こんばんは。
昨日行われた豊平南小学校の閉校式のバルーンリリースの様子です。
2013年3月、豊平南小学校が長い歴史に幕を下ろしました。その閉校式でのバルーンリリースの様子をご覧ください。230個用意された風船の中には、2011年3月の東日本大震災で被災した仙台市若林区の沖野東小学校の皆さんが復興を願って栽培したひまわりの種と豊平南小学校の児童・卒業生一人一人のメッセージを入れています。
沖野東小学校にはY’s Dreamが東日本大震災復興祈念企画として行った数量限定無料バルーンプレゼントの風船を提供し、その風船を使って翌2012年7月に栽培したひまわりの種をつけてバルーンリリースを行いました。その際のひまわりの種がY’s Dreamにも送付され、このたび使用させていただきました。
230個の風船をあっという間に用意いたしました。
花の種を仕込んでいる様子です。
この花の種は、先ほども述べたとおり、2011年3月に襲った東日本大震災からの復興を願って行った無料バルーンプレゼントキャンペーンで提供した先の小学校さんから送られてきたひまわりの種を使用させていただきました。
実は、以前「どうしてもやらなければならない仕事のために、ヘリウムガスをブロックしている」というようなことを述べましたが、これだったのです。
Y’s Dreamは2002年3月から2011年11月まで10年近くにわたって、北広島町大朝に拠点を構えていました。
地域とともに歩み、地域とともに生きてきたのです。
旧大朝町だったころは、村づくりにも協力し、若者が楽しく暮らせる里山づくりに協力させていただいたこともあります。
行政改革の波は大朝を飲み込み、北広島町全体を飲み込み、故郷は変化してしまいました。
そして私は心身の状態を悪化させ、他方ヘリウムガスの供給は一時払底するなど深刻な状態となり、さらにブライダルもイベントもその在り方が変化するという、極めて厳しい事態が今起きています。
Y’s Dreamも、その在り方を真剣に考えた結果、縮小やむなし、という方向に向かっています。
やめるのではなく、縮小均衡を目指す方針です。
今日はもう一つ動画をアップします。
あのころは無限大の可能性がバルーンにありました…
今、バルーンの方向性は大きく変わりつつあります。
私も変化についていくべく努力したのですが、限界に差し掛かりつつあるのを痛感しています。
この作品たちを制作したのは30歳前後…今はもう40代です。
この動画の最後の動画が、その後のY’s Dreamを決定づけました。
この動画を見た広島市内の某結婚式場が飛びつき導入決定、その後8年にわたって名物演出となり、1150組もの新郎新婦の門出を演出するまでになったのです。