こんにちは。
平成はあと15か月強で終わりになります。
正月は家にこもって、「平成を振り返る」正月特番などを見て過ごしていました…
というわけで、平成元年へタイムスリップ。
この年、広島市中区、紙屋町・本通・八丁堀に囲まれた一帯にある「中の棚商店街」というところで、ある祭りが開催されていました…その名も
ふうせんまつり
いたるところに風船が飾られ、カラフルに彩られていました。
このイベント、翌年平成2年も開催されました。このとき、私はアルバイトを兼ねて、このイベントの手伝いをしていました。同時開催の「GOGOひろしま春祭り」のパレードの準備を手伝った記憶もあります。
その直後、私は大学進学のため広島を離れました。このころ私は19歳。
進学先は福岡。その後、島根の会社に就職→バルーンアーティストとして独立起業するために退職→各地を転々とする(大分、横浜、鳥取など)→一時広島へ帰る→定住先を模索…当時若い芸術家を積極的に受け入れていた大朝町に移住(2002年春)…という推移をたどり、広島・山陰・四国(特に愛媛)を中心に全国各地で活動していました。東京・関西(大阪・神戸)・九州(久留米・熊本・大分など)などでも活動しており、頻繁に出張していました。
今、私は広島に戻っています。2001年ごろ一時的に広島に帰り、その翌年に大朝へ移住しましたが、大朝はすぐ近くに高速道路のジャンクションがあり、西日本各地及び首都圏へのアクセスが良かった場所でもありました。そこに10年近く居住していましたが、諸事情により2012年新春に広島へ帰ることになり、そこで半年もたたないうちに鬱になりました。
大朝は広島まで1時間かからない場所(高屋などと変わらない)だったため、次第に広島での仕事の比率が上がっていったこともあります。その上、2011年大朝は1963年の三八豪雪以来の豪雪災害にあい、そこへ東日本大震災、さらに家の事情と重なり、広島へ帰ることにしたのですが…
私は鬱になったのち、引退を決断、風船と縁を切るつもりでした。ところが2014年から活動を少しずつ再開していたところ、あるご縁に恵まれ、2016年に屋号を変更してバルーンアーティストとしての活動を正式に再開しました。
その中で天皇陛下のご退位の意向が示され、平成が正式に終わり、新元号に引き継がれることが決定され、一つの時代に幕が下ろされることになりました。
振り返れば、バルーンの技術は平成元年や2年ごろとは比較にならないほど進化しました。平成2年には、東京に2軒しかなかったバルーンショップが、平成5年(1993年)には大阪にでき、時を同じくして名古屋にもでき、その後1995年にはエミリーズバルーンアートビジネススクールもでき…今では日本中どこにいても、ごく一部を除き、バルーンが容易に手に入る時代になりました。
バルーンアートの技術もどんどん進化しました。
私は紆余曲折がありましたが、2002年ごろから2010年ごろまでバルーンアート界をリードする存在になっていました。というか、気が付いたらそうなっていたのです。
しかし、2011年の東日本大震災から少しずつバルーン業界の流れが変わり、そこへ鬱を発症、私は新しいことを学ぶ気力を失い、さらに折からのヘリウムガス流通危機が払底にまで悪化(このころ東京ディズニーリゾートではバルーン販売を1年以上にわたって中止していた)、「引退やむなし」と決断し、バルーン業界から離れました。
その後バルーン業界は変化を続け、多様化しました。
今では様々なシーンでバルーンが活用されています。
一方で私は、「本当に風船で表現できるものは何だろうか…」と考えるようになりました。風船には、それ自身の持つやさしさ、美しさ、華やかさといったもののほかに、元気、希望、夢といったものがつまっています。そしてそれらが感動を生みだすのです。
さらに、私は最近、すごく気になる傾向を感じています。それは
風船=割れる=怖い
という考えの人が子ども大人を問わず増えているということです。
この「風船恐怖症」、100人中99人は単なるトラウマで、生活に支障となったりパニックを起こすほどではないもので、やがて克服されるものらしいです。ところが、最近になってPTSDを引き起こしたり、聴力を失うケースが報告されるなど、非常にまれながら医学・生理学的に危機的な状況が起きているそうなのです。加えて調べてみると、一種の脳生理学的問題で、極めてごくまれに風船を受け付けない一種のアレルギーに似たケースがあるらしいです。発達障がいの方で、子ども大人問わずそういうケースがある、という報告もあります。
似たようなケースで、犬恐怖症というものがあり、こちらは1000人中1人の割合でPTSDレベルになるケースがあるそうです。こちらも同じように発達障害が絡んでいるケースが多く、事実私はそうです。犬嫌いについて詳しいソウス
かくいう私も、小さいときは風船恐怖症でした。ところがふとしたきっかけで反転し、今では風船の割れる音は完全に慣れるどころか、風船に完全になじみ、その風船で多くの人に夢と感動と希望を与え、幸せと美しさと華やかさと楽しさを伝える側になっています。
一方、風船が一部で「セレブグッズ化」している傾向もみられます。昨年2017年の流行語は「インスタ映え」でしたが、風船はインスタ映えするトップクラスのアイテムです。しかし、風船が「特別なもの」になり、身近に感じることができなくなりつつあるような気がしています。
そこで、私は考えました。
ふうせんまつりを平成が終わるまでにする
場所…広島市内のレンタルスペースもしくはギャラリー
内容…以下のものを考えています。
1:エントランスのバルーン装飾
2:風船のキャノピー+会場全体の装飾
3:風船の壁画
4:風船プール
5:フォトバック(風船のスカートと帽子も用意、子どもさんは試着できる)
6:バルーンドレス展示(できれば試着も)
7:夢を書き込んだ風船で壁画制作
8:バルーン体験教室&「ふうせんへのおもい」講演会
9:バルーングラフィック展示(もちろん展示スペースは床と天井にバルーンをふんだんに飾る)
10:会場全体を包み込むバルーンシャワー(スパークバルーンを多用、合計1000個程度降らせたい、もちろん紙吹雪入り)
この10種類を一度に開催します。
期間…平成31年(2019年)3月下旬or4月下旬(3月30・31の両日もしくは4月27~30のうち連続する2日)直前2日間は制作現場をライブ公開します。
出来れば、クラフト・ハンドメイド作品及びパン・クッキーなど手作り各種菓子類などの販売、さらに子ども向けミニコンサートも行いたいです。
予算としては材料費だけでおおむね10万以内(原価ベース)を考えています。
以上が私が考えている「ふうせんまつり」です。
これからまる1年かけて準備をし、来年2019年の1月には具体的に動き出したいと思います。
私は、風船が持つ美しさ、楽しさ、華やかさといったものにひかれ、そしてくす玉がはじけ、無数の風船と紙吹雪が舞う瞬間にあこがれ、バルーンの世界に入りました。そして創り上げた感動は数知れず、一度引退してもなお求められ、その結果再び風船に生命を吹き込み続けることができているのです。
その風船があったからこそ、今こうして私は生きていられるのです。
この「ふうせんまつり」は、その風船たちに感謝の気持ちを込めて、実現させたいと考えています。なぜなら、
風船のおかげで私は自分の人生を歩むことができたから
です。
ピンバック: 本当に好きなこと、モノ、瞬間 | ふうせんでつたえたいこと
ピンバック: キセキのキセキ…「ふうせんまつり」を振り返る 第1章 構想 | ふうせんでつたえたいこと
ピンバック: 夢を抱くことのすばらしさを伝えたい | ふうせんでつたえたいおもい