はじけるくす玉のごとく~ふうせんへの想いその1

こんにちは。

こちらでは本当に久しぶりとなります。アップの主体がSNS、とりわけインスタグラムばかりになってしまい、なかなかアップできませんでした。

こちらは私が2022年3月から5月にかけて手掛けたバルーンリリースの動画です。

ロシア軍によるウクライナ軍事侵攻等の影響で、ヘリウムガスの入手が極めて困難になり、バルーンリリースが当面できない状態になりつつあります。これらは貴重な映像になるかもしれません。

他方、2022年は1月中旬から3月上旬にかけて、オミクロン株が猛威を振るい、またしても「まん延防止特別対策」が各地で実施され、自粛ムードが漂いました。3月中旬からは順次自粛緩和に向かい、イベントもほとんどが開催され、平常を取り戻す方向に向かっています…が、一部ではいまだに「密を減らす」ため、開催を中止したり、規模を縮小したりということがいまだに続いています。

オミクロン株そのものは感染力は強いものの重症化リスクはこれまでより低く、加えてワクチン接種の普及や治療薬の開発が進み、新型コロナウイルスも「ありふれた病気」のレベルにまで危険度が下がっていますので、今後は失われた日常を回復する時期になるでしょう。

そのような中で、私は

ぷちふうせんまつり2022

を企画立案し、開催しました。

ぷちふうせんまつり2022の詳細はこちら

で、なぜ私はこれを企画したのか。

広島市では、2019年まで毎年大型連休の期間中に、「ひろしまフラワーフェスティバル」が開催されていました。このイベントは2019年まで、平和大通りを歩行者天国にしたうえで、パレードやステージなど、多彩な内容のイベントが繰り広げられ、広島の街がさながら「祝祭空間」になる、日本でも有数の大型連休のイベント「だった」のです。

この「だった」と、過去形にしたのには、理由があります。言うまでもなくコロナ禍が最大の理由なのですが、

2020年→中止

画像は2020年5月4日に撮影したものです。

2021年→無観客開催

2021年ひろしまフラワーフェスティバルのページ

と続き、2022年は…となったのですが、判断を早まってしまったのか、「縮小開催」となってしまいました。

浜松まつりも、博多どんたくも、福山ばら祭りも、感染対策を施しながら可能な限り例年並みに近い規模での開催となりました。それだけにひろしまフラワーフェスティバルの慎重すぎる判断が際立ちました。

この決定が行われたのが2月下旬のこと。同じ時期、広島市の地下街である紙屋町シャレオの中央広場に近い一角に、このような看板が立ちました。

「ここを皆様が自由に使っていただけるレンタルスペースにします」

紙屋町BASE

私はシャレオの事務所に電話して、大型連休期間中の空きを調べると、まだ予約が入っていない状態だったので、すぐに押さえました。

3月から4月にかけて、感染者は増えても医療のひっ迫には至らず、イベントは軒並み通常どおり開催。

一時的に医療ひっ迫の懸念が出て、中止も検討したものの、感染者だけが増えて医療提供体制に変化がないことから、2週間前に「予定通り開催」を決断しました。

結果…

「フラワー(フェスティバル)に行っても何もなかった。ここがいちばん楽しかった」

という声が複数寄せられ、来場者数も1日あたり平均40組、人数にして1日あたり100~120人程度、3日間では350~400人程度という結果になりました。中には

「元気とパワーをもらうことができた」

という声もありました。

これまで私は何度かフラワーフェスティバルの会場装飾や演出を手掛けてきました。

 

これは2018年に手掛けたパレードの様子です。

本来、このような「祝祭空間」ともいうべき空間が繰り広げられるのが「ひろしまフラワーフェスティバル」なのです。毎年元気とパワーを頂戴できるのですが(実際そのような声が多数ネットに上がっていた)…

この役目を今年は私が果たした、といっても過言ではありませんでした。

というより、

「フラワーフェスティバルが通常開催だったなら、この{ぷちふうせんまつり2022}は、開催する必要がなかった」

のです。

それだけ私は

たくさんの風船たちでたくさんの笑顔の華を咲かせ、街を元気にしたい

という想いが強かったのです。

いずれにせよ、「ぷちふうせんまつり2022」を実行したことによって、たくさんの笑顔の華を咲かせることができたのは間違いありません。その想いの背景にある

はじけるくす玉のごとき想い

を、次は別の形で伝えていくことになります。ということで、長くなるのでここまで。続きは次回にします。

みんなの心の中のくす玉を華開かせよう!

こんにちは。

この投稿は2021年12月31日に書いています。

2021年の作品だけで制作したバルーングラフィックですが…私の想いがそれこそ

夢と希望をいっぱい詰め込んだ紙吹雪と風船たちで中身がいっぱいのくす玉のように

ぎっしり詰まっています。

思えば、どれだけの笑顔の華が咲いたのでしょうか、私が生命を吹き込んだ風船たちで。

特に今年2021年は、昨年から引き続くコロナ禍の影響で、我慢を強いられる日々が続き、

「このような時こそ求められている。たくさんの人たちが楽しいことに飢えている」

ということを実感しました。それ故、バルーンリリースやバルーンランタンなどを自ら企画して実行したりしました。

これは12月25日のバルーンランタンイベントの様子です。ところどころで歓声が上がっています。

「わぁー」「すごい!」

という声も上がっています。見えにくいのですが、スパークバルーンシャワーやバルーンクラッカーもはじけました。

このような感動の瞬間を創り出すことは、かなりのパワーがいります。それこそくす玉のような全身の力を振り絞って華開く、「全集中」が求められます。しかし、それによってもたらされる感動は多くの人々の心に残ります。

そのような瞬間を、これからも生み出し続け、たくさんの笑顔の華を咲かせ続けていきたいです…可能な限り、限界が来るまで。

その限界が近そうな予感がするのですが…

2022年1月1日午前1時追記

おめでとう!

の気持ちをいっぱいに詰め込んで制作した動画とバルーングラフィックを追加します。

 

好きなことを極める、ということ

こんにちは。

ここ最近、私は思うところがあって、過去の作品をデジタルデータ化する作業をしています。すると、「自分のやってきたことはすごいことだった」ということを改めて実感しました。

 1998年9月の作品

 2000年4月の作品

 2001年11月の作品

上記はほんの一例です。もっとたくさんの作品はこちらからご覧ください。

最新の作品集タイトル最新の作品集(2014年以降)

旧Y’s Dreamの作品たち(1997~2013年)

振り返ってみると、

好きなことを極めるということはこういうことなのだな

という想いがしてきました。

気が付くと、

生み出した感動はものすごい数になっていました。

そして、

どれだけの人たちに夢と希望を与え、どれだけの人たちを元気づけてきたのでしょうか…

20年以上の前の作品たちも、つい最近の作品たちも、同じように多くの人たちに夢と希望をもたらしています。

私が創り上げた作品たち、そして感動の瞬間たちが、いつまでも心に残る…

そのような生き方、そのような生き様を、多くの人たちに伝えることによって、この殺伐とした社会を変えていきたい…

好きなことを極めたからこそ、伝えられることがあるのかもしれません。

その人なりの作品がもたらすもの

こんにちは。

最近思うこと。

風船は人と人の想いをつなぐ…

かつて、その役目を担っていたのは花、とりわけ「生花」でした。しかし、花自体がプリザーブドフラワー、アーティシャルフラワーなどと領域が広がり、一方ではフラワーショップがバルーンに進出したり、あるいはその逆がみられるなどしています。

そして、もっと顕著なのが

ただ単に風船を買うのではなく

作り手の想いでバルーンアーティストを選ぶ

というお客様が増えている、ということです。

これはとあるバルーンアーティストの方がSNSで述べられていたことなのですが、

バルーンはバルーンというただのプレゼントや飾りなんかではなく「愛情を形にできる手段」だ

と確信したそうなのです。

親の心、親の愛情を子どもに伝えることができる…それがバルーンなのです。

その想いをカタチにできる人が、バルーンに携わることができる人なのです。

そうしてみると、私はかなりのハンデを背負っている、といわざるを得ません。残念なことに、私はいわゆる「毒親」に育てられました。小さい時から過保護、更には過干渉を受けて育ち、今でもそれが続いています。その悪影響は深刻で、加えて先天性のASD(自閉症スペクトラム…いわゆる「アスペルガー症候群」に該当する)。愛着障害を併発し、結果適応障害、強迫性障害に…完全主義、自己否定といった悪影響は今でも影を落としています。

このようなどうしようもない親とは、本来絶縁するのが良いとされています。ただし、それは親が意図してやっている場合に限ります。私の場合、親の教育方針が意図してそうしたのか、それとも親自身が厳格に育てられ、どうしてもそうなってしまうのか(この場合親もまた「毒親被害者」となる)、つい最近まで分かりませんでした。母親の故郷である鹿児島にも何度も足を運びました。結果、後者の可能性が極めて高い、と思うようになりました。加えて明治から先の大戦終戦までの時代背景、「郷中教育」の影響が強い鹿児島鶴丸城下の風土などが複雑に絡み合い、自分の力ではどうすることもできないところに原因があるという結論に至りました。実際母親は私に依存する傾向があります。そして、母親のみならず父親も自己肯定感はかなり低いとみられ、その結果愛情がゆがんでしまったと私は考えています。

こうしてみると、私は悪条件に満たされています。加えて「一般職業適性検査(厚生労働省編GATB)」に基づいた適性という面では「不適性」という判定さえ受けています。2013年に廃業した時、GATBテストを実際に受けてみて、私は腑に落ちました。

どんなに努力してもダメなはずだよ、これでは

つまり、本当は不適性といわざるを得なかったのです。全く適していない土地に不適な作物を植えた、あるいは軟弱すぎて地盤改良も困難なところに建物を建ててしまった、そういうレベルだったのです。

ところが、それでも私は風船に生命を吹き込み続けています。バルーンアーティストであり続けています。なぜか…

本当に好きだから

なのです。

そして、自己否定、完全主義の結果、壊滅してしまった旧Y’s Dreamとは何が違うのか…

自己肯定感

がカギを握ります。実際問題、旧Y’s Dream時代、私はストイックを極めていました。恋愛禁止、禁欲主義…「頂点しか見えない」という感じで、ゴールのないマラソンを全速力で駆け抜けるような日々を10年以上過ごしていました。「自分をほめるなんてもってのほか」という考えでした。

そのような「自己否定の塊」を捨てたからこそ、いまでもバルーンアーティストとしてあり続けることができるのです。

たくさんの「おめでとう」と「ありがとう」につつまれて

こんにちは。

先日「バルーンセラピー」を商標登録した、と述べたところ…予想していなかった事態が起きました。

延べ238の「いいね!」

おめでとう!の声多数。

「やったぁ」「すごーい」「素晴らしい」「誰にでも出来ることではありません」「ぴったりのネーミングですね」「わかりやすく、かつ的を得た、とてもすばらしい商標だと思いますよ。これからのご活躍がさらに楽しみになりました」等々…

ただ風船が好きで好きで、その風船で社会に奉仕したい、という想いで活動を続けていたところ、「それを形にしたらどうか」というとある方の勧めで「ダメでもともと」というつもりで登録申請を出したら…このような結果に。

登録商標

という一つの「無形知的財産」を私は築いたことになるのです。

それだけ私が「風船に生命を吹き込む」という想いで作品たちを制作してきたということに対する結果として受け止めています。

で、この「無形知的財産」ともいえる商標、有効期間は10年です。

分納を選択したので、5年に1回、すなわち2026年3月(まで)に後期分の商標権の登録料を支払うことになります。

というより、「無形知的財産」を築くことができるまでになった、ということが一種の「ブランド」です。

そこから先は、自らのブランドでライフスタイルを提案するのです。

私が生命を吹き込む風船たちで、一人でも多くの人に夢と希望と感動を与え続ける…

もはやこの生き様が「ブランド」になったのです。その裏にある真剣勝負、私とみんなの想いを風船たちに詰め込む、ということ…

こうなると障がいがあろうがなかろうが、あるいは親が何と言おうが関係なくなります。その先にあるのが…

たくさんの「おめでとう」と「ありがとう」につつまれた風船たちと共にある幸せな日々

です。

風船の力、バルーンセラピー…

こんにちは。

実をいうと、この数か月、無気力状態が続いていました。

「バルーンショップオープン」から「ふうせんりょういく」まで、断念することばかり…コロナウイルスが原因ではありません。

長期的な計画と視野が必要なことばかりである一方、今後数年以内に自分の身に降りかかるであろうことを考えると、今スタートさせても途中で頓挫する可能性が非常に高い

という考えに至ったのです。完全に思考が保守的になっていました。そればかりか、

バルーン業界の進歩と変化はどんどん激しくなっている。それについていけなくなりつつある

とさえ考えるようになっていました。

思えばこの25年間、私は挑戦し続けていました。そして今があるのです。

ゆえに、自分には…

経験、という無形の財産がいつの間にか築き上げられていた

のです。そればかりか

それを生かしてできることはまだまだある

のです。

2021年3月、私は

バルーンセラピー

を商標登録しました。難関とされる商標登録をクリアできるほど、自分がしてきたことはすごいことだった、ということになります。

風船でどれだけの感動を生み出し、どれだけの人を元気づけ、そしてどれだけの人の心をいやしてきたのでしょうか。

それを形にできただけでもすごいことだと考えています。

その経験を生かせるのが、まさに福祉の分野。私が福祉や介護について勉強している理由がまさしくそれです。当初は高齢者介護の分野で働きながら勉強するつもりでしたが、新型コロナウイルス感染拡大の結果介護職の在り方が大きく変わり、私はとてもついていける代物ではなくなってしまいました。何しろ安全最優先、人命最優先を基準にすると、感染予防をすべての行動の中心に据えなければならない状況下で、片手間ではとてもできない状況。加えて旅行業をはじめとした観光業界などからの人材流入・労働移動が急増し、これまでの売り手市場から一転買い手市場への変化が起きています。

しかし、これまで主張しているように、高齢者・障がい者から児童福祉分野に至るまで、風船の持つ力による癒し効果、エンパワーメント効果は大きいものがあります。

一定の制限のもとでの経済活動が長期的に続き、それを社会が受容し、経済が停滞する中での再成長シナリオに入る

という予測を私は立てました。社会システムが一変する、と私は考え、その結果

バルーン市場は大幅に縮小する

と予想、ただでさえ環境が激変する一方で学びなおしが必要な状況なのに、果たして自分は必要とされているか、とまで考え、無気力に陥っていたのです。それでも必要、とされているのでしょう。

需要がある限り、私はバルーンを続けることにします。

今年に入ってからの作品だけで構成したバルーングラフィックです。

ふうせんりょういく、バルーンセラピー…

こんにちは。

発達障がいを抱え、悩んでいる人たちに風船でできることはいったい何か…

先日、とあるピアノ教室の発表会を手掛ける機会がありました。というより、このコロナ禍で発表会が安全上できない状態になり、「何か形に残ることはできないか」という相談を受け、作ってみました。

下の方が最初制作したもの、正月をはさんで上のようにやり替えました。

子どもたちはこの作品にすごく感動したらしいです。

そのピアノ教室で「音楽療育」を行っているのですが、そのカリキュラムの中で風船を使っているそうなのです。聞くと、学校の授業でリコーダーに苦しむ子どもたちが結構いるらしく、発達障がいの子どもたちは肺活量の問題があることがよくあるらしいです。そうこうしているうちに、苦手意識を持つようになり、結果「音楽」が「音が苦」になってしまうのだそうです。それを克服するために、風船を使っているそうなのです。

音楽を用いた療育は最近幅広く取り入れられています。私が以前勤務していた会社の放課後等児童デイサービスでも取り入れているところがありました。実際療育の様子を見学したこともあります。

他方、最近は「さっかありょういく」なるものもあるらしいです。日本発達支援サッカー協会

さらに、私の周辺では、「好きなことをとことんさせてあげよう」ということをベースにした放課後等児童デイサービスも複数立ち上がっています。その一環として風船を療育に取り入れよう、という動きが出てきました。

このような流れを総合的に考えた結果、

風船を通して子どもたちの発達を支援し、生きる力を身に着けるプログラムを確立する

ことを目指して、

ふうせんりょういく

を編み出していくことにしました。その先に自立、就労がある、という考えに至りました。

昨年、私は高齢者の認知症予防並びに生きる意欲の醸成を目指して

バルーンセラピー

なるものを立ち上げました。このコロナ禍で高齢者施設への出入りが困難な情勢になり、停滞していますが、同じことは障がい者福祉にも当てはまります。

ふうせんりょういく・障がい者雇用バルーンショップ・バルーンセラピーの三位一体で動かし、回していく

必要があると考えています。

その優先順位を総合的に考えた結果、プロジェクトの順序を入れ替える必要が生じました。さらに

常に私の想いを発信し、同時に作品を展示し、いつでも購入することができる場所が必要

ということになり、広島市内の某所で開設の準備を進めることにしました。スペースそのものは狭くてもよいと考えています。

このような状況の変化を考えた結果、一度にやろうとするとすべてが中途半端になってしまう。当初のクラウドファウンディングはいったん先送りしたほうが良い

という結論に達しました。

このピアノ教室はおそらく、風船のサブスクリプションを導入するモデルケースになりそうです。すでに「風船があるからこのピアノ教室に通うことが楽しい」と思い始めている子どもたちもいるそうです。春は桜、夏は海、そしてハロウィンにクリスマス…夢は広がっています。それよりなにより、

私が生命を吹き込んでいる風船たちがどれだけの夢と希望を与えているか

ということにつながります。その先にあるのが

くす玉がはじけ、たくさんの風船と紙吹雪が舞い、たくさんのおめでとうとありがとうに包まれる

その高揚感と達成感を味わうことによって、自己肯定感が培われ、生きる自信につながる

ということです。それがすなわち私が目指していることであり、「ふうせんりょういく」「バルーンセラピー」の趣旨なのです。

自分らしく華開こう

こんにちは。

先日、近くのとあるショッピングモールでものすごいバルーンアートの作品を見ました。

このショッピングモールにはハロウィンのカボチャやトナカイが展示されていたことはありましたが、まさかここまで…という規模の作品は初めて見ました。というか、

あの「ふうせんまつり」に匹敵する、あるいはそれ以上の作品

でした。おそらく広島最大規模の作品でしょう。

※他人様の作品については原則として一切掲載しない方針です。

「ふうせんまつり」の作品たちは、1週間以上かけて制作しましたが、噂によると一晩で制作したという話も伝わっています。もしそうだとすれば、すごいことです。

記録保持者が記録を超えられてしまったような気持ちになりました。

こういうのを見ると

負けたくない

という思いがしてしまいますが、相手は世界一にもなった経験のある方。同じ土俵で戦っても到底太刀打ちできません。

しかし、私には

日本トップクラスのバルーン演出を手掛けてきた自信

があります。

ふうせんまつりのクライマックスのバルーンシャワー

このバルーンシャワー、合計約1500個の風船たちが舞い降りています。先日も

とある野外ライブで合計約500個の風船をスパークリリースさせました。

これほどの演出を手掛けられる人は日本でも限られています。これ以上の演出を手掛けている人はそれこそごく一握りです。

それだけのことができる、ということ自体、私は誇りに思えますし、「ふうせんまつり」を企画立案して成功させたばかりか、感染対策を施しながら「ぷちふうせんまつり」を開催できたということ自体誇れることです。何しろ「ぷちふうせんまつり」の会場内で撮影した写真を年賀状に使ってくださった方がいたようです。

人を感動させる作品を作ることができる、ということ自体誇れることだと思います。

それだけのことをしてきたからこそ、伝えられることがあります。

まずは「ふうせんりょういく」で形にし、「バルーンを障がい者雇用に活用する」方向性を築き、最終的に「障がいがあっても働けるバルーンショップ」のオープンを目指します。

 

 

「自粛」から「自祝」へ、そして…

こんにちは。

2021年がやってきました。といっても新暦で、旧暦ではまだ2020年です。

この2020年という年、周知のとおり新型コロナウイルス感染拡大で、ありとあらゆる活動が停止を余儀なくされました。一方では1780年ごろから240年ほど続いた「土(地)の時代」が終焉を迎えました。1780年ごろといえばフランス革命、アメリカ独立宣言、イギリスでは産業革命と、今日の資本主義の源流があった時代です。

2021年は「風の時代」が始まる、といわれています。この「風の時代」は現在進行形の「情報化」がより進む時代とされ、これまでの価値観が一変するといわれています。

て、今の新型コロナウイルス感染拡大ですが、残念ながら1月下旬から2月上旬にかけての時期までは「オーバーシュート」が起きてしまうとみています。これまでの潜在的な感染がどんどん顕在化しているのが現状ですが、この1か月間で「医療崩壊」が一部で起きるとみています。特に首都圏と旭川(道北)など北海道の一部と広島市、高知県が危ないです。大阪と兵庫については連携不足による「自滅」とみています。これらの地域では下手をすると火葬場のパンクさえ起きかねないほどの危機的状況にまで至る恐れがあります(これが起きると「末期的症状」、昨年の春はニューヨークが陥り、現在は全米各地がこの状況に陥っている)。

一方、旧正月とされる2021年2月12日ごろには、ワクチン接種のめどが立つとみられます。この時点で何らかの見直し及び検証がされると考えています。以降はワクチンによる薬害多発や震災の発生など不測の事態が起きない限り「経済を極力回す」方向へ向かうとみており、3月ぐらいには昨年2020年の秋ごろの状況までは戻るとみています。その後は秋ぐらいまで時間をかけて経済復興に取り組むことになるでしょう。その中で旅行業や従来型のホテル並びに旅館、貸切バスなどは力尽き、これらの業種から介護などへの「労働移動」が進むと私は予想しています。

※不測の事態が起きないとも限りません。そうなると危機的状況を超え、「破綻」レベルにまで至る可能性もあります。75年前、1946年に日本は「国家破綻」し、その結果が「預金全面封鎖」だったのです。

そのため、私は2月中旬まで自粛を続ける方針です。人との接触を最大90%減らす所存です。しかし、その先を見据えた行動は必要です。

ところで、私は既に2022年を見据えた行動に動いています。2019年、令和が始まり、平成の時代に構想した「ふうせんまつり」は形になり、同時に私は「バルーンと福祉の融合」を目指すことにしました。その最初の段階が「介護職員初任者研修」修了でした。この段階は終わり、次に進もうとしたところに新型コロナウイルス感染拡大。停滞を余儀なくされました。昨年2020年はいかにして耐え忍ぶかだけを考える時期となり、ほとんど何もできなくなりました。昨年にしたことはほぼすべて今年2021年、それも2月下旬以降に向けての準備活動ばかりでした。

その中で「行政からの助成金の対象になる可能性がある」といわれ、取り組んでみたのが「ぷちふうせんまつり」。これは人通りの多い場所にギャラリーを借り、そこをショーウインドーに見立てて作品を制作し、中で感染予防のため人数制限などをしながら風船に触れる体験をしていただくという内容でしたが、これをやってみてわかったのが

楽しいことに飢えている

という現実。当初3日間で100人程度来ればよい、と考えていた私の予想を大きく上回り、近くでハロウィンイベントがゲリラ開催されたという状況を考えても1日だけで120人を超える来場者が来たという、まさかの結果。会場を公開した3日間の入場者数は210人を超える結果に(金曜日38名様、土曜日120名様以上、日曜日約55名様)。新型コロナウイルス感染者は出ず、行政からの助成金はかかった費用の約90%の金額が年末に支給され、用意したフライヤーは9割程度配布でき、結果的に成功に終わりました。

これらを受けて、私は今年2021年、あるスローガンを掲げました。

自粛から自祝へ

自祝とは…自分に「おめでとう」といえるようになること、自分のために「くす玉のひもを引っ張る」ことができるようになること

当初考えていた「障がい者雇用を目指したバルーンショップオープン」は目標時期を2022年春へ先送りにしましたが、「障がい者就労」ができるバルーン活動に取り組むことにしています。準備不足として延期したクラウドファウンディングについては、本年春以降に取り組むことにします。風船を通して達成感や自己肯定感を培うことができる活動をこれからの活動の中心に据えることには変わりありません。

私の周囲では、「やりたいことを思いきりさせて、達成感と自己肯定感を培う」ことを目指した放課後等児童デイサービスや児童発達支援等の療育施設を立ち上げる方が相次いでいます。その中で

ふうせんりょういく(仮称)

というプログラムを今年春までに立ち上げることにしています。すでに要請が来ており、その基盤として2016年に作成した「くまさんのげんきだま」をリニューアルします。それを踏まえ、段階的なプログラムを作成することにしています。これに並行する形で、いわゆる児童福祉における「18歳の壁」問題を解決するための「障がい者就労」を目指した形態の整備を進め、最終的な形としてバルーンショップのオープンを目指します。

※就労継続支援B型、いわゆる作業所の開設も検討しましたが、人員の問題から見送り、厚生労働省の補助金を受け取ったうえで一般就労させる形の方がよいと考えています。他方「就労継続支援A型」はもはや制度として破綻していると考えており、現実に閉鎖や断念が相次いでいます。

他方、高齢者向けの認知症予防におけるバルーンの活用ですが、これは新型コロナウイルス感染拡大が収束してからの展開を目指しており、引き続き準備活動を進めます。「バルーンセラピー」を商標登録出願しましたが、これも準備活動の一環です。安全を最優先に考えると、現状ではまだまだ難しいです。

そして、私自身が「生きた教材」となるよう、バルーン演出やバルーン装飾はこれまで同様、引き続き取り組みます。昨年同様無理をしない範囲で引き受けることにします。ただし、単に仕事を「こなす」ような状態にはしたくありませんし、なってはいけません。そのような状態になった場合は、仕事を断ることも考えています。加えて、5月の大型連休をめどに、価格体系を見直す所存です。5月の大型連休以後は「割に合わない」仕事は断る方針です。

話を「ふうせんりょういく」に戻しますと、一つアイデアとしてあるのが、

誕生日には療育の場をバルーン装飾でいっぱいにし、みんなで一緒に「ハッピーバースデー」をうたい、最後にバルーンクラッカーのひもを本人に引っ張って、同時にみんなが紙吹雪をまいてお祝いするということをやりたい

ということです。

また、

何か目標に向かって取り組み、達成した時にも、同じようなお祝いをするということをしてみよう

と考えています。

くす玉のひもを引っ張る勇気、それをみんなでお祝いする…そのことが達成感と自己肯定感を培うことにつながる…

まずはこれを形にしようと考えています。

感動を残すことができる、心に響く表現者として

こんにちは。

コロナ禍に振り回された2020年もあとわずかとなりました。

同時に私も50歳…半世紀生きたことになります。人生の3分の2を過ぎたことになります。

私が初めてバルーンアートというものに接したのは25歳の時でした。1996年のことです。当時の私については、すでに何度も述べてきました。パチンコ、競馬、競輪…ギャンブルに溺れていました。そのまま流されるようにして人生を過ごしていたら、一体どうなっていたのでしょうか…何も生み出すことがなく、ただ漫然と時間だけが過ぎ去る無味乾燥な人生になっていたような気がします。あるいは、生きる意味をなくして、自ら命を絶っていたかもしれませんし、もしくは親との激しい対立の結果、殺人を犯して塀の中で日々を過ごすことになっていたかもしれません。

以後、私が生命を吹き込んだ風船たちは、どれだけの人に夢や希望や元気や感動といったものを与えることができたのでしょうか…

1997年1月、第1回のJapan Balloons Network Convention、2019年まで23回続いたJBANコンベンションの初回に参加したさい、私は無数の風船と紙吹雪にまみれる経験をしました。私はこの経験などから

ただ風船が好き、というだけではなく、それを社会に役立てることはできないか

という想いから、少しずつバルーンアート作品を創り出し、自然発生的にY’s Dreamが生まれました。さらに言えば、「Y’s Dream」は「仮称」でした。

以来20年以上、2013年8月に一度廃業してからの約数か月間などを除いて、私が生命を吹き込んだ風船たち、私の手が生み出した作品たち、そして私が形にした幾多の感動の瞬間…は、多くの人々の心に響き、忘れがたい感動を残すことができました。

一方でこの2020年は、コロナ禍によって、社会が沈滞ムードになると同時に、人々の心は荒みました。1988年、今から32年前、昭和天皇が生命の危機にあった時もここまでの自粛ムードはありませんでした。子どもたちは楽しいことに飢え、自殺者はここ数年なかった高い値で推移しています。ひょっとすると先の大戦終戦後の数年間に相当する状況なのかもしれません。

そんな中でも、私は9月から12月中旬までの短い限られた期間で可能な限り風船たちに生命を吹き込み、数多くの感動を生み出すことができました。

このバルーングラフィックは主に2020年の10月から11月にかけて制作した作品たちを中心に構成したものです。制作できる期間が短い以上、可能な限りの作品たちを作ってきました。

そして改めて認識しました。

私は風船で多くの人たちに夢と希望と感動をもたらし、元気にすることができる

ということを。

こういう世の中になってしまったからこそ、私が生み出した作品たちが多くの人々の心に響いた

という事実。

多くの人に夢と希望と感動を与えられる、くす玉のような大輪の華を開かせる存在になりたい

という一途な思いから走り続けた日々…

気が付けば、そうなっていました。

これからは、

より多くの人々のくす玉を華開かせる手助けをしていきたい…

そういう想いで残り3分の1になった人生を歩んでいきたいです