くす玉のような存在って?

こんにちは。

たびたび出てくる「くす玉のような存在」って、どういうこと?

と思われる方が多い。というか、このような表現、非常にまれな部類で、私以外に使っている人はほとんどいないに違いない。ある意味文学の領域かもしれない。

いくつか集めてみた。

恋とは、頭の中のくす玉が割れることだ。…中谷彰宏「尊敬できる男と、しよう。: 女を上げる43の方法」~

感動する力を表し、小さいことでも感動できるようにしよう、という意味らしい。

大きな花火が打ち上げられた時に、ドーンって音がお腹の底に響くのって快感ですよね?…とある掲示板の書き込みより

おなかに響く快感と花火が花開く瞬間のあまりの美しさに感動した人の意見らしい。

そうしてみると、やはり「感動」と「快感」に通じるものがあるらしい。

私が考え出したバルーン演出が完璧に成功すると、天にも舞い上がるような、あるいは体中に電流が走るような、飛び上がりたくなるほどの快感を覚える。「エクスタシー」といってもいいほどである。

それだけではない。私が風船の話をしていると、周りの人が幸せな気持ちになるほど、すごい笑顔になっているという。先日ラジオに出演する機会があったが、その時の様子がすごい笑顔が素敵だったらしい。

その感動を生み出す力が私にはある。

一方で、花火師もそうだが、風船を膨らませる作業は地道そのもの。単純作業の積み重ねなのである。考えてみてほしい。一つ一つの風船は口で膨らませることをせず、ポンプやインフレーターなどの機械などを使うにしても、手で口を結ぶなどしている。そういう地道な作業を長い時間続けて、ほんのわずかな時間の感動の空間を創り出している。スパークバルーンがはじける瞬間に至ってはほんの一瞬だ。そのほんのわずかな時のために、地道な作業をしているのである。

「感動を生み出し、接する人を幸せな気持ちにする人」

これが「くす玉のような存在」なのである。

その「くす玉」を華開かせる種を私はこれから多くの人に植え付けていきたいのである。そのためには自らが「くす玉のような存在」であり続ける必要がある。あるいは数多くの感動の瞬間を生み出した実績が必要である。

中でも、発達障がいに苦しむ人たちはそのような「感動する機会」そのものが少ないような印象がする。

そういう人たちが、バルーンの制作に加わることを通して、感動を共有し、自信を身に着けさせ、社会人として就労し、自立した生活を送ることができるように、私は今取り組んでいるのである。そのために制作したのが

くまさんのげんきだま

という小冊子なのである。

くまさんのげんきだま表紙

くまさんのげんきだま表紙

くまさんのげんきだまの一部

くまさんのげんきだまの一部

この「くまさんのげんきだま」については、現在希望者に無料で頒布しています。ご希望の方はこのホームページの「お問い合わせ」からメールでご連絡いただければ送料無料でお送りいたします。

この本にもあるが、「くす玉」こそ「くまさん」すなわち私にとっての「げんきだま」すなわち「目指すべきところ」なのである。

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