どこへ行く、バルーン業界

こんにちは。

寒い、雨は降る…

↓の記事のバルーンデコレーション、おそらく今年に入ってから日本最大級でしょう。

というより、ここ数年なかった超大規模のバルーンデコレーションです。

それがここ最近停滞気味だった広島で…東京などでもここまでの規模はめったにないはずです。

全国的に見ても1年に一度あるかないかでしょう。

このようなバルーンデコレーションが当たり前のように全国各地で繰り広げられたら、それこそバルーン業界はもっと発展していたに違いありません…何しろ広島でこのようなバルーンデコレーションを見ること自体数年に一度ですから…

一方最近はバルーンギフトとツイスティングバルーンが主流になっています。

ここ数年のバルーンの分野の広がりは目を見張るものがありました。

そしてバルーン人口も大きく増えました。

バルーンの種類もはるかに増えました。

業界全体は大きく広がりました。

他方で、競争も激化…

とある方がおっしゃっていました。

これから必要なのは、

夢とサービスを売るセールスマン…

なるほど…

ニーズをつかんで大きく成長したところもあります。

私がこれからやるべきことは

本当にたくさんの人に

風船の楽しさ、華やかさ、うれしさ、喜びというものを

多くの人に伝えていくこと

だろうと思っています…

そのために、私は10年以上の長きにわたって

バルーンアーティストとしての活動を続けてきました。

さらに私は

スパークバルーンの前身

くす玉バルーンの宅配を全国で初めて行ったという実績があります。

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この写真、実は2000年の最初のころの写真なのです。

すでに2000年の4月には制作・発送した履歴がありました。

最初の宅配くす玉バルーンは湯治当時作品展を開いていて滞在していた大分県由布院から発送しました。

以来数多くのくす玉バルーンを制作しました。

当時婚礼では「割るなんて縁起が悪い」といわれていました。ところがプロが会場に出向いて制作した同様のバルーンが増えるにつれて一般化し、それぞれの業者さんが「スパークバルーン」と呼ぶようにしているのに倣い、私も改称しました。

しかし、全国各地にこのようなバルーンを作って届けるようにしたのは、私が最初なのは間違いないです。

それがどんどん広がり、今ではキャンドルサービスと並ぶ定番になりました。

くす玉バルーンという名前を付けたのも私が最初です。

もともと私は

くす玉のはじける瞬間がとにかく好き

何とも言い難い瞬間がこの上なく好き

でこの世界に入りました。

いろいろな形で表現すべく、様々なことに挑戦しました。

デコレーションをやってみたり、

ツイストバルーンをやってみたり…

当時の「たけしの誰でもピカソ」に出演したこともありました…

もう15年近く昔のことです。

当時の作品の写真を探したのですが、ない…全部消去してしまっていました。

しかし、私が一番やりたかったのは

バルーン演出でした…

1999年1月、某ライブハウスで500個のバルーンドロップを初めて成功させたとき…

そして2004年2月、某ドーム型の結婚式場で約300個のスパークバルーンシャワーを成功させたとき…

何とも言えない最高の気持ちになった思い出があります。

そして私は気がつくと

トップレベルの一人になっていました…

自分のブログ以外でも

たくさんの方のブログに

私の作った作品たちが

掲載されています…

私の手掛けた作品が

いつまでも心の中に残る…

本当にうれしいことこの上ないです…

しかし私はある種の

燃え尽きた感じが

自分の中にあります。

ヘリウムガスの供給は少しずつ回復してはいますが

先行き不透明のままです。

ヘリウムガスの供給が回復すればまだまだやりたいことは残っています。

しかし、ヘリウムガスが今の現状のままでは、できることは本当に限られています。

私は潮時なのかもしれません。

私がこれから本当に風船が好きなものとして

すべきことは…

風船を通してその喜びを伝えていくこと

であることは間違いありません。

私はバルーンアーティストとして道を作ってきました。

今その道はたくさんの後輩たちが通っています

私は近いうちに引退することになるかもしれません。

しかし私が単なる風船好きからバルーンアーティストとして歩み、築き上げた実績は

生涯残ります。

反社会的行為でもしない限り、色あせることはないでしょう。

私に残されたバルーンアーティストとしての仕事、それは

次の世代に伝えること

なのかもしれません。

そして、

風船の楽しさ、華やかさ、うれしさといったものを伝えることは

私の生涯の仕事になることは間違いありません。

それがどのような形になるかは、まだわかりません。

プロとしては引退し、評論家になるかもわかりません。

どのような形で風船の楽しさを伝えていくか…

心理学、色彩論、芸術論…

勉強しなければいけないことはたくさんあります。

正直言って、私は手先が不器用です。

体力も運動神経もコミュニケーション能力も人より劣ります。

それでもここまでやってこれたのです。

ただ風船が好き

それだけでここまでやってきたのです。

好き、という力は

本当に大きなものだ

と思います。

あるバルーンデコレーターさんから

「あなたって、風船が恋人?」

といわれました。

ある意味そうかもしれません。

そうでなければ、当の昔に挫折していたはずです。

バルーン業界の歴史が少し違ったものになっていたかもしれません。

どのような形で伝えていくか…

 

これから模索することにします。

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