バルーンアートが盆栽になってはいけない

おはようございます。

もう過ぎ去ったことなので、来年に向けて、前向きに頑張りましょう。

ただ一つ言えることは、

ソーシャルコミュニケーションツールの発達が

会場にいなかった私にも

その会場の様子、熱気といったものがリアルタイムに伝わった、ということです。

ブログにフェイスブックにツイッターにスマホ

ぜひ希望したいのは

JBAN Conventionをユーストリームで生中継することです。

もちろんファイナルパーティーの様子も…

私はニコニコ動画のプレミアム会員になっていますが、

生中継機能がついています。

いずれやってみたいです。

さて、見出しについて。

つい最近まで、チャレンジ精神がなければ、道は開けなかった。

私は「この会場にはこのような演出ができるのに」とか、

「この空間をこのようにすれば映えるのに」

などと常に考えていた。

そうすることによって、私はいろいろな作品を作り上げ、無数のバルーンで感動的な瞬間を作り上げた。

ここ数年、バルーン演出に頭打ち感が広がり始めた。

私は「二段式スパークバルーン」や「ゲートスパークバルーン」、「ウォールスパークバルーン」などを考えるようになった。

そして毎年のように、JBAN Conventionでは、考える限りのバルーン演出がファイナルパーティーで披露されるようになった。ファイナルパーティーのバルーン演出は究極の形である。

が、しかし…

行きつくところまで行ってしまったような感じがする。

今年のオープニング演出に関する情報は今のところ私のもとに入っていないし、そもそも私は欠場したので、わからない。ただ今年は演出の裏側を見せるセミナーもあったようなので、受けたかたは貴重な経験になっただろう(私も受けたかった)。

どうしてこうなったのかだが、

チャレンジ、試行錯誤、挑戦の継続の結果

だと思う。

いずれ私がつくりあげた技術がほかのバルーンデコレーターの方にわたり、その演出がファイナルパーティーで披露されることがあるかもしれない。それはそれでいいと思う。

バルーンの技術はここ数年でものすごい発展を遂げた。

バルーンに携わる一人一人の創造の努力が花開いた結果である。

道なき道を切り開いた結果である。

その一方で、公にこれらの作品が披露される場は少ない。

これは日本独特の芸術である「盆栽」の文化が背後に隠れているからかな、と思う。

確かにCBAの試験内容などを見ていると(=QBNのDVDなどを見ればいい)

均質の作品を正確に作れるか

が大きな視点を占めている。あれは基礎の基礎なので、しっかりマスターすればいい。

しかし、これはバルーン演出の面で顕著なのだが

特にブライダルのバルーンにこれが当てはまっているような気がする。

その結果スパークバルーンの失敗とかが起きたりすると「返還欠場」になって、「金返せ~」となってしまう。100%でないと結婚式場は売らなくなってしまう。

バルーン演出の失敗をなくすことはそれこそ

ボートレースのスタート事故を無くすことと同じぐらいの努力を強いられるもの

どんなに努力しても

どんなに罰則を強化しても

ボートレースでフライングはなくならない

感動させるレースを追求する限り

どうしてもフライングは出てしまう

それと同じで

誰も見たことのないバルーン演出で

感動の瞬間を

いつまでも心に残る記憶を

つくりあげるのが私の仕事であった

「盆栽」を求める日本の社会が

私を乗り越えられない

分厚くて高すぎる壁にぶち当たらせた

このような壁はそれこそ

穴を掘って乗り越える

すなわちトンネルを掘る以外に道はない

トンネルを掘るにはリスクがいる

ガスやウランが出るかもしれない

ガスやウランが出たらそれこそ

克服できない

ただこれだけは言える

バルーンアートが盆栽になった時

その発展は止まる

幸い日本は今そのような状態ではない

残念ながら

韓国では

バルーンアートの「盆栽化」が起きてしまっているような印象を受ける

韓国は唯一

日本を上回る「盆栽」「先鋭化」の国になってしまった

結果自殺する人が日本より多くなってしまった

それぐらいシビアなのである

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