こんにちは。
ある統計によれば、日本においては夢をあきらめる年齢が23歳とも24歳ともいわれている。その理由が「才能の限界を感じた」というもの、あるいは金銭的理由だという。
逆に、私は実をいうと、夢を持って生きたことが26歳までなかった。
高校生時代の「東京の大学に進学する」ぐらいであった。それとて大学に入ってから次に何を目指すか考えるつもりでいた。
1997年、バルーンアートの素晴らしさを知って、初めて夢を抱いた。
Y’s Dreamを立ち上げようとした1997年から2013年の休業に至るまで、一貫していた思い…
Balloons Make Everyone Happy!
これだけであった。
私が生命を吹き込んだ風船で一人でも多くの人に幸せと感動をもたらす…
唯一抱いた夢で、かつ唯一かなった夢である。
そして私は引退を決断し、徹底した自己否定を通してバルーンアーティストであった自分を捨て去り、真っ新な自分に生まれ変わろうとした。ところがそれはできなかった。
バルーンアーティストとして夢をかなえた経験を持つ自分ができることは何か…
風船で夢を持つことの大切さを次の世代に伝えることであった。
一度引退して、「焼きが回った」状態で、それでもこれだけの作品をつくることができるとは、それ自体すごいことなのかもしれない。
そして、今年はこのような小冊子を制作した。
発達障害に苦しむ親子のために、私が風船を通して自立する過程を一冊にまとめた小冊子、
くまさんのげんきだま
である。
これはもともと今勤務している会社の利用者の親子向けに制作したのだが、九州のとある放課後等児童デイサービスの運営者の方から「ぜひ活用したい」という声が出て、すでにお届けした。
夢を曲がりなりにも一度叶えたからこそできたことであった。
なぜなら、この小冊子、ほとんどが私の作品のコラージュで構成されていて、それを今勤務している会社の同僚の方が絵本仕立てにアレンジしてくださったものだからである。そもそも、この小冊子自体、この「ふうせんでつたえたいこと」のダイジェスト版で、しかも小学校低学年の子供さん及びその親が理解できるように噛み砕いている。もちろんそれ以上の年齢の子供さんにも対応している。
さらに、今年、私は表現者としての自分にある程度の区切りをつけることにした。一度引退して、復帰したらその間にバルーンの在り方が大きく変わり、今の自分にやれることは限りがあると考えたからである。
現状、バルーンの主流はギフトとツイスティング、パフォーマンス。エンターテイナーが求められている。
私のようにコミュニケーション能力に生まれつきの問題があり、加えて翳を抱えていて、さらに手先が不器用。バルーンアーティストは本来不適なのである。それを「好き」という想いだけで乗り越えようとして、限界まで挑んだのが私。
来年やってみたいのは、児童デイサービスを利用される子供さんに自由に夢を描いてもらい、それを風船で形にすること。今の自分の技術には限界がある。それでも可能な限り挑んでみたい。幸い私にはバルーンドレスを曲がりなりにも作れるだけの技量はある。リンコルーンも扱える。
同時に、同じ障害に苦しむ人たちで作品を作るという構想もある。
いずれにせよはっきりしているのは、自分が主役にならないこと。
一方で、私が制作したバルーンドレスを着て、私が装飾したステージに立ち、私が演出したバルーンシャワーが舞う中歌って踊りたいという人が最近になって現れた。私に夢を託してきたのである。そういう人が現れること自体夢をかなえたからこそであり、私にとって新たな夢になった。来年、絶対にその夢をかなえてあげたいし、同時に私の夢がかなうことになる。
夢をかなえようとする姿ほど美しいものはないし、その姿、その生きざまそのものが多くの人に感動を与える。私はすでに一度そうなった。それが「くす玉のような姿」だった。そこから私は多くの人の心にくす玉の種を植え、それを花開かせる手助けをしていく存在になる…それが私の夢なのである。