風船・バルーン」カテゴリーアーカイブ

ワクワク、ドキドキを大切にしたい

こんにちは。

繁忙期のさなかです。卒園式、入園式、オープニングセレモニー…ブライダルもその中に時々入ります。

あまりにも多いのでサムネイル画像にしました。

クリックすると拡大します。

ところで、これだけの風船を膨らませていても、最近苦痛に感じることはありません。そればかりか、うきうきわくわくどきどきという気持ちが常にわきます。

この風船ラッシュ、4月に入るといったん落ち着きますが、その後4月中旬から再び始まります。

というか、休みの日も風船を膨らませている、というより

風船に生命を吹き込んでいる

という状況なのです。なぜそのようなことができるのか…

私自身、風船に生命を吹き込むということによって、自分自身の心が幸福感と充実感に満たされる

からなのです。

私が生命を吹き込んだ風船によって、たくさんの笑顔の華がはじけ、花開きます。それによって私の心の中では、くす玉が次々にはじけ、花開き、幸福感に満たされます。

それを想像するだけで、うきうきワクワクドキドキが止まらないのです。

それができることに感謝しつつ、日々風船に生命を吹き込んでいます。

Happy Sprong!

Happy Spring!

みんなの笑顔の華を咲かせたい

みんなの笑顔の華を咲かせたい

 

 

感動の光景を生み出す力とは…

こんにちは。

一時期の投稿ラッシュに比べて、ペースは落ちています。

さて、先日1993年の年末ジャンボ抽選会の動画を目にしました。。

一等賞金は6000万円の時代でした…今の一等賞金は10億円!ただし当選確率は大幅に低くなり、今では「ミニ」7000万円、「プチ」700万円という当選本数を増やして賞金を低めにするくじも登場しているほどです。

宝くじは買わないとあたらない…かといってパチンコは…(この手で当選確率が一番高いのはボートレース、もとい競艇だったりする)。 

そんな話はともかく、この映像をよく最後まで見てください(動画は削除されています)。

この動画は75秒間なのですが、「ふたばんです」という公営ギャンブル独特のコールの後、天井から紐が降ってきます。次にステージ中央部に金色の丸くて大きな物体が上から現れ、ほどなく止まります。そして、ファンファーレと同時に、先ほど「ふたばんです」というコールをした美女が現れ、降ってきた紐を思いっきり引っ張ると、ステージ中央部の金色の丸くて大きな物体が二つに割れ、中から無数の紙テープと紙吹雪、そして40個程度?の風船が舞い降ります。

ここで映像が終わります。

これ、2005年の大みそかまでNHK総合テレビの画面で繰り広げられていた、「年末の風物詩」でした。

とあるページより引用。

これは2005年の画像です。

この翌年からおなじみのキャノン砲に取って代わられましたが、実はこの年が「帝国劇場」で行われた最後の抽選会で、同時に東宝の管轄から離れたのが関係しているとみられます。実際「東宝ドリームガールズ」が抽選の矢を引くボタンを押していたのですが、それに所属していた女性の方のブログもありました。

続いてこの映像。

 

これはとある造船所での進水式の画像です。

今度は女の子が船を支える綱を斧で思いっきり切断しています。

この二つのシーンに共通するのは、

引く・切る

という行為の違いこそあれ、それによってくす玉がはじけ、無数の風船が舞う光景が繰り広げられる

ということです。

先日の記事「くす玉のひもを引っ張る気持ち良さ」に通じるものがあります。

造船に携わる人たちが異口同音に口にする言葉。

くす玉がはじけ、風船が舞う中、船が海に進んでいく姿を見ると、すべてが報われるような気持ちになる

どのようなつらいことも乗り越えるだけの力をもたらす光景なのかもしれません…

そしてこの画像。

これはとあるイベントでの大くす玉割りのアトラクション。

これらには共通するものがあります。

くす玉のスケールが他と違って大きい

ということです。

そして、

私が自らの手で感動の瞬間を生み出したい、と思うに至った原点

なのです。

この中の一つはのちに、私が手掛けました。

その後の経緯はさておき、曲がりなりにも自ら憧れたイベントの演出を、自らの手で手掛けるまでに至ったということは事実です。

そこまでなしえて、さらにその上を越えようとして地に一度落ち、そこから再び這い上がってきたからこそ、「くす玉のひもを引っ張った時の気持ち良さ」について語れるし、そして「多くの人の心の中のくす玉を花開かせることができる」のかもしれません。

同時に私が生み出している作品たちが、

笑顔を生み出すイリュージョニスト

くす玉のような存在であり続けたい…

 

多くの人たちを元気づけるまでに至っているのかもしれません…。

 

五感を研ぎ澄まそう

こんばんは。

今日2018年2月8日、福井などの北陸を中心に豪雪となっています。が、中国山地も豪雪です。

7年前(2011年)、やはり中国山地が豪雪となりましたが、このとき以来の豪雪で、北広島町のあるところでは積雪が2メートルに達したとか…家がすっぽり雪に埋まるという経験もしています。

しかし、雪は悪魔になることもあれば、白い天使に見えることもあるらしいです。子どもたちは雪が降るととても喜びます。

とにかく、子どもたちは「降ってくるもの」が大好きなのです。

雪だけではなく、桜の花びらや落ち葉で遊ぶ子どもたちは多く見かけます。

それだけではありません。紙吹雪は子ども大人問わず降ってくると大変うれしいです(もっとも後始末が大変ですが…)。

 

これは先日、私がとある保育施設で行った保護者会の様子。

くす玉を見つけ出すのも自分

くす玉を花開かせるのも自分

親たちは陰で手助けするのが役目

というようなことを話ししたのですが、その際に実際に「バルーンクラッカー」や「くす玉バルーン」を実演し、子どもたちに風船がはじけ、舞う感動の瞬間を体験していただきました。

このときの子どもたちの表情は最高でした。まさに

無数の笑顔の華がはじけ、花開いた

のでした。

さて、ここからが本題。

最近、

何もかも、演出が機械や映像頼りになっている

ような気が私はします。

典型が「プロジェクションマッピング」です。

バーチャルリアリティー全盛ですが、私は

その場の音、触覚、肌触り、香り、におい、空気といったものは実際に触れてみないと分からない

と考えます。

風船の手触りやゴムのにおいから、降ってきたときのあの気持ち良い感触まで、その場で体験することによって、感動を心に刻むことができるのです。五感を研ぎ澄ますことによって感動が体感できるのです。もちろん割れるときの音もそうですし、バルーンクラッカーのひもを引っ張るときの気持ち良さもそうです。

映像だけでは体験できない、五感で味わう感動を小さい時から体験するのは重要だと思います。

本物の感動体験を子供たちに味わせるのは大切なことですし、そうすることによって五感が研ぎ澄まされ、感性が豊かになるのです。

変わるもの、変わってはいけないもの

おはようございます。

久々の旅先からの投稿です。

今日は私の故郷である鹿児島県は、霧島市からお届けします。

この霧島市、バルーンアーティストである私にとって、重要な地なのです。

この地は旧ワイズドリームにとって、創業から廃業に至るまでの歴史が関わっています。本来の故郷である鹿児島市から程近いというのもあります。

2000年春、全国にバルーンアーティストやデコレーターは少なく、私は全国各地を飛び回っていました。その中でとある結婚式場から声がかかり、トータル演出を手掛けました。当時は今のように技術もアイデアも少なく、手探りの中でした。

その中でこの霧島市にあった結婚式場が声をかけてくださいました。

それから18年、時代は大きく動きました。

バルーン業界は変化を続け、様々な業態のショップが、全国至るところにでき、日本全国の至るところでバルーンが容易に手にはいる時代になりました。私も廃業を経験し、現在は福祉との融合という新たな分野を切り開いています。

しかし、変わらないものがあります。

それは

風船を愛する心

です。

これを忘れてはおしまいです。

これだけは生涯貫きたいです。

この18年という歳月の間に、どれだけの風船に生命を吹き込み、どれだけの感動を生み出せたか、、、そして、ややもすればただ生きる、生かされるだけの人生になっていたのが、風船のお陰でどれだけ充実したものになったか、、さらには、この先の人生に繋がる、生涯にわたる大きな財産を作り出せたか、、、

すべて風船に常に正面から向き合ったゆえに得られたものです。

だからこそ、大切にしていきたいです、これからも。

花開いたたくさんの笑顔の華たち

花開いたたくさんの笑顔の華たち

Balloons make Everyone Happy! 2016バージョン

Balloons make Everyone Happy! 2016バージョン

バルーンメイクエブリワンハッピー

初期のバルーングラフィック

 

 

 

 

 

平成が終わるまでにかなえたい夢

こんにちは。

平成はあと15か月強で終わりになります。

正月は家にこもって、「平成を振り返る」正月特番などを見て過ごしていました…

というわけで、平成元年へタイムスリップ。

この年、広島市中区、紙屋町・本通・八丁堀に囲まれた一帯にある「中の棚商店街」というところで、ある祭りが開催されていました…その名も

ふうせんまつり

いたるところに風船が飾られ、カラフルに彩られていました。

このイベント、翌年平成2年も開催されました。このとき、私はアルバイトを兼ねて、このイベントの手伝いをしていました。同時開催の「GOGOひろしま春祭り」のパレードの準備を手伝った記憶もあります。

その直後、私は大学進学のため広島を離れました。このころ私は19歳。

進学先は福岡。その後、島根の会社に就職→バルーンアーティストとして独立起業するために退職→各地を転々とする(大分、横浜、鳥取など)→一時広島へ帰る→定住先を模索…当時若い芸術家を積極的に受け入れていた大朝町に移住(2002年春)…という推移をたどり、広島・山陰・四国(特に愛媛)を中心に全国各地で活動していました。東京・関西(大阪・神戸)・九州(久留米・熊本・大分など)などでも活動しており、頻繁に出張していました。

今、私は広島に戻っています。2001年ごろ一時的に広島に帰り、その翌年に大朝へ移住しましたが、大朝はすぐ近くに高速道路のジャンクションがあり、西日本各地及び首都圏へのアクセスが良かった場所でもありました。そこに10年近く居住していましたが、諸事情により2012年新春に広島へ帰ることになり、そこで半年もたたないうちに鬱になりました。

大朝は広島まで1時間かからない場所(高屋などと変わらない)だったため、次第に広島での仕事の比率が上がっていったこともあります。その上、2011年大朝は1963年の三八豪雪以来の豪雪災害にあい、そこへ東日本大震災、さらに家の事情と重なり、広島へ帰ることにしたのですが…

私は鬱になったのち、引退を決断、風船と縁を切るつもりでした。ところが2014年から活動を少しずつ再開していたところ、あるご縁に恵まれ、2016年に屋号を変更してバルーンアーティストとしての活動を正式に再開しました。

その中で天皇陛下のご退位の意向が示され、平成が正式に終わり、新元号に引き継がれることが決定され、一つの時代に幕が下ろされることになりました。

振り返れば、バルーンの技術は平成元年や2年ごろとは比較にならないほど進化しました。平成2年には、東京に2軒しかなかったバルーンショップが、平成5年(1993年)には大阪にでき、時を同じくして名古屋にもでき、その後1995年にはエミリーズバルーンアートビジネススクールもでき…今では日本中どこにいても、ごく一部を除き、バルーンが容易に手に入る時代になりました。

バルーンアートの技術もどんどん進化しました。

私は紆余曲折がありましたが、2002年ごろから2010年ごろまでバルーンアート界をリードする存在になっていました。というか、気が付いたらそうなっていたのです。

しかし、2011年の東日本大震災から少しずつバルーン業界の流れが変わり、そこへ鬱を発症、私は新しいことを学ぶ気力を失い、さらに折からのヘリウムガス流通危機が払底にまで悪化(このころ東京ディズニーリゾートではバルーン販売を1年以上にわたって中止していた)、「引退やむなし」と決断し、バルーン業界から離れました。

その後バルーン業界は変化を続け、多様化しました。

今では様々なシーンでバルーンが活用されています。

一方で私は、「本当に風船で表現できるものは何だろうか…」と考えるようになりました。風船には、それ自身の持つやさしさ、美しさ、華やかさといったもののほかに、元気、希望、夢といったものがつまっています。そしてそれらが感動を生みだすのです。

さらに、私は最近、すごく気になる傾向を感じています。それは

風船=割れる=怖い

という考えの人が子ども大人を問わず増えているということです。

この「風船恐怖症」、100人中99人は単なるトラウマで、生活に支障となったりパニックを起こすほどではないもので、やがて克服されるものらしいです。ところが、最近になってPTSDを引き起こしたり、聴力を失うケースが報告されるなど、非常にまれながら医学・生理学的に危機的な状況が起きているそうなのです。加えて調べてみると、一種の脳生理学的問題で、極めてごくまれに風船を受け付けない一種のアレルギーに似たケースがあるらしいです。発達障がいの方で、子ども大人問わずそういうケースがある、という報告もあります。

似たようなケースで、犬恐怖症というものがあり、こちらは1000人中1人の割合でPTSDレベルになるケースがあるそうです。こちらも同じように発達障害が絡んでいるケースが多く、事実私はそうです。犬嫌いについて詳しいソウス

かくいう私も、小さいときは風船恐怖症でした。ところがふとしたきっかけで反転し、今では風船の割れる音は完全に慣れるどころか、風船に完全になじみ、その風船で多くの人に夢と感動と希望を与え、幸せと美しさと華やかさと楽しさを伝える側になっています。

一方、風船が一部で「セレブグッズ化」している傾向もみられます。昨年2017年の流行語は「インスタ映え」でしたが、風船はインスタ映えするトップクラスのアイテムです。しかし、風船が「特別なもの」になり、身近に感じることができなくなりつつあるような気がしています。

そこで、私は考えました。

ふうせんまつりを平成が終わるまでにする

場所…広島市内のレンタルスペースもしくはギャラリー

内容…以下のものを考えています。

1:エントランスのバルーン装飾

2:風船のキャノピー+会場全体の装飾

3:風船の壁画

4:風船プール

5:フォトバック(風船のスカートと帽子も用意、子どもさんは試着できる)

6:バルーンドレス展示(できれば試着も)

7:夢を書き込んだ風船で壁画制作

8:バルーン体験教室&「ふうせんへのおもい」講演会

9:バルーングラフィック展示(もちろん展示スペースは床と天井にバルーンをふんだんに飾る)

10:会場全体を包み込むバルーンシャワー(スパークバルーンを多用、合計1000個程度降らせたい、もちろん紙吹雪入り)

この10種類を一度に開催します。

期間…平成31年(2019年)3月下旬or4月下旬(3月30・31の両日もしくは4月27~30のうち連続する2日)直前2日間は制作現場をライブ公開します。

出来れば、クラフト・ハンドメイド作品及びパン・クッキーなど手作り各種菓子類などの販売、さらに子ども向けミニコンサートも行いたいです。

予算としては材料費だけでおおむね10万以内(原価ベース)を考えています。

以上が私が考えている「ふうせんまつり」です。

これからまる1年かけて準備をし、来年2019年の1月には具体的に動き出したいと思います。

Happy!Happy!Happy!

Happy!Happy!Happy!

Happy!Happy!Happy!

Happy!Happy!Happy!

私は、風船が持つ美しさ、楽しさ、華やかさといったものにひかれ、そしてくす玉がはじけ、無数の風船と紙吹雪が舞う瞬間にあこがれ、バルーンの世界に入りました。そして創り上げた感動は数知れず、一度引退してもなお求められ、その結果再び風船に生命を吹き込み続けることができているのです。

その風船があったからこそ、今こうして私は生きていられるのです。

この「ふうせんまつり」は、その風船たちに感謝の気持ちを込めて、実現させたいと考えています。なぜなら、

風船のおかげで私は自分の人生を歩むことができたから

です。

 

お金の使い方…

2018年が幕を開けました。

今年もよろしくお願いします。

旧Y’s Dream時代は、1999年→2000年のミレニアムに始まり、廃業する2013年まで、常に日本のどこかで私が生命を吹き込んだ風船たちが、新しい1年を迎えるために舞い降りたり、はじけたりしていました。

2004→2005、スキー場で迎えたカウントダウン。

2010年→2011年、大阪の某クラブで行われたカウントダウン。

私が制作し宅配した、スパークバルーンが新年とともにはじけました。

※今はこのタイプのスパークバルーンを制作して送ろうとすると、宅急便サイズの規定を超えるため、送料が高くついてしまいます。

昔話はこのくらいにとどめて、本題。

新年に入ってから、私はいろいろな金の使い方をしました。

船でしか行けない離島にわたり、人口より猫の方が多い島で、1500円の魚定食を食べたり、(魚定食¥1500+船賃¥1850+青春18きっぷ1日分¥2500)

世界で活躍する音楽家たちが広島に集まって開催されるクラシックコンサートで風船と紙吹雪のシャワーを浴びたり、(コンサートチケット¥2000)

くす玉がはじけるようなイメージの香りを作りたくなってルームフレグランスを2本も買ったり、(ルームフレグランス2本¥3880)

という具合です。

このうち、魚定食と船旅はともかくとして、残りの二つについて思うところがあります。

まず、クラシックコンサート。

このクラシックコンサート、宣伝チラシに「500個の風船と金銀の紙吹雪が舞う」というくだりがありました。「どんなものなのか」とても気になっていましたが、クラシックコンサートの敷居は高く、なかなかいけません。しかし、前売り券がセブンイレブンで¥2000で買えるというのを見て、私は前日(すなわち島に渡った日)に船着き場のほど近くにあるセブンイレブンで購入しました。

そして、今日行ってみたのですが…

なんとコンサートマスターが「上に風船の仕掛けがある」ようなことをコンサートの途中でばらしてしまったのです。

いったいどこに仕掛けがあるのだろうか、と思っていたら、あっさり種ばらししていました。

それはさておき、私はいつもと反対の立場、すなわちお金を払っているお客さんとしてバルーンシャワーを体験することになりました。

通常はスパークバルーンの仕掛けを操作する側として、感動の瞬間を創り上げます。

先日アップした、私が手掛けたスパークバルーンがはじける瞬間ばかりの動画ですが、この動画にある作品、というか感動の瞬間を実際に創り上げるときは、いつも心臓がどきどきものです。

そして、成功した瞬間、その場に居合わせた人たちから地響きのような歓声が沸きあがります。

このとき、私は「たとえようもない、天にも舞い上がるような達成感」を味わいます。

この動画は40回、その瞬間だけを集めたものですが、40回すべての瞬間でそれを味わいました。こうして記録に残して、改めて見返してみてもその時の記憶がよみがえりますし、自分自身「すごいことをやっている」という気持ちになります。元気がないときもこれを見て自分自身を奮い立たせています。

ところが、その瞬間、自分自身は風船シャワーも紙吹雪も浴びていません。仮に真下にいた場合は、すぐにはけます。

この動画に限らず、私が演出を手掛ける際は、私は真下にはいないのが基本です。プロとしてやってきて、自分の手掛けた作品で真下で浴びることは基本ありません。

今日は反対に、はけるどころか近寄って紙吹雪のシャワーを浴びました。JBAN Conventionのファイナルパーティー等で紙吹雪と風船まみれになったことは何度もありますが、やはり気持ちいいです…

先日自分たちで手掛けたバルーンシャワーもそうでしたが、客観的に見て体験する機会もやはり必要だと感じました。

そして、今回一番高い買い物になったルームフレグランスについてです。

商品の詳細はこちらをご覧ください

今回私は、「Amber Flower」と「Green Citrus」を入手したのですが、「Amber Flower」にはふわりとした風船の華やかさに通じるものがあり、「Green Citrus」にはくす玉のようにはじける勢いを感じました。

最初この二つを混ぜてみようと思いましたが、混ぜるよりそれぞれ別々に香らせて、その香りの配合で表現した方がいい感じになりました。

で、なぜこれを買おうか、という気になったのかですが、かつて旧Y’s Dreamには、「造花の花びら入りくす玉バルーン」という商品がありました。これは造花の花びらにアロマオイルをしみこませ、それを乾燥させた後に風船とともにスパークバルーンのなかに入れて、はじけると同時に香りが広がる、というものでした。

その際、いろいろなフレグランスを試してみたのですが、なかなか理想の香りにめぐりあえませんでした。

ところが、この二つの香りをかいだとき、私の中で何かがはじけたような気がしたのです。

「これが私の探し求めていた香りだ…」

これを見つけたのは地元にある小さな雑貨屋さん。

この雑貨屋さんの店長さんと私が非常に仲が良いのです。

これに出会ったのが昨年(2017年)のクリスマスのころ。正月は両親とともに家にこもるつもりだったので、正月明けに購入することにしました。

そして、正月明け最初にこの雑貨屋さんでこの2つを買い求めた時、その店長さんが思わず

「やったー!」

とつぶやきました。

この店長さん、私のバルーン演出にあこがれ、私が出している小冊子「くまさんのげんきだま」に元気をもらい、そして私が制作したバルーングラフィック作品集「ふうせんでつたえたいおもい」に感動されています。

私がこれを購入したことで、この店長さんのくす玉がはじけたのでしょう。その時の最高の笑顔はとても印象的でした。店長さんの想いが私に通じたことが、「やったー!」というつぶやきにつながり、そして店長さんの心の中でくす玉がはじけたに違いありません。

私はこの香りによって、自分の中で常にくす玉を持ち続けることができ、ある時は慰められ、ある時は元気づけられるような気がします。

すでにこの文章を打ち込んでいる傍らで、その香りがほのかに漂っています。

私はこれから、多くの人にくす玉の種をまき、それを花開かせる手助けをしていきます。同時に求められれば、自ら感動の瞬間を創りだします。これまで無数の風船に生命を吹き込み、無数のくす玉を創り、花開かせ、はじけさせ、感動の瞬間を生み出した私。その経験を生かし、伝え、多くの人に夢と感動と希望と元気を与えるべく、日々生きていくために、この理想としていた香りに出会えたことは大きな力になります。

私は旧Y’s Dream時代から一貫して、風船を売る際、「ただ風船を売る」のではなく、その向こうにある笑顔を創るという気持ちで制作し、販売してきました。この雑貨屋さんの店長も、ただ香水を売るのではなく、その向こうにある感動を生みだす力となったことに対して、心の中のくす玉がはじけ、「やったー!」という言葉が出たのでしょう。

売り手のくす玉をはじけさせる手助けをしたことによって、買い手のくす玉がはじけた…

この上ない幸せな買い物になりました。

くす玉のような存在であり続けたい…

くす玉のような存在であり続けたい…

話を元に戻すと、

感動を得るには少なくてもお金は必要

しかし、そのお金は大金である必要はない。

ということになり、これが今回の結論です。

旧Y’s Dream時代、私はキャバクラや高級クラブにも出入りしていた時期があります。当然お金がかかります。1回あたり高いと2万近い出費です。当然儲かっていた時期でないとこのようなことができませんが、儲かっていた時期=ストレスが強くかかっていた時期で、今振り返ると金銭の出入りが非常に激しい時期でした。何しろ最盛期の売り上げは…消費税を払う必要があるほどだったでしたから。さらに私が出入りしてたキャバクラなどからも仕事をいただいていましたが、夜間の仕事も多く、激務に拍車をかけていました。

その後鬱で倒れ、金銭面的に一気に苦しくなりました。一時期はお金を使うことに罪悪感さえ覚える時期もありました。さらに…

私の両親及び親族、とりわけ母親の一族は「お金を貯める」ことに執念深かったような印象がします。ですから無駄遣いどころか、必要な出費まで惜しむ傾向がありました。さらに「借金=悪」という考えが一貫していましたので、バルーン業界をカルト宗教呼ばわりしたりすることができたのでしょう。結果どうなったか…ストレスばかり溜まって胃潰瘍を起こし、それが引き金で孤独死したりするのです。

 

今回かかった総額は1万円余り。

新幹線だと、広島駅基準で東京へも鹿児島へも片道早期購入割引運賃に満たない金額です。「こだま」割引切符利用で大阪へやっと往復できる金額です。

1万円だけで、普段行くことのできない離島で新鮮な魚をたらふく召し上がれ、絶景に接し、好きなだけ猫と戯れることができる非日常体験ができ、自分の気持ちを高ぶらせ、華やかな気持ちにさせてくれるすーむフレグランスセットを購入でき、加えて世界で活躍する本格的なクラシックオーケストラコンサートが風船と紙吹雪のシャワー付きで楽しめたのです。非日常体験3つを楽しんで1万円強…改めて

感動を得るには少なくてもお金は必要

しかし、そのお金は大金である必要はない。

ということです。

ふうせんで伝えたい想いとは…

こんにちは。

今日はクリスマスイブです。

2017年もあと1週間です。

本当に今年は、たくさんの風船に生命を吹き込むことができました。

これまでに出会った人たちからいろいろなご縁が広がり、たくさんの幸せと感動をもたらすことができました。

2017年の作品たち

2017年の作品たち

どれも今年を代表する作品たちなのですが、選ぶのに苦労しました…

そして、今年は様々なチャレンジもしました。

今まで作ったことのないスタイルの作品を複数制作し、作品の幅を広げました。

私は2013年に一度引退しました。しかし、縁あって復帰することができました。その間にバルーンアートの技術は大きく進化し、バルーンの市場も大きく変化しました。かつて私が主力としていたブライダル及びイベントの演出が停滞気味になる一方で、ホームパーティーなど新たな市場が急成長しました。

技術的にも様々な作品が増え、多様な作品を生み出せるようになり、一方では今年2017年の流行語大賞にもなった「インスタ映え」。インスタグラムの急速な普及は、新たなバルーン市場を生み出しました。

そのようなバルーン市場の変化を、ここ数年客観的に見てきた私は、新たなスタイルの作品作りにチャレンジして、多くの感動を生みだすことができました。

一方、ツイストバルーンの技術はそれ以上に進化を遂げ、私はすでについていけない状態になっています。持って生まれたものに左右されている今のバルーン業界の現状、努力と熱意だけでは限界が見えています。

そのような状況の中、私ができることは

風船で私が今までやってきたこと、そしてこれからしたいことを明確に打ち出す

ことです。

今年、私は

「くす玉のような存在になりたい」

という、これからの人生の明確な指針を立てることができました。

私ははじけるくす玉にあこがれてバルーンアーティストになり、あまたの感動の瞬間を生み出してきました。そうして20年以上の歳月が流れ、生みだした感動の瞬間は数知れず。

気が付くと、自分の作品だけで、何枚もの絵を創り出せるまでになっていました。

そして、その絵、すなわちバルーングラフィックを見た人たちから

元気が湧いてきた

温かい気持ちになった

という声が続出しました。

Happy!Happy!Happy!

Happy!Happy!Happy!

Happy!Happy!Happy!

Happy!Happy!Happy!

一部イラスト素材集からダウンロードしてきた画像も入れていますが、風船に関しては100%すべて私が生命を吹き込み、自ら作り出した感動の瞬間で構成されています。他人の作品は一切含んでいません。それらをフォトショップで加工し、1枚の絵として作るのがバルーングラフィックです。

正直言って、私はこのバルーングラフィックを制作しているとき、とてもハッピーな気持ちになって、テンションマックスになります。それこそ「くす玉が次から次へとはじける」ような気持ちになっています。

風船を膨らませているときも、そのような気持ちになることがあります。

そのような気持ちで制作しているからこそ、多くの人たちの心に響くのでしょう。

これからも、その気持ちを持ち続けることができるようになりたいです。

そして、たくさんの人の心の中で、くす玉がはじける存在になりたいです。

無数の笑顔の華が花開くとき

今日(2017年12月9日)の午後のこと。とあるイベントを見に行きました。

会場はいつもお世話になっている某自動車販売店のイベントスペース。天井が高く明るい場所で、ここで私は2度スパークバルーンシャワーを行ったことがあります。

ここでバルーンシャワー(チラシには「バルーンリリース」とあったが、厳密には天井から風船を降らせるのは「バルーンシャワー」ですよ…という揚げ足取りはともかく)がある、ということで、私の知り合いが多数参加されている、ということもあり、バルーンシャワーの時間に合わせて、お客様としていかせていただいたのですが…

感動しました!!!!!

別のプロのバルーンデコレーターが入っているのではなく、主催者の皆さんが試行錯誤して創り出したものでした。

その場にいる人たち皆さんを感動させようと、様々な工夫を凝らしていました。

イメージからしてEテレの有名長寿番組を再現しようとしていたようですが、感動の瞬間を生み出すために一つになっていた姿が印象的でした。主催者の皆さんは全員が音楽隊みたいな格好に仮装し、様々な楽器を鳴らしながら会場全体を練り歩き、最後は今そのEテレの有名長寿番組で使用されている楽曲に合わせて踊ったのですが、そのクライマックスで風船が降ってきたのです。

布を自分たちで制作し、入れれるだけ風船と紙吹雪を入れたのですが、これをタイミングとともにこの会場に勤務しているスタッフの方が仕掛けをひっくり返し降らせたものでした。

その時の様子を私も見ていたのですが、

無数の笑顔の華が一斉に花開いたのです!

みんなの想いが無数の笑顔の華となったのです!

仕掛けを操作したスタッフの方に聞くと

「あなたの気持ちがよくわかりました。

成功して最高でした!!!」

無数の風船と紙吹雪が舞い降りたときに花開いた無数の笑顔の華、そしてその感動を生み出そうとしてひとつになったスタッフの姿、最高でした。
そして、いつまでも風船や紙吹雪たちとたわむれる子どもたちの最高の笑顔に、私も元気と感動をいただきました。

同時に私は思いました。

「私が長年やってきたことが、どれだけ素晴らしいことだったのか…」

私は長年、バルーンシャワー・バルーンリリース・スパークバルーンと、数多くの感動の瞬間を創りだしてきました。そして今でも、これを生業にしています。他にも仕事はありますので、これがすべてではないのですが…今は。

元をたどれば、「くす玉がはじける瞬間」に感動し、旧Y’s Dreamを立ち上げて自らの手でその瞬間を創りだすようになり、さらには「一人でも多くの人に感動を味わっていただきたい」という想いから、2000年にいち早く「くす玉バルーン」の全国宅配を手掛けるようになりました。

旧Y’s Dreamは全国に数多くの「くす玉バルーン」を届け、様々な感動の瞬間を創りだしてきたのですが、2012年に長年の無理がたたって鬱を発症し、リカバリの際にいわゆる「アスペルガー症候群」があることが分かり、加えて母親も精神疾患を発症、折からのヘリウムガス払底もあって、2013年に営業を終了しました。

ところが縁あって再開し、今に至っています。

2015年に少しずつ再開してからも、旧Y’s Dream時代から付き合いのある某結婚式場をはじめ、いろいろなところで感動の瞬間を創り上げてきたのですが、客観的に自分が創り上げた感動の瞬間に接する機会はなかなかありませんでした。

その一方、私はバルーン業界の変化や競争激化を目の当たりにしてきました。

そこで私は、今年(2017年)の秋ごろから、「くす玉バルーン体験」「バルーン演出体験」に力を入れるようになりました。

くす玉のひもを引っ張る気持ち良さ

上記でリンクを貼らせていただいた記事に、このことに関する内容は詳しく述べさせていただいているのですが、要約すると

私が長年創り上げてきた感動の瞬間を生み出すという経験自体が一つの大きな財産で、その経験から伝えられることは計り知れない

ということなのです。

で、今回のバルーンシャワー。

別のスタッフ曰く

「プロにはかなわない…」

しかし、私はこう思いました。

「表面的な感想はプロにはかなわないと思っても仕方がない。でも、自分たちでそれに近いものを創り上げようとした。その結果、とてつもない感動を生みだせたのではないか」

私は今回、私が創り上げてきた演出を自分たちで再現しようとした姿に、大変感動したのです。生み出された感動は、私が創り上げてきた幾多の感動の瞬間よりも大きかったですし、それよりなにより、感動を生みだすプロともいうべき自分自身が大変感動したのです。

そういう経験を積み上げてきた私だからこそ、伝えられることがある、と改めて思いました。

風船と紙吹雪にいつまでも戯れる子どもたちの姿を見て、私はつくづくそう思いました。

舞い降りる風船たち

次のステージへ

こんばんは。

昨年2016年は「三部作」でした。

 

 10年分の想いを乗せて舞い上がる

エントランス

想いがカタチになり、そしてはじける

写真は「三次蔵プロジェクト2016」と「夢FESTA2016」ですが、残りの一つが「ママフェスタ2016」でした。

この「ママフェスタ2016」は「夢FESTA2016」のエッセンスを詰め込んで一般に披露しながら、バルーンの装飾・演出・販売を実施するというコンセプトだったのですが、これが新たなステップになりました。

結果は1日の売り上げではかなりの規模に及び、大反響を呼びました。

この「ママフェスタ2016」の成果が、今年2017年、大きなチャンスを引き寄せることになりました。

サプライズの風船が…

はじけた!

上から見た様子

 

上からママズフェスタ(2017年5月)→わーくしょっぷフェスティバル(2017年10月)→ClipHiroshima一周年祭(2017年10月)

バルーンの仕事の幅も、演出のバリエーションも大きく広がったのです。

地域づくりのイベントの弊社ブース

 

これらのイベントに関連して手がけた作品たち

夢FESTA2017(自社制作イベント)

ママフェスタ2017

今年のママフェスタは、昨年私たちの成功を見た各社が軒並みバルーン配布の強化に動きました。プロのバルーンデコレーターをゲストとして呼んだブースも複数。フォロワー続出という昨年とは打って変わっての悪条件の中、厳しい状況も覚悟しましたが、結果は昨年比90%強。最小限の減少にとどまりました。

昨年と大きく異なったのは、売り上げに占めるワークショップの割合。

今年は、昨年微々たる比率だったワークショップが、売り上げの7割近くを占めるという状況になったのです。

私が実施したワークショップ…それは

「くす玉バルーン(スパークバルーン)制作体験」

でした。

大きな風船の中に小さな風船を入れる、いわゆる「くす玉バルーン」制作は、これまでプロの仕事でした。

このプロの仕事を体験できるという、今はやりの「コト消費」。

同時に私は、「大きな風船を花開かせる快感」を味わっていただくことによって、感動を生みだすということがどれだけ素晴らしい経験になるか、ということを実感していただく機会を生み出すことができたのです。

それもこれも、昨年(2016年)の「三部作」が始まりだったのです。

さらにこれらの序曲は、

2015年、一昨年の「夢FESTA2015」にあります。

さらにいえば、「くす玉バルーン」を2000年早春に宅配可能アイテムとして世に送り出し、多くのスパークバルーンをはじけさせ、あまたの感動の瞬間を生み出すと同時に、その感動の瞬間によってもたらされる力の大きさに惹きつけられ、2013年に一度引退してもなお多くの感動の瞬間を生み出すことができているという事実。

今、バルーンアートといえば、260や350といったツイストバルーンで何らかの形をつくるのが主流になっています。もちろん私も基本的な編み込みはできます(というか日常的にやっている)し、過去にはバルーンドレスを制作してみたこともあります。

バルーンドレス

しかし、私は丸い風船やハートの風船、ジオブラッサム(ドーナツ)といった風船たちの方が好きで、それらをベースにクイックリンクなどを活用して作品を形作るのが主流です。というのも、私はおそらく、日本国内のバルーンアーティスト・バルーンデコレーターの中でもワーストクラスではないかと思うくらい、手先が不器用なのです。

このドレスにしても見栄えはいいですが、よく見るとガタガタです。

ましてやほかのバルーンデコレーターと異なり、そっくりに作るようなことはできません。何回練習しても…うまくできませんでした。

しかし、風船が好き、という想いでは、日本国内のだれよりも負けないくらいの想いを抱いています。それゆえに創り出せた感動の瞬間たち…その想いは、生まれながらの自閉症や発達障害も、母親の家系に先祖代々から続く負の連鎖も、乗り越えることができるほどの強さだったのです。

来年以降、私は

この経験と想いを次の世代に伝えていく

ことを中心としてバルーンの活動に取り組むことにしました。

「くす玉のような存在になりたい」…

くす玉がはじけるときに広がる風船や紙吹雪、同時にはじけて広がるのが無数の笑顔の華です。私が生み出す作品たちによって、無数の笑顔の華がはじけて広がる…そういう作品作りをしていきたいし、そういう活動をしていきたいです。

 

 

 

 

 

 

華開け!たくさんの笑顔よ!

こんにちは。

今はトップシーズン。イベントも婚礼も大変多いです。

毎週のように風船に生命を吹き込み、たくさんの笑顔の華が咲いています。

一方で「どのようにすれば低い予算で最大限の感動を生みだせるか」「どのようにすれば安全にできるか」など、考えることは山ほどあります。屋外のイベント演出、とりわけバルーンリリースとかになると、天気の心配も出てきます。雨は言うまでもありませんが、怖いのは強風。風向きと強さの関係によっては安全上、雨が降ってなくても見合わせなければいけないケースがあったりします。

旧Y’s Dream時代、雨や暴風で泣く泣くバルーンリリースをあきらめた人たちを数多く見てきました。そのような悲しい思いをさせる人たちを少しでも減らすため、大手民間気象会社の会員になったりもしました(詳細なデータが手に入るので)。

そのほかにも、イベントに対する想い、イベントで表現したい想いなど、私は数多くの想いを踏まえて一つ一つの作品を創り上げます。今でもそうですが、ドレスの色と風船の色を合わせることもします。

そうやって一つ一つ積み重ね、風船たちに生命を吹き込んだ結果、生みだされるのが

いつまでも心に残る感動

なのです。

そうして多くの笑顔を花開かせることができるのです。

一度引退したにもかかわらず、こうして多くの笑顔を花開かせることができることに私は感謝しているとともに、

本当の意味での天職である

とも思っています。

華ひらけ、たくさんの笑顔よ!

華ひらけ、たくさんの笑顔よ!

先月からの作品たちで構成されたグラフィックですが、それぞれの作品たち一つ一つに想いをこめて制作しています。そして、ところどころにちりばめているのが、スマイルのバルーン。

旧Y’s Dreamが活動開始した1997年以降、ずっと貫かれている想い…

Balloons Make Everyone Happy!

その想いが現れているのが、このスマイルちゃんたちです。そして、作品たちに接した人たちが自然と笑顔になり、幸せな気持ちになれるのです。

同時に

私の心の中で、華開いた笑顔の花の分だけ、くす玉が花開くのです。