風船屋という「職業」について思うこと

こんにちは。

今日は本題の前に、「くす玉」の語源の話。「くす玉」はもともと

縁起物

だったのです。そしてさかのぼれば、平安時代の端午の節句の厄除けの飾り物として「枕草子」にも登場する、由緒あるものだったのです。もっとさかのぼれば大国主命(オオクニヌシノミコト)が薬の神様であり(その由来については出雲神話にもある)、その大国主命を祭る大神神社から新しい酒ができた際につるす杉玉を賜り、「酒は百薬の長」ということから「薬玉→久寿玉」となり、縁起物、厄除けの意味合いが強くなったそうです。それが明治なのか大正なのか不明ですが、門出の席での縁起物となり、進水式などに用いられるようになったそうです。以前呉市にある「大和ミュージアム」で進水式の歴史に関する展示があり、見させていただいたのですが、戦前に圧縮空気を使った紙テープや紙吹雪噴射装置を使った進水式が行われていたそうです。確か「蒼龍」という航空母艦の進水式(1935年=昭和10年)の進水式だったと思いますが、そのような記述がされた資料がありました。

これが戦後、1955年(昭和30年)ごろにはNHKの「紅白歌合戦」で使用され、1963年には「アップダウンクイズ」(MBS=毎日放送)で使われるようになります。そこから時代が流れ、平成にはキャノン砲と呼ばれる機械式クラッカーと現在スパークバルーンと呼ばれるものに進化していきました。1995年(平成7年)の「紅白歌合戦」ではステージの上に巨大な風船をセットし、それがフィナーレにはじけ中から小さな風船が無数舞う光景が見られたようです。

他方、当時一般的ではなかったスパークバルーンを「くす玉バルーン」として売り出し、多くの人に広めたのは実は私が最初で、2000年にはすでに全国宅配をしていました。運送会社によっては扱いに慣れていないのか雑すぎてトラブルが多かったりもしましたが、1球1万円前後で全国に宅配できるサービスは大変な好評をいただき、廃業する2013年まで数多くの笑顔の華を咲かせてきました。今は運送業界が人手不足に陥り、加えて送料単価が大幅に上昇したため、宅配が難しくなってしまいました。

どうしてこのような話をしたのか、といいますと、すぐ近くに「縁起物の店 AMULETMARKET」というのがオープンしたのです。早速見に行ったのですが、

もう少し早く知っていれば…

という話になりました。オープンの際に「くす玉」を使いたかったそうです…

というわけで、来年オープン1周年の際には「くす玉」をバルーン装飾付きで持ってきます!

で、ようやく本題。

とある方が

中高生の進路決定の際に、子どもたちの{知らない}をなくし、進路にビジョンをもって決められるような教育サービスを創りたい

という想いをSNSに記載していました。これを見て、私は自分の高校生時代を思い出したのです…が、それが

何もないスカスカの高校時代

だったのです、私は。高校を「大学進学のための予備校」と割り切っていた私は、

大学に入ってから具体的な進路は決めればよい

と考えていました。そのため、せっかくいただいていた生徒会役員の話(「文化委員長」だった)も断り、部活にも入らず、漠然と受験勉強をしていました。何しろ当時は

1浪は当たり前、2浪も珍しくない

という受験地獄。当初は早稲田だの明治だのはたまた立命館だの、有名私立に進学したかったのですが、合格したのは国公立大学2校。しかし進学した大学で様々な出会いに恵まれ、そこそこ都市だった(福岡へはすぐに行ける距離にあった。当時の福岡は「第二次天神流通戦争」が始まったころ。その後大阪や名古屋に匹敵する都市になるまでに急成長を遂げた)こともあり、退屈なこともなく、大学生活は充実していました。

そして就職活動に入るのですが、私は「安定志向」「大企業志向」でした。ただ、業種は決めていて、最初は旅行会社を志願していました。ところが体育会系の風土から「これは違う」と思い始めていたところに鹿児島県加治木で起きた高速バス事故。私はバス会社を志願するようになり、方向転換。結果バス会社に入ったのですが…

パワハラに派閥争い…私はギャンブルに溺れてしまいました。これが25年前、1995年、平成7年のこと。さらにギャンブルだけではなく、新興宗教にまで足を突っ込んでしまいました…

その私の目の前に舞い込んだのが、一枚のチラシ。そこには

バルーンアートスクール受講生募集

とありました。締め切り日ギリギリに申し込み、初級と中級だけ受けたのが1996年4月。当時は

バルーンを職業とするのは難しい

と考えていたのですが…結果は

天職

になってしまいました。

しかしなぜ、このようなことが許されていたのでしょうか…

今は遅くても高校1~2年生までに将来の進路を決めなければ厳しい

と私は考えます。大学にしても専門学校にしても、将来の進路をしっかり決めて受験勉強をすることが求められています。そして就職活動では、それまでの躾けられ方、育てられ方、生き方から人生のビジョンまでが総合的に問われるようになりました。

私はもともと安定志向、大企業志向で、公務員になろうか、とも考えていました。現実問題、システムがしっかりしていた会社(西鉄や広電、両備など)にいた場合、会社についていく、という選択をして、バルーンアーティストになることを考えなかったと思います。たまたま入った会社が当時はその場しのぎの経営をしていて、派閥争いも起こり(その結果パワハラが起きたり、地方議会のごたごたに巻き込まれたりした)、結果

この会社にいても地域社会に貢献できない、むしろ体で覚えた風船の楽しさや美しさや華やかさを伝えていった方が社会に貢献できる

と考えるまでに至って、プロのバルーンアーティストになったのです。

ただの風船が大好きなおっさんが多くの人に夢と感動と希望を与えるアーティストになった

のは、実は一種の結果論だったのです。その背後では、たくさんの汗と悔し涙を何度流してきたことか…その分、何ともいえない天に舞い上がるほどのものすごい達成感や高揚感も味わうことができましたが。

現在の小学生のうち約65%の人たちが今存在しない職業に就く

といわれる時代になっています。バルーンアーティスト、バルーンデコレーター、バルーンパフォーマーといった職業は、それこそ1990年代後半に職業として認知され始め、今では立派な職業として成り立っています。しかしながら今でも、バルーンの市場の成長が供給の増加に追い付いていないのが現実です。

他方、発達障がいは早期診断、早期支援、早期療育が求められる時代になっています。スクリーニングは必要でしょうが、ASD(いわゆる「アスペルガー」、私はこの部類に該当)やADHDといった、学習障害を伴わない発達障がいについては、その人の個性を尊重して伸ばし、ほめる教育をすれば、本人の適性に合った分野で大きな成果を残すことができるまでに成長すると考えます。ただし診断は3歳ぐらいからが良いです。あまりにも早期診断が過ぎますと、誤った療育が行われたりして、子どもの可能性を摘み取ることにつながります。

あと、親の意識です。私の両親は残念ながら「行き過ぎた躾」に走ってしまいました。昭和の時代は「きちんと」した子供に仕上げるのが良い親、とされていたのですが、これはもう求められていません。引きこもりになった50代を80台の両親の年金と財産で面倒を見る、という「8050問題」がクローズアップされていますが、これは社会変化から取り残された家族の悲劇です。私もそうなりかけましたし(今私は「ひきこもりニート」になっているが、これは例のウイルス問題の影響を受け、やむなくそうしている)、親はいまだに「きちんと」した子供であることを私に求めています。もはやどうしようもない、と私は考えており、諦めているのですが。

私の人生で暗黒時代なのは、高校生時代と、過労によるうつを発症し廃業に追い込まれた2012年5月~2014年2月でしょう。後者は文字通りの「暗黒時代」なのですが、前者は

選択を誤ったが故の暗黒時代

です。正直高校生時代はいい思い出が少ないですし、高校生活は失敗でした。その分を大学でかなり取り戻せたので、何とかなりましたが。

あと、大学生時代に一度、東京で思いっきり遊んでみる、ということをやったことがあります。大学1年生の後期が終わったころ、当時できたばかりの「日本最長の豪華サロン付き高速バス」を使って1週間上京し、八王子の格安ビジネスホテルに滞在して(当時はウイークリーマンションは割高だったし、「東横イン」のような比較的安くて安心なビジネスホテルチェーンもなかった)、東京や横浜などを歩き回ったこともあります。東京ディズニーランドもその時初めていきましたし(その後もう1回しか行っていない、「シー」はいまだに一度も行っていない)、当時全国でも東京に2軒(うち1件は広尾、確か「仙台坂下」のバス停前にあった、今も西麻布で続く{タキシードベア}である)だけあったバルーンショップの両方を訪れました(もう1軒は渋谷のセンター街の近くにあったが、早い段階でなくなった)。結果、「東京に住まなくても…」となり、以後平成が終わるまで「東京は遊びに行くところもしくは用事があるときに通うところ、住むところではない」という考えになりました。インターネットの普及・高速化で東京に住むメリットもあまり感じなくなっていましたが、プロのバルーンアーティストとして活動していた2000年代の10年間、厳密にいえば1998年ごろから2011年ごろまでは年に複数回東京へ出張していましたし、東京都心及びその周辺のウイークリーマンションを必要な時だけ借りて拠点にしていました。東京に関する記述は本題から外れるし、当分東京に行く必要はなさそうなので、このあたりで終わりにしましょう。

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