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風船の力…バルーンセラピー…

今日はアーカイブ。10年たっても色あせない話。というより、そのようになっているのが現代…ストレス社会の今、必要とされているものなのかも…

「風船の力」・・・・早い話が、バルーンセラピー、言い換えれば風船のもついやしの力である。

風船には、人々を元気にしてくれる力がある、という。風船を見て、Happyな気持ちにならない人はいないであろう。そうなのである。風船とは、本来「華やか」「楽しい」「幸せ」というイメージのものであり、実際あらゆるhappyなシーンで、風船を用いているのである。結婚式、イベント、パーティー・・・・・

その風船が偶然からまって始まったのが、Balloons Artだそうである。今から20数年前のことである。それが今ではぐんぐん成長し、Balloons Artとして、今では職業にまでなりつつある。

そのBalloonsに魅せられる人も数多い。風船に見せられて、その道を極めようとしている人も10年前に比べて、はるかに多くなった。

そうして、いまや世界的に「産業」「文化」にまで発展した風船の世界、一体何が世界中の多くの人を魅了するのだろうか。

それを考える点で、「風船の力」、バルーンセラピーには、大いに関心を抱くことになる。

4月、湯布院での出来事であった。子供たちが風船の海に飛び込んでいっては、たくさんの風船と一緒に戯れていた。一方で大人たちは、記念写真をとったりする人もいた。風船で幸せな気持ちになるのは、大人も子供もかわらない。

実は、そこにバルーンセラピーのかぎがある。

ストレスの多い現代社会、何かと落ち込むことも多いだろう。落ち込んだままでは何も始まらない。そんなときこそ、たくさんの風船を膨らませて、部屋中を風船でいっぱいにしてみてはいかがだろうか。カラフルな色は元気を出させるのにふさわしい。一方白や透明といった色の風船は、穏やかでやさしい気持ちにさせてくれる。

実際病気になったとき、お見舞いにBalloons Bouquetをいただくと、「元気になるぞ!」という気力が沸く、ともいわれている。お見舞いの際には、カラフルなBalloonsのほうが好まれている、とも言われている。

それだけではない。これはLatex Balloons、つまりゴム風船に特にいえることであるが、なんともいえないやさしさ、ぬくもりといったものを感じることがあるという。これは私も実感している。風船をぬいぐるみ代わりに抱きかかえてみると、それを実感できる。それゆえに「風船フェチ」なるものが生じるのだろうが・・・。

フェチズムはともかくとして、風船の持つ、人を幸せにする魔法のような力を、大いに引き出すのが、われわれBalloons Artistの役目であろう。確かにBalloons Artの仕事は、見た目の華やかさとは対照的である。見た目だけにあこがれて、そのきつさを実感して、いやになってしまう人もいるようである。しかし作品を完成させたり、演出がばっちり決まったときの達成感は、とにかくすごい。自分自身、感無量になる。そのときの快感は、何者にもたとえようがない。

だから、Balloons Artistはやめられない。どんなにつらいことがあっても、耐えることができるのである。

バルーンセラピーというテーマから外れたので、元に話を戻すが、いずれにせよ、風船には人をHappyにする力、幸せにする力というものがある。それを一つ一つ集めて形にしていくBalloons Artが、多くの人に幸せと楽しさを与えているのは言うまでもない。何の変哲もない一つ一つの風船が集まってひとつの形を作り上げている、その形がどれだけの人をHappyにしていくのか・・・。

その点では部屋中を風船で埋め尽くすのもひとつのBalloons Artになる。部屋を埋め尽くした風船が、落ち込んだ人を元気にさせ、Happyにさせ、幸せを祝福する・・・・。

精神医学の世界でも、バルーンセラピーが注目されつつある、という。カラーセラピーやアロマテラピーについて、あまり詳しくないので、私はこの分野には言及しない。詳しくはそちらのホームページや書物を見ていただくことになるが、バルーンセラピー、風船のもついやしの力が注目される日も、そう遠くはないであろう。

そして風船の力によって、犯罪、特に少年少女の犯罪が減少したり、不登校や引きこもりがなくなっていけば、これほど幸せなことはない。風船の力で立ち直って元気になった少年少女を、風船で祝福する日がくれば、社会全体が明るくなるであろう(2000年8月5日)。

子供のころは…夢がたくさんあって…

この選挙運動期間中、私は島根県のある過疎地の公民館で、風船とバルーンアートの講演を行った。私は実際に子供たちにバルーンモデリングとバルーンリリースを体験させた。そのときの子供たちのひとみは輝いていた。風船が持つ温かい力を過疎地の子供たちにも伝えたい・・・その願いは通じたに違いない。みどりあふれる山並みに虹色の風船が舞い上がる・・・いつまでも空に舞い上がる風船を見つめる子供たちの姿が印象的であった。

この子供たちにつらい思いをさせてはならない・・・。

それが政治家の責任である(2001年7月30日)。

→今民主党の代表選挙が盛んである。特定の政党の代表選挙にとりたてて触れる必然性はないのだが、この2001年に小学校4年生だった人は今、大学1年生もしくは専門学校生もしくは新社会人である。

あれから日本はどう変化したのだろうか…

世の中、Balloons Artistにあこがれている人も多くなってきた。ある人の作品にあこがれてBalloons Artistを目指している、という人も時々見られるようになった。

その「憧れ」という人は、私など足元にも及ばない、日本でも屈指のBalloons Artistばかりである。

ところが、先日、ある小学校のホームページを見て、私は驚いた。うれしいという以上に、これは責任重大だ、と思わせる出来事があったからである。

その内容については、ここ をクリックしていただいて、確認していただきたい。

最初この作文を見た私は「テレビチャンピョンの間違いじゃないの!?」と思った。確かに2000年度のテレビチャンピョンの優勝者、Iさん(=家泉あづささん)は、すごい感性の持ち主で、Tさんも言うように、「Balloons Artの天才」といっても過言ではない。「とにかく風船がすき」というだけで、ここまでのし上がった努力は、すごい、と私も思う。

しかし、そこには{「誰でもピカソ」を見て、すごいと思った}とかいてあるのである。この番組に出演したBalloons Art関係者は私しかいない。ということは・・・・・・

私にあこがれてBalloons Artistになりたくなった

ということになってしまう。

確かに、私は「Balloons界の奇才」とあの番組では呼ばれている。しかし、私よりレベルの高いBalloons Artistは何人もいる。私なんぞにあこがれて・・・・本当にいいの!?

これは責任重大である。私にあこがれてBalloons Artistになりたい、という人が現れた、ということである。そうなると私にあこがれた人に対しての責任を、私は全うせねばならない。その責任とは、更なる努力を積み重ねて、多くの人に夢と感動を与えつづけるBalloons Artistにならなければならない、ということである。

翻って、今の私を反省してみる。果たして今の自分は、その責任を全うしているのだろうか・・・。

残念ながら、今の自分は、その責任を果たしているとはいいがたい。

しかし、このことを忘れてはいけない、と思う。

日本のどこかで、私を応援している人が一人もいなくなるまで、私は風船を膨らませつづける使命がある

何年か前、「応援してくれる人が一人もいなくならない限り、私はうたいつづける」といったシンガーがいた。同じことが私に当てはまるのではないか。

今回の件で、私は図らずも応援しつづけている人がいることを思い出させることになった。湯布院の個展の際に、私は自由に名前を書いていただくノートを用意したが、そのノートに名前を書いていただいた人は90人近くいた。名刺やパンフレットを持ってかえった人は、数え切れないくらいいた。一日で名詞が80枚なくなった日もあった。それだけではない。時々ファンレターがくることもある。このコラムを励みにしている現役のBalloons Artistもいるようである。

これらの方々は、すべて私を応援していただいている人たちである。私の作品を見てHappyになり、私に「多くの人を幸せにするために、がんばってほしい」と有限・不言のメッセージを伝えているのである。

私がここまでBalloons Artを続けているのも、ひとえに彼ら・彼女らのおかげである。応援していただいているすべての皆様の期待にこたえること、それがすなわち私の責任を全うすることなのである。

今回、それを思い出させてくれた「めぇーちゃん」 さんには、本当に感謝しています(2000年8月13日)。


この「めぇーちゃん」さん、1999年に小学校6年生だったという。いまでは社会人になっているはずである。

どのような仕事をしているのだろうか…

その10年以上の間、私は同じ仕事を続けている…

大人になると、現実に縛られて、無邪気さを忘れる…

見たこともないバルーン演出を・・・

こんばんは。

本当にいろいろなお問い合わせをいただき、ありがとうございます。

今日もバルーン演出の打ち合わせでした。

聞くと、今までにないようなバルーン演出をしたいそうで、

さまざまな提案をしてきました。

その時の打ち合わせがまたまた盛り上がりました。

お客様曰く

こんなにうれしそうな表情をして提案してくるバルーン業者は

そうそうない

とのこと。

そして、また言われました…

もしかして、あなたの恋人って風船?

ひょっとしたらそうかもしれない…

でも、私が作りだそうとしているのは

一瞬の芸術

である。

多くの人に驚きと感動を・・・

最高の瞬間を・・・

そしてそれがいつまでも心に残る…

そのような作品を作っていきたい…

風船は猛暑に弱い

こんにちは。

毎日暑い日々が続いています…

暑いと風船のゴムが熱せられ、紫外線で弱くなり、スパークバルーンがいきなり暴発…という危険が生じることがあります。昨年は8月に標高1000メートルの高原で8度!を経験するほど、秋の訪れが早く、私は大助かりでしたが…今年の猛暑はここ数年なかった異常なものです。過去猛暑だった年には、必ず事故が起きていました…最初のころは原因不明で、販売停止の危機にさらされたりもしました…温度計を現場に持ち込んで調査した結果、事故の原因が猛暑、と判明しましたが、

相手は地球規模の異常気象

もはや予防線を張るしか対応のしようがないのです…

スパークバルーンだけではありません。ヘリウムガスは熱い所で膨張し、涼しい所で収縮する性質があります。そのためバルーンギフトも対策が必要になります。

冷房負けしたバルーンギフトを夏になると毎年のように見かけます…中には夏場の営業を見合わせるところもあるくらいです。

弊社でも真夏の「舞い上がるスパークバルーン」の制作は基本的に行っておりません。夏場は空気で膨らませた風船を中心に扱います。空気で膨らませた場合、ビニールで梱包すれば、何とか対応できるからです。ヘリウムガス風船については、「風船のえさ」というノズルタイプのヘリウムガスを同封するなどの対策をとります。というよりこれをサービスでつけるしか、対処のしようがありません。

とにかく風船は猛暑に弱いです。

人間は梅雨が一番いやな季節ですが、風船にとってはまだましです。

猛暑が風船にとっては一番つらいです。

早く涼しくなってほしいです!

私が胸ときめく光景

私はBalloons Artistとして、この仕事についているのであるが、よく聞かれることに、「どうしてこの仕事についたのか」とか、「どうして風船が好きになったのか」という質問があげられる。これまでこの質問には「ただなんとなく・・・」としかこたえていなかった。というより、こたえられなかった。

ところがある日、ふとあるサイトを見てみると、とても興味深いことが書いていた。その内容は「私がどうして風船が好きになったのか・・・」というないようであった。

私自身の経験から言わせていただくと、私も最初、風船が怖かったようである。風船を見ると泣き出す・・・そんな子供だったらしい。加えて私は、発育障害の傾向があり、特に言葉がぜんぜんしゃべれず、小学校入学時は養護学級に入ることも検討されていたらしい。つまるところ、普通の子供とは違うような成長をしているのである。

そんなころの話である。クイズ番組などでくす玉がはじけ、風船と紙ふぶきが舞うシーンに、私は不思議と恐怖を抱いていたようであった。私はこのシーンになると泣き出したり、目をそむけたりしていた。ところが何かの拍子で、このシーンがこの上なく感動的で、この世の中で最高の光景とまでに思えるようになるのである。

これが私にとって、最初の怖いものみたさで好きになったものではないだろうか。

そう思えるようになったのは小学3年生のころではなかっただろうか。

しかし、私はもともと「鉄道少年」で、そのようなものにはあまり関心を示さなかった。ただ、「くす玉がはじけ、中から風船と紙ふぶきが舞う」光景に胸をときめかせたのだけは事実であった。

ところが、ふと目にしたある番組で、私の風船好きが一気に広がってしまうのである。それは、他ならないあの「夕焼けニャンニャン」である。私は当時、まじめ少年で、このような番組は可能な限り避けてとおっていた。また、両親との対立がもっともひどい時期で、2度にわたり家出を繰り返していた。加えて、学力低下にも悩まされ、進路に悩む時期であった。時期的には1986年、私が高校1年生のときである。

それから、私は風船が本格的に好きになった。しかし、今度は大学受験の時期にあたり、私の風船好きは封印状態になった。日本初のBalloons Shop[Tuxedo Bear]を知ったのもこのころである。

1990年、私は九州の大学に進学した。それからは以前述べたとおりなので省略するが、このサイトを見ることで私の風船に対する「原体験」について思い出させるような出来事を思い起こさせた。

私はBalloons Artistになって、一番やってみたい仕事はというと、何万個ものBalloons releaseや、Balloons Dropである。しかしこれらの「特殊効果系」が非常に難しいのである。実際私も何度かやってみたが、完璧な成功は皆無である。ただうまくいったときの快感は、たとえようがない。あまりいい表現ではないが、エクスタシーさえ覚える。

2000年のカウントダウンのことであった。私は2000個のBalloons Dropを担当することになった。「失敗したらどうしよう・・・」ものすごいプレッシャーであった。そしてカウントダウン、3,2,1、ゼロ!

私は無心になって紐を引っ張った。2000個のBalloonsは無事舞い降りた。このとき私はものすごい快感を経験した。スタッフと抱きあっていた。

それから、私はエクスタシーを感じるような仕事には残念ながらめぐり合えていない。というか、「うまくいってあたりまえ」と思えるようになってしまった。そして失敗したときのむなしすぎる気持ちを味わったことさえあった。

それでも私は風船が大好きである。この世の中にあるものの中で一番すきである。そして今でもBalloons DropやBalloons releaseに対して胸がときめく。自分がやるときには「絶対成功させるぞ」という強い気持ちになる。

次にエクスタシーを感じるほどの感激的な仕事を成功させるのはいつのことやら・・・。(2001年2月7日)

もし私が風船と出会わなかったら・・・

おはようございます。

今日も暑くなりそうです。

さて、とある方のブログにすごくいいことが書いてありました。

私も忘れかけていた初心を思い出しました。

私は本当に風船が好きだったから

今の仕事をしているのですが…

実を言いますと、

バルーンアートの存在を知るまで、

私は

ギャンブルに溺れていたことがあるのです…

競馬

競輪

競艇

そしてパチンコ

競馬・競艇・競輪は少しの金で抑えようとすれば抑えることができる。

しかしパチンコは…

一体何と言ったらいいのだろうか…

運をマシンにゆだねるという、今にしてみればこれほどあほらしい遊びはなかった…

今でもたまにパチンコをするが、あくまでも「1円パチンコ」ばかりであり、ギャンブルではなく単なるストレス解消と暇つぶしの手段である。

さらに言わせていただければ、

パチンコが原因で

以前付き合っていた彼女が嫌気がさして別れたという過去も…

私にはあるのです。

まさにパチンコ地獄にはまりかけ、会社の中では「ダメ社員」のレッテルをはられかけていた頃…

私はバルーンアートに出合ったのです。

「全国各地でバルーンアートの学校を開校しているところがあるらしい」

という情報が入り、そこへ駈け込んで基礎だけしっかり学びました。

このスクールが今日まで続くエミリーズバルーンアートビジネススクールだったのです。

14年前のことでした。

当時は「いつか役に立つことがあるかも…」としか思っていなかったのですが…

1997年1月の第1回のJBAN Conventionに参加して

私は目覚めました…

風船が大好きな一人として、社会に役立つことはないか…


まさにこれが今日まで続くY’s Dreamの源流となったのです…

続きはいずれ…

ただ、もし風船と私が出会っていなかったら、

今頃私は

ダメ社員のまま、ギャンブルに溺れ続け、廃人になっていた

会社に愛想をつかれ、ホームレスになっていた(もっとひどければ自殺していたかも)

という悲惨な人生か

当時加わっていた労働組合活動と予想されていた交通機関の規制緩和問題に関する疑問に対するため、労働組合の上部組織に入り、政治活動に足を突っ込んで、労組がらみで民主党に入党し、国政選挙に関係していた

かのいずれかだったでしょう。

私は勤めていたバス会社を退職する1年ほど前、労働組合の総会で「会社・組合・公共交通全般、これでいいのか?」という内容の熱弁を30分近くにわたってふるったことがあります。この時点では退職の意向が明らかになっていなかったこともあり、いろいろな憶測を会社内で呼びましたが、内心この時点で私は「プロのバルーンアーティストとしていずれはやっていくことになる」という気持ちでいました。いずれにせよ勤めていたバス会社に対して疑問を抱いていたのは事実でした。


かりに私が入社していたバス会社が岡山の両備バスとかだったら、私はプロのバルーンアーティストになることはなく、あくまでも風船は趣味としてやっていくという選択をしていたでしょう。いい会社というのはどんなダメ社員でもよいところを見つけて伸ばしていくシステムがあるのです。私がいたバス会社には残念ながらそのような視点が欠けていました。

うれしいお言葉

こんにちは。

今日、とある携帯ショップに立ち寄った。

その際、持参していた風船でいくつか簡単な作品(それこそプードルとか兎さんとか、お花とか、初心者レベルの作品)を作った。

それがきっかけで話が弾み、先日のJBAN Conventionの話に始まり、過去の私の作品を見たりしているうちに自然と笑顔になったようで、その携帯ショップのスタッフに

「すごい笑顔が素敵、輝いて見える」

と言われてしまった。

うれしい気持ちになったのはいうまでもない。

風船で人をハッピーにするというのは、こういうことなのかな…

忘れかけていた気持ちを思い出したような気分になった。

そこで思い出すのが、やはりこのたびのJBAN Convention。

ファイナルパーティーの際に、コンテストで作った作品を一部残しておき、そのうちのスパークバルーンを会場内に投げ込んだが、その時の子供たちの笑顔…今でも忘れられない。最高の気持ちになった。

まさに私が作りだそうとしているのは、

心にいつまでも残る

感動の瞬間なのである。

その気持ちを忘れずに、これからもがんばっていきたい。

気がつくともう1週間

あの感動的なJBAN Conventionのファイナルパーティーから早もう1週間…

先週の今頃は


ちょうどファイナルパーティーの第二部が始まった頃…


コンテストの結果に若干の悔しさを感じつつも


これから始まる年に一度の


風船に携わる幸せを感じる至福のひと時を


迎えようとしていた…

あれからもう1週間、

時間にして168時間がたつのですね…

ファイナルパーティーから24時間後、私は西へ高速道路を走っていた。

8時40分、東京・江東区、イースト21(JBAN会場)出発

11時…箱根宮の下温泉にて入浴

13時30分…芦ノ湖、箱根駅伝折り返し地点

14時…沼津インター付近の某ドライブインで買い物

18時…三重県鈴鹿付近

19時…京都付近

20時…西宮名塩で休憩中

21時…兵庫県宍粟市付近

22時…岡山県真庭市付近

24時05分…北広島町大朝のY’s Dreamに帰着


ファイナルパーティーから46時間後、とある結婚式場で大仕掛け…アクシデントが起きるも、無事成功


ファイナルパーティーから60時間後…島根県有福温泉で火災に遭遇


ファイナルパーティーから168時間後…なう、ブログを書きながら往復に使ったCDを聴いて余韻に浸っている


それにしても杏里の

Dolphing Ring

は感動的な曲だ…今回はこの曲が入っていたアルバムを聴きながら東名を走った。

一度きりの人生だもの…

こんにちは。

火災騒動も一段落したのですが、今度は台風接近…

こんな日にスパークバルーンでもあろうものなら…大変です…

過去数回、台風の強風でバルーン演出の内容を変更したことがあります。一生に一度の晴れ舞台に嵐が…お気の毒といわざるをえませんが…こればかりは…

さて、今回の火災騒動で、自分が風が弱かったために命拾いをするという経験から、見えてきたことが…

それは

人生一度きり

悔いのないように生きなければ

ということでした。

まだまだ私のバルーン演出は道半ばだと思います。

今回のコンテストの作品も

本当にスパークさせてやっと完結するのかな、と思っています。

来年早々、そのチャンスが来そうな感じです。

というより、今回のコンテストのノウハウを生かして8月7日土曜日、すなわちJBANの翌々日に二段式スパークバルーン演出を行ってきました。

何しろ初めての試み…しかも寸前に不具合が…修復して臨んで、なんとか成功し、会場に大歓声が…

バルーン演出をやって一番うれしい瞬間です。

残念ながらこのときの写真はありません。

理由は、本番の際は全力をその一瞬に注ぐため、写真取りなど余計なことに力を取られて結果的に失敗してしまう、ということをしたくないからなのです。

その代りブライダルフェアや会場関係者の結婚式の際にしっかり撮影・収録させていただきます。

私がバルーンアーティストとして一度やってみたいこと、それは

自分が編み出したバルーン演出で

JBAN Conventionのオープニングを彩る

ということです。

おそらく、そこが今後の私のバルーンアーティスト人生の目標になるのかな、と思います。

それと来年のツイスターズ、

場所は静岡県沼津だそうですが、

バルーン演出でお手伝いできれば…

と思い始めました。

一昨年(2008年)

地元広島でツイスターズが開催されたとき、

私は完全に裏方に回りました。

当時のスタッフ全員をツイスターズに送り込み、

私一人でツイスターズ以外のすべての現場をこなしました。

そしてツイスターズが終わったとき、

私は余韻にふける間もなく、

風船を片づけていました。

片付けられたゴム風船は紙類とともに私が引き取り、

翌々日の火曜日に私が地元北広島町内にある清掃工場に持ち込んで、荼毘に付されました(北広島町ではゴム風船は燃えるゴミとして扱われている)。

みんなの思いがいっぱい詰まった風船の亡骸…焼却炉の前で私は思わず合掌しました。

それに私は大の温泉好き。

しかもJBANの帰り道に箱根によっている…

箱根から三島へ下る国道1号線、東海道は本当に絶景でした。

火災に巻き込まれてしまったのも、くしくも温泉地。

初の温泉地でのバルーンイベント開催…

温泉と私のかかわりについては

改めて別の機会に述べるとしますが…(ヒント、九州が関係しているとだけ言っておきます)

本当に一度きりの人生

この数日の一連の出来事は

これからの人生にいい影響を及ぼす

信じています。

JBAN1週間前から、一生に何回も体験できないような貴重な体験が続いているのです・・・

あなたはパフォーマー?デコレーター?デザイナー?それともアーティスト?

このブログを一番やりたかった理由、そして、今やる必要があるのかな、と思った理由、それは10年前に自分が50回にわたって述べていたコラム「How To Become Balloons Artist」を読み返して、今このコラムを世に出していれば、どのような反響があったのかな、と思ったからである。

10年たって、バルーン業界は大きく変化し、成長した。インターネットの技術も大きく進歩した。

私は30台という、一番人生で大事な時期を、すべて風船にささげた、といっても過言ではない。10年風船屋をやってきて、今振り返る時期なのではないかな、と思い、このブログを立ち上げた。

20台の自分って、こんな生意気なことを言っていたのか…と思い返しながら、このブログを読んでいただければ幸いと思う。

手始めに、2000年5月30日のブログから…

バルーンビジネス、といっても、一口にいろいろなものがある。バルーンパフォーマー、バルーンデコレーター、バルーンデザイナー、そしてバルーンアーティストである。そしてそれぞれ共通することはあっても、求められるものはそれぞれに違う。

まずバルーンデコレーターである。デコレーターという言葉自体、あまり聞きなれない言葉である。日本語に訳せば、「装飾士」となる。これに求められるものは、「お客様のニーズに的確に答える能力」であろう。つまるところお客様の求めるものを形に表現する力が、デコレーターには求められる。CBA(Certified Balloons Artist)という資格があるが、これは「お客様の求めているものを的確に作る力」が求められている。言い換えれば「売れる作品」を作る能力が必要である。風船をビジネスとして捕らえる人には、デコレーターになるべきである。

続いてバルーンパフォーマーである。これに求められるものは、「人を楽しませる能力」である。言い換えれば、「役者としての力」であろうか。どんなにつらくても笑顔で振舞う・・・まさに「ピエロ」である。当然「ネアカ」でなくては勤まらない。人を楽しませることが自分の喜びである、と考える人にとっては、バルーンパフォーマーは最適かもしれない。

この二つは比較的芸術的要素が少ない。芸術的要素、というのは早い話がセンスの問題であり、多少でもそれがある人は磨くことによっていくらでも伸びる。逆にこの二つは芸術的センスが比較的重要な要素でないがゆえに、別の能力が求められている。デコレーターにもとめられているのはビジネス的要素である。またパフォーマーに求められているのはビジネス的センスもさることながら、どんなつらいときでも明るく振舞う忍耐力と明朗さ、であろう。これらの能力はセンスというより、努力して身に付けるものである。努力して身に付ける、ということは、風船が本当に好きで、やる気があれば誰でもなることができるのである。

問題は残りの二つ、バルーンアーティストとバルーンデザイナーである。アーティスト、とは早い話が「芸術家」である。芸術性の高いものを作るのがアーティストの仕事である。当然芸術的センスが必要となる。芸術的センス、というよりはイメージ能力、といったほうがいいかもしれない。自分のイメージしたものをいかにして形にするか・・・。そうなれば自分の形にしたいものを少なくとも鉛筆(ペン類でもよい)でラフスケッチするぐらいのことは必要になる。場合によってはデッサン力も必要になる。

もっと難しいのがバルーンデザイナーで、これにはデコレーターとアーティストの両方の素質が必要になってくる。それだけではだめで、それらを融合させる能力、すなわち総合力が必要になってくる。デコレーターとアーティストの両方の素質を兼ね備えていても、デザイナーには必ずしもなれない。それだけこの両者を融合させる総合力、といったものが重要になってくる。この総合力、といったものは並大抵の努力では身につかない。さらにはパフォーマーの要素も必要になってくる。逆にいえば、真に「バルーンデザイナー」といえる人こそ、風船の世界を極めることができるのである。

このように、バルーンビジネスの世界にも、いくつかの分類があるので、自分が本当に何になりたいのかを見極める必要がある。そして求められているのがそれぞれ違うので、それに応じた努力が必要になってくる。

私自身は、バルーンアーティストであり、バルーンパフォーマーである。自分自身ものすごくハイテンションであり、人の笑顔を見ると自分が幸せになる、そんな人なので、今のところは何とかやっていける。しかし、バルーンデザイナーにはなりきっていない。

 

ここまで書いているうちに、あることに気が付いた。バルーンビジネスに踏み出す大前提は、「人を喜ばせることが大好き」であることではないか。風船そのものがハッピーなアイテムである。当然それに接する人は、気持ちも常にハッピーでなければならない。どんなにつらいことが合っても、笑顔で振舞う程度のことは必要である。そうなると、パフォーマーとしての能力が、すべての分野に共通する基礎的な力の一部になるのではないか。

あと、これはどの分野にも言えることであるが、すべてに共通する技術、それは「基礎力」である。基礎力といえば、早い話が「一定のものを的確に作る力」である。言い換えれば、風船を正確に膨らませて、クラスターやガーランド、アーチなど基本的な形を作ることである。これがすべての基本になるのは言うまでもない。

私はプロを目指す人にはこの「基礎」しか教えない。基礎ができればその人の努力によって、いかようにでも発展させることができる。応用はいくらでも利く、それがバルーンビジネスの楽しさでもある。基礎さえ身につけたら、後は各自が進む方向へ向かって、各自で努力を積み重ねるのみである。(2000年5月30日)