こんにちは。
こちらでは本当に久しぶりとなります。アップの主体がSNS、とりわけインスタグラムばかりになってしまい、なかなかアップできませんでした。
こちらは私が2022年3月から5月にかけて手掛けたバルーンリリースの動画です。
ロシア軍によるウクライナ軍事侵攻等の影響で、ヘリウムガスの入手が極めて困難になり、バルーンリリースが当面できない状態になりつつあります。これらは貴重な映像になるかもしれません。
他方、2022年は1月中旬から3月上旬にかけて、オミクロン株が猛威を振るい、またしても「まん延防止特別対策」が各地で実施され、自粛ムードが漂いました。3月中旬からは順次自粛緩和に向かい、イベントもほとんどが開催され、平常を取り戻す方向に向かっています…が、一部ではいまだに「密を減らす」ため、開催を中止したり、規模を縮小したりということがいまだに続いています。
オミクロン株そのものは感染力は強いものの重症化リスクはこれまでより低く、加えてワクチン接種の普及や治療薬の開発が進み、新型コロナウイルスも「ありふれた病気」のレベルにまで危険度が下がっていますので、今後は失われた日常を回復する時期になるでしょう。
そのような中で、私は
ぷちふうせんまつり2022
を企画立案し、開催しました。
で、なぜ私はこれを企画したのか。
広島市では、2019年まで毎年大型連休の期間中に、「ひろしまフラワーフェスティバル」が開催されていました。このイベントは2019年まで、平和大通りを歩行者天国にしたうえで、パレードやステージなど、多彩な内容のイベントが繰り広げられ、広島の街がさながら「祝祭空間」になる、日本でも有数の大型連休のイベント「だった」のです。
この「だった」と、過去形にしたのには、理由があります。言うまでもなくコロナ禍が最大の理由なのですが、
2020年→中止
画像は2020年5月4日に撮影したものです。
2021年→無観客開催
と続き、2022年は…となったのですが、判断を早まってしまったのか、「縮小開催」となってしまいました。
浜松まつりも、博多どんたくも、福山ばら祭りも、感染対策を施しながら可能な限り例年並みに近い規模での開催となりました。それだけにひろしまフラワーフェスティバルの慎重すぎる判断が際立ちました。
この決定が行われたのが2月下旬のこと。同じ時期、広島市の地下街である紙屋町シャレオの中央広場に近い一角に、このような看板が立ちました。
「ここを皆様が自由に使っていただけるレンタルスペースにします」
私はシャレオの事務所に電話して、大型連休期間中の空きを調べると、まだ予約が入っていない状態だったので、すぐに押さえました。
3月から4月にかけて、感染者は増えても医療のひっ迫には至らず、イベントは軒並み通常どおり開催。
一時的に医療ひっ迫の懸念が出て、中止も検討したものの、感染者だけが増えて医療提供体制に変化がないことから、2週間前に「予定通り開催」を決断しました。
結果…
「フラワー(フェスティバル)に行っても何もなかった。ここがいちばん楽しかった」
という声が複数寄せられ、来場者数も1日あたり平均40組、人数にして1日あたり100~120人程度、3日間では350~400人程度という結果になりました。中には
「元気とパワーをもらうことができた」
という声もありました。
これまで私は何度かフラワーフェスティバルの会場装飾や演出を手掛けてきました。
これは2018年に手掛けたパレードの様子です。
本来、このような「祝祭空間」ともいうべき空間が繰り広げられるのが「ひろしまフラワーフェスティバル」なのです。毎年元気とパワーを頂戴できるのですが(実際そのような声が多数ネットに上がっていた)…
この役目を今年は私が果たした、といっても過言ではありませんでした。
というより、
「フラワーフェスティバルが通常開催だったなら、この{ぷちふうせんまつり2022}は、開催する必要がなかった」
のです。
それだけ私は
たくさんの風船たちでたくさんの笑顔の華を咲かせ、街を元気にしたい
という想いが強かったのです。
いずれにせよ、「ぷちふうせんまつり2022」を実行したことによって、たくさんの笑顔の華を咲かせることができたのは間違いありません。その想いの背景にある
はじけるくす玉のごとき想い
を、次は別の形で伝えていくことになります。ということで、長くなるのでここまで。続きは次回にします。
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