月別アーカイブ: 2019年8月

来年4月以降

こんばんは。

広島市内のとある結婚式場のホームページによると、

「令和2年3月末をもって、業態変更{ホテル}することになり、閉館する」

とあります。

この結婚式場、私が旧Y’s Dreamから足掛け15年近くの長きにわたり

メインテーブル ウエルカムゾーン

バルーン演出を手掛けてきた結婚式場です。

かつてはほかにも

エスカリエ青山メモリアル2007-2015

手掛けてきた結婚式場がありました。

しかしながら、どうしたことか、私が手掛けてきた式場はここ数年閉鎖が目立ちます。

全国的にも、結婚式場の閉鎖、さらには経営破綻や自己破産が目立ちます。閉鎖に至らなくても、ブライダルからの撤退もホテルを中心に多いです。

少子高齢化、結婚式を挙げないカップルの増加…が主な要因ですが、ブライダル業界の「自業自得」の面も残念ながらあるといわざるを得ません。つい最近もとある大手ブライダル業者が重大事故レベルの不祥事を惹き起こし、全国的な騒動になったばかりです。

一説によるとウエディングプランナーさんの疲労が深刻、うつ病などの精神疾患に陥るケースも多発していると聞きます。

さらに、これはごく一部であるが、新郎新婦様がクレーマーになってしまうケースもあると聞きます。私も旧Y’s Dream時代、現実に一度遭遇しました。この時は作品を全部作り直しするために新幹線に飛び乗って東京まで出向きました。

どちらにせよ、ブライダル業界は

ブラッドオーシャン

なのが現状です。バルーン業界は市場は縮小する一方でデコレーターは増加の一途をたどっていることもあって、レッドオーシャンになりつつありますが、それよりはるかにひどいのがブライダル業界の現実なのです。

一方で、私がやってきたことは、客観的にみれば

すごいことだった

ことが、一度風船から離れてみてわかったのです。全世界を相手にするほどのレベルの高いところで競い合うと、相対的に低く見えてしまうので、いかに自分のやってきたことがすごいのかがわからなくなってしまいますし、ある角度から見れば「ずっとホストをやってきたのと変わらない」とさえ評価されてしまいますが、現実にはやってきたことは「すごい経験」になっていたのです。

その経験が求められている分野がありました。それは

福祉

の分野でした。障がい児、障がい者、そして高齢者…放課後等デイサービス、就労支援、介護予防、そして特養・老健・高齢者デイサービスでのレクリエーション…風船の需要も、私が経験してきたことを伝える需要も、大いに眠っていました。この分野での需要は掘り起こせば掘り起こすほどありました。

すでに私は福祉とエンターテイメントの融合を目指して、動き始めています。レクリエーション介護士の資格を取得したのもそのためでした。その中で介護の確かな知識の必要性を痛感し、介護職員初任者研修を受講しているのです。

で、見出し。

来年、2020年、令和2年4月以降、私は婚礼関係の一切の会場指定から外れることになります。

来年4月以降、すべての婚礼演出及び装飾は、持ち込み限定とさせていただきます私の風船に対する想いと姿勢に共感していただいた方(新郎新婦様及びそのご家族や友人の皆様など、範囲は問いません)にのみ、最高の瞬間を創り出す演出及び装飾等を提供することにしますので、件数を絞り込ませていただきます価格もそれなりにかかることになりますが、いただいたご予算以上、お願いしていただいた皆様のご期待を大きく上回る、生涯忘れることのできない感動を提供させていただきます。

ただし、縮小はしてもやめるつもりはありません。なぜなら

自ら知恵と汗を出して創り出した感動の瞬間が多くの人の心を動かしたときの達成感と爽快感と高揚感は、何物にも代えがたい、そのような仕事を続ける、そのような作品を生み出し続けることが、福祉の現場、とりわけ障がい児や障がい者、さらにはやりたいことがわからない若者たちにとって夢と希望を与えることにつながるからなのです。

6年間を振り返ると…

こんにちは。

6年前、2013年の今頃…

「もう2度と風船を膨らませることはない」

という決意をしていました。

ところが…

2015年の作品たち

再び私は風船に生命を吹き込むようになりました。

2017年の作品たち

障がいのある人たちが自信を身に着け、自立して社会生活を送る手助けとしてのバルーン。

自らが新たな創造や表現をするのではなく、次に続く世代が新たな創造や表現をしていく手助けをしていく必要がある…

私の立ち位置は、大きく変わっていることを改めて痛感した一日になりました。

その中でできること…

私のバルーン、風船に対する思いを、同じ障がいに苦しんでいる人たちや、次の世代を担う若者や子供たちに伝えていくということ…

2016年12月のブログの記事に、このようなことを書いていました。

その想いは、2015年の実質活動再開以降、変わっていませんが…

 

この動画は、自分で制作したものです。一緒にイベントに参加された方が撮影したものをいただいて編集しました。

このバルーンショー、大したことをやっているつもりは本当にないのですが…

すごーい!

という声が聞かれました。

これで「すごい!」と思うのなら、これはどうなるのでしょうか…

自分自身でも、これを成し遂げたことは「すごいこと」だと思っていますし、誇りに思っています。

そして、これを成し遂げたことによって、正直いつ引退してもかまわない、とさえ思えるようになっているのが本当のところなのです。

今私は、「介護職員初任者研修」を受けています。すでに実技研修も後半に入り、提出課題はすべて終了、実技試験(口頭試問含む)と学科試験も近づいています。この研修を受けている理由は今後本格的に展開を予定している高齢者及び障がい者・障がい児向けのバルーン教室の活動に生かすのが最大の目的であり、2017年に取得した「レクリエーション介護士」の資格だけでは片手落ち、不十分であることを痛感したということが最大の理由なのですが、状況がより厳しくなった際に、完全引退してほかの仕事をする際の資格活用という理由もあります(というより、両親はこれを望んでいる、それゆえややこしい状況が起きている。このややこしい状況は6年前と全く変わらない。それもこれも、本当の原因に両親が向き合わず、臭いものに蓋をしようとするからだ)

ボランティア活動では、このようなこともしました。正直これだけのことをするのに、10万円程度お金がかかっています。先述の「ふうせんまつり」用に確保していた資金を充当しました。

それでもなぜ、私はこのようなことをするのでしょうか…

私が生命を吹き込んだ風船たち、私が創り出した感動の瞬間たちが、数多くの笑顔の華を咲かせている

からなのです。言い換えれば

感動の瞬間を創り出すことができた時、私は天にも舞い上がるような達成感と高揚感を感じることができる

のです。実際、「ふうせんまつり」では、「すごーい!」「やばい!」といった絶賛の言葉のみならず、「おめでとう!」という言葉までもが飛び交っていました。

自己否定の塊だった私が、自分自身に対して「おめでとう!」ということができるまでに回復し、次の段階に踏み出すまでに至ったのがこの6年間だったのかもしれません。

参考までに6年前、2013年はこのようなことを思っていました。

(復刻)正直なところ…私はもう風船は見たくない

いかに当時、自己否定の塊だったかが分かります。しかも当時のブログには、もっと過激な内容が…(とてもここでは述べられません)

それを乗り越えて編み出されたのがこちらです。

これを見れば、私にとって風船たち、とりわけスパークバルーンやバルーンクラッカーといったものは、

くす玉に入っているのは風船や紙吹雪やリボンだけではない

ということが分かります。私の想い、努力、さらには汗や涙といったものまでがぎっしり詰まっています(現実には汗や涙は入っていませんが)。それらが大輪の華を花開かせ、多くの人に感動を与えている…という事実。だからこそ、「ふうせんまつり」のフィナーレで創り出すことができた感動の瞬間に、「おめでとう!」という言葉が飛び交ったのでしょう。

大切にすべき自己肯定感

こんにちは。

いつもはきらきらピカピカしているようなことばかりここで述べているのですが、今年(2019年)のお盆は「ひきこもり」と化してました。台風10号が来て、終戦記念日の日、すなわち8月15日が西日本一帯ゴーストタウン化してしまったというのも大きいですし、このお盆の間にターミナルケア、すなわち終末期介護について考え、「その人にとって本当に幸せな人生とは何だろうか」と深く考え込んでしまったりもして、久しぶりにネガティブな気持ちで過ごしてしまいました。

ふうせんだいすきおっさんのひとりごと

たまにリンクを張る裏ブログ。

こんなにネガティブになったのは久しぶりです。6~7年前に逆戻りしたかのような日々でした。

実はすでに来年春までのスキームを立てており、その中で公的制度を活用して態勢を整え、新たにスタートしようという方向性なのです。そのスキームと方向性を親がぶち壊しにしようとしたのです。

このような行為は親の不安からきているものなのでしょうが、そもそも親の不安が的外れといっても過言ではありません。こういうのを

過干渉

というのです。

あまりにもネガティブな日々を過ごしていた私は、たまりかねてバルーングラフィックを制作しました。

笑顔はみんなを幸せにする

いつものバルーングラフィックですが、これを制作しているときはいつも

幸福感と自己肯定感

を感じます。

そもそも、このバルーングラフィックの素材、基本的に全部私の作品たちです。言い換えれば

私が生命を吹き込んだ風船たちだけで制作することができる

のです。

考えてみれば、これはすごいことではないでしょうか。

それだけではありません。私はこのバルーングラフィックの世界観をリアルに作り上げることまでなしえたのです。それが

ふうせんまつりのクライマックスのバルーンシャワー

「ふうせんまつり~ゆめの国の宝さがし~」

でした。

自分がなしえたことはとてつもなくすごいことであり、その結果、数えきれないほどの笑顔の華を咲かせ、たくさんの人に幸せをもたらしてきました。これが事実です。

それができるようになったのも、自己否定を克服し、自分に「おめでとう」ということができるまでに回復したからなのです。

つまるところ、親については「親自身が過干渉に育てられており、その背景は歴史と風土にある」という結論に至っているので、私は「どうしようもない」というあきらめがついており、それを受け入れることから始まってここまで回復できたのですが…だから私は鹿児島詣で(家の墓がある)を欠かさないのです。

逆に言えば、バルーングラフィックを制作するきっかけになったのが、

自分のしてきたことを振り返るトレーニング、自己否定を是正するためのトレーニング

でした。6年前、2013年、それこそ血で血を洗うような、泥沼化していた親子闘争の結果旧Y’s Dreamを自主廃業に追い込まれ、徹底的な自己否定を自分に課し、自己洗脳を試みていた私は、どうもがいても堂々巡りを繰り返すばかりでした。それを止めるために、方向転換をして

バルーンで私がしてきたことを振り返ろう

ということから制作を始めたのです。

その後少しずつ現役復帰をしていったのですが、2016年後半あたりからこのような声が少しずつ聞こえ始めました。

バルーングラフィックを見ると元気が出る

私はバルーングラフィックの作品展開催を検討し始めました。しかしながら諸事情もあってなかなか実現せず。そんな中

平成が終わる

というニュースが飛び込んできました。その後は作品展構想を夢見て、資金を貯め始め、ついには実現させることができたのです…「ふうせんまつり~ゆめの国の宝さがし~」という形で。

自己肯定感を培うためのトレーニングとして制作し始めたバルーングラフィック。すでに97作品を数え、現実にすることまでも実現しました。しかもすべて自らの作品です。ことバルーンに関する限り、他人の作品は一切含んでいません(素材集からのイラストを活用している例外もある)。それらによって多くの人を笑顔にし、元気にする…西日本豪雨の被災地に赴き、実質ノーギャラ、一切自弁でバルーンショーを制作したこともあります。それらの風船たち、それらの作品たち、そして生み出した感動の瞬間たちが、どれだけの人を幸せにし、どれだけの笑顔の華を咲かせて来たのか…そしてそれができるまでになった自分に対して「おめでとう」ということができるまでに回復できたという事実…

だから次なるステップに踏み出すこともできるのです。「レクリエーション介護士」の資格も、必要になるであろうと見越して取得しました。実際に活動してみて必要性を感じたから「介護職員初任者研修」を受講しているのですし、自分の経験が「ひきこもりやニートからの脱却に求められている」からこそ、ラジオパーソナリティの活動に踏み込んだりしているのです。

私は敢えて、両親にこれらの努力を見せていません。唯一伝えているのは、「レクリエーション介護士」の件と、「介護職員初任者研修」の件だけです。「ふうせんまつり」のことなど、私の両親は知りません。「ふうせんまつり」の宣伝活動の際、テレビだけは私が表に出ませんでした。徹底した隠密活動を両親に対して行う一方、両親が存在を知らないメディアには積極的に動きました。「信じる者に説明は無用である。信じないものに説明は無駄である」これはキリスト教の教えの一つですが、私の両親は「信じようとしない」のであり、もはや何をしても無駄と判断しています。実際、私は母親の病気が治ると信じて、旧Y’s Dreamを廃業してバルーンアーティストを引退したのですが、現実は母親の病気は治りませんでした。原因は違うところにある、と考えた結果、母親の育てられ方に大きな問題があり、背景には歴史と文化と風土が隠れていたということまでわかったため、私はある意味あきらめをつけることができたのですが…(遺憾なことに、私の母方の叔母の「緩慢な自殺」で、このことがよりはっきりした)

「バルーングラフィック」しかり、「くまさんのげんきだま」しかり、そして「ふうせんまつり」…一度奈落の底まで落ちたからこそできたことだと私は考えています。そして、そこから伝えることは、

自分が自らの手で華開かせるための「くす玉」を見つけ出し、それを華開かせるための努力を積み重ねることの大切さ

であり、

そうすることによって達成感を味わい、自己肯定感を培うことができる

その結果生きる力に結び付く

ということです。

いつの間にか…

フェイスブックの友達が500人に達していた…

というわけで、

くす玉のひもを引っ張ってみよう!

そもそも私はフェイスブックを始めたのが2015年と遅かったです。それまではSNS全般に疑問を抱いてました。今でもLINEはやっていません。個人情報筒抜けの懸念があるからなのです。

その私が、フェイスブックで500人もの人とつながることができた…ということ自体、すごいことです。私の場合、あったことがない人は基本フェイスブックで友達になることはありませんし、場合によっては友達申請をしてきても削除します。

さらに言えば、私はバルーン業界の現状に疑問を抱いていることもあり、バルーン業界関係者の友達はごく限られています。1997年の活動開始以来長年加盟していたJBANというネットワークからも数年前に離脱し、JBANが主催するコンベンション、すなわちバルーンアートの全国大会(この大会、日本ではトップクラス、世界でも有数のバルーンアートの大会に成長している)も2016年を最後に参加していません。このコンベンション、将来を担う若手にどんどん参加してほしいのが私の本音であり、私は「もういいか」と思っているのが現状です。

そういう私が500人もの人とつながることができた…

「ふうせんまつり」も、皆さんの協力なくしては実現しなかったです。

ありがとうの気持ちをを込めて…

あれだけ自己否定の塊だった自分が、今では自分自身に「おめでとう!」といえるまでになった…

その私を応援してくださった500人の皆さんに「ありがとう!」