こんばんは
動画集をバージョンアップし、差し替えました。
ぜひご覧ください。
「風船・バルーン」カテゴリーアーカイブ
10月13日、日曜日、大安
こんばんは。
今日は見出しの通り、三連休の中日、しかも大安。
こうなると結婚式ラッシュになるのは言うまでもありません。
しかし結婚式で風船の使用率は下がる一方…バルーン電報などは需要が伸びる一方ですが。
かくいう私は…
多数の問い合わせを断る羽目に。
しかし、今の自分の現状を考えると
やむを得ない…
というか、もう引退した身。
やる気は皆無です。
というわけで、今日は傍観者として、バルーン演出を見ました…が
傍観者のはずの私がドキドキしていました…
と同時に、
私がやっていたことはいかにすごいことだったのか
痛感しました…
数十メートル先から私はバルーン演出を見ていたのですが
会場から聞こえる歓声がすごかった…
演出を手掛ける当事者としてみては、ものすごい緊張感なのは間違いありません。
そして成功したときの歓声と言ったら…
どれだけすごいことを私はしていたのか
客観的に見て
改めて痛感させられました…
正直言います
私はこれまで自分のしてきた仕事がすごいことだとは
全く思っていませんでした
むしろ成功させて当たり前
少しでも失敗したら悔しい…
だから
返還欠場
という、客観的に見れば厳しい基準を自分に課してしまっていたのかもしれません。
そして私は
どこにもない感動を自らの手で作り上げること
を目指していました
自らの目指していたところは
かなり高いところにあったのかもしれない
ということを客観的に見て痛感しました。
風船から離れて1か月余り。
風船の世界の中にどっぷりつかっていると、
自分のやってきていること以上にもっと上ばかり目が向いて
ゴールのない競争を続けていたような気がしないでもありません
離れてみてようやく
自分のやってきたことのすごさを
痛感しているのです
その一方でほかの日に仕事がない…
つまるところ、市場が小さくなっているのです。
引退はやむを得なかったといわざるを得ない…かも
今日一日を通して実感したのは
悔しいし申し訳ない、でも仕方がない
そしてこれまでやってきたことと引退を決断したことに
悔いはない
ということ
ピーク時にあった実話
こんにちは。
季節の変わり目で、風邪をひきそうです…
さて、今日は過去数年前の10月(11月?)のとある大安の土曜日にあった、今となっては
信じられない
ような実話です…
この週はインターネットでバルーンサービスやスパークバルーンを宅配しており、全国で合わせると1日で12組もの新郎新婦様の門出を彩った記憶があります…その週末は2日で18組(14組現場、4組宅配)手がけ、アルバイトに任せた1組を除いてすべて1人で全部やった記憶があります…
私の記憶が定かならば、このようなスケジュールだったような…
午前2時…起床
洗面を簡単に済ませ、2時10分に約70キロ離れたとあるホテルへ。
3時10分に到着。
バルーンリリース100個とスパークバルーン(直径約75センチに40個入り)1個。
4時30分に完成し、ホテルの倉庫に納品。
5時30分に帰宅。
すぐにバルーンリリース100個を膨らませる。
2回に分けて20キロ離れたガーデンウェディング式場に持っていく。
7時45分に帰宅。
すぐに荷物を入れ替えて今度は50キロ離れたハウスウェディング式場へ。
8時35分到着。
バルーンリリース80個。(10時挙式、9時20分に完成)
卓上バルーンサービス14個。(中に小さなハート6個入り)
9時50分納品完了。
25分かけて別の結婚式場へ。
10時30分(使用時間14時)、11時30分、12時30分、14時、あと夜に1組ありました。終わったのは夜21時でした。
合計5組もスパークバルーンシャワーを手掛けました。
これを5組です。
この間にアルバイトに任せたバルーンリリース90個1組が先ほどのハウスウェディング会場で16:時30分にありました。その様子も見に行った記憶があります。
私1人で合計9組、アルバイトに任せた1組も合わせると合計10組手がけたことになります。
1日で使った風船の数、約1150個(うちバイト90個)…その週は合計で約2000個もの風船を膨らませた、ということになります。
帰宅は夜10時ぐらいになり、しかもこの日は大安の土曜日でした…10月だったか11月だったか覚えていませんが、このようなピークが年に少なくとも最低1回はありました…
ちなみにこの翌日の日曜日は4組、ハウスウェディングでのバルーンリリースが2組と、結婚式場のスパークバルーンシャワーが2組、普段のペースでした。もちろん1人でこなしました。
次の月曜日は疲れ果てて、温泉でのんびり休みました…
バイトにもっと任せるべき、という意見もあるでしょう。
しかし私は人件費を削減しなければならないという、経営者の役目もあるのです…
しかもこの日に1日5件あった結婚式場での演出、できる人は限られており、確かその日はもう1人できる方が他の現場に入っていた記憶が…(つまるところ広島周辺でこの演出ができるのは私とその方しかいなかった)
このような日々が何年も続くと…人間、いつかは自分のキャパシティをオーバーし、壊れてしまいます…
この日とは別に、このようなこともありました…
しかしでどうしてこのような無茶ができたのか…
若かったのと(当時30代中盤)、
やはりそれだけ風船が好きだったからでしょう…
今となっては懐かしい…
くどいようですが…私を越えてほしい
おはようございます。
雨が降り続いています。
撮影位置はほとんど変わりません。
どこかは推理していただければ、と思います。
九州のどこか、とだけ書いておきます。
私は絶景を見て、感性を養ってきました。
九州に限らず西日本についてはありとあらゆるところの絶景を見てきました。
私が追いかけて、追い求めてきたもの
それはいつまでも心に残る感動の瞬間でした…
ヘリウムガスが不足し、思うように自分の思い描いた最高の瞬間がつくりあげられないという状況になり、風船、バルーンの位置づけは大きく変わりました。
今バルーン業界は
ツイストバルーン
ギフト・アレンジメント(フラワーアレンジに限りなく近づき、融合の方向に向かっている)
夜の街のデコレーション
ホームパーティー
といった分野が主流になっており、この分野での需要は引き続き伸びています。
完全に衰退の方向に向かっているのが
イベント
ブライダル
です。
この分野は小さくなるパイを奪い合う状態になっていて、競争は激化する一方です。
体力勝負の消耗戦になりつつあります。
このような状況では
自分のやりたいことはもはやできない
と判断、両親の病状もあって引退を決断したのです。
自ら作り上げる瞬間が
いつまでもたくさんの人の心の中に残る…
そういう作品を本当は
いつまでも作り続けたかったのです
しかし時代がそれを許しませんでした。
このブログについては当面廃止せず、引き続き時々書き込む、という形にしていきたい、と思います。
この秋のブライダルシーズン、どのように推移するか注目しています。
私の創りあげたものを越えたものが出るかもしれませんし、私はそれを期待しています。
もし仮に年内に私の創りあげたものを超える演出が出なかったとしたら、私の引退の決断は間違っていなかった、ということになります。なぜならそれは
ニーズがない
ということだからです。
ホームページもそのままにしておきます。
作品集はどなたでもダウンロードできるようにしておきます。
なぜなら
私が創ってきたものを越えてほしい
からです。
もちろん私の作品をまねしても大いに結構です。
私は16年間一貫して
類似作品の制作を認めてきました
バルーン業界の発展のためには
どんどん真似していただきたいし
私が創ってきたものを越えてほしいのです。
最後は自分らしく
恥ずかしい…でも今だからアップする
こんにちは。
明日、明後日、そして日曜日の朝(昼前)まで雨のようです…
日曜日は昼から午後なので、そこは大丈夫なような感じがしますが…高知と九州中部が悪い予報。
今日はここ数日の猛暑でついに夏バテしてしまいました…
さて、今だからアップできる動画
YAPPONさんの動画を拝借いたしました。
これ、司会者さんは「大成功間違いなし」とおっしゃっておりますが…実は
失敗
です…
そもそも成功していたら、オフィシャル動画集レコード入りです。
失敗すると…
とにかくすぐに謝る
そしてペナルティーが科される
ギャラ減額は当たり前
場合によってはギャラ没収になることも…(これを「返還欠場」という)
しかしもうこのように失敗しても目の前が真っ暗になるような仕事は…
もうしなくていい
その代り…
成功したときの
全身に稲妻が走るほどの爽快感
を味わうことももうないが…
風船の数年後
おはようございます。
バルーン業界の将来、三年後、五年後、十年後…いったいどうなっているのだろうか。
未来のことなど本当にわからない。
ただ、歴史を振り返ってみれば何か見えてくるものがあるに違いない。
1983年、東京ディズニーランドオープン。
1984年、当時日本で最大のバルーンリリースが行われた。30万個以上だったという。とあるラーメンの宣伝で行われたという。
1986年、東京南麻布、仙台坂下に日本初のバルーンショップ「タキシードベア」がオープン。この店は西麻布に拡張移転し現存する。
1988年、東京ディズニーランド5周年で大規模なバルーンリリース
このころはバブル経済絶頂期、とにかく式典といえば大規模なバルーンリリースが当たり前の時代だった。
1991年ごろ、「ウミガメショック」発生。バルーンリリースが急速に減る。
1994年、大阪梅田に西日本初のバルーンショップ「ウィンズバルーン」オープン。現在はバルーンスクールを主体に活動している。
1994年、広島アジア大会でエコ風船の大量リリース。
1995年、エミリーズバルーンアートビジネススクール始まる。
1996年4月、私もそのエミリーズバルーンアートビジネススクールに参加。
1997年1月、JBAN Conventionの第1回開催。(私も参加)
1997年?月、テレビチャンピョンでバルーンアート選手権開催
このころは日本における本格的バルーンビジネスの勃興期だったに違いない。
このころから今日も活躍する世界的なバルーンアーティストが出てくるようになる。
2000年ごろになると、日本におけるバルーンアートは成長期に入る。
2004年のウェディングメインテーブル
2004年のイベント会場デコレーション
このころ、私は演出も装飾も幅広く手掛けていた。
大口取引先も増え、たくさんの仕事をいただき、数多くの風船を膨らませていた。
これらの作品はその一例である。
ツイスターズという、ひねる風船を専門にした大会の第1回が行われたのは2004年。
このころから趣味で風船をひねる方が増え、バルーンアートが趣味として一般化するようになる。
2005年、仕事が増えすぎ、私は一時うつ状態になった。
悩んだ末、バルーン演出に経営資源を集中させる方策に出た。
これで私は回復した。
2006年1月
2007年1月
2008年10月
私はとにかくたくさんの風船に生命を吹き込んだ
いつまでも心に残る最高の瞬間を数多くつくりあげた
このころからバルーンドレスが流行り始める
ツイスターズは2007年新潟、2008年には地元広島で開催された。
バルーンアートはもはや一般の趣味として定着し、バルーンビジネスは成熟期を迎えた。
この時期はバルーン業界全体にとっても私にとっても、花よ蝶よの時代だったのかもしれない。
その流れが2011年3月11日を境に変化を始める。
東日本大震災
まず変化が起きたのがブライダル業界。
派手な演出が減る傾向に。絆を重んじたアットホームな結婚式が増えていった。
そして徐々にヘリウムガスの需給がタイトになり、2012年11月には払底を起こしてしまう…
ヘリウムガスの需給は一時期の払底を脱したが、まだまだ不足している。
東京ディズニーリゾートでも2012年11月20日を最後にバルーンの販売が行われていない。
明らかに減ったのが結婚式でのバルーンリリース。
一方では今年に入り、100円ショップでヘリウムガス入りバルーンが販売されている。
私は何度も言っているように、
ただ風船を膨らませるだけの人はもはやいらない
厳しい時代がやってきた、と痛感している。
かくいう私は長年の無理がたたり、鬱を発症。その後一時は復帰したものの、諸情勢がどんどん悪化、とても続けられない、と判断し、引退を決断した。
この流れを通して、私は予想するのは、次の通り。
バルーンのすそ野はどんどん広がる。趣味としてバルーンをする人が老若男女増える
私がやってきたこと
おはようございます。
先日、最後の出張に行ってきました。
あとは地元広島での仕事だけです…あと宅配も。
正直言います。
私は本当にこの仕事を心から愛していました。
自分の好きなことをして、人を幸せにできる…
そして自分もお客様もハッピーになる…
私がしてきたことは
ただ風船を膨らませることではなく
風船に生命を吹き込むことでした。
そしていつまでも、時によっては生涯心に残る感動をもたらすのです。
そのために私はひたすら挑戦を続けました。
一体いくつの風船に私は生命を吹き込んできたのでしょうか…
それだけではありません。
全く道のないところに道を作るようなことをしてきたのです。
道なきところに道を作って、気が付けばそこにはたくさんの後輩たちが歩んでいました。
私は大したことをしたつもりは全くありません。
気が付けばそこに大きなものがあったのでした。
その私は、もう限界を悟りました。
バルーン演出の世界、正直言ってある意味職人芸の世界です。
当日の天気・気温・湿度、会場内の構造などによって演出内容や会場動線など変わってきます。
10年以上の間に何千ものバルーン演出をやってきましたが、一つとて同じものはありません。
それら一つ一つがすべて手作りなのです。
体力的にも精神的にももう限界です。
はっきり言います。
今やめても悔いが残らないから
私は引退を決断したのです。
私はやり残したことは正直言ってありません。
もっとやりたいところがあったのは正直言ってあります。
しかしこれ以上やろうとしても、自分の力ではどうにもならないところまで来てしまいました。
世の中はどんどん変化します。
結婚式もイベントの在り方もどんどん変化します。
今や3年ひと昔の時代です。
時代が再び求めるようになれば、復活するかもしれません。
でも一つだけ確かなのは
私はもう限界
です。
私が一番やりたかったことって一体
何だったのだろうか
こんにちは。
今、ある方から電話がありました。
…友達の結婚式でバルーンリリースを断念された…
…自分の結婚式でスパークバルーンシャワーがやりたい…
…ヘリウムガスの現状はいったいどうなっているのか…
私がバルーンの仕事の中で一番やりたかったことはいったいなんだったのか
この動画にやっぱり凝縮されているのかな…と思う
私がつくりあげた瞬間…
今も電話がかかってきた。
ぜひお願いしたい…
それにしてもなぜ私は
「最高の感動的な瞬間を作り出す」
という仕事をするようになったのか…
スパークバルーン…
当初私はこれを「くす玉バルーン」と呼んでいた。
「くす玉」=割る、という連想から、全然当時は売れなかった。
まだ20世紀の話である。

もう13年も前のメインテーブルの画像。スパークバルーンを組み込んでいるが、自動ではない。
21世紀に変わったころあたりから、定番商品になり始めた。
以来13年、あまたの感動的な瞬間を彩ってきた。

今でこそコモディティ化しているが、スパークバルーンの宅配を最初に始めたのはこの私である。
というより、定番になってしまった。
でも全く何もないところから市場を作ったということだけは…
私の人生の中で一番の大きな足跡なのかもしれない。
だからこのようなことが書けるのかも…
というか、私しか書けない。
このようなことを自分の口で言えるのは、日本に何千人もいるバルーンデコレーターのうち、ほんの一握りの人たちだろう。
裏を返せば、それだけ自分がやってきたことは大きかったのである。
私は自分のやりたかったことをこの13年間やってきただけである。
でもそれが大きな実績に…
なっていた。
今私は、ドリームバルーンやスパークバルーンシャワー、自動スパークバルーンといった現場での瞬間勝負の仕事は1日1組限定にしている。このような現場での瞬間勝負はものすごいエネルギーとパワーをその瞬間に注がなければいけない。しかし成功したときの感動は…
計り知れない
一日に7組もこの演出をしたことがあった。卓上バルーンサービスやバルーンリリースも加えると、合計12件を1人でやったことがある。
その時もものすごい充実感だった…が
長年の無理は確実に私をむしばんでいた
そして昨年の今頃…倒れた。
昨年末ヘリウムガスが払底し、バルーン演出は難しくなった。
何組もの新郎新婦様がバルーンリリースを断念された。
私は一番やりたい仕事ができなくなった。
廃業・転進を真剣に考えるまでになった。
ヘリウムガスの需要が回復しつつあり、景気もアベノミクスで上向き傾向にある今だが、
これで需要が回復するか…
いつまでもしがみつくわけにはいかない…が
私には私しかできない仕事があるのもまた事実
はたしてそれを捨てていいのか…
最高の瞬間を生み出すための発想の転換
こんにちは。
今日はピーカン、青空です。
最近までならバルーンリリース日和でした…が
昨今のヘリウムガス事情、さらにブライダル事情の変化で
少なくなってしまいました…
上から見るとどのような仕掛けで風船が舞いあがっているのかわかりません
下はこのようになっているのです。仕掛けを引っ張ると舞い上がるのです。
単なるバルーンリリースもこのように感動的な演出にできるのです。
先日の大分でもそうでしたが、
予想だにしない風船の動きが感動を呼ぶ
というのを実感しました。
まさかあんなところではじけるとは…
現場のウェディングプランナーさんも感動しきりでした。
ここ数年大ヒット商品だった
ドロップアンドフライ
うわー舞い上がったぞ…
見たこともない演出が感動を呼ぶのです。
バルーンリリースもスパークバルーンもありきたりの演出となった今
さらなる感動を呼ぶためには、見たことがない演出が必要なのです。
そのためには、新しいことを考えることと、既存の演出から発想を広げることと、両方必要なのです。
想像力を膨らませることが創造につながるのです。
現場のウェディングプランナーが新郎新婦様に教えられているようでは、いけませんね。
広島でウェディングプランナーさんが与えられた演出を生かして、それらを引き立てる方法をうまく考えている結婚式場は、
ここぐらいでしょう。ここは本当に現場で働くウェディングプランナーさんが研究熱心です。私も感心しています。
あとは…会場のウェディングプランナーさんが私に信頼を寄せている状態でした。
それを上層部が「利用」してしまい、結局私は壊れたのです。
私がバルーン演出を究めようとした理由
それは…
成功したときの感動が計り知れない
からでした。
ここから風船を舞い上がらせたら
どんなに感動的だろうか…
とか
ただ新郎新婦様が風船から登場するだけでは面白くない
新郎新婦様が風船に包まれて登場したら
どんなに華やかだろうか…
とか
単なるドリームバルーンだけではない演出
デコレーションと見せかけておいて、実際にはスパークする仕掛けとか…
私は一瞬のためにすべてを注いできました。
最高の一瞬のために…
その最高の瞬間が
生涯心に残る感動になる…
そのためにいろいろなことを考え、形にしてきました。
その歩みは10年以上にわたります…
風船をただただ商材として扱う人たちに
この思いは伝わるのか?
私の風船に対する思いを理解していただいている人たちがいるから、今日までやってこれた。
これこそ感謝すべきことです。
残念なことに私の思いを「利用する」人がいた…
金を生み出す木として…


























