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30年ふうせんに携わり続けた私のこれから進むべき道

この記事は「ふうせんでつたえたいおもい」とnote「バルーンを売らない風船屋さん」のサイマル記事です。

私がバルーンアートと出会ったのは1996年のこと。以来、数多くの風船たちに生命を吹き込み続けて、30年余りが経ちました。この30年の間、日本は「失われた30年」と言われ続けてきました。1990年代前半にバブル経済が崩壊し、そこから就職氷河期が始まりました。私も不本意就職をすることになり、入社した会社で今なら明らかに「パワーハラスメント」に相当する行為を受け、パチンコ、競馬、競輪、競艇(ボートレース)…と、ギャンブルに溺れてしまっていました。

そんな中見つけたのが「エミリーズバルーンアートビジネススクール」のチラシ。私はすぐに申し込みました。と言っても初級と中級だけでしたが。これが1996年4月のことでした。

以来活動を続けてきました。

その内容についてはこちらをご覧ください。

しかしながら、コロナ禍が明けた2023年あたりから急激に状況が変化してきました。その変化は今年2025年になってより顕著になってきました。その変化は今年2025年になってより顕著になってきました。今年2025年、私は日本中のバルーンショップを見てきましたが、結果としてそれを痛感しました。つい数年前まで評価されていたものが今では見向きもされなくなっている…これが現実です。

私は「このまま同じことを続けていては間違いなくたちいかなくなる」と判断しました。実際今年の売り上げは低迷し、バルーンアートの活動自体が停滞気味で、惰性で風船を膨らませているのでは?と思わずにいられない事態も…挙句の果てにはとある後進の新進気鋭のバルーンデコレーターから「こんなレベルの低い作品を作っているなんて許せない!」という怒りのリコール(クレームよりも厳しい)の声まで届く始末です。
本当ならここで引退して、それこそ再就職活動に入るべきところでしょうが、私もすでに55歳。再就職自体が現実的ではない年齢に差し掛かってしまいました。かといって再起業はもっと困難なうえに老後資金を食いつぶすリスクがある、そしてバルーンを続けるならそれこそ「リスキリング」で、基礎からすべて学びなおす必要がある、そしてその気力も資力ももはやない、さらに両親は親兄弟が相次いで他界、広島にポツンと残されてしまっている、その面倒を私は見る必要がある…

こういう事態を想定して私は「キャリアコンサルタント国家資格」取得を目指したのですが、結果は周知のとおり、「適性の壁」に阻まれ「不合格ループ」に陥り、泥沼化しています。

他方、気が付くと私にしかできない仕事があることに気が付きました。

 

来年1月中旬以降活動形態を大きく見直します。今後は「バルーン×キャリア」 をテーマに、人材育成及び講師業を中心として展開します。 マルシェ出店については見直しを進めます。 ※撤退ではありませんが縮小する方針です。 若手バルーンアーティストの実践の場としていく予定です。 一方、装飾及びスパーク等の演出は これまで同様継続します。

この社会をおめでとうとありがとうで満たしていきたいくす玉のひもを引っ張るような、たくさんの風船と紙吹雪をあびるような達成感。それが自己肯定感の向上につながると信じてきました。 これまでの活動は その実践でした。これから子どもたち、若者たち、 そしてニート引きこもりの人たちに、重点的に伝えていくつもりです。

日本でいちばんくす玉が好きで、くす玉の華開く瞬間に憧れ、その憧れを自ら創りあげてきた。気がつくとその分野のトップランナーになっていた。風船でたくさんの笑顔と幸せをつくりだせる、その点では誰にも負けない。

技術面ではだいぶ焼きが回ってしまっているのが現状。このまま現状維持を続けても ダメになるのは目に見えている。

だから私は、技術ではなく心を伝える、次世代のアーティスト及びセラピストを育成することに舵を切る。一部で引退説が流れているが、引退ではなく次のステージに進むのが正しい。これからは、くす玉祭のひもを引っ張る手助けができる、アーティスト&セラピストを育てていきたい。

これがこれから私が進むべき道です。

とあるクリスマスマルシェでの出来事。ある出店者さんのアーティストの方(大学生)が、春から就職のために引退することになり、この日が最後のマルシェ出店になることが分かりました。私は急遽彼女のためにサプライズイベントを行いました。彼女のためにバルーンブーケ💐を制作し、あわせてバルーンクラッカー🎉も急遽用意しました。マルシェ終了後、ささやかなサプライズイベント。彼女がくす玉🎊のひもを引っ張ると、会場内全員から拍手と「おめでとう🎉」の掛け声とともにくす玉🎊がはじけ、たくさんの風船🎈たちが彼女に降りそそぎました。彼女がうれし涙を流していたのを私は見ていました。私はただ風船🎈を膨らませているのではありません。たくさんの幸せと感動を生み出す力があるのです。まさにこれこそが「くす玉🎊のような生きざま」なのです。2025年も間もなく終わります。1996年に私はバルーンアーティストの存在を知り、バルーンスクールに足を運びました。これが私のバルーンアーティストとしての歩みはじめです。それから30年の月日が流れました。次は、私が感動を生み出せる人財を育成する時期です。たくさんの感動と幸せを演出できる人財を、くす玉🎊のように華開いて、人の心を動かせる人財を育てていきます🎊🎉

このような人の心を動かせるような人財を育てていくことを目標にしています。残念ながらこの30年近い月日の間、技術ばかり先行し、風船が本来持つ「美しさ」「華やかさ」「楽しさ」「幸福感」「高揚感」といったものが忘れ去られているといっても過言ではない現状がバルーン業界にいて感じられます。極論を言えば、「だからバルーン業界が発展しない」のかもしれないとさえ思えてしまいます。バルーン業界が抱える問題点については別稿しますし、私がかつてとあるエージェントに言われた「10年遊び惚けていた」ということにもつながってしまうのですが、要は「ポータブルキャリア」が身につかず、バルーン業界だけの「ドメスティックキャリア」になってしまっている現状を変えていきたいのです。