こんばんは。
ぶっちゃけ言います。
私は、1996年にバルーンアートスクールに参加し、1997年に腰までつかるくらいの風船と紙吹雪のシャワーを実体験しました。この感動をいかにして社会に還元するか、という想いからバルーンアーティストとしての活動を始めました。
ただ単に、風船が好き、ということが原点ではありましたが、これらの経験をいかにして社会に生かすか、地域に還元するか、という想いが旧Y’s Dreamの出発点でした。
今にして思えば、これは一種のタブーを犯していました。
どこがおかしいかはよく見てください。というか、本当に始めて間もなかったが故、そしてそこまで気配りができる真のバルーンデコレーターが本当にまだまだ少なかった頃の作品です。とある方から指摘を受け、私も納得しましたが、本当に勉強になりました。
答えは…「コー× コピン× 演奏会」です。
×の部分が風船で隠れていたのです。
私は納得しました。そして、この経験は今でも生きています。
この作品から、私は2012年まで、15年にわたって一気に駆け抜けました。
その間に生命を吹き込んだ風船の数、一体いくつあるのかわかりません。
ただその無数の風船たちが、多くの人たちの心に感動を残したのは間違いありません。
だからこそ今、私は未来を担う若者たちに、夢を語ることができるのです。
…
この年、私は大分県由布院を訪れました。
この地でたくさんの風船を飛ばしてみたい…
3年後の2000年4月、それは現実のものとなりました。
そして2010年までほぼ毎年、私は由布院を年に一度訪れ、バルーンリリースを行いました。(実際は長年の伝統の祭りであった「由布院温泉まつり」で由布院温泉で宿泊できる券を付けたバルーンリリースを例年行っており、そのバルーンリリースを毎年担当するようになった…佐田岬半島(伊方原発の近く?)・宇和島・今治等、愛媛県内で複数回拾われたらしい。)
その時の様子です。
もう17年も前の写真です。
2003年
2004年
2008年
2010年から2011年
2015年
2016年
2017年
もちろんこれらはほんの一部。
まだまだ私は風船に想いを託し、風船に生命を吹き込み続けます。
そして、その姿こそが、多くの人の心に感動を残し、夢と希望と元気をもたらすことができるのです。
このようなくす玉(すべて私が生命を吹き込んだ風船たち)のごとく、はじける想いを日々届けていきたいです!