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生命を吹き込んだ風船の数だけ、華開かせたくす玉の数だけ

笑顔の華が咲き誇る…

こんにちは。

先日とあるところで開催されたイベント。私は、企画・主催された方の想いに共感し、作品を制作し、バルーン演出も実施しました。

 

私はなぜ、風船に「生命を吹き込み」、「くす玉」を「華開かせる」のか…

そこに華咲く、たくさんの笑顔の華によって、達成感と高揚感と自己肯定感を感じることができる

からなのです。

もともと私は自己否定の塊でした。風船に接するようになってしばらくしてからもそうでした。常に上を目指し、ひたすら走り続けてきました。どこにもない感動を追い求めて…

鬱を患い、自分が発達障害であるとわかって、立ち止まりました。

そして、「やっぱり自分は風船が好きだった」というところから、再び歩み始めました。その結果たどり着いたところが、あの「ふうせんまつり」でした。あれが自分なりの答えでした。

自分の限界まで思いっきりやりたいことを極めたからこそ、見えるものがありました。そして、こう思いました。

次の世代にこの経験と想いを伝えていきたい

それが「くまさんのげんきだま」であり、「かじーのぱんぱかはじけるばんぐみ」なのです。

かつてのように、自己否定、自己犠牲ばかりを繰り返していては、見えなかったことでした。

ではなぜ、私が自己否定、自己犠牲ばかり繰り返していたのか…

親が厳しかった(いわゆる「毒親」に該当するほどだった…特に母親がひどかった、しかし母親を責めることはできない…なぜなら母親もまた被害者だったことが幾度にもわたる鹿児島(=母親の故郷)詣での結果、分かったから)というのが最大の理由ですが…

自分の価値を信じることが、一度壊れるまでできなかった

からです。こうなると「承認欲求」が強くなり、自己犠牲に走ってしまいがちになるのです。

このような子育ては国際的な競争に直面している今の日本の状況から見ても、してはいけません。昭和の時代のように、農村のような共同体の中で生きていける時代においては、「長い物には巻かれろ」的な教育でよかったのでしょう。同質性と調和が求められ、目立つといじめや村八分の対象になるくらいでした。そのような社会では、むしろ「厳しい躾」が求められていたのです…が、今はそういう時代ではなくなってきているのです。そればかりか、そういう「社会」というより「世間」という概念が、国際化と情報化が進み現代、日本の足を引っ張っているとさえ思います。

私は今後、風船で利潤を上げようというような考えにはならないと思いますし、そのような考えで風船に接するような状況になったら、本当に引退しようと考えています。あくまでも

私が風船たちに生命を吹き込み、笑顔の華たちを華開かせる対価として、お金を受け取る

という姿勢でいますし、それを忘れてはいけません。

 

バルーンにおける「ハーモニー」の位置って?

こんにちは。

昨年のことでしたか、ネットラジオ「ゆめのたね」の「かじーのぱんぱかはじけるばんぐみ」とは別に、地元のコミュニティFMの番組に出させていただく機会がありました。そこでお話しさせていただいたのが、

バルーンアートはある意味、スポーツのようなものだ

心、体、頭脳、すべて持てる力を注いで感動を生み出す…私はことあるごとに「流した汗と涙と、自らが生命を膨らませた風船たちの数を数えよ」といっています。感動の瞬間を生み出すために、たくさんの汗と涙を流す…一つ一つの作品が私にとって「真剣勝負」なのです。

スポーツといえば、陸上競技、水泳、野球、サッカー、ラグビー、ゴルフ…チアリーディングもダンスもボウリングもスポーツに数えられます。さらには「Eスポーツ」なるものまで登場しているようです。

そして、「個人競技」と「団体競技」に大きく分かれます。

基本的に個人競技…陸上競技、水泳、ゴルフ、ボウリング、馬術、自転車競技、格闘技(ボクシング・レスリング・柔道・剣道・空手・相撲・K1など、さらには「水上の格闘技」競艇も)etc

基本的に団体競技…サッカー・ラグビー・アメリカンフットボール・チア (チアリーディング・チアダンス)etc

両方の要素があるもの…野球(基本的に団体競技だが、投手など個人競技の要素も多く含まれている)

個人競技が基本の場合でも、「団体戦」があります。駅伝やリレーなどです。

一方、芸術の分野ではどうでしょうか。

まず、美術・工芸といった分野では明らかに「個人競技」がほとんどです。

一方、一概に言えないのが音楽の分野。

合唱や吹奏楽、交響楽は「団体競技」の要素が強いです。その半面、ピアノ演奏などは「個人競技」の要素が強いです。

こうしてみると、バルーンアートはどちらかといえば、「個人競技」に近いでしょう。しかし…「団体競技」になる要素も多分にあるような気がします。いい例がJBAN Conventionなどの大きな大会のスカラプチャー部門です。

私はかなり昔、18年ぐらい前のことですが、「スカラプチャー部門」のコンテストにチームを組んで参加したことがあります。しかし、そこで私はあることに気が付きます。それは

「総合的人間力」がないと難しい

ということでした。「総合的人間力」とはすなわち「人望」です。それが欠けていた私はかなり苦しみました。

「総合的人間力」には、「人と調和する能力」が大きな部分を占めます。調和は英語で言えば、

ハーモニー

です。ハーモニー…音楽の世界では重要なカギです。

音楽の世界では、この「ハーモニー」がとても大切です。なぜなら曲の中には、たくさんの音やメロディーがあり、また音楽を演奏するためには、たくさんの楽器や人が必要だからです。もし、いろいろな音がむちゃくちゃに鳴り出したり、演奏する人たちが自分勝手に演奏しはじめたりしたら、どうなってしまうでしょう?ですから「ハーモニー」は、音楽には絶対に必要なものなのです。大勢の人がいっしょに演奏するオーケストラでは、指揮者がハーモニーの番人です。皆でどんなハーモニーを作るのかを決め、ハーモニーが生まれるのを助け、それがより良いハーモニーになるようにします。

それなら、一人で演奏する時は、ハーモニーは関係ない?.いいえ、とんでもない! 不思議なことに、舞台の上の演奏家がどんなに上手に弾いていても、会場にいる皆さん一人一人の心とハーモニーが作れなければ、つまらない音楽しか生まれてきません。「ハーモニー」は、音の中だけでなく、私たちの心の中にも生まれ、響くものなのです。「ハーモニー」に一番必要なのは、オーケストラの人たちが、いつもおたがいの音をよく聞き、おたがいの「心」に耳をすましているからなのです。(東京交響楽団&サントリーホール「こども定期演奏会」のサイトより引用)

バルーンに携わるものとしても、この「ハーモニー」は非常に重要です。

例えば、ブライダルでのバルーン装飾や演出。全体のテーマに合わせた色の風船を選ぶことが必須ですし、結婚式や披露宴自体が一種の「交響曲」なのです。感動の結婚式や披露宴を創り出すチームは、まさに「オーケストラ」なのです。たとえバルーン演出がシンバルのような存在だとしても、オーケストラの一員であることに変わりはないのです。

ましてや、さまざまなセレモニーにおいて、バルーン演出は大きなウエイトを占めることが多々ありますが、これらも一種の「協奏曲」であり、オーケストラの一員なのです。

これらのオーケストラの指揮を務めるのが「プランナー」や「プロデューサー」なのです。

よって、幅広い分野の勉強が必要になります。だからこそ、「個人競技」であると同時に、「団体競技」の要素もあるのです。同時に、「あらゆるものに心を澄ます」必要があります。

私のお気に入りの瞬間たち

では、同じ「ハーモニー」でも、人と人との調和、という点ではどうでしょうか。この点が「総合的人間力」につながるのです。

正直、これは幼少期が重要なカギを握ります。加えて、ASDなどの発達障害がある場合、幼少期に問題があると、「総合的人間力」が決定的に不足してしまいます。言い換えれば、幼少期の親、とりわけ母親の愛情が、大人になった時に「総合的人間力」の差となって出るのです。

100%相手のことを受け入れることによって相手のことを深く理解できる、という主張もあります。日本においては「自己否定」「自己犠牲」は長年「美徳」とされ、尊重されてきました。しかし、「自己否定」「自己犠牲」を繰り返すとどうなるでしょうか?「完全主義」になり、「強迫性障害」に陥ることが多々あります。私もそうでした。そうなると、「自家撞着」に陥り、精神疾患を引き起こす原因になってしまいます。

「自己否定」「自己犠牲」は「美徳」では決してないのです。

「自己否定」「自己犠牲」こそ「美徳」であり、生き方だと信じて疑わなかった私は、「完全主義者」になってしまい、旧Y’s Dreamを破綻に追い込んでしまいました。そしてすべてを捨ててみて、本当に好きだったものが風船だった…自分で自分のために「おめでとう!」といえるまでに生まれ変わることができたのも、風船のおかげでした。

「自己否定」「自己犠牲」はやめてください。自分で自分を縛り、追い込むだけです。

実際のところ、昭和時代、「自己否定」「自己犠牲」の精神で日本は高度経済成長を遂げることができました。その際、太古の昔から日本の基盤であった「農村」に根付く「ムラ」の価値観が大きな役目を果たしてきました。もともと農業は、農家が孤立して営まれるものではなく、「ムラ」の人びとが団結し、農家ごと順番に作業を行うことで、田植えや稲刈り、それから屋根葺きなどといったかなりの労力が必要な作業をみんなで助け合って行っていたのです。しかしそれが、今の日本の硬直化を招いているのです。いま必要なのは、自分の信念や価値観を一人一人が優先させるという意識です。

「ハーモニー」は重要ですが、一つ間違えると「自己否定」「自己犠牲」になります。無理な調和はいけません。

最後になぜ、今回このようなテーマでの文章を書いたのかについて述べます。とある昭和時代の残滓を厚くまとった「自己否定」「自己犠牲」を是とする「ムラ」的な組織に、私は悩まされていたからです。今でも悩まされていますが、「最後通告」をその組織に突きつけてきました。