感動を残すことができる、心に響く表現者として

こんにちは。

コロナ禍に振り回された2020年もあとわずかとなりました。

同時に私も50歳…半世紀生きたことになります。人生の3分の2を過ぎたことになります。

私が初めてバルーンアートというものに接したのは25歳の時でした。1996年のことです。当時の私については、すでに何度も述べてきました。パチンコ、競馬、競輪…ギャンブルに溺れていました。そのまま流されるようにして人生を過ごしていたら、一体どうなっていたのでしょうか…何も生み出すことがなく、ただ漫然と時間だけが過ぎ去る無味乾燥な人生になっていたような気がします。あるいは、生きる意味をなくして、自ら命を絶っていたかもしれませんし、もしくは親との激しい対立の結果、殺人を犯して塀の中で日々を過ごすことになっていたかもしれません。

以後、私が生命を吹き込んだ風船たちは、どれだけの人に夢や希望や元気や感動といったものを与えることができたのでしょうか…

1997年1月、第1回のJapan Balloons Network Convention、2019年まで23回続いたJBANコンベンションの初回に参加したさい、私は無数の風船と紙吹雪にまみれる経験をしました。私はこの経験などから

ただ風船が好き、というだけではなく、それを社会に役立てることはできないか

という想いから、少しずつバルーンアート作品を創り出し、自然発生的にY’s Dreamが生まれました。さらに言えば、「Y’s Dream」は「仮称」でした。

以来20年以上、2013年8月に一度廃業してからの約数か月間などを除いて、私が生命を吹き込んだ風船たち、私の手が生み出した作品たち、そして私が形にした幾多の感動の瞬間…は、多くの人々の心に響き、忘れがたい感動を残すことができました。

一方でこの2020年は、コロナ禍によって、社会が沈滞ムードになると同時に、人々の心は荒みました。1988年、今から32年前、昭和天皇が生命の危機にあった時もここまでの自粛ムードはありませんでした。子どもたちは楽しいことに飢え、自殺者はここ数年なかった高い値で推移しています。ひょっとすると先の大戦終戦後の数年間に相当する状況なのかもしれません。

そんな中でも、私は9月から12月中旬までの短い限られた期間で可能な限り風船たちに生命を吹き込み、数多くの感動を生み出すことができました。

このバルーングラフィックは主に2020年の10月から11月にかけて制作した作品たちを中心に構成したものです。制作できる期間が短い以上、可能な限りの作品たちを作ってきました。

そして改めて認識しました。

私は風船で多くの人たちに夢と希望と感動をもたらし、元気にすることができる

ということを。

こういう世の中になってしまったからこそ、私が生み出した作品たちが多くの人々の心に響いた

という事実。

多くの人に夢と希望と感動を与えられる、くす玉のような大輪の華を開かせる存在になりたい

という一途な思いから走り続けた日々…

気が付けば、そうなっていました。

これからは、

より多くの人々のくす玉を華開かせる手助けをしていきたい…

そういう想いで残り3分の1になった人生を歩んでいきたいです

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください