風船って…いつも脇役だけど(1)

こんばんは。

今年2月のこの記事…感動の光景を生み出す力とは

2008年まで

2009年

その後の経緯

一昨年、このイベントがリニューアルしたのをテレビのローカルニュースで見て知った私は、今の姿を見るべく、広島県神石高原町、帝釈峡に向かいました。

 

写真では正直わかりづらいです。あたり一面に風船が舞う光景が繰り広げられました。太鼓、爆竹と現地で見ないと体感できない光景が繰り広げられました。

すごい

感動した

という声が数多く聞かれました。

見た限り、私が安全に関して助言し、その結果が反映された形で行われていると思いました。

私が2009年に受けたクレーム…「写真映えしない」

2009年と、2008年までの画像を見比べてみれば分かります。

いかに2008年までの「巨大くす玉」とこいのぼりがすごい迫力だったのかが分かります。

上記リンクにもありますが、2011年以降一時期、くす玉も風船もこのイベントは廃止していました。そしていろいろな地域でよくあるような芸能発表会と著名人のショーのステージに、地域の特産を生かす出店を組み合わせた、どこにでもあるイベントに変化しました。その結果、写真撮影に来る人たちは激減したそうです。

加えて、このイベント、私がバルーンアーティストを目指そうとしたきっかけの一つなのです。

自らの手で感動の瞬間を作り上げたい…

このイベントを最初に見たのは22年前、1996年のことです。正直感動しました。

当時の私は、できて間もないエミリーズバルーンアートビジネススクールに2日間通ったばかりで、風船を仕事にすることなど、考えてもいませんでした。

第1回のJBAN Conventionが開催されたのが1997年1月。今は亡きエミリー杉浦氏が立案し、実施したイベントだったのですが、これに参加してバルーンシャワーを体験した私は、

この感動を多くの人に伝えていきたい

と思い、バルーンアーティストとしての道を歩み始めたのです。

様々な分野のバルーンに取り組みましたが、結果自分が一番やりたかったのがバルーン演出。「くす玉のはじける瞬間」にあこがれ、それを自らの手で創り出したいという思いから、試行錯誤を重ね、結果数多くの感動の瞬間を生み出すことができたのです。

その中でいただいたご縁。安全と自らの思いのはざまで考え出した結果が、2009年の私が手掛けたものでした。

1週間前に急遽お願いされたこともあり、準備不足もありました。その中で安全に最大限配慮してこの演出を作ったのですが、それまでのこいのぼりと巨大くす玉がすごすぎて、結果クレームに…

翌年はロケハンにロケハンを重ねました。可能な限り華やかなものを作り上げたい…一方で安全に配慮する必要がある…私は敢えて悪天候の日にロケハンを実施しました。当日が最高の好天になるとは限らない、と判断したからです。(実際にショッピングモールのオープニングセレモニーのバルーン演出を手掛けようとして、当日激しい風雨に見舞われ、中止となり、ギャラだけいただいたことがあった)

結果、人命にかかわる危険を排除できず、私は断ることを決断(この帝釈峡では過去に遊覧船が転覆し、遠足の小学生と引率の教師が犠牲になった痛ましい出来事もあった)。

ところが、岡山の某イベント業者が敢行。成功したのですが…「危険な思いをした。もうお断りだ」と言ってきたそうです。このイベント会社は私の指摘が的を得ているとも話していたそうです、「どこのバルーン屋さんもこれは断る。私たちはイベント屋だからできたが、もうやりたくない」と。

結果、

くす玉も風船も廃止(2011年、東日本大震災も影響したが、数年間この状態が続いた)→イベント内容衣替え→来場者減少→リニューアル決断(2015年、竜の船を紅白2隻にし、安全な数だけの風船を飛ばすようにした{合計500個})→現在に至る

という経緯をたどりました。

そして、今日目の当たりにしたのが

すごい

感動した

という声。

いかに私が手掛けてきたことがすごいことだったのか、あらためて実感しました。

そして、今もなお感動の瞬間を多く生み出すことができるという事実、一度諦めてもそれを乗り越えて再び感動の瞬間を創り出すことができているという事実…

長くなるので続く

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