2010~2015 子供たちに夢を与え続けて…

ご無沙汰しております。どうしてもつたえたい思いがあり、こちらにアップします。

2010年、北広島町という少子高齢化が進む中山間地域に一つの小さなミュージカル劇団が誕生した。

「きたひろしまミュージカル」

当時、Y’s Dreamは毎週のように結婚式やイベントでの風船演出の依頼が殺到していた。その中で、北広島町…大朝、豊平、千代田という地域を拠点に全国を飛び回っていた私は、地域の子供たちに夢を、という願いから、協賛することにした。

2010年の北広島ミュージカルのエントランス

2010年12月

2010年12月、千代田開発センターで記念すべき第1回公演が開催された。

当時は「いつかアステールプラザで…」という目標だったらしい。アステールプラザとは、広島市中心部、平和祈念公園の近くにある広島屈指の大ホールである。

2011年12月、同じ千代田開発センターで第2回公演が行われたが、その時私は北広島町にいなかった。遠く離れた東京にいて、何もできなかった。(実際にはいくつかおいて行ったが、ただヘリウム入り風船を膨らませただけだったので、データも何もない)

2012年、私は諸般の事情で北広島町を後にした。そして私は病に倒れた。追い打ちをかけるようにこの年の晩秋以降、ヘリウムガスが日本に入らない状態になった。

しかし、幸か不幸か、きたひろしまミュージカルはこの年、公演がなかった。

2013年7月、私は危機にあった。前年秋以降続いたヘリウムガス払底と自らの病気、実際には幼少期の発達障害が原因の適応障害によって、Y’s Dreamは営業継続断念に追い込まれていた。いわゆるブラック企業に転職して、風船を忘れてすべてをリセットすることすら考えていた。

2013年7月のエントランス

2013年7月

見ての通り「在庫処分モード」。このままでは処分される可能性のあった風船に生命を吹き込んだ。

しかしこれが意外と好評だったらしい。

さらに進んで2014年。この時私は広島市内の某企業に勤めていた。幸いブラック企業でなかったため、デコレーションすることができた。

2014年7月の舞台

2014年7月

キノコがテーマでした

2014年7月

この年のテーマは「きのこ図鑑」。予算もあまりなく、シンプルだった。作品自体も中途半端な感じになってしまった。むしろこの年はアレンジメントやツイストバルーンといった、現在バルーンの主流になっている作品を多く作っていた。これらの作品をプロの作品として提供するには、自らの技術が伴っていない、自らのバルーンの腕前は「焼きが回って」いたことを実感させられた。それに、他に本業があることだし、風船を生業にするのはもうやめよう、と考えていた。

この時私は、「来年が最後になるだろう」ということを告げられた。

私は「絶対に最後は最高のものを作り上げたい」と思った。

そして迎えた2015年7月。

例年「きたひろしまミュージカル」公演は1回しかなかった。ところが今回は最後。土曜日の夕方と日曜日の昼、2回公演になった。そればかりか、あまりのチケットの売れ行きに急きょ日曜日の午前公演が追加、計3回公演となった。

1回目公演

2015年7月4日

1回目公演

2015年7月4日

1回目公演

2015年7月4日

1回目公演クライマックス

2015年7月4日

1回目公演終了後

2015年7月4日

エントランスアーチ

2015年7月5日

エントランスアーチ

2015年7月5日

2回目公演(追加公演分)

2015年7月5日

エントランスアーチ

2015年7月5日

3回目公演

2015年7月5日

外からステージを望む

2015年7月5日

バルーンドロップ

バルーンドロップ

会場は2013年以降、「さんちゃんホール」という廃校の講堂。この日こそグラウンドは車でいっぱい(すぐ近くの農協の跡地(!)も駐車場にしたが、そこもいっぱいだった)だが、普段は本当に静かな場所。このようににぎわうのは例年は5月の花田植の時と、秋の神楽の時しかない。

さんちゃんホール

さんちゃんホール

脇を流れる清流

脇を流れる清流

今回の作品、あらゆる面で私のバルーンアーティスト人生の中でトップ5に入る最高の作品になった。

旧Y’s Dreamから続く北広島町という地域との絆。

老朽化した廃校に生命を吹き込んだこと。

ミュージカルと一体となったバルーン。

今主流となっているツイストバルーンに頼らない、本来の風船の良さを引き出した作品づくり。

そして…私が追い求めてきた、「いつまでも心に残る最高の瞬間」を作るという思い。

 

これから私は、自らのバルーンでの経験を、次の世代に伝える役目を果たしていくことにしている。そして同じ障害に苦しむ人たちに自信をつけさせ、社会に足を踏み出すきっかけを作ることに役立てる活動に踏み出すことにしている。

もう、風船を生業とすることはしない。

しかし、私が吹き込んだ風船でいつまでも心に残る最高の瞬間を作り上げることは、続けていくであろう。

その姿を見て、同じ障害に苦しむ若者や、未来を担う子供たちの励みになるのであれば、これほどうれしいことはない。

「きたひろしまミュージカル」は完結した。中山間地域の少子高齢化はとどまるところを知らず、北広島町の中でもいわゆる「限界集落」が生じている。しかし、この貴重な思い出を作り上げた人たちが、いつか再び再演することになるかもしれない。

その時、私は同じ障害に苦しむ若者でチームを組んで、再び「いつまでも心に残る感動」を創りあげることになるだろう。

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