くす玉のような存在になりたい…無数の「くす玉バルーン」をはじけさせ、無数の感動を創り出した経験からの想い

私の想いは、この11月から12月に述べてきた次のような思いに尽きるでしょう。以下はこの11月から12月にアップした記事の抜粋です。

2015年11月4日

私自身、
「くす玉のような存在の人になりたい」
という思いが子供のころからありました。
そして、その思いは、今でもかなっています。
一度その思いはついえかけましたが、今は再びかなっています。
かつてのY’s Dream最盛期ほどではありませんが、昨日もその思いをかなえることができました。

その瞬間、その一瞬のために、すべてを注ぐ
その思いがかなった時、とてつもない感動が多くの人を包み込む
その思いを表現できる存在でありたい

私が長年風船で表現したかったのはまさしくこれだったのかもしれません。
だからこそ何千、何万もの「くす玉バルーン」に生命を吹き込めたのかもしれません。
そして「くす玉バルーン」という名前、15年前に私が名づけました。
やがて「スパークバルーン」という名称が一般化しました。

そして、一つ一つの風船に生命を吹き込んで、多くの人にいつまでも心に残る感動を提供できる存在である私の姿そのものが
くす玉のような存在
である私の姿を体現できているのかもしれません。

そして、
くす玉のような存在
に曲がりなりにも一度なった私が次に目指すこと、次にすべきこと…

多くの若い人たちの心に「くす玉」を植え付ける
そしてその「くす玉」を開花させる手助けをする

今、若者、…とりわけニート、ひきこもり、毒親、精神障害、発達障害…に苦しむ若者がたくさんいます。
私も現に発達障害と毒親に苦しんでいますし、そういう人たちの苦しみは痛いほどわかります。
そして若者の多くが夢を見失っています。夢をあきらめて、目標もなく、ただその日暮らしを繰り返す若者が多数います。私もそうなりかけました。だからこそ
夢を持って、目標を持って生きることの大切さを知ってほしいのです。

2015年11月19日

以前、とあるブライダル司会者の方が
スパークバルーンのことを「子宝に恵まれる」と表現してくださっている
のを記事にしていたのを見たことがあります。
10年かあるいはそれ以上前のことでしたので、記憶は定かではありませんが、とても感動し、うれしかった記憶があります。

考えてみれば、母親のおなかの中にいる赤ちゃんが産まれるとき、妊婦さんはものすごい産みの苦しみを味わうといいます。そしてその産みの苦しみの向こうに、とてつもない人生最高の感動があるといいます。

ある意味「くす玉」は妊婦さんに存在が近いのかもしれません。そしてその中に入っている風船や紙ふぶきといったようなものは、自らその力を発揮するためにその中で力を蓄えているのかもしれません。

私はこれまで、数えきれないほどの「くす玉バルーン」を制作してきましたが、
単に「風船を膨らませる」というより、「風船に生命を吹き込む」という姿勢で一つ一つの風船に接してきました。
「スパークバルーン」という名前の方が一般的になりましたが、「くす玉=割れる」という縁起かつぎで売れなかった2000年ごろに比べて、もう完全に浸透し、定着してしまいました。
その「スパークバルーン」の全国宅配を2000年に「くす玉バルーン」として全国で最初に手掛け、一時代を築いたのはほかならぬ私であり、今でもこのことは誇りに思っています。

残念なのは、運送事情が厳しくなったため、大きなサイズ(直径約75センチ)の「スパークバルーン」(2013年ごろまではこれがレギュラーサイズだった)が宅配送料がものすごく高くなって、宅配が困難になったことです。一方でバルーンショップが日本のいたるところにできて、そこに行けば容易にスパークバルーンが手に入る時代になりました。ただ、あまりに定着しすぎたのか、ブライダルでは人気が低迷しているということもあり、市場が小さくなってしまいました…(一時期二次会の需要が多かったが、最近はそれも減少したような印象がする)。
しかし他では相変わらずニーズがあり、特に子供たちはとても喜びます。一回り小さいサイズでお手頃なのが今の宅配スパークバルーンの主流になっているようで、誕生日パーティーといった新たな需要も生まれているようです。ホームパーティーのバルーン演出は今後も伸びが期待できる分野です。

バルーンデリバリーサービス

バルーンデリバリーサービス

こうしてみると、私が産み出してきたのは
いつまでも心に残る感動の瞬間
であったことは間違いないようです。

そして、たくさんの「くす玉バルーン」をはじけさせてきた私がこれからすべきことは
一人でも多くの人たちの心の中に「くす玉」の種を植え付け、その「くす玉」をはじけさせ、大輪の花を咲かせる手助けをしていくこと
だと思います。

2015年12月6日

2012年から2013年ごろにかけて、バルーンアートの活動が存亡の危機にあった状況とは異なり、活動のステージが変わるということに過ぎないので、私のバルーンへの思いも変わりませんし、私が創り上げる作品の世界も基本的には変わりません。むしろ、ここ数か月このブログで述べ続けてきた
子供たちや若者にくす玉の種を植え、大輪の花を咲かせる手助けをしていきたい
という思いがこれからの私の取り組むべき課題になるということです。その活動の一環として私がこれまで長年してきたバルーンの経験を生かしたものになる、ということなのです。
長年くす玉をはじけさせてきた私が、これからは多くの障害に苦しむ子供たちや若者の心の中にくす玉の種を植え、それをはじけさせる手伝いをする
ということなのです。

2015年12月13日

風船の仕事、本当にハードです。華やかな表舞台とは裏腹に、舞台裏は壮絶です。しかし私はそれでも風船が大好きでした。
私の作ったものはどうやら
人を幸せな気持ちにしてくれる
魔法の力があるようです。

昨日にしても、酒を飲みながら、一方で写真を撮りまくりながら、バルーンを膨らませていました。そして最後は
バルーンクラッカー
まで作っちゃいました。

風船には人を幸せにする力があります。
人を幸せにする思いを形にする存在が私なのかもしれません…
そういう私は本当に素晴らしい会社に入らさせていただいたのかもしれません。

くす玉にしてもそうです。
はじける瞬間はほんの一瞬です。
その一瞬がそれを目にした人たちの心の中にいつまでも残るのです。

それは本当に変わりません、私の活動のステージが変わり、Y’s Dreamの名が消滅しても。

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