自分をプロデュースするということ

こんにちは。

先日、昭和雑貨を集めたというカフェを訪れる機会がありました。

昭和といっても高度経済成長期からオイルショックのころにかけて、さらに80年代前半までのものが多く、バブル時代の少し前ですから、私にとっては懐かしいものがたくさんありました。

このカフェで「くす玉」が話題になりました…そうです、「くす玉」は昭和40年代後半から平成初期にかけて、カラーテレビ映りがいいこともあって、華やかな演出の代表格だったのです。

仮に今この番組があったらどのような効果になってたのだろうか…

以下はWikipediaより転載です。
10問正解してゴンドラが頂点に上がるとファンファーレが鳴り、解答者席上(天井)に吊るされていたくす玉が割られて、大量の紙吹雪と風船(色は赤・橙・黄・緑・青の5個)が降り、日航で行く「夢のハワイ旅行」と賞金10万円獲得となる。なお降ってきた風船は出場者あるいは観客の子供たちがもらうことができた。
全ての解答者席上にくす玉が設置された1973年12月以降のくす玉割りは、同じロート製薬提供でTBSの『クイズダービー』同様、スタッフの機械操作で行われていた。
紙テープは入っていないが、新井たかし著の「クイズで儲けろ」に宝田明が10問正解・ハワイ旅行達成の瞬間で紙吹雪を浴びる場面の写真には紙テープが入っていた。
クイズ番組で最初にくす玉・紙吹雪・風船・紙テープの演出を始めたのがこの番組である。ちなみにテレビ番組全体はNHK紅白歌合戦がさきがけである。
(中略)
紙吹雪が降った後、10段目に上がったゴンドラに飛行機のタラップに相当する階段を寄せ、当初は日航の客室乗務員が解答者にフラワーレイをかけて、エスコートした。その際、その階段を客室乗務員が上がり、ゴンドラの扉を開けて、10問正解者を出迎え、専用席でシルエットゲストから副賞の賞金10万円の目録が手渡された(但し、前半(シルエットゲストがいない時)で10問正解を達成した場合は小池が手渡す)。ゴンドラが色分けされてからは、テニスウェアを着たアシスタントがレイを掛けにいくようになり、専用席で日航の客室乗務員が目録と航空バッグを渡す形になった。
(中略)
10問正解・ハワイ旅行獲得時に割られるくす玉は当初1つだけで、10問正解しそうな解答者のゴンドラ上に来るよう後ろでスタッフが操っていた。しかし、収録中スタッフが誤ってセット上にぶつけて割り、紙吹雪と風船を降らせてしまったため、収録が一時中止となったことがあったことから、その後は2つ設置された。しかしながら、1973年11月25日放送の「ヤングレディ特集」の大会で初めて10問正解者が3人も出たために、3人目にはくす玉が用意されなかったというハプニングがあった。これを機会にすべてのゴンドラ上に設置されるようになった。
小池時代に放送中、問題を読んでいる時に何かの拍子で誤って全てのくす玉が割れてしまい、紙吹雪と風船を降らせるハプニングもあって、小池がお詫びをしたこともあった。くす玉を割るための機械にトラブルが発生して、くす玉を割るボタンを押していないにもかかわらず、機械が割れるという信号を出して割れてしまったことが原因と思われる。くす玉を割るための機械があること自体が余り知られていないものであるが、『クイズダービー』でも使われていた(『クイズダービー』も参照)。
紙吹雪が大量のため、10問正解・ハワイ旅行達成者の両隣の解答者が浴びることも少なくなかった。このため頭や肩等に紙吹雪が付着したままの状態でクイズに参加していた。
風船が隣の解答者に落ちたり、ステージ上に落ちたりすることもあった。
1978年8月27日放送の「15周年記念全国大会・中部甲信越地区大会」でも、下に記した通り隣の解答者に落ちた風船が割れるハプニングがあった。
⑤の解答者(女性)がラッキークイズで10問正解を達成(結局2人目の10問正解達成者が出ず、決勝進出も決定)、くす玉が割られた。その後、前半に2問誤答でお出となった④の解答者(男性)が復帰。風船が引っ掛かっていたのを知らずに解答して正解、風船が割れる音に驚いた。そこで小池が「⑤の方の風船が割れました、ごめんなさい」と謝罪した。
右端の⑥の解答者(男性)のゴンドラにも風船が降り、1回目の誤答時までそのまま置かれていたことと、10問正解・ハワイ旅行を獲得していないのに大量の紙吹雪を浴びたこと。風船は1回目の誤答後にアシスタントが除けたが、紙吹雪は終盤に2問誤答でお出となる際に慌てて払い落とした。この理由は本来ならば⑤の解答者のくす玉が割れ紙吹雪と風船を大量に浴びなければならないのに、右隣にいる⑥の解答者のくす玉を誤って割ってしまったのである。
10問正解を達成したにもかかわらず、くす玉が割られず、紙吹雪と風船が降らなかったこともあった、逆に10問正解を達成していないにもかかわらず、くす玉が割れ、紙吹雪と風船が降ったこともあった。
なお、紙吹雪は小池時代の頃、細かく刻んでいた。そのため、小池は「あとで払い落として下さいね」と言っていた。
(引用ここまで)

結構いろいろあったようですね…

1980年ごろといえば、先日記事にした「パネルクイズアタック25」やこの「アップダウンクイズ」のほかにも、「世界一周双六ゲーム」や「三枝の国盗りゲーム」や「クイズタイムショック」など、視聴者参加のクイズ番組が花盛りの時代でした…パネルクイズ25は今も続いていますが、それ以外は1986年春を境に無くなりました…。このころの最高峰が「アメリカ横断ウルトラクイズ」。私も出ようか、と考えましたが、東京ドームが遠かったのでやめました…

よく考えたら、「タイムショック」と「ウルトラクイズ」以外は大阪で収録されていたのですね…

2011年5月の旧「ふうせんやさんのひとりごと」から持ってきました。ちなみにここで論じられていたのは、「アップダウンクイズ」のことです。

その続きがこの記事でした。

そこから引用

くす玉が

キャノン砲

バルーンドロップ

スパークバルーン

に進化したのは今の状況を見ればわかるでしょう。

(中略)

こうしてみると、

くす玉の演出は古くて新しい

ということなのかも…

いずれ近いうちに、

どうしてくす玉がはじける瞬間は感動を呼ぶのか

ということを述べなくては…

引用ここまで

とあるが、最近になって、どうもその答えが見えてきたような気がします。

先ほどの記事を書いたのが2011年5月ごろのこと。このころ、私はまだ突っ走っていたころでした。東日本大震災が起きて、社会の流れが少しずつ変わり始めていたのですが、その変化に気が付かず、少しずつY’s Dreamが傾き始めたころでした。

その後、鬱発症→発達障害と毒親の問題に直面・ヘリウムガス払底(ほぼ同時期)→引退…という経過をたどり、風船から離れた時期がありました。ところが、あるきっかけで復帰することになり、今に至ります。

復帰後はこれまでとは異なった展開をしていますが、今までと同じことをしても失敗を繰り返すだけだと考え、違う側面から風船にアプローチしています。

その中で、この「ふうせんでつたえたいこと」や「バルーングラフィック」を制作し、これを障がいのある人たちに自信を身に着けさせるために生かそうと企画して制作したのが「くまさんのげんきだま」です。これを制作したことによって、自分の目指すべきところがはっきりしたのは事実です。

すでに多くの方がこの「くまさんのげんきだま」を手にし、読まれているようです。先日は特別支援学校の研修会の教材にまでなりました。

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私が常日頃言っている

くす玉のような存在

「くまさんのげんきだま」

「バルーングラフィック」

「ふうせんでつたえたいこと」

全てに通じるものがあるのですが、これを私はすべて自分で作り出しました。その過程で、まさに私はその存在に近づくことができたのです。

これらを見るだけで、

元気が出た

生きる力になった

という声をたくさんいただきました。そういう声を聞くと、私の心の中で、また一つくす玉がはじけるのです。

先日も

「げんきだま」はすなわち「くす玉」のこと

というようなことを述べましたし、

くす玉を見つけ出すのもはじけさせるのも自分、周りにいる人たちはその手助けをする役目がある

というようなことも述べました。

もう一つ言わせていただくと、

パンパカパーンとファンファーレを鳴らしてあげるのも周りの人の役目だと思います。

先日、私はこのような動画を制作しました。

この動画、前半のスパークバルーンがはじける瞬間にファンファーレを合わせました。一方後半のそれは、オーディオをそのままにして、会場の歓声をそのまま臨場感がある形で伝えています。

この動画も私が自分で制作しました。もちろんすべて、私が手掛けた感動の瞬間や作品で構成されています。

何を隠そう、この動画、私の風船に対する想いをそのまま形にしたものなのです。

この動画を見て、皆さんに元気と希望と夢を持ってほしいというのが私の願いなのです。

一連の小冊子、「バルーングラフィック」作品、そしてこのショートムービー、すべて

自己表現の一種

であり、セルフプロデュースにつながっているのです。その中心にあるのが

くす玉のような存在

というキーワードなのです。

私が生命を吹き込んだ風船たち、そして、私の生き様が、多くの人の心に残り、夢と感動と元気を分け与えることができる存在…それが「くす玉」であり、私はそうなりたいのです。

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