もし私が風船と出会わなかったら・・・

おはようございます。

今日も暑くなりそうです。

さて、とある方のブログにすごくいいことが書いてありました。

私も忘れかけていた初心を思い出しました。

私は本当に風船が好きだったから

今の仕事をしているのですが…

実を言いますと、

バルーンアートの存在を知るまで、

私は

ギャンブルに溺れていたことがあるのです…

競馬

競輪

競艇

そしてパチンコ

競馬・競艇・競輪は少しの金で抑えようとすれば抑えることができる。

しかしパチンコは…

一体何と言ったらいいのだろうか…

運をマシンにゆだねるという、今にしてみればこれほどあほらしい遊びはなかった…

今でもたまにパチンコをするが、あくまでも「1円パチンコ」ばかりであり、ギャンブルではなく単なるストレス解消と暇つぶしの手段である。

さらに言わせていただければ、

パチンコが原因で

以前付き合っていた彼女が嫌気がさして別れたという過去も…

私にはあるのです。

まさにパチンコ地獄にはまりかけ、会社の中では「ダメ社員」のレッテルをはられかけていた頃…

私はバルーンアートに出合ったのです。

「全国各地でバルーンアートの学校を開校しているところがあるらしい」

という情報が入り、そこへ駈け込んで基礎だけしっかり学びました。

このスクールが今日まで続くエミリーズバルーンアートビジネススクールだったのです。

14年前のことでした。

当時は「いつか役に立つことがあるかも…」としか思っていなかったのですが…

1997年1月の第1回のJBAN Conventionに参加して

私は目覚めました…

風船が大好きな一人として、社会に役立つことはないか…


まさにこれが今日まで続くY’s Dreamの源流となったのです…

続きはいずれ…

ただ、もし風船と私が出会っていなかったら、

今頃私は

ダメ社員のまま、ギャンブルに溺れ続け、廃人になっていた

会社に愛想をつかれ、ホームレスになっていた(もっとひどければ自殺していたかも)

という悲惨な人生か

当時加わっていた労働組合活動と予想されていた交通機関の規制緩和問題に関する疑問に対するため、労働組合の上部組織に入り、政治活動に足を突っ込んで、労組がらみで民主党に入党し、国政選挙に関係していた

かのいずれかだったでしょう。

私は勤めていたバス会社を退職する1年ほど前、労働組合の総会で「会社・組合・公共交通全般、これでいいのか?」という内容の熱弁を30分近くにわたってふるったことがあります。この時点では退職の意向が明らかになっていなかったこともあり、いろいろな憶測を会社内で呼びましたが、内心この時点で私は「プロのバルーンアーティストとしていずれはやっていくことになる」という気持ちでいました。いずれにせよ勤めていたバス会社に対して疑問を抱いていたのは事実でした。


かりに私が入社していたバス会社が岡山の両備バスとかだったら、私はプロのバルーンアーティストになることはなく、あくまでも風船は趣味としてやっていくという選択をしていたでしょう。いい会社というのはどんなダメ社員でもよいところを見つけて伸ばしていくシステムがあるのです。私がいたバス会社には残念ながらそのような視点が欠けていました。

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