おはようございます。
バルーン業界の将来、三年後、五年後、十年後…いったいどうなっているのだろうか。
未来のことなど本当にわからない。
ただ、歴史を振り返ってみれば何か見えてくるものがあるに違いない。
1983年、東京ディズニーランドオープン。
1984年、当時日本で最大のバルーンリリースが行われた。30万個以上だったという。とあるラーメンの宣伝で行われたという。
1986年、東京南麻布、仙台坂下に日本初のバルーンショップ「タキシードベア」がオープン。この店は西麻布に拡張移転し現存する。
1988年、東京ディズニーランド5周年で大規模なバルーンリリース
このころはバブル経済絶頂期、とにかく式典といえば大規模なバルーンリリースが当たり前の時代だった。
1991年ごろ、「ウミガメショック」発生。バルーンリリースが急速に減る。
1994年、大阪梅田に西日本初のバルーンショップ「ウィンズバルーン」オープン。現在はバルーンスクールを主体に活動している。
1994年、広島アジア大会でエコ風船の大量リリース。
1995年、エミリーズバルーンアートビジネススクール始まる。
1996年4月、私もそのエミリーズバルーンアートビジネススクールに参加。
1997年1月、JBAN Conventionの第1回開催。(私も参加)
1997年?月、テレビチャンピョンでバルーンアート選手権開催
このころは日本における本格的バルーンビジネスの勃興期だったに違いない。
このころから今日も活躍する世界的なバルーンアーティストが出てくるようになる。
2000年ごろになると、日本におけるバルーンアートは成長期に入る。
2004年のウェディングメインテーブル
2004年のイベント会場デコレーション
このころ、私は演出も装飾も幅広く手掛けていた。
大口取引先も増え、たくさんの仕事をいただき、数多くの風船を膨らませていた。
これらの作品はその一例である。
ツイスターズという、ひねる風船を専門にした大会の第1回が行われたのは2004年。
このころから趣味で風船をひねる方が増え、バルーンアートが趣味として一般化するようになる。
2005年、仕事が増えすぎ、私は一時うつ状態になった。
悩んだ末、バルーン演出に経営資源を集中させる方策に出た。
これで私は回復した。
2006年1月
2007年1月
2008年10月
私はとにかくたくさんの風船に生命を吹き込んだ
いつまでも心に残る最高の瞬間を数多くつくりあげた
このころからバルーンドレスが流行り始める
ツイスターズは2007年新潟、2008年には地元広島で開催された。
バルーンアートはもはや一般の趣味として定着し、バルーンビジネスは成熟期を迎えた。
この時期はバルーン業界全体にとっても私にとっても、花よ蝶よの時代だったのかもしれない。
その流れが2011年3月11日を境に変化を始める。
東日本大震災
まず変化が起きたのがブライダル業界。
派手な演出が減る傾向に。絆を重んじたアットホームな結婚式が増えていった。
そして徐々にヘリウムガスの需給がタイトになり、2012年11月には払底を起こしてしまう…
ヘリウムガスの需給は一時期の払底を脱したが、まだまだ不足している。
東京ディズニーリゾートでも2012年11月20日を最後にバルーンの販売が行われていない。
明らかに減ったのが結婚式でのバルーンリリース。
一方では今年に入り、100円ショップでヘリウムガス入りバルーンが販売されている。
私は何度も言っているように、
ただ風船を膨らませるだけの人はもはやいらない
厳しい時代がやってきた、と痛感している。
かくいう私は長年の無理がたたり、鬱を発症。その後一時は復帰したものの、諸情勢がどんどん悪化、とても続けられない、と判断し、引退を決断した。
この流れを通して、私は予想するのは、次の通り。
バルーンのすそ野はどんどん広がる。趣味としてバルーンをする人が老若男女増える