一時代を築く、ということ

こんばんは。

あと2日。

このブログの更新もあとわずかです。

今回はこの写真をアップします。

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とあるところで行われた1998年のバルーンショーです。

今ではほとんどのバルーンショー、クライマックスにはスパークバルーンが定番になっています。

当時スパークバルーンは「くす玉バルーン」と呼んでいました。

というより私がそう名付けたのです。

当時私は石見交通という島根県西部にある小さなバス会社に勤務していました。ところがあの

たけしの誰でもピカソ

に出演して以降、いろいろなところに呼ばれるようになりました。

それまでは有給休暇をあまり使わない方でしたが、一転一番消化する社員になってしまいました…

もちろんバルーンアーティストとして呼ばれないときは、通常勤務をこなしていました。

路上故障時の対応もしましたし、元日の当番もしたことがあります。路線バスを走らせている以上、元日も動きがあります。

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こちらは2000年1月ごろの「くす玉バルーン」の写真。

この時点で全国発送をしていました。

確かこの写真はご利用いただいたお客様から送られてきたものでした。

そしてひたすら風船を膨らませて10年以上の月日が流れました…

気が付けばバルーン業界は大きく変化していました。

私がバルーンアートの世界に足を踏み入れた当時、業界は今とは比べ物にならないほど閉鎖的でした。

それが今では、趣味でバルーンアートを手軽に楽しめるようになり、バルーンギフトは定着しました。

日本に数えるほどしかなかったバルーンショップはいたるところにでき、ほとんどの都市でバルーンが手軽に手に入るようになりました。

さらにインターネットでもバルーンショップは

乱立

状態になり、逆に店の個性を出していかないと淘汰されるほどになりました。

2003年ごろでしたか、とある方が

道なき道を切り開いてまだ10年もたっていません

とおっしゃっていました。この方も一時代を築き、今では人材育成に力を入れられている方です。

それから10年近くがたち、今ではひとつの文化に発展しました。

バルーン業界はもはや

多様化と成熟

の時を迎えつつあります。

多様化と成熟に至っていたからこそ、ヘリウムガス払底という事態にも大幅な需要低下、市場縮小の影響を最小限に食い止めることができたのかもしれません。

その一方でバルーン業界は姿を変えつつあります…

このブログでは何度も述べてきましたが

ギフト部門はフラワーアレンジやラッピングとの融合が進み

バルーンパフォーマンスは芸人の世界として一分野を確立し

バルーンドレスなるものも見られるようになりました。

一方パーティー、さらにはブライダルはは大掛かりで派手なものから

家族や友達、さらには恋人との絆を確かめ合う場に変化しました。

その中でバルーンの立ち位置も大きく変化しました。

時代は大きく動いています。

バルーンの在り方も大きく変わりました。

当然バルーンに携わる人たちに求められるものも変わります。

時代を作り上げるという気概を持つことから

日常の些細な感動を分け与えられる人たち

そして人と人の絆を大切にできる人たちに

主役が変わりつつあります。
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実は、今月12月に入って久しぶりに風船を膨らませて作品を作りました。実に3か月ぶりです。この写真はその作品です。

上はとあるオフィスでのクリスマスパーティー、下はとあるところに私個人から送ったバルーンギフトです。

私は今後、プロとしてではなく、アマチュアの立場で風船を膨らませることになるはずです。

この記事の最初の写真のころに戻ることになります。

もう私が目指していたものは、時代が必要としなくなりました。

時代の変化に合わせてバルーンの世界も変化し続けるでしょう。

一つの時代を築き上げたからこそ、私に悔いはないのです。

まさに一つの道ができて、町ができ、町が成長し、そして次の世代へ引き継がれるがごとく…

私はひっそりと役目を終えます。

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