こんばんは。
久しぶりの更新です。
今、ヘリコプターがうるさいです。
何しろ世界の目が広島に注がれる1日です。
そんな中、私はふとしたきっかけでサミット会場の近くへ…
とあるイベントを見に行きました。
音楽と大道芸のイベントだったのですが、一番すごかったのが
書と和太鼓の融合
鳥肌が立つほど感動しました。
実は、この書のパフォーマンスをされた方に、数時間前私はこういわれたのです。
鳥肌が立つほど感動した
その方は書のワークショップをこのイベントでされていたのですが、そこで目にしたのが
ツイスターズ2016広島のチラシ
でした。
私もこのチラシはすでに入手していて、いま勤務している会社が運営するバルーンショップにも置かせていただいてますが、なぜこのチラシが書のワークショップのブースにあるのかすぐにわかりました。
ツイスターズ2016の賞状を担当されるとか。
ちなみにこのイベントのプロデューサーとツイスターズ2016のディレクターは友人同士で、しかも二人とも旧Y’s Dreamと非常に関係が深かった方です。もちろん8年前のツイスターズも中心になって動いていました。
私はこの方のパフォーマンスを見ずに帰るのは失礼と思い、パフォーマンスを拝見させていただきましたが、本当に素晴らしいものでした。
そのような方に「鳥肌が立つほど感動した」「今日来た甲斐があった」などと言われたのですが、私など今は焼きが回っています。私の作品など序の口レベルです。あまりにも素晴らしい最高レベルのバルーンアートに接して、言葉を失うほど感動することになるでしょう。
こんにちは。
今日は花見をしてきました…広島も宮島も廿日市ももう散っています…向かった先は北広島町。
こちらは満開です。
私自身、桜は桜吹雪は言うまでもありませんが、上の写真のようつぼみが開きかけているくらいが一番好きです。今にもはじけそうな、何とも言えない勢いを感じます。そしてその花にはものすごいパワーを感じます。
久しぶりにこの状態の桜をじっくり堪能しました。
さて、下の写真。
昨年(2015年)7月のあの感動の「きたひろしまミュージカル」のフィナーレを彩ったあの場所です。
季節は巡り、桜が咲いています。
あれから9か月の月日が過ぎ去りました。
暑い夏を経て山が色づき、冬を経て春が巡りました。
あの時緑の稲穂は色づいて収穫を迎え、雪に埋もれた後再び耕されていました。あと1か月もすれば新緑が芽生え、今年の稲が植えられます。
そして今日はいくつか懐かしい場所も訪れました。
いずれも2016年
2003年から2004年
これだけではありません。デコレーションの写真も数えきれないほどあります。
本当にここには鍛えられました。
まさに「バルーン道場」でした。
広い会場を何度走り回ったことか…
そしていろいろなことにチャレンジさせてくださいました。
ここのおかげで私は自分のスタイルを築き上げることができたのです…
今ではここで結婚式を挙げることも年に1組あるかないかだそうです。
当時、ここの周辺ではハウスウェディング不在ということもあって、非常に人気があったようです。
中でも一番忘れられないのが2003年5月のゴールデンウィークにあった結婚式。
ここのオープン5周年イベントの一環でした。
池の周りに一般のお客様も参加いただき、列席者とともにバルーンリリース。ゲストと列席者で合計500個。新郎新婦の誓いのキスの瞬間に島にあったバルーン5個が一斉にはじけ、合計約700個。総計1200個以上もの風船が一斉に舞い上がるという光景を創りあげました。あの感動は今でも忘れることができません…。
この時司会をしていた方は
「鳥肌が立つほど感動した」
とのこと。
今でもこの場にいた人たちの心に残る光景なのかもしれません…
さらにここも訪れました。
ここも何度手がけたことか…
しかし、先述の会場に比べると大がかりではありませんでした。
話を戻すと、
私はほんの一瞬の感動を生み出すために、ものすごい力を費やしてきました。
私が創りあげた瞬間が多くの人の心に響いた時、私の心の中でも大きなくす玉がはじけ、たとえようのない快感を感じました。
そのような瞬間を作るだけのために、10年以上もの日々を過ごしてきたのです。
長年の無理の結果、私は心を滅ぼしました。
しかしこのことに対して全く後悔はしていません。
最近、私がしてきたことがいかにすごかったことなのか、再認識させられる出来事が続いています。
そして、それが今につながっているのです。
そういう感動を生み出すことによって、その人の自信につながるようなことをこれから私はしていきたいのです。
たとえそれが小さなバルーンアレンジであったとしても、それが一つの風船でできた動物であったとしても…
以前述べたように「心の中のくす玉をはじけさせる手伝いをしていきたい」と私は思っていますし、まさに今その仕事についています。それができるのも、「数多くの心のくす玉をはじけさせた経験のある」私だからこそなのかもしれません。