風船って…いつも脇役だけど(2)

こんばんは。

こちらからの続きです

私は数多くの感動の瞬間をつくりあげてきました。

しかし、何か引っかかるものがあります。それは

風船はいつも主役の引き立て役

風船を主役にしたイベントをやってみたい

というものでした。

過去に私は作品展を開催したことがありました。

これは2000年4月に大分県由布院で開催された作品展のオープニングでのバルーンリリース。

約1000個の風船が舞い上がる演出で、私の作品展のオープニングを演出してみました。

この作品展は1か月にわたるロングランで、私は由布院に住み込み、いろいろな作品を制作しました。

当時はバルーンアートの認知度は非常に低く、道なき道を開拓しているような状態でした。

それから私は作品展開催を封印しました。

さらにさかのぼり、平成元年。広島のとある商店街で「ふうせんまつり」なるものが開催されました。この「ふうせんまつり」、ただヘリウムガスで膨らませた風船をたくさん飾っただけのもの。しかも当時はバルーンリリースが環境破壊につながるとは思ってもみなかった時代。プラスティックバルブを結び口につけた風船が様々なところでたくさんリリースされ、結果このプラスティックバルブを飲み込んだウミガメが死んでしまうということが報じられ、バルーンリリースは急速に廃れました。

その後、ゴム風船は天然ゴム100%の生分解性のものが主流になり、ひももすべて和紙製などの生分解性のものに切り替えられました。結果、バルーンリリースは結婚式やオープニングセレモニーなどで多く使われる演出になりました。

一方私は、数多くの感動の瞬間をつくりあげ続けてきました。

その中で思ったこと。

風船をテーマにした、風船が主役のイベントをやってみたい

客観的にみて、私がやってきたことは本当にすごいことだと思います。しかし、その背後にあるものは、流したたくさんの汗と涙なのです。

そうやって生み出した感動の瞬間が、無数の笑顔の華を花開かせるのです。

今後、私は無数の笑顔の華を花開かせた経験を、多くの将来を担う子どもたち、とりわけ発達障がいのある子どもたちのために役立てたい、と考えています。

この「ふうせんでつたえたいおもい」、もとは「くまさんのげんきだま」から生まれたものでした。そして数多くのバルーングラフィック作品…

自分は気が付くと、自分のなしえたことが、多くの人に夢と感動と元気を与える存在になっていたのです。そのことに私は気が付かず、ひたすら走り続けてしまい、ついには精神疾患を患うまでになってしまったのです。

それに気が付いて、自分を認めることから私自身の再生は始まりました。それまで私は、

自己否定の塊

だったのです。その自分が今では

くす玉のような存在

であることを自他双方認めるまでになっています。

で、再びこの写真。

そしてこの写真。

この光景にあこがれ、自らバルーンアーティストとしての人生を歩んできました。

結果生み出された感動の瞬間は数知れません。

自分が生み出したくす玉がはじけるとき、多くの人が感動し、同時に自分の中で大きなくす玉がはじけるのです。それを繰り返し、今の自分がある、ということに最近になってようやく気が付いたのです。

 

くす玉のような存在であり続けたい…

くす玉のような存在であり続けたい…

これは私の思いを表現したバルーングラフィックです。

このような絵を自分の作品だけで書き上げることができ、表現できること自体がすごいことらしいです。実際「元気が出た」「生きる希望を見出せた」という声を数多くいただいています。そのような声をいただいた時、私の心の中でくす玉がはじけるのです。

ありがとう、という思い

ありがとう、という思い

くす玉がはじけ、無数の風船と紙吹雪が舞う光景…

この世界観をリアルに体験していただきたい

という思いで、作品展を開催することに決めました。

期日は来年4月下旬です。

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