たくさんのくす玉を華開かせた2019年…振り返る

こんばんは。

まず、正直言います。

今後、バルーンの活動は厳しいです。

理由はいくつかあります。

まず、ヘリウムガスの問題。ヘリウムガスは来年2020年になると、もっと価格が高騰するとみています。2001年ごろの価格を1とすると、2018年の今頃が1.5でした。2019年の春ごろが1.9で、来年2020年1月以降は2.5になる模様です。ようやく最近になってアメリカにおける先物市場での投機マネーの流入による買い占め行為が主原因と報じられてきました。つい最近まで原因がわからず、単に中国やインドなどでの需要増が原因と報じられてきましたが、需要増だけでは説明がつかない暴騰ぶりに低温科学での実験に影響を及ぼしつつある現状が報道され、液化ヘリウムガスの再生利用に取り組み始める動きが研究機関を中心に出てきています。

液化ヘリウムガスの再生利用によって、工業・医療用の純正ヘリウムガスと科学実験・気象観測及び風船用の再生ヘリウムガスの両方が流通するようになれば状況は変わるとみています。純正ヘリウムガスはさらなる高騰が続き、一方で再生ヘリウムガスは2018年の水準まで価格が下がるとみています。しかしながら再生プラントの整備が遅れています。また、カタールやロシアにプラントを新設する動きがありますが、これが稼働するのは2030年ごろになると私は見ています。その間にヘリウムガスの価格の高騰が止まらなくなる恐れもあります。背景には世界情勢のさらなる不安定化があるからです。

こうなると、バルーンリリースやスパークバルーンシャワーなどといった演出の価格高騰が止まらなくなり、ほかの演出に代替される動きが加速します。すでに今年2019年にその兆候が見られています。

一方、今でこそインスタグラムなどのSNSによってバルーンの需要は旺盛ですが、これもどうなるかわかりません。私は

近いうちに供給過剰になる

とみています。

加えて、これまで主力にしていたブライダルが少子高齢化の流れで市場縮小…私が2004年から16年間にわたって関わってきた結婚式場が来年2020年春に業態転換のため閉業することもあり、婚礼市場においては6月の時点で来年2020年春以降の完全持ち込み制への移行を決断し、規模を縮小することにしています。

他方、かくいう私は今年、さまざまなことに取り組みました。振り返ると…

上半期、早春から初夏にかけては「ふうせんまつり~ゆめの国の宝さがし」をとにかく成功させることだけに専念していました。昨年2018年の今頃は、実行委員会結成の準備に追われていました。12月に入ってから、一人一人にお願いして回っていました。そうして1月14日に実行委員会はスタートしたのですが…種々のトラブルに巻き込まれ準備は停滞、仕切り直しが必要な状態となり、一時は「中止せざるを得ない」とまで考えました…しかし、2月17日に再度実行委員会がスタート、日程は当初予定していた4月28日から6月2日へ1か月延期となりました。結果、令和最初の1か月となった今年5月を丸々準備に充てられることになり、余裕を持った準備を進めることができ、大成功につながりました。

一方で、「ふうせんまつり」後の準備も進めていました。「ゆめのたね」というネットラジオのパーソナリティーとして、自らの想いを伝えていくことに決め、4月から3か月間、養成講座に通いました。4月と5月は大阪は門真市にある「ゆめのたね」本部まで通い、「ふうせんまつり」終了後となった6月は映像授業を受けました。ただ大阪へ行くのはもったいないので、4月は「ふうせんまつり」への協力をお願いしに下関のヘリウムガス卸業者(バルーン部門もある)に足を運び、その後豪華カーフェリーの船旅を体験し、5月は「ふうせんまつり」のバルーンの材料を仕入れに日本の二大卸の一つである名古屋の卸業者へ近鉄電車などを使って足を運びました。このような工夫なども重ねながら、「ふうせんまつり」への準備を着々と進めました。

「ふうせんまつり~ゆめの国の宝さがし」終了後、6月1か月間はこれまでの活動の棚卸に充てました。故郷の鹿児島にも足を運び、先祖の墓参りから霧島神宮へお礼参りもしてきました。そしてようやく、今後の活動の方向性を見つけ出すことができました。

下半期、まず夏の間は「介護職員初任者研修」に取り組みました。今後、バルーンの活動を福祉と結びつけ、高齢者の認知症予防や障碍者などへの支援、さらに幼児向けの活動といった福祉と密接な分野で強化しようと考えたからです。結果、10月上旬に資格取得ができました。一昨年2017年に取得した「レクリエーション介護士2級」と併用して、今後の方向性を確かなものにするはずでした…が…

10月から11月にかけて、非常に厳しい事態が立て続けに起きました。

先述したヘリウムガス暴騰、地球温暖化が遠因の天候不順とそれに絡む大型ドタキャン続発、さらに近年まれにみる「返還欠場」レベルの演出失敗、そして一時的な精神疾患再発…

「この先いよいよ厳しくなる、もう先は長くない」と痛感しました。

そして12月ですが、「親子でメリクリ」と「レッド☆アイワンマンライブ」という2つの大きな仕事に取り組み、いずれも成功することができました。いずれも「ふうせんまつり」からの流れで取り組みましたが、そこでようやく

夢をかなえたからこそできることが見えてきました。

私は今年2019年、「ふうせんまつり~ゆめの国の宝さがし」というイベントを自ら立ち上げ企画し、成功させることができました。夢をかなえることができたのです。夢を曲がりなりにも一度かなえたからこそ、12月の2大イベントを成功させることができたのです。とりわけ「レッド☆アイワンマンライブ」は廿日市という地域に根を張って活動しているシンガーソングライター、レッドアイさんが企画立案し、「ふうせんまつり」よりも長い時間(約1年!)をかけて準備してきたもので、そのバルーン演出・装飾という大きな役を私は担当させていただきました。

「ふうせんまつり」のあの感動のスパークバルーンシャワーの瞬間、会場内では「おめでとう」「ありがとう」という声が至る所で上がっていたそうです。

「おめでとう」…夢をかなえた私に対するお祝い

「ありがとう」…感動を共有できたことに対する感謝

そして、こういう声も上がっていました。

「一つのことが終わると同時に、新しい何かが始まる予感がする」

まさに、「平成の終わり」と「令和の始まり」です。確かに言えることは

私にとっての平成が終わり、令和が始まった

ということです。そもそも「ふうせんまつり」は、平成元年(1989年)と平成2年(1990年)の春に広島市中心部の中の棚商店街というところで行われていたもので、これに私も加わっていました。その後、平成7年(1995年)に今も続く「エミリーズバルーンビジネススクール」がスタートし、平成9年(1997年)にはJBAN(ジャパンバルーンアーティスツネットワーク)が発足、時代の変化に対応しながら今でも続いています。これを平成が終わろうとする今、自らの手でやってみよう、と思ったのが発想のきっかけでした。そしてタイミングを伺いながら昨年、2018年の新春に構想を打ち立て、1年かけて構想を温め、2018年の12月から具体的な行動を始めたのです。

思えば、2000年4月に1か月間かけて取り組んだ由布院の作品展にしても、1997年の秋に「ここでたくさんの風船を飛ばしてみたい」という想いを、現地由布院のとあるカフェでハーブティーを飲みながら由布岳を眺めつつ抱いたのがそもそものきっかけでした。その後も、思い描いたことをどんどん形にして、記憶に残していくことができました。その感動の瞬間たちは、今でも私のかけがえのない財産になると同時に、多くの人たちの心の中に残る思い出となっています。

そうしてかなえてきた夢…

気が付くと、私が開拓してきた道なき道を多くのバルーンデコレーターの皆さんがたどり、発展してきていたのです。とある世界的に活躍していたバルーンデコレーターの方が、2003年ごろにこうおっしゃっていました。

「私たちは道なき道を開拓しているのだ。その道を開拓してまだ10年もたっていない」

私も道なき道を開拓して、一つの市場を創りました。今から7年前、2012年に鬱を発症し、限界を感じ、さらにヘリウムガス払底(当時は今よりひどい「払底」という事態になっていた。今は「価格暴騰」というやはりひどい事態だが、金を出せば手に入るので、当時とは状況が異なる)などの度重なる事態で廃業に追い込まれました。当時は私のみならず、家族全員が精神疾患に陥り、暴力の応酬が起きるなどしていました。2012年から2013年にかけては、「私が風船から身を引けば母親の病気も、家族全体の精神疾患も治る」と私は考え、廃業を決断した経緯があるのです。

ところが、それは間違いでした。本当の原因は母親の中にある「インナーペアレンツ」であり、「アダルトチルドレン」の問題でした。そしてたどっていくと、母親が受けた厳しすぎる躾に原因があり、その厳しすぎる躾の背景には薩摩藩に伝わる「男尊女卑」の風土、ジェンダーの概念が関係していることが分かってきたのです。間違った思想を信じて廃業に至った私ですが、廃業に至った自分を正当化しようとして、私は儒教を学んだりもしました。儒教では「孝」という概念があり、それは「たとえ親に間違いがあっても、子はそれに泣いてでも絶対に従わなければならない」というもので、親の誤謬を受け入れようとしました。今でも私は「親の言うことがたとえ誤りであっても従うのが孝であり、それがすなわち親孝行である」と信じて疑いません。そして、自分らしく生きることが私の場合、「親不孝」となり、「親不孝は万死に値する大罪である」と私はかたくなに信じています…それゆえ、私はもがき苦しんでいるのです…このことは「自家撞着」に他ならないので。

自分自身の夢をかなえることが自家撞着につながるという、ある意味極めて特殊な状況下にある私ですが、価値観が激変し続けている現代においてこれはやむを得ない状況なのかもしれません。何しろ人工知能が人間を超える「シンギュラリティ」が数十年後には迫っているとさえ言われています。そのような状況下では、儒教の教えも通用しなくなり、古い価値観がどんどん覆されつつあります。

だからこそ、夢をかなえることがかけがえのない経験となり、次の世代に伝えることができるのです。

年が明けて、2020年、令和2年が始まってから、次のことは考えましょう。今は思い出から整理をしていきましょう。そうすることによって見えてくることがあります。それは

夢をかなえたからこそできること

です。

3 thoughts on “たくさんのくす玉を華開かせた2019年…振り返る

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