自己否定を克服する、ということ

おはようございます。

 

私はかつて、自己否定の塊だった。

それはバルーンアーティストとして実績を積んでいた時期でさえもそうだった。

絶えず上を目指していた。どこに頂点があるのかわからない状態だった。実際トップランナーだったとしても、その中での先頭を目指していた。

 

そうして長年の無理が蓄積し、鬱を発症した。

私はバルーンアーティストだった自分を否定しようとした。

そして全く違う、40年以上むだに年を重ねた自分になろうとした。とある転職コンサルタントの方もそれを促した。

 

徹底した自己否定をもってしても、バルーンアーティストだった自分を否定することができなかった。両親はこれを否定しようとしたし、今でもしようとしている。その結果、母親はどうしようもない精神障害と身体症状に苦しんでいる。私もこれを試みた。新興宗教や人格改造セミナーの力を借りることさえ考えた。実際バルーンアーティストになる前、すなわち20年前ギャンブルにおぼれていたどん底の時期、私はとある新興宗教に数か月間はまっていた。違和感を感じて新興宗教はすぐにやめた。

 

結局たどり着いたところは「形を変えた復帰」だった。

自己否定は全く何ももたらさなかったのだ。

 

こうなると発達障害が疑われると診断された際の幼少期の親の対応が重要になってくる。

ここで自己否定をするよう、子供をしつけると、「ゆがんだ躾=押し付け」となってしまい、後々苦しむことになる。たちの悪いことに、昭和の時代はこれが「正解」とされていたのだから、今日の虐待や「やさしい虐待」問題、すなわち「毒親」の問題になる。

 

さて、自己否定の鎧を捨てた私は、バルーンアーティストだった自分の評価が実際はかなり高いものだったことに気が付いた。

バルーン業界というところは、一時期ある意味生き馬の目を射抜くようなところだった面がある。プロスポーツ界、芸能界、政財界に近いところだった。そのようなところにいたから、客観的に自分がやってきたことがすごいことだったにもかかわらず、その中での相対評価をするようになり、結果厳しい自己評価→自己否定につながった。

他方、バルーン業界はここ数年、大きく変化した。昔と異なり、それぞれのやり方でやっていく分野に変わった、というか私が現役だったころから変わり始めていた。昔の見えない頂上を目指すような考えの時代ではなくなっていたにもかかわらず、昔のままにとらわれていたのである。

今、バルーンアーティストであったかつての自分に対する再評価がいろいろなところで起きていることを実感している。そこにあるのは「自己肯定感」である。

私が生命を吹き込んだ風船によって多くの人に幸せと感動、そしていつまでも忘れない思い出を刻んでいる…このことがいかに素晴らしいことなのか、今あらためて実感している。その素晴らしさを次世代、とりわけ同じ障害に苦しむ子供たちや若者たち、それに若手バルーンデコレーターに伝えるのが今の私の仕事だと思うし、まさに今その仕事に取り組んでいるのである。

風船でハッピーに!2016夏

風船でハッピーに!2016夏

風船でもたらされるもの、それは幸せと感動と思い出であり、それを伝えることによってその人にもたらされるものは自己肯定感であり、その自己肯定感が一歩前に進む自信につながるのである。

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