月別アーカイブ: 2018年4月

風船って…いつも脇役だけど(2)

こんばんは。

こちらからの続きです

私は数多くの感動の瞬間をつくりあげてきました。

しかし、何か引っかかるものがあります。それは

風船はいつも主役の引き立て役

風船を主役にしたイベントをやってみたい

というものでした。

過去に私は作品展を開催したことがありました。

これは2000年4月に大分県由布院で開催された作品展のオープニングでのバルーンリリース。

約1000個の風船が舞い上がる演出で、私の作品展のオープニングを演出してみました。

この作品展は1か月にわたるロングランで、私は由布院に住み込み、いろいろな作品を制作しました。

当時はバルーンアートの認知度は非常に低く、道なき道を開拓しているような状態でした。

それから私は作品展開催を封印しました。

さらにさかのぼり、平成元年。広島のとある商店街で「ふうせんまつり」なるものが開催されました。この「ふうせんまつり」、ただヘリウムガスで膨らませた風船をたくさん飾っただけのもの。しかも当時はバルーンリリースが環境破壊につながるとは思ってもみなかった時代。プラスティックバルブを結び口につけた風船が様々なところでたくさんリリースされ、結果このプラスティックバルブを飲み込んだウミガメが死んでしまうということが報じられ、バルーンリリースは急速に廃れました。

その後、ゴム風船は天然ゴム100%の生分解性のものが主流になり、ひももすべて和紙製などの生分解性のものに切り替えられました。結果、バルーンリリースは結婚式やオープニングセレモニーなどで多く使われる演出になりました。

一方私は、数多くの感動の瞬間をつくりあげ続けてきました。

その中で思ったこと。

風船をテーマにした、風船が主役のイベントをやってみたい

客観的にみて、私がやってきたことは本当にすごいことだと思います。しかし、その背後にあるものは、流したたくさんの汗と涙なのです。

そうやって生み出した感動の瞬間が、無数の笑顔の華を花開かせるのです。

今後、私は無数の笑顔の華を花開かせた経験を、多くの将来を担う子どもたち、とりわけ発達障がいのある子どもたちのために役立てたい、と考えています。

この「ふうせんでつたえたいおもい」、もとは「くまさんのげんきだま」から生まれたものでした。そして数多くのバルーングラフィック作品…

自分は気が付くと、自分のなしえたことが、多くの人に夢と感動と元気を与える存在になっていたのです。そのことに私は気が付かず、ひたすら走り続けてしまい、ついには精神疾患を患うまでになってしまったのです。

それに気が付いて、自分を認めることから私自身の再生は始まりました。それまで私は、

自己否定の塊

だったのです。その自分が今では

くす玉のような存在

であることを自他双方認めるまでになっています。

で、再びこの写真。

そしてこの写真。

この光景にあこがれ、自らバルーンアーティストとしての人生を歩んできました。

結果生み出された感動の瞬間は数知れません。

自分が生み出したくす玉がはじけるとき、多くの人が感動し、同時に自分の中で大きなくす玉がはじけるのです。それを繰り返し、今の自分がある、ということに最近になってようやく気が付いたのです。

 

くす玉のような存在であり続けたい…

くす玉のような存在であり続けたい…

これは私の思いを表現したバルーングラフィックです。

このような絵を自分の作品だけで書き上げることができ、表現できること自体がすごいことらしいです。実際「元気が出た」「生きる希望を見出せた」という声を数多くいただいています。そのような声をいただいた時、私の心の中でくす玉がはじけるのです。

ありがとう、という思い

ありがとう、という思い

くす玉がはじけ、無数の風船と紙吹雪が舞う光景…

この世界観をリアルに体験していただきたい

という思いで、作品展を開催することに決めました。

期日は来年4月下旬です。

風船って…いつも脇役だけど(1)

こんばんは。

今年2月のこの記事…感動の光景を生み出す力とは

2008年まで

2009年

その後の経緯

一昨年、このイベントがリニューアルしたのをテレビのローカルニュースで見て知った私は、今の姿を見るべく、広島県神石高原町、帝釈峡に向かいました。

 

写真では正直わかりづらいです。あたり一面に風船が舞う光景が繰り広げられました。太鼓、爆竹と現地で見ないと体感できない光景が繰り広げられました。

すごい

感動した

という声が数多く聞かれました。

見た限り、私が安全に関して助言し、その結果が反映された形で行われていると思いました。

私が2009年に受けたクレーム…「写真映えしない」

2009年と、2008年までの画像を見比べてみれば分かります。

いかに2008年までの「巨大くす玉」とこいのぼりがすごい迫力だったのかが分かります。

上記リンクにもありますが、2011年以降一時期、くす玉も風船もこのイベントは廃止していました。そしていろいろな地域でよくあるような芸能発表会と著名人のショーのステージに、地域の特産を生かす出店を組み合わせた、どこにでもあるイベントに変化しました。その結果、写真撮影に来る人たちは激減したそうです。

加えて、このイベント、私がバルーンアーティストを目指そうとしたきっかけの一つなのです。

自らの手で感動の瞬間を作り上げたい…

このイベントを最初に見たのは22年前、1996年のことです。正直感動しました。

当時の私は、できて間もないエミリーズバルーンアートビジネススクールに2日間通ったばかりで、風船を仕事にすることなど、考えてもいませんでした。

第1回のJBAN Conventionが開催されたのが1997年1月。今は亡きエミリー杉浦氏が立案し、実施したイベントだったのですが、これに参加してバルーンシャワーを体験した私は、

この感動を多くの人に伝えていきたい

と思い、バルーンアーティストとしての道を歩み始めたのです。

様々な分野のバルーンに取り組みましたが、結果自分が一番やりたかったのがバルーン演出。「くす玉のはじける瞬間」にあこがれ、それを自らの手で創り出したいという思いから、試行錯誤を重ね、結果数多くの感動の瞬間を生み出すことができたのです。

その中でいただいたご縁。安全と自らの思いのはざまで考え出した結果が、2009年の私が手掛けたものでした。

1週間前に急遽お願いされたこともあり、準備不足もありました。その中で安全に最大限配慮してこの演出を作ったのですが、それまでのこいのぼりと巨大くす玉がすごすぎて、結果クレームに…

翌年はロケハンにロケハンを重ねました。可能な限り華やかなものを作り上げたい…一方で安全に配慮する必要がある…私は敢えて悪天候の日にロケハンを実施しました。当日が最高の好天になるとは限らない、と判断したからです。(実際にショッピングモールのオープニングセレモニーのバルーン演出を手掛けようとして、当日激しい風雨に見舞われ、中止となり、ギャラだけいただいたことがあった)

結果、人命にかかわる危険を排除できず、私は断ることを決断(この帝釈峡では過去に遊覧船が転覆し、遠足の小学生と引率の教師が犠牲になった痛ましい出来事もあった)。

ところが、岡山の某イベント業者が敢行。成功したのですが…「危険な思いをした。もうお断りだ」と言ってきたそうです。このイベント会社は私の指摘が的を得ているとも話していたそうです、「どこのバルーン屋さんもこれは断る。私たちはイベント屋だからできたが、もうやりたくない」と。

結果、

くす玉も風船も廃止(2011年、東日本大震災も影響したが、数年間この状態が続いた)→イベント内容衣替え→来場者減少→リニューアル決断(2015年、竜の船を紅白2隻にし、安全な数だけの風船を飛ばすようにした{合計500個})→現在に至る

という経緯をたどりました。

そして、今日目の当たりにしたのが

すごい

感動した

という声。

いかに私が手掛けてきたことがすごいことだったのか、あらためて実感しました。

そして、今もなお感動の瞬間を多く生み出すことができるという事実、一度諦めてもそれを乗り越えて再び感動の瞬間を創り出すことができているという事実…

長くなるので続く

障がいは社会の側にある

こんにちは。

まず、見出しの言葉。

もとはとある国立大学名誉教授の言葉であるが、今はむしろ某大手就労移行支援事業所の運営会社のスローガンになっています。

というより、最近、私もそう思えるようになりました。

ソウス…発達障がい者が実際にとある特例子会社で働いてみての感想

詳しくは上記のリンクをご覧いただきたいが、要は

特例子会社を含む障害者枠というと、どうしても仕事や業務が限定されてしまう

ということです。

他方、発達障がいを抱えている人たち、とりわけアスペルガー症候群やADHDに分類される人たちの中には、

特定の分野において並外れた能力を持っていることがある

とされています。

私は生まれつき自閉症で、今でも音声過敏(サイレンの音に異常に反応する)、食毛症(強迫神経症に近い…これは幼少期に厳しすぎる躾を親から受けた場合に発症することが多い)などの障害が残っており、アスペルガー症候群に分類され、軽度発達障害に認定されています。

ところが、このアスペルガー症候群に分類される自閉症を抱える人たちは、時として「天才」と呼ばれるほどの才能を持っていることがある。あるいは、特定の分野においてものすごい能力を発揮することがあります。

私もどうやらこのパターンに分類されるらしい。というか、私の場合、まさに「風船」がそうであした。

これは昨日(4月22日)、とあるイベントで制作した作品の一部。

単なる会場装飾に一見見えるが、実はスパークリング日本酒の華やかさをイメージして制作した作品です。

ここで供されたのが「三谷春」という日本酒。実際私もいただいたが、特筆すべきはこちら

リンク先に具体的な商品が記載されているので、紹介はそちらに譲りますが、率直な感想

こんな華やかな日本酒の香りは今まで体験したものではなかった

まさに口に含んだ瞬間、花吹雪が舞った

という印象でした。

華やかな印象のお酒、といえば、これまでシャンパンをイメージしていましたが、これはそのシャンパンに匹敵するものでした。

この素晴らしい日本酒と私が制作したバルーンのイメージが重なり合い、宴は大変すばらしくかつ有意義なものになりました。

その際、この「三谷春」さんの蔵元のオーナーの方とお会いしたのですが、私の風船に対する思いにすごく感動し、絶賛してくださいました。

そこで出たのが、私の発達障がいについての話。

「障害は、社会が決めつけている節がある」

このオーナーさんは、そう話してくださいました。

私は納得しました。

才能を生かさずに、ただ「規格外」として扱おうとするから、障害と判定される、ということなのです。

私が常々唱えている言葉。

くす玉を見つけ出すのも自分自身。

そのくす玉を花開かせるのも自分自身。

親はそのそばで応援するのが役目。必要に応じて手助けしてもよいが、決してそのくす玉に手を出してはいけない。

絶対に親がやっていけないことは、くす玉を探してきて割って見せることと、見つけ出したくす玉を片付けて、捨てること。

私の場合、親は何をしたのか…見つけ出したくす玉を勝手に片づけ、捨ててしまったのです。

これは絶対にやってはいけません。飲酒運転などと同じ「絶対アカン行為」なのです。

これをされた子供は、生涯無気力感をもって生き続けることになり、結果自立できなくなるのです。

一種の「虐待」です。表に見えにくい「虐待」であり、犯罪行為です。

その結果、子どもはストレスを抱え、最悪強迫神経症およびそれに近い症状に至り、二次障害に陥ってしまうのです。

Thanks for Everything!

Thanks for Everything!

私がこうして今風船に生命を吹き込み続けることができるのも、いま所属している会社の理解があってからこそです。私が風船に生命を吹き込み続けることによって、発達障害があるとされる子どもたちとその親に、夢を持ち続け、実現に向かって努力するという私の生きざまを伝え続けるということは、私の果たすべき使命であると考えます。その思いを一つ一つの風船に詰め込み、形作り、感動を生み出すことによって、社会が勝手に作った「障害」という概念を変えていくことを私は目指しているのです。

夢を抱くことのすばらしさを伝えたい

こんにちは。

この秋、とてつもない仕事が入ってくる可能性が出てきました。

11000個のバルーンリリース

普通サイズ(12インチ)の風船が1000個入る網を10個用意し、その網に合計10000個の風船を入れる。

その10個の網を船に括り付ける。

網の中心には直径約2メートルの大きな風船があり、その中には小さな風船が約500個ずつ、合計1000個詰まっている。

風船は1日かけて数を増やす。300人が33個ずつ、100人なら100個ずつ、朝から晩までかけて膨らませる。

そして全部の風船が膨らんだら、網を1個ずつ外す。合計1000個の風船が大空に舞い上がり、時間をかけてすべての風船が舞い上がる。

最後に直径約2メートルの大きな風船2個が同時に舞い上がり、上空15メートルではじけ、中の風船1000個が舞う…

生涯叶わない、と思っていました。

しかし、叶う可能性が出てきました。

コンセプトはこれらしいのですが、よく読むと、

夢をかなえることの素晴らしさを忘れたすべての人へのメッセージ

なのです。

ソウスが何かは伏せます(リンクは張っておきます)が…

一方で、このプロジェクトはほんの少しずつではありますが、進んでいます。

11月をめどに本格始動する方針です。

この二つに共通することは何か、と言いますと、

夢を抱くということ、その夢に向かって進んでいくことが、いかに素晴らしいことなのか

ということを伝えることなのです。

spark!spark!spark!

spark!spark!spark!

これは先日制作したバルーングラフィック。

スパークバルーンに恋して

くす玉のはじける瞬間にあこがれた私が手掛けた感動の瞬間

これは2014年に制作したバルーングラフィック。

私は一度、夢をあきらめました。

その理由は、自分だけではどうすることもできないところにありました。生まれつき抱えた自閉症(=発達障害)、親が受けた厳格すぎる躾、そして家族全体が抱えた闇…

しかし、細々と続けているうちに、再び夢をかなえる機会が巡ってきたのです。

とりわけ同じ自閉症、発達障害に苦しむ子どもたちとその親たちに、私がこれまでやってきたことを通して、生きる希望を見出すことができるということに気が付き、それを伝えることが今の自分の役目ということを十分認識しています。

その役目を担っているのが、これまで制作してきたバルーングラフィックなのです。

来年4月下旬(4月29日を予定)、その世界観を実際に風船で再現しようというのが、いま私が計画している作品展の構想のもとなのです。

ここでは、バルーングラフィックをA3サイズの紙に出してすべて並べて、1枚の大きな絵にするコーナーも設けます。

そのようなことができるのも、すべてのバルーングラフィックには、私が生命を吹き込む風船たちと同様に、人々を元気づけ、感動させる力をもたらす魂を入れ込んでいるからなのです。その理由は、

風船たちはすべて100%私が生命を吹き込んだもので構成されている

からなのです。他人の作品は一切含んでいません。他人の作品でバルーングラフィックを作っても、何の意味もありません。紙吹雪のイラストは素材集から頂戴したものもありますが、あくまでも主役は自らの手で生命を吹き込んだ風船たちなのです。

もちろん主役は風船たちです。

風船たちの力によって、たくさんの笑顔の華を花開かせたい

というコンセプトがあります。

風船を通して、そしてバルーングラフィックを通して、たくさんの笑顔の華を花開かせることができる自分は、本当に幸せだと感じています。その喜びを大切にして、日々取り組んでいきたいと思っています。