カラフル&チアフル!

こんばんは。

一日で高速バスとローカルバスと船を駆使して、バラとやまなみと潮風をまるごと体験してきました。

さて、私が創り出した作品は、カラフルなものが多いです。

しかし、テーマカラーを決めた作品も数多く生み出しています。

カラフル&チアフル…ふうせんで伝えたい想い

カラフル&チアフル…ふうせんで伝えたい想い

このグラフィックはそのような作品を主体にして制作したものです。

他にも…

メインテーブル ウエルカムゾーン

 

 

これらは色を絞った作品の一例です。振り返ってみると、結構ピンク系が多かったですが、多すぎるので省略します。

そして、どの作品にも共通しているのは

風船が持つ本来の優しさ、美しさ、楽しさ、華やかさ、可愛さといったものを引き出している

ということです。客観的に見てそう思われているようです。

最近のバルーンアートの作品の中には、

これ、風船でなくても…

というものもみられるようです。逆に風船でできているから、見るものに感動を与える、という見方もできます。

しかし、私は風船の持つ本来の優しさ、美しさ、楽しさ、華やかさ、かわいさというものを大切にした作品を作っていきましたし、これからもそれを生かした作品を作っていくつもりです。

私は細長い風船で作品を作ると、生まれつきの不器用さもあって、どうしても売り物にする作品を作れません。バルーンドレスを作ったことも実際ありますが、とてもプロといえるレベルとは言えません。

しかし、風船の持つ本来の優しさ、美しさ、楽しさ、華やかさ、かわいさといった物を引き出す力は、焼きが回ったといえども、まだまだ十分あります。

そして、

風船に対する想いは日本でも有数だと思いますし、だれにも負けないと自負しております。

だからこそ、風船でいつまでも心に残る感動の瞬間を創りだすことが今なおできるのだろうと思います。

私は一度だけ、自分で自分のために作品を作ったことがあります。

 

 

これを制作したのは、私の40歳の誕生日のことでした。

私の想いがいっぱい詰まった風船たちを、ぎっしり60個ずつ詰めました。

赤系、緑系、青系とまとめ、カラフルなのも交えています。

それらが一斉にはじけ、600個の風船が一つに溶けあう…その時に生まれる感動。

後にも先にも、自分のためにスパークバルーンを作ったのはこのときだけです。

私はこれまで述べてきたとおり、「自分へのご褒美はうぬぼれだ」と感じていましたが、このときばかりは30代から40代へと移ろう時期で、何か思うところがあったのかもしれません。

そして、この感動の瞬間を伝え、広め、分け合い、さらなる感動を生み出す…という想いで、動画にまとめていました。

これはスパークバルーンがはじける瞬間だけを1分余りの間に30個集めた動画です。いかに私がこの感動の瞬間をこよなく愛しているか、端的に表している動画です。

私は額に汗して、時には涙も流しつつ、大きなスパークバルーンの中に一つ一つの風船を膨らませています。

一つ一つの現場は緊張の連続です。すべての力を注ぎます。しかし、この緊張感も好きです。

そして、私の想いにみんなの想いが重なって、スパークバルーンがはじけた時、風船に生命がやどります、いつまでも心に残る感動となって。その時、私は体中を突き抜ける達成感に満たされます。

この仕事が私は好きなのです。心から愛しています。

そして、そこから学び取ることはとても多いと私は思います。とりわけ、自信を失っている人たちにとっては。そこから「自分もできるんだ」という想いにつなげていくのが、今の私の仕事なのです。

笑顔と感動を生み出す原動力とは?

こんにちは。

前の投稿からの続きです

私は常々

くす玉のような存在になりたい

ということを公言してきました。

そして、その思いがかなった時、

私自身がくす玉のごとくはじけ、体中を突き抜けるほどの感動と達成感を味わいます。

そのような経験をすることができる今の状況自体、幸せであり、素晴らしいことなのかもしれません。

そのような経験を、先日久しぶりにすることができました。

自動車のショールームの空間装飾

自動車のショールームの空間装飾

ママズフェスタ空間装飾

ママズフェスタ空間装飾

外から見た様子

外から見た様子

イベント出店の様子

イベント出店の様子

上から見た様子

上から見た様子

下から見た様子

下から見た様子

メインにはシンボル的バルーン

メインにはシンボル的バルーン

風船プール

風船プール

この風船プール、子どもたちのはちきれる笑顔が印象的でした。

これだけでも感動する方々が続出しました。が、これだけでは終わらないのが私。

サプライズに仕込んだ風船

サプライズに仕込んだ風船

サプライズを用意しました。ここからは自分自身は撮影できなかったので、主催者の方のフェイスブックから引用した画像です。

サプライズの風船が…

サプライズの風船が…

はじけた!

はじけた!

舞い降りる風船たち

舞い降りる風船たち

その場に居合わせた人たちすべてを感動させ、笑顔にした、私が生命を吹き込んだ風船たち。

全ては一つ一つの風船に生命を吹き込むことから始まります。

ピンクの風船たち

ピンクの風船たち(準備中)

私が一つ一つの風船に生命を吹き込み、汗まみれになって、時には涙を流してまで、創り上げる作品たち。

その風船たちは、やがてしぼみます。

しかし、その風船たちは、いつまでも忘れることのできない感動と笑顔をもたらして、その生命を全うします。

その風船たちに生命を吹き込むのが私の役目。その風船たちには、私の想いがいっぱいつまっています。そして、その思いが大輪の華を咲かせた時、私のくす玉がはじけるのです。

その風船たちに想いを託す、ということがすなわち私が笑顔と感動を与えることができる原動力なのかもしれません。

想いをカタチにしていく…

このような機会を与えてくださった広島トヨペット、CLiP広島のみなさん、P-BERRYのみなさん、そして有限会社リラックスの皆さんに大変感謝しています。

 

ゴミとお宝は紙一重

こんにちは。

ゴールデンウィークから多忙な日々でした。

そんな中、昨年秋に幕を閉じた「三次蔵プロジェクト」。この最終回の様子などが小冊子となって発行されました。

実は初回、2008年と2017年のテーマが同じでした。それが見出し。

ゴミとお宝は紙一重

小冊子「三次詣で Vol.3」より私が手掛けたバルーンのページを抜粋しました。

11インチのドット模様入りバルーン

 

ツイストバルーンのパラソル 舞い降りた風船とハイポーズ

クライマックスのバルーンリリース 10年分の想いを乗せて舞い上がる

このイベントの様子の写真を再度アップいたしました。

ところで、この「ゴミとお宝は紙一重」という言葉、人材活用、とりわけ高機能自閉症など(いわゆるアスペルガー症候群など)の発達障がいを抱えている人にとって、的を得た言葉である。

高機能自閉症にもさまざまな例があるが、とりわけ「アスペルガー症候群」と通称されるケースでは、周囲の人がその人の活躍できる場を提供できるか否かによって、その人の人生に天国と地獄ほどの差が生じる。

まず、その人が本当にどのような才能があり、どのようなことが好きなのかを見極める必要がある。その才能を引き出すのが、障がい者サービスに従事する指導員の役目なのである。これは就学前の児童発達支援から、障がい者雇用に関わる人たちまで、幅広くあてはまる。

その一助として私が制作したのが

くまさんのげんきだま2016表紙

くまさんのげんきだま2016表紙

この「くまさんのげんきだま」という小冊子なのである。

画像をクリックすると小冊子の内容をpdfで見ることができます。

私が目指しているのは…

風船を通してもたらされるものは笑顔であり、感動。

それを生み出す経験を通して、その人に自信が身に付く。

身に着けた自信をもとに、不登校やひきこもりやニートから脱却し、社会参加のきっかけをつかむ。

というもの。

私が所属している会社もそのような就労支援を立ち上げることを目標にして、今動いている。その中心に私がいる。

だからこそこのようなイベントもやる。

 エントランス

想いがカタチになり、そしてはじける

これは昨年2016年11月3日の「夢フェスタ2016」の画像。今年2017年も11月3日に同じマリーナホップのイベントホール「マーメイドスペース」で開催します。

正直私がどん底まで転落してもなお、ここまでやってこれることができたのは、今の会社に出会ってからのこと。今私が所属している会社は、まさに

ゴミをお宝にした

のである。伝えきれないほどの御恩があり、大変感謝している。

そして先日も、さらなる感動を生み出すことができ、そして私自身、突き抜けるほどの感動を味わうことができた。

ピンクの風船たちこのピンクの風船たちが…

ママズフェスタ空間装飾このような空間装飾になったのです…

そしてその作品たちが、とてつもない感動をもたらしたのです…

このときの様子はこちら

 

今はじけようとする勢い

こんにちは。

今、広島では桜吹雪。少し標高の高いところでは見ごろ。そしてさらに標高が高いと、

今にもはじけそうなつぼみ

今にもはじけそうなつぼみ

このように、今にもつぼみがはじけそうでした。

この状態の桜が私は好きなのです。なぜなら

  

  

  

  

まさに「はじける前のスパークバルーン」に通じるものがあるのです。

そして、はじけた時、最高の感動をもたらします。

桜吹雪

桜吹雪

こちらは桜吹雪の様子。日本各地いたるところで今日は桜吹雪でした。

  

  

  

  

私が生命を吹き込んだ風船たちが花開く瞬間(とき)です。

この瞬間、その場に居合わせた人たちにいつまでも心に残る感動をもたらします。

そして、私自身、自ら考えだしたバルーン演出が成功して、あたり一面に驚きと感動の歓声が広がった時、体中を突き抜けるとてつもない快感を感じます。

ところで、私はまさに今、

くす玉のような存在

をめざしているのですが、このブログをご覧いただいている方はご存知かと思いますが、私は自閉症の一種である、いわゆるアスペルガー症候群を抱えています。これは一種の先天的な発達障がいで、特定のものに多大な関心を示す半面、コミュニケーションや対人関係に困難な問題をきたしているものです。最近まで障がいとして認知されず、単なる「変わった人」と思われている程度でした。社会が高度情報化し、コミュニケーション能力絶対化の流れであぶりだされた障がいといわれています。

逆に言えば、アスペルガー症候群と診断されるほど、私は特殊な人だったのです。

バルーン業界自体がコミュニケーション能力と手先の器用さが求められる業界に変化し、私は立ち位置をなくして引退に追い込まれたのですが、そのような悪条件をはねのけてでもこれだけのものを築き上げてきて、今もなお「くす玉のような存在」を語ることができること自体が素晴らしいことであり、そのような環境を用意してくださっている今の会社には大変感謝しています。

私の生きざまを小学生低学年程度の子どもたちでも理解できるように噛み砕いた小冊子が

くまさんのげんきだま2016表紙

くまさんのげんきだま2016表紙

これです。(画像をクリックもしくはタッチするとPDFが開きます)

自閉症の子どもたちも、対人関係に悩む若者たちも、何か一つ人生を賭けるほど好きになるものを見つけて、それをものにするように努力すれば、絶対その人は大輪の華を咲かせることができるのです。

それを周囲の人たち、とりわけ両親は暖かく見守り、時には支えることが必要です。厳しいしつけなどで押さえつけて(=押し付け=お躾)、無理やり型にはめようとすることなどもってのほかです。

私は長年、今の北広島町、大朝というところに工房兼住居を構えていました。工房といっても掘っ建て小屋レベルなのですが、周囲には豊かな自然がありました。その自然と人情と温泉で、私は常に癒されていました。

その自然の息遣いの中で、つぼみが花開くのをたくさん感じてきました。その時の植物たちのパワーもまた、私の創作意欲を掻き立てていました。

普通の人はそこまで感じないのですが、私はそう感じます。アスペルガーゆえそう感じることができるのかもしれませんが、だからこそ多くの風船に生命を吹き込むことができ、多くの作品たちを生み出し、多くの感動の瞬間を創ることができたのかもしれません。そして今もなお、

「風船の話をするとものすごいパワーを感じ、元気になることができる」

とまで言われ、それがすなわち私が目指すところである

くす玉のような存在

になっているのかもしれません。その姿を見て、同じ障がいに苦しむ子どもたちや若者の目指すべきものを感じて学び取れるからこそ、今の自分があるのではないかと思います。

数多くの門出を彩ってきたものとして

こんにちは。

まずは昨日の作品です。

これらは、とある保育園の開所式のために制作したものです。

この他にも最近(2017年3月)、

結婚式の二次会のメインテーブル装飾だったり(これは生花の代わりにお願いされた)、

結婚式の会場全体の装飾だったりと、

様々な門出を彩ってきました。

それらの作品で構成したグラフィックがこちら

Happy Smile With Balloons!

Happy Smile With Balloons!

過去には

卒園式だったり、

商店街の竣工式だったりと、実にいろいろな門出を旧Y’s Dream時代から長年にわたって彩ってきたのです。

その私の原点にあるものが

大きなくす玉がはじけ、中から無数の風船と紙吹雪が舞う光景…

そう、進水式なのです。

進水式といえば、単なる鉄の塊に魂が吹き込まれる儀式。「生命の誕生」と重なる、感動的な式典なのですが…

この光景、一度見ると、鳥肌が立つほど感動します。

そのような光景にあこがれ、私は創り出す側になったのです。

過去にはこのようなことを記事にしたこともありました

そして、

造船所のある都市にあった結婚式場では、進水式をモチーフにしたバルーン演出を創り出すまでに至りました。

エスカリエ青山メモリアル2007-2015

この結婚式場は経営破たんし、今はなくなってしまいましたが、私が長年演出のプロデュースを手掛けていました。

他にも演出のプロデュースを手掛けていたところがあります。

  

   

ここは現在全国各地いたるところにあるハウスウエディングの会場とは比較にならない広いガーデンがあり、その大空間を無数の風船で彩るということを10年以上前、手掛けていました。人生最高の門出になったことでしょう。ここは現在では組数は減りましたが、今でも結婚式が時折行われているようです。これほどの大掛かりなバルーン演出は見かけませんが、それでもここではバルーン演出は人気があるそうです。

その経験と、私の風船に対する想い、そしてその風船たちに彩られる方たちへの想いが重なり合ったからこそ、このように長年にわたって感動の瞬間を彩り続けることができたのかもしれません。

スパークバルーンに恋して

私の想いがつまったバルーングラフィック。

その想いを受け止めてくださっているのが、今勤務している会社なのです。

だからこそ、このような感動の瞬間を今なお創り出すことができるのです。

エントランス

想いがカタチになり、そしてはじける

つまるところ、

想いをカタチに長年してきたからこそ、今があります。

そして、

その想いを華やかに彩り、未来に幸多かれと希望を込めて、私は風船に生命を吹き込んでいくのです。

 

何がしたいのかを明確にしないと!

こんにちは。

このところ休日出勤が多く、今日は振替の休みです。

さて、今私が勤務している会社のバルーンショップは、

もぬけの殻

です。

理由は、在庫入れ替えを行うためなのですが…1年間トライアルをして、一度も売れなかったバルーンを処分し、一方で新しい柄のバルーンを入れます。

理想は

いつでも風船が買える環境をつくる

ことなのですが…現実はソニプラやハンズに負けています。

というか、人口120万人の広島市で、今私が勤務している会社のバルーンショップ以外に実店舗は1軒しかないのです。この店は20年近く営業を続けていますが、そこしかないのです。PさんやMさん、Jさんなど有名バルーンデコレーター・著名バルーンアーティストは複数いるのに…ツイスターズを二度も開催した都市なのに…

どのバルーンデコレーターさんも、どのバルーンアーティストさんも、実店舗を持たずに活動しているのが現状なのです。

そのような中で、一見「何がしたいのかわからない」状態になっているバルーンショップAWESOME!の現状なのですが、当店はれっきとした存在意義があります。それは

障がいがあっても働ける場を創造する

ということです。

ここで障がい者就労の実情の話をしますと、就労継続支援にはA型とB型があります。

就労継続支援A型についての解説はこちら(WAMNETにリンクします)

この就労継続支援A型は、この4月から「自立支援給付費」からの利用者への賃金支払いが禁止されます。「自立支援給付費」から利用者への賃金支払いについては様々な問題があったと聞いています(ソウス)。よって、今のバルーンショップAWESOME!を就労継続支援として成り立たせるには、収益から利用者の賃金を支払えるようにしなければいけなくなるわけです。

そのために今、私が中心となって潜在需要を掘り起こしているのです。ニーズはあり、現実黒字決算で会社の収益向上に寄与できているので、4月以降も営業を継続します。しかも壁一枚向こうでは訪問介護事業所と中高生向け放課後等児童デイサービスが営業しています。ちなみに私が今所属している会社は、「高齢者デイサービスと保育園が同居した施設」を運営していますが、このような施設は全国でも珍しいようです。

ここはバルーンを通して発信する場ですので、話を元に戻しますが、私は旧Y’s Dream時代に「何がしたいのかわからない」バルーンショップを閉店させた経験があります。あるバルーンデコレーターさんから相談があり、実際に店舗を訪れてみたのですが、率直に言って

「このバルーンショップ、何がしたいのかわからない」

という一言でした。ターゲットもはっきりしない、立地条件は悪い、ただ家賃だけが高い…「これでは金をどぶに捨てるだけ、長く続けることはできない」と判断し、閉店を勧告し、私の勧めに従ってすぐに店を閉じました。その後、私のヘルプをしたり、自分たちでもイベント出店を繰り返していたようでしたが、長く続きませんでした。

要は、

何がしたいのか明確でないと、長く続けることはできない

のです。

人口10万人程度の島根県出雲市には、バルーンショップが2軒あります。いずれも最近できたのですが、共存できています。人口60万人程度の鹿児島市は、バルーンショップが3軒あります(以前は4軒だったが、1軒閉店した模様)。ほかにもいろいろな街でバルーンショップが増えつつあり、気軽にバルーンが購入できる環境が全国で整いつつあります。その中で競争が激しくなるのは当然です。

そうなると、店の個性を出して他店にない売りを見つけ出すことによって、競争に生き残る必要があるのではないでしょうか。そのためにも、

何がしたいのかを明確にする

必要があります。

地域づくりのイベントの弊社ブース

地域づくりのイベントの弊社ブース

発信力と爆発力と

こんにちは。

本体のホームページを現状に沿った形に変化させました。

最新の作品集タイトル

2014年以降の作品集

バルーングラフィックタイトル

バルーングラフィック集

さて、最近私はとあるネットラジオ局の関係者の方々と親しくなりました。

昨年、このネットラジオ局とは別のコミュニティFMラジオ局の番組に出演した際、生放送中にバルーンクラッカーをスパークさせるなど、まさに「くす玉のような」放送をお送りすることができました。私の想いが十分に伝わったようでした。

そのようなこともあったので、そのネットラジオ局がパーソナリティを募集していたのを見かけ、応募するかどうか検討しました。さんざん悩みましたが、結局今回は時期尚早で見送り、ということにしました。

理由は

「常に」発信し続けることができる状態に今自分はなっていない

このような状態で「常に」心に響くメッセージを届けることはできない

というものです。

ただ、このラジオ局の番組には、今後何度もゲストとして出演していただけることになりそうです。そして、私の風船に対する思い、さらには私に接する人を幸せにしていきたいという思い、といったものをどんどん伝えていくことにしています。

「くす玉のような存在」になりきってからでも遅くない、と思い、機の熟していない今の段階ではまだ早い、と考えて、「常に」自らの夢と情熱を伝える必要のある自分の番組を持つことは見送ったのです。

この「常に」というのがポイント。

どんなつらいことがあっても、常に笑顔で前向きにいられることができるのが、真の「プロ」の発信者。私はかつて、それこそ「プロ」として活動できていました。だからこそ、何千もの風船に生命を吹き込むことができたのだし、それによって数多くの人に夢と感動を届けることができたのです。

2012年、私は長年の無理がたたり、鬱を発症してしまいました。薬が効かないのでおかしい、これはもしや…と思い、調べてみると案の定発達障害が見つかりました。鬱はそれに伴う二次障害で、適応障害を引き起こしていました。

その後、いわゆる「アスペルガー症候群」の傾向があると診断され、正式に「自閉症」の診断が出たのが2013年。一方、2012年の秋ごろ、ヘリウムガスが日本中から払底し、バルーン演出の需要が激減。バルーン業界の在り方が大きく変化する中で私は立ち位置を失いつつあった上に、母親の精神疾患が深刻になり、私は引退を決断したのです。

それから数年、私が長年してきたことが認められ、加えてその実績を発達障がいのある人たちの生きる力に結び付けるべく、今の会社に入社した経緯があるのです。

ですから、私が発信し続け、たびたび述べている「くす玉のような存在」になりきれることによって、同じ障がいに苦しむ人たちに自信と生きる力をもたらし、ひいては会社の業績に貢献することになるのです。

だからこそ、無理をして何もかもが中途半端になってはいけない、と思ったから、今回は時期尚早として見送ったのです。

そういう私が、

風船に対する思い、さらには私に接する人を幸せにしていきたいという思い

を伝え続けるために身に着けようとしているのが

爆発力

いいかえれば

はじける力

です。

花火が空高く舞い上がり、大輪の華を咲かせようとするとき

桜の花がつぼみから花開かせようとするとき

女性が赤ちゃんを産みだすとき

とてつもない力が必要となります。

そして同時に

とてつもない感動を生み出します。

くす玉も同様に、はじける瞬間にとてつもない感動を生み出します。

私は一つ一つの風船全てを「生命を吹き込む」という気持ちで膨らませています。そして作品は、わが子を送り出すような気持ちで世に出すのです。バルーンギフトアレンジなどもすべてそうですが、とりわけスパークバルーンなどのバルーン演出には思い入れが特に強いです。

わずかな瞬間の感動が、いつまで心に残る思い出になる…

その時、生みだされるパワーはとてつもないものです。

そういうものを生み出すことにあこがれて私は風船屋を職業にしたほどです。そして、私は数多くの感動を生み出すことができました。

これから私がすべきことは、

子どもたちや若者に夢を持つことの大切さを伝え、

子どもたちや若者の心に大輪の華を咲かせるための種を植え付けること

そのために、私自身が

くす玉のように感動を生み出すことができるような存在であり続ける

必要があるのです。

そうあり続けるためにも、

無理は禁物なのです。

スパークバルーンに恋して

くす玉のはじける瞬間にあこがれた私が手掛けた感動の瞬間

 先日の結婚披露宴でのバルーンクラッカー

くまさんのげんきだま2016表紙

くまさんのげんきだま2016表紙

はじけるくす玉

はじけるくす玉に対する私の想いを表現したグラフィック

今でいうスパークバルーンは、当初「くす玉バルーン」と呼んでいました。そして、それを私は1998年から作り続け、2000年には全国宅配を始めた、先駆者的存在なのです。そして市場は大きく成長しました。「くまさんのげんきだま」は、私の「くす玉バルーン」に込めた思い、そして道なきところに道を切り開いた経験のある人ゆえ伝えることができる思いを小学生でも理解できるようにまとめた小冊子なのです。

このような小冊子を制作して、世に送り出すことができること自体、自分のしてきたことがいかにすごいことだったのかを端的に示しているのかもしれません。

 

はたを楽にする、という意味

おはようございます。

最近、このような言葉を耳にしました。働くとは、「はたをらくにする」ということである。ここでいう「はた」とは、「自分の周囲にいる人」の意味。とある政治家の国会答弁から生まれた言葉らしい。

現状を考える。

自分が仕事をすることによって、「はた」を「楽」にしているか。

答えは「否」である。

自分が生活するだけで精一杯で、周囲の人の生計を楽にする余裕はない。というか、ここ数か月を振り返ってみると、

自己投資、すなわち自分のために稼いできたお金を使いまくっている

のが現状。

自己投資先は、バルーンの技術を身に着けるためではない。というか、今のバルーン業界の現状は、「技術だけが先走っている」現状の一方、「コミュニケーション能力が高くないといけない」状態。手先の器用さもコミュニケーション能力も他のバルーンアーティストやデコレーターの皆さんに比べてはるかに劣る私としては、とてもついていけない状況である。だからバルーンセミナーの類には参加しない。

よって、違う方向へ自己投資をしている。

今年に入って、とりわけ1月下旬から力を入れたのは

少しでも多くの人に会うこと

であった。同時に

少しでも自分のしてきたこと、していることを知ってもらう

ことである。

昨年私は

くまさんのげんきだま

という小冊子を作った。自分のしてきたことを振り返るとともに、自分のこれからすべきことをはっきりさせるためである。

この小冊子や

バルーングラフィックタイトル

バルーングラフィック集

で表現したいこと…それは

「風船によってもたらされる美しさ、華やかさ、楽しさ、幸せ」はもちろんだが、それを表現することによって自分がしてきたこと、自分がこれからしていきたいこと、そして自分の想いを伝えることなのである。

そして、新たな作品を現在会社で営んでいるバルーンショップAWESOME!で制作し、それによって一人でも多くの人に幸せと感動をもたらすことによって、同じ苦しさに直面している人たちを元気づけ、自信をつけるということなのである。

昨年、今勤務している会社の中で「バルーンショップAWESOME!」を立ち上げたが、なかなか知名度が上がらない。本来の目標は「障がい者の働く場を創造する」ことであり、「風船に接することで生きる力と自信を身に着け、自立した社会人になる」ことなのだが、そのためにはバルーンの潜在需要を掘り起こさなければならない。そのため、私は今、人脈を広げるために動いているのである。

すでに、いくつか話をいただいている。「ママフェスタ」というイベントに出展し、そこを糸口に仕事をいただいたケースもあった。そこで出会った人がまた広めてくれる…こうやって今どんどん広げている。

私が本当に今していきたいことは何か。

風船を通して私がやってきたことを、次の世代に伝える

ことであり、同時に

自分が直面した生きづらさに苦しむ人たちに自信と生きる力を身に着けてもらうことによって、自立へのきっかけをつかんでいただく

ことである。

だから私は、バルーンセミナーで技術を身につけるのではなく、自分の生きざまを伝えるための人脈づくりに取り組んでいるのである。

そのフレーズとして取り入れたのが

くす玉のような存在になりたい

ということである。

というか、自分の生き様が

くす玉のような存在

になりつつある。

そして、私が目指しているのは

一人一人の心の中にくす玉の種を植え、そのくす玉が大輪の華として花開くのを手助けしていく

ことなのである。

「はたをらくにする」ということは、

周囲の人を幸せにする

という意味もある。その意味で私は「働くことができている」のかもしれない。

「バルーングラフィック」、何を伝えたかったのか?

こんにちは。

この文章は、宮島の町家通りにある「みやじまガラス工房 Fizz Glass」さんで出会ったMasukoさんがしたためてくださった新聞「Feel So…」から引用させていただきました。ある作品を見てArtについて書いたMasukoさんの日記の文章です。

※太字、カラー表示の部分が引用です※

あまりに自分に通じるものがあり、感動したので、本人の承諾を得て掲載させていただきます。

Masukoさんの文章、すべての部分が私のバルーンに対する思いに通じるものがあります。

「人には芸術の分野を通じて発揮される(芸術)本能があり、その芸術本能が行き来していることが、人の生命の自然だと思う」…私が風船に対する思いを語り出すと、私の表情がたとえようのない素晴らしい笑顔になり、それに接する人がみな元気になるという。それがすなわち「くす玉のような存在」なのである。

「芸術の分野には最高にわかりやすく、伝わりやすい原因がつまっている」…私の作品はすなわち私の想いであり、同時に皆さんの想いである。その想いがそれこそ「くす玉」のようにぎっしりと詰まっている。それがはじけることによって多くの人を感動させることになる。

「初めに一つがあり、そこから広がる風が一つずつになり、ハーモニーを奏でる個個になる」…私が風船を膨らませることはすなわち、私が風船に生命を吹き込んでいることである。何十、何百、時には何千にも及ぶ風船一つ一つに私の想いを詰めているのである。

「それが全体を生かし、ここを支える力とつながる。そんなもの(作品とは)…」…私が創り出した作品たちや感動の瞬間。それがそこを構成する全体とつながり、一つになって、感動を生み出す。

「作品はその人そのものだなあ。その作品は、もっと真実になりたがっていた。大きくなって風を吹かせている。」…私が創り上げる作品たち、そして感動の瞬間は、いつまでも多くの人たちの心の中に生き続ける。忘れがたき思い出として。風船はやがてはしぼむもの。だからこそ、その瞬間瞬間の想いを届けていきたいのである。

「一つ一つの素材とカタチの生み出すハーモニーをもっとシンプルで優しくて風そのものに。」…風船にはいろいろな素材がある。いろいろな色がある。そして形がある。それらがまじりあって、一つの作品を創り上げていく。それを創り上げていくのが、私たちバルーンアーティストなのである。

「やわらかく、一つ一つの風を吟味し、シンプルに形をきわめる。たとえば、扱いやすい素材で全体の形をエスキースしていく。高いテクニックでまとめる前にシンプルな形で確認していく。」…風船という素材そのものを生かす、というのが私の作品をつくるにあたっての考えであり、基本的な想い。風船は1個あるだけでもその場の雰囲気が和み、幸せな空間を作り出す力がある。それらを組み合わせて、思いが詰まった作品たちを創り上げるのが私たち、バルーンアーティストである。

「それをわかりやすくするために大きく表現してみる。大きくなった時、いいものはもっとよく見えている。」…私がバルーンアーティストであり続ける理由、そして風船で一人でも多くの人を幸せにし続けたいと思う理由はすなわちこの思いである。私が創り出す作品たちや感動の瞬間が一人でも多くの人々にいつまでも忘れがたき思い出として、そして未来に向かって生きる力となるとき、私の中で心の中のくす玉がはじけ、また新たな感動を生み出すことができるのである。

バルーングラフィックという、私の作品だけで構成したコラージュ画を、なぜ私は創るようになったのか…

私の想い、そしてみんなの想いを託した風船たちを通して、伝えたいものがあるからなのです。

このバルーングラフィック、そもそもは2013年に私が引退した際、「私が風船で伝えたかったのはいったいなんだったのか」を振り返るのに作ったのが最初です。この「ふうせんでつたえたいこと」も同じ想いでいつもしたためています。

やがて私は、形を変えて再び風船に生命を吹き込むことができるようになりましたが、風船で伝えたい想いは変わることがなく、こうして作り続けているのです。

それを見た人たちが改めて感動します。

私がしていることのみならず、自分の作品で表現したいことを表現できていることに…

風船に想いを託そう!

風船に想いを託そう!

 

夢を持つことの大切さ

こんにちは。

私はつい最近まで、自己否定を徹底していました。自分で自分をほめることができる人は、すなわち傲慢な人と思っていました。そして少しでも問題があると、「自分はダメだ」と決めてかかっていました。ひたすら自分を追い詰めていました。

さらに、ほめられても「何か裏がある」と疑ってかかってきて、素直に喜ぶことができませんでした。

今はそれを乗り越え、「くす玉のような人々を元気づける存在」に近づきつつあります。

ではなぜ、私はそう変わることができたのでしょうか?

詳しくはこちらをご覧ください。風船の楽しさ、美しさ、華やかさとは対照的なサイトです。

ふうせんだいすきおっさんのひとりごと

上記のサイトで自己否定していた自分については詳しく述べています。

その自分がどうして今、「くす玉のような存在」を自ら語ることができるほど、自己肯定感を身に着けたのかですが、やはり周囲の存在が大きいでしょう。自分がやってきたことがいかにすごいことだったのかに、周囲の人たちの力によって気づくことができたことではないでしょうか。

私が生命を吹き込んだ風船には、すごい力があるといいます。人を元気づけ、人を感動させ、そして人を幸せにする…

とにかく、私は一つ一つの風船に気持ちを込めていました。

私が膨らませた、すなわち生命を吹き込んだ風船によって、どれだけの人を勇気づけ、どれだけの人にいつまでも心に残る感動を残すことができ、そしてどれだけの人を幸せにできたのか…風船一つ一つに、私の想いがぎっしり詰まっていたのです。

そういうことを積み重ねた結果、気が付くと、自ら目指していた「くす玉のような存在」にいつの間にかなっていたのです。

それに私はつい最近まで気づくことができませんでした。

昨年のことでしたが、とあるラジオ番組に出演する機会がありました。その中で風船に対する思いを30分近く話させていただきましたが、パーソナリティの女性の方が「元気が出た」と感じるほど、私ははじけていたようです。まさに「くす玉のような存在」だったのです。

結局、私が創り上げてきたものがすべて「財産」「資産」になっていたのです。

そのような存在にどうしてなることができたのか…

曲がりなりにも一度夢をかなえることができたから

なのです。

子どもたちに伝えたいのは

夢を持つことの大切さ

であり、

その夢に向かって努力することの大切さ

なのです。

そして、その親たちに伝えたいのは

子どもたち自身の力で見つけた夢をくじくようなことを決してしてはいけない

ということと

親の夢を子どもたちに押し付けてはいけない

ということです。

親の夢を子供たちに押し付けたり、子どもたちが見つけ、抱いた夢をあきらめさせることは、すなわち「お躾」であり、決してすべきことではありません。これをすると、子どもの自己肯定感を損ない、将来「生きづらさ」を抱えたまま人生を歩むことになるなど、子どもの人生に取り返しのつかない悪影響を及ぼす危険が高いです。

そして、大人たちも子どもたちも

どんなに小さくてもいいから、心の中にくす玉を持ってほしい

と私は思います。

あのくす玉を花開かせるんだ

という強い思いが、努力することにつながり、結果、成功体験を積み重ね、自己肯定感を高めることができるのです。そして、大輪の華を咲かせることができるのです。

今や、私に夢を託す人さえ現れました。その方が抱いた夢をかなえることがすなわち私の夢であり、その夢がかなった時、お互いがくす玉のような存在となって、多くの人を感動させ、夢と希望を与える存在になると思います。

くまさんのげんきだま2016表紙

くまさんのげんきだま2016表紙

私の想いがぎっしり詰まった風船たち、私が創り上げた感動の瞬間、そして夢と希望に満ちあふれた作品たちで創り上げた一冊の小冊子です。この小冊子自体、私の周囲にいる仲間たちの協力によってできたものです。自分自身、自己否定の塊だったころにこの小冊子をつくることはまずありえなかったでしょうし、まず思いもよらなかったでしょう。自己否定を乗り越え、「自分がやってきたことはとてつもなく素晴らしいことだった」という自己肯定感を感じることができるようになったからこそ、この小冊子をつくることができるようになったのです。