こんにちは。
いつもはきらきらピカピカしているようなことばかりここで述べているのですが、今年(2019年)のお盆は「ひきこもり」と化してました。台風10号が来て、終戦記念日の日、すなわち8月15日が西日本一帯ゴーストタウン化してしまったというのも大きいですし、このお盆の間にターミナルケア、すなわち終末期介護について考え、「その人にとって本当に幸せな人生とは何だろうか」と深く考え込んでしまったりもして、久しぶりにネガティブな気持ちで過ごしてしまいました。
たまにリンクを張る裏ブログ。
こんなにネガティブになったのは久しぶりです。6~7年前に逆戻りしたかのような日々でした。
実はすでに来年春までのスキームを立てており、その中で公的制度を活用して態勢を整え、新たにスタートしようという方向性なのです。そのスキームと方向性を親がぶち壊しにしようとしたのです。
このような行為は親の不安からきているものなのでしょうが、そもそも親の不安が的外れといっても過言ではありません。こういうのを
過干渉
というのです。
あまりにもネガティブな日々を過ごしていた私は、たまりかねてバルーングラフィックを制作しました。
いつものバルーングラフィックですが、これを制作しているときはいつも
幸福感と自己肯定感
を感じます。
そもそも、このバルーングラフィックの素材、基本的に全部私の作品たちです。言い換えれば
私が生命を吹き込んだ風船たちだけで制作することができる
のです。
考えてみれば、これはすごいことではないでしょうか。
それだけではありません。私はこのバルーングラフィックの世界観をリアルに作り上げることまでなしえたのです。それが
でした。
自分がなしえたことはとてつもなくすごいことであり、その結果、数えきれないほどの笑顔の華を咲かせ、たくさんの人に幸せをもたらしてきました。これが事実です。
それができるようになったのも、自己否定を克服し、自分に「おめでとう」ということができるまでに回復したからなのです。
つまるところ、親については「親自身が過干渉に育てられており、その背景は歴史と風土にある」という結論に至っているので、私は「どうしようもない」というあきらめがついており、それを受け入れることから始まってここまで回復できたのですが…だから私は鹿児島詣で(家の墓がある)を欠かさないのです。
逆に言えば、バルーングラフィックを制作するきっかけになったのが、
自分のしてきたことを振り返るトレーニング、自己否定を是正するためのトレーニング
でした。6年前、2013年、それこそ血で血を洗うような、泥沼化していた親子闘争の結果旧Y’s Dreamを自主廃業に追い込まれ、徹底的な自己否定を自分に課し、自己洗脳を試みていた私は、どうもがいても堂々巡りを繰り返すばかりでした。それを止めるために、方向転換をして
バルーンで私がしてきたことを振り返ろう
ということから制作を始めたのです。
その後少しずつ現役復帰をしていったのですが、2016年後半あたりからこのような声が少しずつ聞こえ始めました。
バルーングラフィックを見ると元気が出る
私はバルーングラフィックの作品展開催を検討し始めました。しかしながら諸事情もあってなかなか実現せず。そんな中
平成が終わる
というニュースが飛び込んできました。その後は作品展構想を夢見て、資金を貯め始め、ついには実現させることができたのです…「ふうせんまつり~ゆめの国の宝さがし~」という形で。
自己肯定感を培うためのトレーニングとして制作し始めたバルーングラフィック。すでに97作品を数え、現実にすることまでも実現しました。しかもすべて自らの作品です。ことバルーンに関する限り、他人の作品は一切含んでいません(素材集からのイラストを活用している例外もある)。それらによって多くの人を笑顔にし、元気にする…西日本豪雨の被災地に赴き、実質ノーギャラ、一切自弁でバルーンショーを制作したこともあります。それらの風船たち、それらの作品たち、そして生み出した感動の瞬間たちが、どれだけの人を幸せにし、どれだけの笑顔の華を咲かせて来たのか…そしてそれができるまでになった自分に対して「おめでとう」ということができるまでに回復できたという事実…
だから次なるステップに踏み出すこともできるのです。「レクリエーション介護士」の資格も、必要になるであろうと見越して取得しました。実際に活動してみて必要性を感じたから「介護職員初任者研修」を受講しているのですし、自分の経験が「ひきこもりやニートからの脱却に求められている」からこそ、ラジオパーソナリティの活動に踏み込んだりしているのです。
私は敢えて、両親にこれらの努力を見せていません。唯一伝えているのは、「レクリエーション介護士」の件と、「介護職員初任者研修」の件だけです。「ふうせんまつり」のことなど、私の両親は知りません。「ふうせんまつり」の宣伝活動の際、テレビだけは私が表に出ませんでした。徹底した隠密活動を両親に対して行う一方、両親が存在を知らないメディアには積極的に動きました。「信じる者に説明は無用である。信じないものに説明は無駄である」これはキリスト教の教えの一つですが、私の両親は「信じようとしない」のであり、もはや何をしても無駄と判断しています。実際、私は母親の病気が治ると信じて、旧Y’s Dreamを廃業してバルーンアーティストを引退したのですが、現実は母親の病気は治りませんでした。原因は違うところにある、と考えた結果、母親の育てられ方に大きな問題があり、背景には歴史と文化と風土が隠れていたということまでわかったため、私はある意味あきらめをつけることができたのですが…(遺憾なことに、私の母方の叔母の「緩慢な自殺」で、このことがよりはっきりした)
「バルーングラフィック」しかり、「くまさんのげんきだま」しかり、そして「ふうせんまつり」…一度奈落の底まで落ちたからこそできたことだと私は考えています。そして、そこから伝えることは、
自分が自らの手で華開かせるための「くす玉」を見つけ出し、それを華開かせるための努力を積み重ねることの大切さ
であり、
そうすることによって達成感を味わい、自己肯定感を培うことができる
その結果生きる力に結び付く
ということです。