その人なりの作品がもたらすもの

こんにちは。

最近思うこと。

風船は人と人の想いをつなぐ…

かつて、その役目を担っていたのは花、とりわけ「生花」でした。しかし、花自体がプリザーブドフラワー、アーティシャルフラワーなどと領域が広がり、一方ではフラワーショップがバルーンに進出したり、あるいはその逆がみられるなどしています。

そして、もっと顕著なのが

ただ単に風船を買うのではなく

作り手の想いでバルーンアーティストを選ぶ

というお客様が増えている、ということです。

これはとあるバルーンアーティストの方がSNSで述べられていたことなのですが、

バルーンはバルーンというただのプレゼントや飾りなんかではなく「愛情を形にできる手段」だ

と確信したそうなのです。

親の心、親の愛情を子どもに伝えることができる…それがバルーンなのです。

その想いをカタチにできる人が、バルーンに携わることができる人なのです。

そうしてみると、私はかなりのハンデを背負っている、といわざるを得ません。残念なことに、私はいわゆる「毒親」に育てられました。小さい時から過保護、更には過干渉を受けて育ち、今でもそれが続いています。その悪影響は深刻で、加えて先天性のASD(自閉症スペクトラム…いわゆる「アスペルガー症候群」に該当する)。愛着障害を併発し、結果適応障害、強迫性障害に…完全主義、自己否定といった悪影響は今でも影を落としています。

このようなどうしようもない親とは、本来絶縁するのが良いとされています。ただし、それは親が意図してやっている場合に限ります。私の場合、親の教育方針が意図してそうしたのか、それとも親自身が厳格に育てられ、どうしてもそうなってしまうのか(この場合親もまた「毒親被害者」となる)、つい最近まで分かりませんでした。母親の故郷である鹿児島にも何度も足を運びました。結果、後者の可能性が極めて高い、と思うようになりました。加えて明治から先の大戦終戦までの時代背景、「郷中教育」の影響が強い鹿児島鶴丸城下の風土などが複雑に絡み合い、自分の力ではどうすることもできないところに原因があるという結論に至りました。実際母親は私に依存する傾向があります。そして、母親のみならず父親も自己肯定感はかなり低いとみられ、その結果愛情がゆがんでしまったと私は考えています。

こうしてみると、私は悪条件に満たされています。加えて「一般職業適性検査(厚生労働省編GATB)」に基づいた適性という面では「不適性」という判定さえ受けています。2013年に廃業した時、GATBテストを実際に受けてみて、私は腑に落ちました。

どんなに努力してもダメなはずだよ、これでは

つまり、本当は不適性といわざるを得なかったのです。全く適していない土地に不適な作物を植えた、あるいは軟弱すぎて地盤改良も困難なところに建物を建ててしまった、そういうレベルだったのです。

ところが、それでも私は風船に生命を吹き込み続けています。バルーンアーティストであり続けています。なぜか…

本当に好きだから

なのです。

そして、自己否定、完全主義の結果、壊滅してしまった旧Y’s Dreamとは何が違うのか…

自己肯定感

がカギを握ります。実際問題、旧Y’s Dream時代、私はストイックを極めていました。恋愛禁止、禁欲主義…「頂点しか見えない」という感じで、ゴールのないマラソンを全速力で駆け抜けるような日々を10年以上過ごしていました。「自分をほめるなんてもってのほか」という考えでした。

そのような「自己否定の塊」を捨てたからこそ、いまでもバルーンアーティストとしてあり続けることができるのです。

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