本当にすごいことなのだろうか…
私がやってきたことは、
「ここから風船を飛ばせばみんなが感動するだろうな」
「この空間に風船が舞い降りればいいな」
「こういう形で一瞬の驚きをいつまでも心に残る感動に変えたいな」
ということだけです。
そして
一つ一つの仕事に真剣に取り組む
一生に一度の最高の瞬間を作り出すのが私の仕事でした。
ものすごいプレッシャーは当たり前です。
当然失敗は許されません。
All Or Nothing
すべてを得るか、失うか
毎週毎週私はそのプレッシャーとの戦いでした。
その結果、心身共に疲れ果ててしまい、
加えて母親が倒れてしまいました。
聞いた話では、私のことを心配しすぎて、倒れたそうです。
過ぎたるは及ばざるがごとし、という言葉もありますが、
いずれにせよ母親にまで心配をかけすぎるほどの激しい仕事だったのは間違いありません。
失敗すると代金返還…何かに似ている、と思い、実際それを体感してみて、
「本当に自分がやってきた仕事は激しすぎる仕事だった…それに見合った報酬を得ていたのだろうか」
という疑問にぶち当たってしまいました。
その何かが、実は競艇だったのです。
このような状態で、いい仕事はできません。
大口取引先を切るという苦渋の決断を私は下さざるを得ませんでした。
私は結局「適応障害」になってしまい、無理ができない状態になってしまったのです。
一方では、復帰を望む声が多数…
取引先の中には、私の復帰を待つ、という決断をしたところもあります。
代わりの人材が乏しい、という現実もあります。
それだけ自分がやってきた仕事は
だれにもまねができない
すごい仕事だったのでしょうか…
私の中では
すごい仕事をしてきた、という意識は
正直言ってありませんでした。
ただ風船が好き
風船で一人でも多くの人にし合わせて感動を提供していきたい
その一心で10年以上突っ走ってきました
ものすごい勢いで長年走り続けてきた結果
心に大きなガタが生じ、
無理ができない状態になってしまったのです…
私の風船に対する姿勢を高く評価していただいている方も多数いらっしゃいます。
昨日「うれしさのあまり感激の涙が…」と書きましたが、
私の風船に対する姿勢を高く評価している…ぜひ見習いたい…
だの
私があこがれの存在…
といったメールや電話をこの数日の間に複数いただいたからでした。
正直言います。
私はそれこそ、
ミリオンプランニングの宮崎さんやバルーンスケッチの牛崎さんやバニーズバルーンファクトリーの家泉さん
あるいは
野村昌子さんや細貝里枝さん、
さらには
風船太郎さん
といった方々を尊敬していますし、あこがれています。
私はそういった方々と同列に扱われていいのでしょうか…
という戸惑いの一方で、
もしそうだとすれば、これは
自分は誇れる仕事をしてきた
ということではないか、
これはとても素晴らしいことだ、
と思い、「うれしさのあまり…」という記述になったのです。
もしそうだとしたら
なんとしてでも復帰を目指す必要が出てきます。
心の病と家庭事情を理由に、
一度は引退の方針を固めました。
しかし私にあこがれている、というバルーンデコレーターのひよこたちのみなさんがいるのは紛れもない事実です。
そういう人たちがいつまでも多くの人々の心に残る仕事をしていけるような基盤や土壌を私は作っていきたいです。
そして
私にあこがれていた人たちが
私以上に感動を与えられる仕事をするようになったとき
やっと連綿と連なるトップリーダーたちと私が肩を並べることができるのでしょう。
そのためには、何らかの形で少しでも私が前に進むしかないのです。
私が提案して、スタッフさんが担当した演出です。
ただ風船を膨らませるのではなく、
感動の瞬間を提案できるようなバルーンデコレーターとして
私はこれからも歩み続けたい…