。ようやく最近になってアメリカにおける先物市場での投機マネーの流入による買い占め行為が主原因と報じられてきました。つい最近まで原因がわからず、単に中国やインドなどでの需要増が原因と報じられてきましたが、需要増だけでは説明がつかない暴騰ぶりに低温科学での実験に影響を及ぼしつつある現状が報道され、液化ヘリウムガスの再生利用に取り組み始める動きが研究機関を中心に出てきています。

液化ヘリウムガスの再生利用によって、工業・医療用の純正ヘリウムガスと科学実験・気象観測及び風船用の再生ヘリウムガスの両方が流通するようになれば状況は変わるとみています。純正ヘリウムガスはさらなる高騰が続き、一方で再生ヘリウムガスは2018年の水準まで価格が下がるとみています。しかしながら再生プラントの整備が遅れています。また、カタールやロシアにプラントを新設する動きがありますが、これが稼働するのは2030年ごろになると私は見ています。その間にヘリウムガスの価格の高騰が止まらなくなる恐れもあります。背景には世界情勢のさらなる不安定化があるからです。

こうなると、バルーンリリースやスパークバルーンシャワーなどといった演出の価格高騰が止まらなくなり、ほかの演出に代替される動きが加速します。すでに今年2019年にその兆候が見られています。

一方、今でこそインスタグラムなどのSNSによってバルーンの需要は旺盛ですが、これもどうなるかわかりません。私は

近いうちに供給過剰になる

とみています。

加えて、これまで主力にしていたブライダルが少子高齢化の流れで市場縮小…私が2004年から16年間にわたって関わってきた結婚式場が来年2020年春に業態転換のため閉業することもあり、婚礼市場においては6月の時点で来年2020年春以降の完全持ち込み制への移行を決断し、規模を縮小することにしています。

他方、かくいう私は今年、さまざまなことに取り組みました。振り返ると…

上半期、早春から初夏にかけては「ふうせんまつり~ゆめの国の宝さがし」をとにかく成功させることだけに専念していました。昨年2018年の今頃は、実行委員会結成の準備に追われていました。12月に入ってから、一人一人にお願いして回っていました。そうして1月14日に実行委員会はスタートしたのですが…種々のトラブルに巻き込まれ準備は停滞、仕切り直しが必要な状態となり、一時は「中止せざるを得ない」とまで考えました…しかし、2月17日に再度実行委員会がスタート、日程は当初予定していた4月28日から6月2日へ1か月延期となりました。結果、令和最初の1か月となった今年5月を丸々準備に充てられることになり、余裕を持った準備を進めることができ、大成功につながりました。

一方で、「ふうせんまつり」後の準備も進めていました。「ゆめのたね」というネットラジオのパーソナリティーとして、自らの想いを伝えていくことに決め、4月から3か月間、養成講座に通いました。4月と5月は大阪は門真市にある「ゆめのたね」本部まで通い、「ふうせんまつり」終了後となった6月は映像授業を受けました。ただ大阪へ行くのはもったいないので、4月は「ふうせんまつり」への協力をお願いしに下関のヘリウムガス卸業者(バルーン部門もある)に足を運び、その後豪華カーフェリーの船旅を体験し、5月は「ふうせんまつり」のバルーンの材料を仕入れに日本の二大卸の一つである名古屋の卸業者へ近鉄電車などを使って足を運びました。このような工夫なども重ねながら、「ふうせんまつり」への準備を着々と進めました。

「ふうせんまつり~ゆめの国の宝さがし」終了後、6月1か月間はこれまでの活動の棚卸に充てました。故郷の鹿児島にも足を運び、先祖の墓参りから霧島神宮へお礼参りもしてきました。そしてようやく、今後の活動の方向性を見つけ出すことができました。

下半期、まず夏の間は「介護職員初任者研修」に取り組みました。今後、バルーンの活動を福祉と結びつけ、高齢者の認知症予防や障碍者などへの支援、さらに幼児向けの活動といった福祉と密接な分野で強化しようと考えたからです。結果、10月上旬に資格取得ができました。一昨年2017年に取得した「レクリエーション介護士2級」と併用して、今後の方向性を確かなものにするはずでした…が…

10月から11月にかけて、非常に厳しい事態が立て続けに起きました。

先述したヘリウムガス暴騰、地球温暖化が遠因の天候不順とそれに絡む大型ドタキャン続発、さらに近年まれにみる「返還欠場」レベルの演出失敗、そして一時的な精神疾患再発…

「この先いよいよ厳しくなる、もう先は長くない」と痛感しました。

そして12月ですが、「親子でメリクリ」と「レッド☆アイワンマンライブ」という2つの大きな仕事に取り組み、いずれも成功することができました。いずれも「ふうせんまつり」からの流れで取り組みましたが、そこでようやく

夢をかなえたからこそできることが見えてきました。

私は今年2019年、「ふうせんまつり~ゆめの国の宝さがし」というイベントを自ら立ち上げ企画し、成功させることができました。夢をかなえることができたのです。夢を曲がりなりにも一度かなえたからこそ、12月の2大イベントを成功させることができたのです。とりわけ「レッド☆アイワンマンライブ」は廿日市という地域に根を張って活動しているシンガーソングライター、レッドアイさんが企画立案し、「ふうせんまつり」よりも長い時間(約1年!)をかけて準備してきたもので、そのバルーン演出・装飾という大きな役を私は担当させていただきました。

「ふうせんまつり」のあの感動のスパークバルーンシャワーの瞬間、会場内では「おめでとう」「ありがとう」という声が至る所で上がっていたそうです。

「おめでとう」…夢をかなえた私に対するお祝い

「ありがとう」…感動を共有できたことに対する感謝

そして、こういう声も上がっていました。

「一つのことが終わると同時に、新しい何かが始まる予感がする」

まさに、「平成の終わり」と「令和の始まり」です。確かに言えることは

私にとっての平成が終わり、令和が始まった

ということです。そもそも「ふうせんまつり」は、平成元年(1989年)と平成2年(1990年)の春に広島市中心部の中の棚商店街というところで行われていたもので、これに私も加わっていました。その後、平成7年(1995年)に今も続く「エミリーズバルーンビジネススクール」がスタートし、平成9年(1997年)にはJBAN(ジャパンバルーンアーティスツネットワーク)が発足、時代の変化に対応しながら今でも続いています。これを平成が終わろうとする今、自らの手でやってみよう、と思ったのが発想のきっかけでした。そしてタイミングを伺いながら昨年、2018年の新春に構想を打ち立て、1年かけて構想を温め、2018年の12月から具体的な行動を始めたのです。

思えば、2000年4月に1か月間かけて取り組んだ由布院の作品展にしても、1997年の秋に「ここでたくさんの風船を飛ばしてみたい」という想いを、現地由布院のとあるカフェでハーブティーを飲みながら由布岳を眺めつつ抱いたのがそもそものきっかけでした。その後も、思い描いたことをどんどん形にして、記憶に残していくことができました。その感動の瞬間たちは、今でも私のかけがえのない財産になると同時に、多くの人たちの心の中に残る思い出となっています。

そうしてかなえてきた夢…

気が付くと、私が開拓してきた道なき道を多くのバルーンデコレーターの皆さんがたどり、発展してきていたのです。とある世界的に活躍していたバルーンデコレーターの方が、2003年ごろにこうおっしゃっていました。

「私たちは道なき道を開拓しているのだ。その道を開拓してまだ10年もたっていない」

私も道なき道を開拓して、一つの市場を創りました。今から7年前、2012年に鬱を発症し、限界を感じ、さらにヘリウムガス払底(当時は今よりひどい「払底」という事態になっていた。今は「価格暴騰」というやはりひどい事態だが、金を出せば手に入るので、当時とは状況が異なる)などの度重なる事態で廃業に追い込まれました。当時は私のみならず、家族全員が精神疾患に陥り、暴力の応酬が起きるなどしていました。2012年から2013年にかけては、「私が風船から身を引けば母親の病気も、家族全体の精神疾患も治る」と私は考え、廃業を決断した経緯があるのです。

ところが、それは間違いでした。本当の原因は母親の中にある「インナーペアレンツ」であり、「アダルトチルドレン」の問題でした。そしてたどっていくと、母親が受けた厳しすぎる躾に原因があり、その厳しすぎる躾の背景には薩摩藩に伝わる「男尊女卑」の風土、ジェンダーの概念が関係していることが分かってきたのです。間違った思想を信じて廃業に至った私ですが、廃業に至った自分を正当化しようとして、私は儒教を学んだりもしました。儒教では「孝」という概念があり、それは「たとえ親に間違いがあっても、子はそれに泣いてでも絶対に従わなければならない」というもので、親の誤謬を受け入れようとしました。今でも私は「親の言うことがたとえ誤りであっても従うのが孝であり、それがすなわち親孝行である」と信じて疑いません。そして、自分らしく生きることが私の場合、「親不孝」となり、「親不孝は万死に値する大罪である」と私はかたくなに信じています…それゆえ、私はもがき苦しんでいるのです…このことは「自家撞着」に他ならないので。

自分自身の夢をかなえることが自家撞着につながるという、ある意味極めて特殊な状況下にある私ですが、価値観が激変し続けている現代においてこれはやむを得ない状況なのかもしれません。何しろ人工知能が人間を超える「シンギュラリティ」が数十年後には迫っているとさえ言われています。そのような状況下では、儒教の教えも通用しなくなり、古い価値観がどんどん覆されつつあります。

だからこそ、夢をかなえることがかけがえのない経験となり、次の世代に伝えることができるのです。

年が明けて、2020年、令和2年が始まってから、次のことは考えましょう。今は思い出から整理をしていきましょう。そうすることによって見えてくることがあります。それは

夢をかなえたからこそできること

です。

キセキのキセキ後日譚…あの「ふうせんまつり」から半年、そして

こんにちは。

あの「ふうせんまつり」の感動から半年がたちました。

途中で「キセキのキセキ」と題した振り返りが止まってしまいましたが、気が付くともう2019年も終わり…半年余りたった今、実感しているのは

私が生命を吹き込んだ風船たちが、人と人を結び付けた

ということです。

「ふうせんまつり~ゆめの国の宝さがし」がきっかけとなって、いたるところで新たな人のつながりが生まれたのを実感しています。私が思い描いた夢を自ら叶えるによって、多くの新しいことが始まったような印象がします。

この「ふうせんまつり」は正直言って、ただの作品展にしたくありませんでした。「くす玉」を華開かせるときの達成感、高揚感、爽快感、といったものを基点にして、多くの人に夢と感動と元気をもたらすことができるようなイベントを創り上げていきたい、という想いから始まりました。結果…あのような大成功、大盛況、会場内に「おめでとう」「ありがとう」がたくさん飛び交う感動の瞬間が華開いたのです。

その後、半年余り苦楽を共にした仲間たちは、それぞれの未来に向かって歩んでいます。

一方の私ですが…別の記事でまとめて振り返ります。

ただ一つだけ言えることは、

平成から令和へ時代が移り変わったこの時期に、自らの夢をかなえることができた

ということです。

夢をかなえるラストチャンスをものにできたのかもしれない

のです。

別の記事にまとめますが、正直私は「この先厳しい。いつまでバルーンアーティストでいられるかわからない」と思っています。確かなのは、「今やっておかないと、もう生涯できなかった可能性が高い」ということです。

本当にありがとうございました。

なぜ発達障害があるのに風船を続けるのか?

こんにちは。

先日、本当に久しぶりに「悔しい」現場を経験してしまいました。

当初予定していた場所が「視覚障碍者向けバリアフリー設備(点字ブロック等)」と干渉し、設置不能となり、やむなく場所変更。

スパークバルーンシャワーは2個用意したうち1個は風に流され、もう一つは本番寸前にアクシデントで消える…

アクシデント多発の現場となり、本当に悔しいことこの上ありませんでした。

こうなると、いくら気を付けても出てしまうのが、私が抱えている発達障害の特性…

キャパシティオーバー→パニック発生…悪循環

当然クレーム続発となり、多大な迷惑をかけてしまうことに…

もっとも、今回のイベントプロデューサーは、私の抱えている障がいを理解していた方。このため、「実は…」となり、ほかの関係者も一同納得し、収拾がついたのですが…

「発達障がい者」である現実が壁となってしまい、残念かつ悔しい結果になってしまいました。

しかし、私がそれでも風船を続けていくのには、理由があるのです。

発達障がい、とりわけASDやADHDに苦しむ人たちの希望であり続けたい

ASD(自閉症スペクトラム、いわゆるアスペルガー症候群)やADHDに苦しみ悩む人たちは、周囲の理解のなさから、多大な苦しみを抱えて生きています。そして、人生の選択肢が狭まり、つらい思いをしています。

さらに、発達障がいに対する偏見もいまだに見られます。一番悔しい思いをしたのは、7年前、2012年に私が発達障がいを抱えているという現実をカミングアウトした途端、手のひらを返したように態度を変えて、取引停止をした結婚式場が出たことでした。発達障がいがある、ということを理解して、取引継続を申し出たり、再度取引を申し出た結婚式場もあったのですが…

このような偏見を見返したい、という想いもバルーン活動継続の意思の一つとなりました。ヘリウムガス払底及びその他の諸事情が重なって、2013年に一度引退を余儀なくされるのですが…2016年に現役復帰することができました。今こうして風船に生命を吹き込み続けることができているのも、多くの方に私が抱えているASDという障がいを理解していただき、それを踏まえた上でバルーンアーティストとしての活動ができているからなのです。

だったら、なぜ「障がいのある人を起用するのか」という意見が出てきます。先述の発達障がいを理由に取引を停止した結婚式場もそうですし、今回も一部でそのような声が出たと聞きました。しかし、それを踏まえて共存していくことも必要だという意見が今回もあったようです。

そうなると、私が創る作品たち、感動の瞬間たちの意味が大きくなります。実際、私はごく一部で

天才バルーンアーティスト

と呼ばれているようです。私の作品よりももっと素晴らしいものを制作するバルーンアーティストが数多くいるにもかかわらず、です。突き詰めていくと

風船に対する想い、姿勢がほかのバルーンアーティストにないものがある

ということになるのでしょう。実際私自身、そう思いつつあります。

当初、私は「もっと素晴らしい作品を制作する人はほかにいくらでもいる」と思い、自分の作品に満足していませんでしたし、納得していませんでした。もっと上がいる、と思い、ひたすら自己否定をしていました。そればかりか、納得いかなければ、大幅値引き、代金受け取り辞退といった行為を何度もしていました。かつてのY’s Dreamにはネットショップがありましたが、そこでは

「お客様が満足しなかった場合、代金は支払わなくてよい」

というようなことを標榜していました。お客様を感動させるのが私の仕事であり、それを全うできなかった以上、代金を受け取る資格はない、という考えからでした。結果、未収が多発しましたが、私は「満足も感動もできなかったから、代金を支払わないのだ」と考え、ごく一部の悪質なケースを除き、未収のままとしていました。旧Y’s Dreamの10年以上の間、そのような未収のままとなったものは、合計すると30~40万程度になっていたようです。旧Y’s Dreamの年商が1年で1000万円あるかないかでしたので、10年余りで1億近くの総売り上げと考えると、バルーン演出の結果代金をいただけなくなった「返還欠場」と併せても0.5%にも満たないですが…

「返還欠場」(これは何度も述べているように、ボートレースのフライング等のスタート失敗すなわち「スタート事故」が語源)という言葉を

そのような自己否定の塊であり、引退に一度は追い込まれるまでに至った私が、どうして復活できたのか…

自ら抱えている障がいと真正面から向き合い、そしてそれに伴う生きづらさ、その原因は何か、ということを根本から解明できたことが大きかったのかもしれません…答えを求めて何度も故郷である鹿児島を訪れたりもしました。

同時に、周囲の理解が大きかったことに感謝しなければなりません。とりわけ4年前、2015年に私を拾ってくださったあの会社…結果、あの会社には3年あまりお世話になりました。最後は目指す方向性に大きなずれが生じて退職せざるを得なくなりましたが、そこで多くの人に出会い、さまざまなつながりができ、その中で新たなつながりがたくさん生まれ、結果「ふうせんまつり~ゆめの国の宝さがし」を成功させることができるまでに至りました。あの会社によって、退職した後も、新たなつながりができたり、次につながるステップができたりしました。本当にあの会社には感謝しています。

現状私は無職でありますが、就労移行支援事業所に通う必要性はありません。あの会社にいた3年余りの間に、多くの出会いがあり、多くのチャンスを与えられ、結果バルーンアーティストとして復活できたのです。そしてレクリエーション介護士2級の資格取得、さらに介護職員初任者研修を修了するまでに至り、長年続けてきたバルーンアーティストとしての経験を高齢者・障碍者福祉につなげるという次なるステップにまで結び付けるまでに至ったのです。そして、「ふうせんまつり~ゆめの国の宝さがし」の成功…

ここまで書いてきて、やはり

本当に好きだからこそここまでやってこれた

という結論に至りそうです。というか、、現実にそうなのです。正直私は日本でも5本の指に入ります、風船に対する想いの強さ、という点では。

好きなことを好きなようにやってみたら

こんにちは。

本日のソウス「モラハラから回復するするために…」

上記ソウスによると、モラハラ(モラルハラスメント)をする人は、画一的な価値観を押し付けます。その結果、自分が大切にしてきたものを自ら手放さざるを得なくなってしまいます。6年前、2013年に旧Y’s Dreamを廃業せざるを得なかったのも、自分の価値観を曲げて、親の価値観に合わせるためでした。両親そのものがそのまた親の価値観に合わせて自分の価値観を捨てた人で、他人の価値観に合わせて生きることが最善だと信じて疑わなかった人でした。

加えて私も両親も儒教の信者で、「よしんば親が過ちを犯したといえど、子は泣いてそれに従わねばならぬ」という「孝」の教えに従っていました。私の実家の書斎には「論語」があり、私も読んでいました。そして、私は

親の価値観に従い、親の願いをかなえることが親を安心させることであり、すなわち親孝行である

と信じて疑いませんでした。今でも親孝行はそうだと思いますし、親孝行は子の義務だと思っています。よって私は義務を果たしていないことになります。

ところで、旧Y’s Dream時代、私は常に上ばかり見ていました。「誰も見たこともない感動の瞬間を自らの手で創り出す」ことを究極目標に、10年以上の長きにわたって風船に生命を吹き込み続けてきました。その結果生み出された感動の瞬間たちは、とてつもないものばかりでした。何千何万もの風船たちに生命を吹き込み、作品を制作し、感動の瞬間を生み出し、多くの人たちの心に残る感動を創り出せたのです。

これを私は否定しようとしていたのです。実際私は10年間、何もしていなかったように見せかけた職務経歴書を作成したことさえあります。自らをむなしくし、親に従って、親を安心させることが親孝行であり、それが子どもの義務だ、と私は考えていたからです。

これをしようとして、6年前、何週間ももがき苦しんでいたことがありました。

それを止めたのがこれでした。

練習制作したバルーングラフィック

練習制作したバルーングラフィック

「もう風船に生命を吹き込むことはない」と考えた私は、これまでの歩みを何らかの形で残そうと作品集を制作しました。その作品集はこちら その表紙をアレンジしたのがこれなのです。

以来6年間、気が付くと私はこのようなことをやっていました。

ふうせんまつりのクライマックスのバルーンシャワー

好きなことを好きなようにやってみた結果がこれでした。

この空間のいたるところで

おめでとう!

という言葉が飛び交っていました。

自己否定を乗り越え、自己理解を深め、自らを受け入れることができる自分に生まれ変わることができたからこそ、このように自らの夢をかなえることができたのですし、好きなことを好きなようにやってみた結果、その場に居合わせた何百人、さらには映像を見た千人近くの人に、いつまでも忘れることのできない感動と勇気をもたらすことができたのです。

その後半年近い時間が過ぎましたが、もう今ではいろいろな面で困難です。ヘリウムガスの価格はこれをやった時点で暴騰が始まっていて、これに費やしたヘリウムガスは暴騰の兆候をつかんだ時点で早い段階の確保に踏み切るなどして確保していました。その後も暴騰は続き、ヘリウムガスの価格は当時の倍近くになってしまっています。ほかにも様々な点で、多くの方々の支えによってこれだけのことができたと思います。ゆえに、

ありがとう

という言葉も同時に飛び交っていました。

たくさんの笑顔の華を咲かせよう!

広がれ笑顔の輪!

このバルーングラフィック、すでに100枚を超えています。その風船たち一つ一つはすべて、私が生命を吹き込んだ風船たちだけで構成されています。本当に好きなものを続けた結果、これだけのものが生み出されたのですし、自己否定を重ねながらもまだ見ぬ感動を目指して走り続けた10年以上の日々とつながったのです。

好きなことを好きなようにやる、そのひたむきな姿は多くの人の心を魅了します。私が生み出した、創り出した感動の瞬間、その背後には私が幾度となく流してきた汗と涙がたくさんしみ込んでいます。それこそくす玉が華開く瞬間のように、たくさんの感動と笑顔をもたらします。

自己否定を重ね、悩み苦しんでいる皆さんこそ、思い切って一度くす玉のひもを引っ張ってみてください。思い切ってくす玉のひもを引っ張って、自分を認める一歩にしてください。その思い切った一歩が、自己肯定感というかけがえのない宝物を見つけ、はぐくむ最初のきっかけとなるはずです。

かくいう私は、思い切ってくす玉のひもを引っ張ったから、とてつもなく大きなくす玉を華開かせることができ、「見たことのない感動の瞬間を自らの手で創り出す」ことができたのです。

風船の持つ力…改めて痛感

こんばんは。秋の夜長です。

今日2019年11月4日、とあるところでとあるイベントが行われていました。

画像は昨年2018年のものです。

昨年2018年まで、私はこのイベントを運営する会社の社員として、総合的な取りまとめを担当していました。イベントを実施するにあたって、総合的な要の役目をしていたのです、もちろん裏方として。

今年の春、私はこの会社を去り、このイベントの運営は若手社員が中心になったそうです。

で、このイベント、昨年まで裏の取り仕切りを担当していたものとして、かつあのイベントを自ら手掛け、成功させたものして、全くノータッチの一方、ひそかに応援しながら見届けようと思いました。

結果、今年は

風船のふの字も、バルーンのばの字もなかった

といいたいところでしたが…

入口にフォトバックを作っていた(これは風船を使用していた)

とある福祉協賛団体様がバルーンアートをしていた

これだけでした。代わりに手作り感いっぱいの装飾が多数あり、苦心の跡が多々見受けられていました。

肝心の内容は、

新たな挑戦

と銘打って、工夫の限りを凝らしていました。その努力は私に伝わり、とても好感を持てました。これに関しては、正直昨年より良い印象を抱きました。皆さんの努力に触れ、快い一日を過ごしていたのですが…最後に差がついてしまいました。

フィナーレに向かうにつれ、これまでは徐々に人が増えてきていました。ところが今年は逆でした。

会場が閑散とし始めたのです!

私はショックを感じました。何が違うのか…答えは明白でした。

必死に関係者の皆さんが会場を盛り上げようとしているのは伝わりました。

必死にみんなが頑張っているのは伝わりました。

それでも…

これは昨年の別のイベント。

今年も基本的には同じでした。

そして…

やはり何かが足りませんでした。

正直言います。

最後に差が付く決め手となったのは

風船演出

でした。

改めて、風船の持つ強力な力、魔法の力を思い知らされました。

考えてみれば、昨年まで私はこのイベントを

一年の集大成

と位置付けていました。風船以外の面も含む、この会社での仕事すべてにおいてです。だから、私はこのイベントを、別名

グランプリ

と呼んでいました。当然用意する風船、バルーンの作品はその年最高のものにふさわしいものでした。

今年、その「グランプリ」に匹敵する「ダービー」に相当するイベントを自ら企画し、取り組みました。それもあって私はこの会社を退職したのです…安定は失いましたが、取り組んで正解でした。言い換えれば、

この会社で「グランプリ」に昨年まで4度取り組ませていただけたから、自ら「ダービー」を手掛けることができた

のです。

さらに、「グランプリ」に複数回取り組み、「ダービー」を自ら手掛け、成功させるまでに成長させてくださったのも、この会社のおかげでした。

改めて感謝しています。

だからこそ、応援していたのですが…結果は

どれだけ風船の持つ魔法の力が強いか

を改めて痛感する結果になりました。

先月10月、私は今後のバルーンの活動に危機感を抱かざるを得ない局面が相次ぎました。正直、「先は短い」と思いました。でも、続けられる限りは続けよう、ということになりました。

私が風船によって生み出すことができる力が、どれだけの感動をもたらせるか、改めて痛感させられました。

私は風船を一度捨てた人間です。それを拾ってくださったのがこの会社でした。この会社には感謝しかありません。だから応援していたのです。

幸い、私はチコちゃんにはならずに済みました。あの決まり文句を吐き捨てる必要はありませんでした。それだけこの会社に関わる全ての人たちが頑張っていたのは伝わりました。しかし、「ダービー」と呼ぶほどのあのイベントには及びませんでした。そこで改めて、私は

風船が持つ力はどれだけのものか

その風船で私はどれだけの感動を生み出すことができたのか

を痛感しました。だからこそ、

続けられる限り続けることにします。

私にとって風船とは

こんにちは。

とうとうヘリウムガスの価格が暴騰してしまいました。

2018年、すなわち昨年の同時期に比べて約2倍に!

2002年と比較すると約3倍に!

2002年と2018年を比較しても1.4倍でしたので、いかに今年の暴騰ぶりが尋常でないかが分かります。おそらくこの暴騰価格が平均水準になるのでは、と私は思っています。こうなると、

パラダイムシフト

が起こります。つい最近まで容易に手に入った浮かぶ風船が、高級品と化すのです。

そうなると、それに見合った価格設定をしなければなりません。

しかし…今までバルーンリリースは、比較的安い価格ですることができました。50個で1万円強…結婚式場ではこれが、かなりの金額に化けたりしていました。中には「ぼったくりでは…」と思わざるを得ないところもありました。

バルーンリリース

私が手掛けたバルーンリリース、旧Y’s Dream時代のものです。

一方、私が手掛けたスパークバルーンシャワー。こちらは動画でどうぞ。

 

こちらもヘリウムガスは欠かせません。

2012年秋から2013年春にかけて、ヘリウムガスは「払底」状態になり、日本国内に全く入ってこない事態になりました。その後も同じ2013年の秋から冬にかけて断続的に「払底」に陥り、収拾がついたのはカタール産のヘリウムガスの流通が一巡した2014年になってからでした。

2013年9月のブログ記事「私を超えてほしい」

上記のリンクは私が廃業・引退を決め、最後の仕事を終えた後の記事です。

ところが…

ふうせんまつりのクライマックスのバルーンシャワー

自分で自分を超えてしまったのです。

なぜ、私は自分で自分を超えてしまうことができたのか…

旧Y’s Dream時代、私は

自己否定の塊

だったのです。それが、徹底した自己理解の結果、

自分に対して「おめでとう」ということができる

自分で自分のためにくす玉を華開かせることができる

ように変化したことによって、自分で自分を超えることができるまでになったのです。言い換えれば

本当に風船が好きで好きで愛しているからこそ、ここまでやってこれた

のです。

2018年11月のブログ記事「じぶんに{おめでとう!}」

自己理解の大切さについて、本当に痛感しています。

そして、「ふうせんまつり~ゆめの国の宝さがし~」を当初予定していた2019年4月末から6月上旬に延期してでも開催にこぎつけ、準備に邁進し、すべてをぶつけた…その結果多くの感動と笑顔を華開かせることができた…正直言って、ヘリウムガス値上げ後は財政面で開催困難になっていたのは間違いなく、ギリギリのタイミングで開催することができました。

今後、この令和の時代、このようなイベントを企画することも実行することも、財政的な面でまず無理でしょう。ギリギリのラストチャンスを私はものにできた、ということになります。

ところで、話は大きく変わりますが、花火大会は1万発でおおむね5000万から1億円の予算が必要とされています。しかし、7号玉(直径約240メートルの華が開く)が1発3万円、3号玉(直径約60メートル)が1発4000円程度として、40発10万円程度から個人で花火業者にお願いできるそうです。

そうしてみると、私が手掛けるバルーン演出は、同じくらいの華やかさで10万円程度から用意することが可能ということになります。今後は本当に「感動の瞬間を創り出してほしい」「私の人生最高の瞬間を彩ってほしい」というお客様だけに提供していきたいです。参考(営業案内)

これまで何度も述べてきましたが、私にとって、スパークバルーンシャワーなどのバルーン演出の仕事は、

最高の瞬間と感動を創り出すための真剣勝負

なのです。そして、多くの人たちの心に残る感動を生み出すことができた時、

天に舞い上がる、体中を突き抜けるほどの快感を覚える

のです。そのほんのわずかな瞬間のために、何日も準備をして、汗と涙を数えきれないほど流すのです。

10万円、あるいはそれ以上出す価値のある感動を私は生み出すことができるのです。それだけの実績を残しているのです。だからこそ、ヘリウムガスの暴騰という事態が起きても、対処できるのです。

おそらく、今後は年に数えるほどしか大掛かりなバルーン演出はすることはないでしょう。しかし、そのわずかな機会のためにたくさんの時間をかけ、最高の感動を創り上げる、その姿からも学ぶことができる人がいるはずです。発達障害、引きこもり、ニート…

自分自身を安く売るべきでないし、その理由もないのが今の私なのです。

価格政策などの営業見直しのため、今年いっぱいは問い合わせのあったものなどを除き、ヘリウムガスを用いた大掛かりなバルーン演出の受注は控えます(ほかのヘリウムガスを使わない{もしくは使っても少量}装飾やバルーン教室、ワークショップは引き続き受け付けます)。来年2020年1月以降は、今年6月に決めた新しい基本方針にのっとって、営業を進めていきます。

聴覚過敏について、どうしても知ってほしい

おはようございます。珍しい朝の更新です。

ただいま「介護職員初任者研修」の学科試験(難関になるとみていた実技試験は何とかクリアできた)の準備のため、バルーンは一時休業中です。が…どうしても今日は皆さんに知っていただきたいことがあり、述べさせていただきます。

聴覚過敏マーク

皆さんは、このマークをご覧になられたことがあるでしょうか?

このマークは聴覚保護マークと呼ばれるもので、2017年の10月ごろに考案されたものなのです。

聴覚保護マークについて

詳細についてはリンク先のほうをご覧いただくとして、実は私にとっては切っても切り離せない問題があるのです。

ASD(いわゆる「アスペルガー症候群」)の障がいを抱える人のうち約20%が聴覚過敏を抱えている、といわれています。私も実はその一人なのです。この障がいを緩和するため、ヘッドホンらしきものをつけている人がいますが、これを理解していただくためのマークなのです。障がい緩和のために着けているにもかかわらず、周囲から「音楽を聴いているの?」という誤解が多発したため、考案されたものだそうです。それこそこのマークが考案されて、まだ周知されていない時期に、私は聴覚過敏の問題で悩んでいました。

これは2年前の「夢フェスタ」というイベントでのバルーンです。問題になったのが右側の赤い大きなバルーン。

この年のアンケートで「大きな風船はやめてほしい」という意見が多数寄せられました。とあるところからの意見が集中したので、そこの管理者様及びスタッフ様から話を聞くと、どうもそこ(とある放課後等児童デイサービス事業所)には複数の聴覚過敏を抱える子どもたちがいたようでした。

私は悩み、次の年(すなわち昨年)の同じイベントでは対策を立てました。それがこちら。

この時の様子はこちらに詳しく述べています。

このように、聴覚過敏の問題とスパークバルーンの関係は切っても切り離すことができないものです。

かくいう私も、実は風船の割れる音が大の苦手でした。くす玉がテレビに出てくると逃げるほどでした。ところがそれがとあるきっかけで反転し、今では日本でも屈指のくす玉好きとなり、それが高じてバルーン演出を20年以上の長きにわたって手掛けるまでになったのです。

この理由はいまだに謎なのですが、いずれにせよくす玉のはじける瞬間に「もえ」、その結果数えきれないほどの感動の瞬間を生み出すアーティストになっていたのも事実なのです。その背後に自ら抱えるASDの障がい特性が影響していたのも事実です。

そういう経緯があったこともあり、私は聴覚過敏に対して「単なるトラウマの部類」と軽く考えていたのも事実でした。ところが、このような苦情多発という問題に直面し、いろいろ調べてみると、のっぴきならぬ問題が分かったのです。

…この「風船恐怖症」、100人中99人は単なるトラウマで、生活に支障となったりパニックを起こすほどではないもので、やがて克服されるものらしいです。ところが、最近になってPTSDを引き起こしたり、聴力を失うケースが報告されるなど、非常にまれながら医学・生理学的に危機的な状況が起きているそうなのです。加えて調べてみると、一種の脳生理学的問題で、極めてごくまれに風船を受け付けない一種のアレルギーに似たケースがあるらしいです。発達障がいの方で、子ども大人問わずそういうケースがある、という報告もあります。

似たようなケースで、犬恐怖症というものがあり、こちらは1000人中1人の割合でPTSDレベルになるケースがあるそうです。こちらも同じように発達障害が絡んでいるケースが多く、事実私はそうです…

これは2018年の1月の私のブログにあった内容です。

このような脳生理学的な問題がある以上、風船の割れる音に対しては何らかの対策が必要で、現実問題撤収時は周囲に人がいる場合、極力音を出さないようにしています。

そして、風船の割れる音のような特定の不快な音に悩む人への対策として、イヤーマフが使われるようになりました。イヤーマフそのものは航空関係やカーレースおよび射撃などのスポーツといった騒音の大きな場所での支障にならないように使われてきましたが、聴覚過敏対策としても普及しつつあります。

イヤーマフについて詳細はこちら(りたりこ発達ナビのページにジャンプします)

ここまで書いてきて、私はあることを思い出しました…それは35年前(1984年)、私が中学生だった時のことでした。場所はお盆の長崎市です…そう、有名な

精霊流し

です。あの爆竹の音にすごい怖い思いをした記憶があります。

精霊流しの詳細については長崎の観光サイトあたりをご覧いただいた方がよろしいかと思うので省略しますが、とにかく余りの爆竹の音のすごさに恐怖さえ感じました…ほかにも同様に恐怖を感じていた親族がいたこともあり、私の父方の祖母が亡くなった際、精霊流しには参加しませんでしたし、初盆の時点ですでに長崎の家を引き払い、叔父を頼って東京へ移り住んでいました(父方の親族が長いこと私の父親以外全員首都圏にいたのはそのためですが、最近長崎へUターンした人がいました)。

話が全く関係のないところに行ってしまったので、元に戻しますが、風船の割れる音が脳生理学的に悪影響を及ぼす人がいるのも事実です。そういう人たちへの配慮が必要だと私も思います。とりわけ私は聴覚過敏によって犬や爆竹、さらにサイレンに過敏に反応する障がいを抱えていることもあり、さらにその障がい特性によって特定の才能に結び付き、それによって多くの感動を生み出すことができたという現実を抱えているだけに、その必要性を痛感しています。

spark!spark!spark!

余談…今年(2019年)の「夢フェスタ」、11月4日の振り替え休日に開催されるそうだが、いまだに内容が固まり切れていないらしい。チラシもようやく印刷に出した模様(しかも裏面については全くの情報ゼロ!)で、社内でも情報が周知徹底されていない模様。過去の「夢フェスタ」の準備状況、さらに今年私が中心となって開催した「ふうせんまつり~ゆめの国の宝さがし~」の準備状況と比較しても、明らかに遅れが目立ち、後手後手に回っている印象が否めない。昨年まで取りまとめ役として会社に所属しながら活動していた私から見ても、正直心配で、「大丈夫なのか?」と思わざるを得ない。一方では現在私もかかわっている別の組織がこの10月に「夢フェス」なるものを企画しているようだが、こちらの方が比較的早く準備が整いつつあるのが現状。このままでは「夢フェス」の代名詞が変わりそうな気がする。私は10月の「夢フェス」は別の仕事の関係で行くことができず、11月4日の「夢フェスタ」は昨年まで運営にかかわっていたこともあり、見に行くことにするが、少なくともこの舞台を目標にしてきた利用者様の想いを形にできるものにしてほしい。今年は一切風船の「ふ」の字も、バルーンの「ば」の字もびた一文出さないつもりで、完全なお客様として「採点」に行くつもりであるが、もし何の工夫も相違もなく、惰性でやっているような印象を受けたら、きつい警告レベルのメッセージを発するつもりである。

来年4月以降

こんばんは。

広島市内のとある結婚式場のホームページによると、

「令和2年3月末をもって、業態変更{ホテル}することになり、閉館する」

とあります。

この結婚式場、私が旧Y’s Dreamから足掛け15年近くの長きにわたり

メインテーブル ウエルカムゾーン

バルーン演出を手掛けてきた結婚式場です。

かつてはほかにも

エスカリエ青山メモリアル2007-2015

手掛けてきた結婚式場がありました。

しかしながら、どうしたことか、私が手掛けてきた式場はここ数年閉鎖が目立ちます。

全国的にも、結婚式場の閉鎖、さらには経営破綻や自己破産が目立ちます。閉鎖に至らなくても、ブライダルからの撤退もホテルを中心に多いです。

少子高齢化、結婚式を挙げないカップルの増加…が主な要因ですが、ブライダル業界の「自業自得」の面も残念ながらあるといわざるを得ません。つい最近もとある大手ブライダル業者が重大事故レベルの不祥事を惹き起こし、全国的な騒動になったばかりです。

一説によるとウエディングプランナーさんの疲労が深刻、うつ病などの精神疾患に陥るケースも多発していると聞きます。

さらに、これはごく一部であるが、新郎新婦様がクレーマーになってしまうケースもあると聞きます。私も旧Y’s Dream時代、現実に一度遭遇しました。この時は作品を全部作り直しするために新幹線に飛び乗って東京まで出向きました。

どちらにせよ、ブライダル業界は

ブラッドオーシャン

なのが現状です。バルーン業界は市場は縮小する一方でデコレーターは増加の一途をたどっていることもあって、レッドオーシャンになりつつありますが、それよりはるかにひどいのがブライダル業界の現実なのです。

一方で、私がやってきたことは、客観的にみれば

すごいことだった

ことが、一度風船から離れてみてわかったのです。全世界を相手にするほどのレベルの高いところで競い合うと、相対的に低く見えてしまうので、いかに自分のやってきたことがすごいのかがわからなくなってしまいますし、ある角度から見れば「ずっとホストをやってきたのと変わらない」とさえ評価されてしまいますが、現実にはやってきたことは「すごい経験」になっていたのです。

その経験が求められている分野がありました。それは

福祉

の分野でした。障がい児、障がい者、そして高齢者…放課後等デイサービス、就労支援、介護予防、そして特養・老健・高齢者デイサービスでのレクリエーション…風船の需要も、私が経験してきたことを伝える需要も、大いに眠っていました。この分野での需要は掘り起こせば掘り起こすほどありました。

すでに私は福祉とエンターテイメントの融合を目指して、動き始めています。レクリエーション介護士の資格を取得したのもそのためでした。その中で介護の確かな知識の必要性を痛感し、介護職員初任者研修を受講しているのです。

で、見出し。

来年、2020年、令和2年4月以降、私は婚礼関係の一切の会場指定から外れることになります。

来年4月以降、すべての婚礼演出及び装飾は、持ち込み限定とさせていただきます私の風船に対する想いと姿勢に共感していただいた方(新郎新婦様及びそのご家族や友人の皆様など、範囲は問いません)にのみ、最高の瞬間を創り出す演出及び装飾等を提供することにしますので、件数を絞り込ませていただきます価格もそれなりにかかることになりますが、いただいたご予算以上、お願いしていただいた皆様のご期待を大きく上回る、生涯忘れることのできない感動を提供させていただきます。

ただし、縮小はしてもやめるつもりはありません。なぜなら

自ら知恵と汗を出して創り出した感動の瞬間が多くの人の心を動かしたときの達成感と爽快感と高揚感は、何物にも代えがたい、そのような仕事を続ける、そのような作品を生み出し続けることが、福祉の現場、とりわけ障がい児や障がい者、さらにはやりたいことがわからない若者たちにとって夢と希望を与えることにつながるからなのです。