はじけるくす玉がもたらすものって…

こんにちは。

今年の春をめどに、資格取得を目指すことにしました。

何か、というと、

レクリエーション介護士

です。

現在、私は障がい者福祉にかかわっています。そして「生涯支援体制」という名の下、0歳から100歳近くに至るまで、幅広い年齢層の支援を手掛けている会社に在籍しています。

一方、バルーンのニーズはブライダルや式典といったニーズは小さくなる一方、バルーンギフトやホームパーティーから高齢者向けレクリエーションに至るまで、幅広い分野で伸びています。

私も近日中に高齢者向けバルーン教室を初めて開催することになり、現在勤務時間中にレジュメを作成するなどしています。大まかな構成はすでに出来上がっています。

先週テキストが届き、今日初めてテキストを開いて、「序章」の部分を勉強したのですが、まさに私がこれから進めようとしているものでした。PDC(企画・計画→実施→見直し)が大切とか、参加された高齢者や介護福祉関係者の感想をフィードバックさせる必要性とか…

むろん、私が行うレクリエーションは、バルーンが中心。

私が長年培ってきた「風船の楽しさ、美しさ、華やかさを一人でも多くの人に伝え、幸せを感じていただきたい」という想いを、高齢者向けにアレンジしてお届けしたいと考えています。そして手先を動かすことによって、認知症予防にも役立てたいと思うところです。

さて、ここからが本題。

昨日のことでした。

知り合いが行っていたとあるイベントに顔を出しました。そこにいた方が、つい最近どこかでお会いしたようなのです。そこで用意していたAWESOME!のバルーンパンフレット一式を渡すと、

やばい!すごい!

を連発しました。そして

広島でどこにお願いしていいのかわからなかったのよ!探していたものに出会えた!

という声が複数…

頼みたいのに頼めないという状況が起きている現実に、潜在ニーズをいかに掘り起こすか、という課題も見えてきたのですが、それ以上に

私のあのパンフレットだけで感動させることができる…

バルーンスパーク&クラッカーチラシ

バルーンスパーク&クラッカーチラシ

ホームパーティーチラシ

ホームパーティーチラシ

バルーンデコレーションチラシ表面

バルーンデコレーションチラシ表面

バルーンギフトチラシ表面

バルーンギフトチラシ表面

バルーンギフトチラシ裏面

バルーンギフトチラシ裏面

バルーンデコレーションチラシ裏面

バルーンデコレーションチラシ裏面

バルーンパンフレット配布用2017年度版

バルーンパンフレット配布用2017年度版

AWESOME!で配布中のパンフ2

AWESOME!で配布中のパンフ2

※これらのパンフレットはバルーンショップAWESOME!閉店に伴い2019年1月をもって配布中止となりました。

これだけでも「やばい!」と感動するのですから、生で見たら…

感動のあまり涙を流すのではないでしょうか…

昨年のあのイベントでも、感動のあまり涙を流す人がいたとか…

そして私の想いをまとめた小冊子

くまさんのげんきだま2016表紙

くまさんのげんきだま2016表紙

も差し上げました。

それにしても、パンフレット一つだけで「やばい!」と高く評価される…。「すごい!」の上を行く言葉が「やばい!」だそうだが、思わずこの言葉が出るくらい、私がやってきたことがいかに素晴らしいことであり、すでに目指しているあの存在…

くす玉のような存在

になっているという証しなのでしょうか…

違う角度から見れば、人生を無駄に過ごしてきたキャリアも経験も実績も何もない単なるスカスカ人間と評されているのに…

それだけ私がやってきたことが本当に「やばい!」レベルのすごく、かつ素晴らしいことなのかもしれません。

それに甘えることなく、更なる先を見据えて行動する…一方で夢を託してきた人の夢をかなえてあげる…

本当の「くす玉のような存在」になりつつあるのかもしれません。そしてそういう存在になることによって、多くの人を元気づけることができる…

くす玉のはじける瞬間に接して夢と元気と感動を得られる…それにあこがれた私が実際に感動の瞬間を創りだす側になった…一度力尽きても、そこからよみがえって再び感動の瞬間を創りだしている…だから私の創り出すものに触れて感動するのかもしれない…

でもそれに甘えてはいけない。常に先を見据えて行動し、さらなる感動を生み出す…

私が目指すべきところは、

私自身の生き様が夢と感動をもたらすものとなる

なのかもしれません。

生まれつきの自閉症、発達障害、「療育」という概念がなかったころの誤った医療的アプローチと間違った厳しさをもって臨んだ両親の子育て、その結果私はコミュニケーション障害に、母親は精神疾患に、さらに親子ともどもアダルトチルドレンに苦しみ、一歩間違えれば引きこもり、家庭内暴力、さらには自ら命を絶つか罪を犯して塀の中(もっとひどければ法によって命を絶つことを宣告される)…

そうなってもおかしくなかった私が、こうして多くの人を感動させることができるまでになったのは、ある意味風船とくす玉のおかげなのかもしれません。

そして同時に支えていただいている多くの仲間たちに感謝したいです。

風船はみんなの気持ちをつなぐ

こんばんは。

今日、無性にある方に手紙が書きたくなりました。

私からその方に感謝の気持ちを伝えたくなって、手紙を書いたのです。

実は、この方、私が大変お世話になった方。その方が転職されることになり、送別会で大きなハートの風船に寄せ書きをされたそうです。もちろんその風船は私が用意しました。

私も誘われたのですが、諸般の事情で参加できず。

帰った後私はたまらなくなり、「感謝の気持ちを手紙に書こう!」という気持ちになりました。

同時にこの方、私が常日頃唱えている

「くす玉のような存在になりたい」

という私の気持ちを理解してくださっていた一人でした。

そこで私は

感謝の気持ちをくす玉に託して

感謝の気持ちをくす玉に託して

このバルーングラフィックをアレンジして、レターセットを手作り。そのレターセットに私の感謝の気持ちをしたためました。

このバルーングラフィックは例のグラフィック集には掲載していません。

私が本当に感謝の気持ちを伝えたい人だけに提供する、特別なバルーングラフィックなのです。ここでも今回だけの特別公開です。

今日、私は送別会に出席した上司と同僚から話を聞くことができました。すると

あの寄せ書きの風船は、みんなの気持ちを一つにした

とのこと。

私も今回、とびきりのバルーンギフトを制作したのですが、それ以上に

風船がみんなの気持ちをつないでくれた

のです。

私は今、

成功体験というくす玉をはじけさせることを積み重ねることによって、大輪の華が開く

ということを唱えています。その達成感はとてつもない貴重な経験になります。

思えば昨年の11月、みんなの気持ちが一つになって、風船たちに乗り移り、とてつもない感動の瞬間を生み出すことができました。みんなの気持ちが一つにならなければ、とてつもない感動の瞬間を生み出すことはできなかったと思います。風船に生命を吹き込むのは私です。しかし、その風船に魂を吹き込みのはみんなの一人一人の想いなのです。

想いがはじける

想いがはじける

今私は、とても素晴らしい仲間たちに恵まれている、と思います。

今回の一件にしても、素晴らしい仲間たちとともに仕事をさせていただいている、その中でみんなの気持ちを一つにする仕事をしている、ということを改めて実感しました。その中に私が生命を吹き込んだ風船があるのです。

 

それぞれの得意分野を伸ばす

こんばんは。

2017年になって以降、20年ぶりにインフルエンザにかかってしまいました。

旧Y’s Dream時代は、風邪を引いたことは何度かあった(何故か夏風邪も何度かあった)が、インフルエンザは一度もありませんでした。今の会社に入ってから、公共交通機関で通勤するようになり、加えて住居と職場が分離。今の職場で集団感染が発生してしまい、私も20年ぶりにインフルエンザにやられてしまいました…。

今日は、そんなこんなで2017年初めての体調の良い休日となりました。

そこで私は、予め仕入れていた情報をもとに、とあるカフェを訪れました。

そこにあったのは、とあるバルーンアーティストの方の作品。この方が作品展を開いていたのです。

この方は、ここ数年世界大会や全国大会で優勝や入賞を重ね、経験2年にしてトップクラスのバルーンアーティストに成長した方です。私も何度かお会いしています。

このカフェで、実際に私は作品を拝見させていただいたのですが、何がしたいのかすぐに私はわかりました。

「バルーンアートの可能性、素晴らしさというものをより多くの人に知っていただきたい」

正直言います。

私も反省しなければいけないのですが、

バルーンの可能性というものがまだまだ一般の人に知れ渡っていない

のが現状ではないでしょうか。

私がバルーンに携わるようになって、およそ20年の歳月が流れています。にもかかわらず、まだまだ一般の人のバルーンに対する意識は

子供のおもちゃ、あるいは、ただでもらうもの

という程度のものにとどまっているのが現状です。

私はそこから、風船で全く新しい価値を生み出すことに長年取り組んできました。

旧Y’s Dream時代は、

風船で全く新しい感動を生み出す

ことに長年力を注いできました。今では一般化した宅配スパークバルーンを2000年の段階で実用化したのは私ですし、様々な方法を用いて感動の瞬間を創りだすことに挑んできたのは事実です。

今私が取り組んでいるのは、

バルーンと障がい者及び高齢者福祉の融合

です。高齢者福祉については、すでに認知症予防におけるバルーンの効用について取り組みが進みつつあり、私も現在構成を組み立てているところです。来月初めてそれに基づいたバルーンイベントを実施し、今後のフォーマットづくりに生かす段階です。

一方の障碍者福祉ですが、精神障がいや発達障がいの人たちが自信を取り戻せるようなプログラムを創り出すべく、切り出し作業を進めています。すでにいくつかの作業については可能という結論に達していて、それらの作業をいかにして障がい者の就労に結び付けるか、という段階に進んでいます。

一方で、障がい者就労においては難しい、と思うものも出てきています。たとえば細長い風船をひねってバルーンアート作品を作る、というものですが、これは先天的な手先の器用さがものをいいます。やりたいという人が現れた場合はともかく、そうでなければ訓練に組み込むべきではない、という結論に達しました。私自身が手先が不器用で、出来上がったものが大きさが完全に均一でない、という状況です。ある程度は慣れと訓練で克服できますが、越えられない一線がある、というのが私の経験で実感しました。もうそうなると生まれ持ったものの違いというところになり、努力の限界、才能の領域、というところになってしまいます。このようなものを障がい者就労として組み込むわけにはいきません。やりたい人に対して最低限の助言をする程度にとどめるべきです。

そして私の作風ですが、細長い風船をひねって創り出す作品は他の人にはるかに劣るにしても、丸い風船などを用いて作る作品は、まだまだ負けていないし、焼きが回ったといえども十分に感動させることのできるものを創り出せるという事実。

これは2016年の作品だけで構成した現在のデコレーションパンフです。

2016年の作品たち

2016年の作品たち

2016年の作品たちギフト版

2016年のバルーンギフトの作品たち

そしてこれらは2016年の作品だけで構成したグラフィックなのですが、一度引退して焼きが回ってなお、これだけの作品を創り出せているという事実。

自分の作風を確立している、という事実を踏まえて、それぞれの得意分野で勝負すれば、全体の市場がまだまだ伸びる余地がある、というのが私の持論です。

かくいう私もまだまだ努力不足で、反省しなければいけないのが現状ですが…

こうしてみると

バルーンパンフレット配布用2017年度版

バルーンパンフレット配布用2017年度版

昨年の代表作が過去の作品となんら遜色がない…

やってきたことは間違っていなかった、ということになる…

そのような中で、今私ができることはいったいなんだろうか…

カウントダウンでのバルーン…お国柄の違い

こんにちは。

いよいよ2016年も押し迫ってきました。

昨年のように旧Y’s Dreamの完全消滅→AWESOME!への移行、というイベントもなく、またかつてのY’s Dreamのように、全国各地のカウントダウンイベントで、私が膨らませたスパークバルーンやバルーンシャワーがはじけるとともに新年を迎える、ということもありません。ほとんどが宅配で、2001年の東京西新宿に始まり、2013年の京都先斗町まで、旧Y’s Dreamが営業していた時期は毎年どこかで私が膨らませた風船がはじけていました…

バルーンシャワーセットの操作がうまくいかなかったよう(反対に引っ張ってしまった模様)で、1個失敗していたようです…この時期、他にも失敗事例の報告があり、この年(2008年)2月以降説明書を同封しました(以降クレームはなくなり、定着した)

上の動画のイベント主催者様がリピートしてくださり、今度は2011年に旧Y’s Dreamの看板商品だった「くす玉バルーン」をご利用いただきました。

海外ではバルーンシャワーで新年を迎えるのが定番なのですが、日本では…

実際多く利用されていたのが、クラブやバー、それにレストランなどでした。

上の画像は比較的大きいイベントだったのですが、中~小規模のカウントダウンでの需要が安定してあり、開業から廃業まで毎年ありました。1999~2000年のミレニアムから2012~2013年に至るまで、毎年日本のどこかで、私が生命を吹き込んだ風船が、新年を彩ってきました。カウントダウンの注文だけは、営業している間毎年途切れることがありませんでした。

ある年はスパークバルーン

ある年はバルーンシャワー…

これは2004年から2005年へのカウントダウンイベントの様子。 
 
広島県内の某テレビ局の企画で、某スキー場で行ったもの。バルーンリリースとスパークバルーンリリースを行いました。

現場で年越しの場合、成功するとその場に居合わせたスタッフと抱き合うほど、感動する…

が、これ以外では1999年から2000年への、あのミレニアムのカウントダウンの時しかありませんでした。

ちなみにこのカウントダウンの後、車が雪に埋まって出られなくなり、熱で車に積もった雪を取り除いたところ、車のリアガラスが割れるという大災難に見舞われました…

さらにいえば、実は、廃業後の2013年11月ごろにあるところから打診があり、カウントダウンイベントで大がかりなスパークバルーンシャワーをするという話があったのですが、廃業後だったため、丁重に断らざるを得ませんでした。もし仮に続けていたとすれば、受けていたのは言うまでもありませんでした…が、2012年12月ごろに始まったヘリウムガスショックで事業継続を断念していた可能性の方が高く、いずれにせよ…でした。

もしも…を言うのはやめましょう。

で、話は変わります。

日本のカウントダウンイベントといえば、花火とジェット風船が主です。

しかも地域ぐるみのカウントダウンイベントは、1999年から2001年がピークだったような印象がします。

日本の正月といえば、初もうで…でしょうから、世界で当たり前になっているホテルなどでのバルーンシャワーが非常に少ないのです。

やはりお国柄や風土的な違いがあるから、仕方ないのかもしれません…

今日のグーグルのトップを見て、ふとそんな気持ちになりました…

というわけでよいお年を。

 

 

夢をかなえたその先にあるもの

こんにちは。

ある統計によれば、日本においては夢をあきらめる年齢が23歳とも24歳ともいわれている。その理由が「才能の限界を感じた」というもの、あるいは金銭的理由だという。

逆に、私は実をいうと、夢を持って生きたことが26歳までなかった。

高校生時代の「東京の大学に進学する」ぐらいであった。それとて大学に入ってから次に何を目指すか考えるつもりでいた。

1997年、バルーンアートの素晴らしさを知って、初めて夢を抱いた。

Y’s Dreamを立ち上げようとした1997年から2013年の休業に至るまで、一貫していた思い…

Balloons Make Everyone Happy!

これだけであった。

私が生命を吹き込んだ風船で一人でも多くの人に幸せと感動をもたらす…

唯一抱いた夢で、かつ唯一かなった夢である。

そして私は引退を決断し、徹底した自己否定を通してバルーンアーティストであった自分を捨て去り、真っ新な自分に生まれ変わろうとした。ところがそれはできなかった。

バルーンアーティストとして夢をかなえた経験を持つ自分ができることは何か…

風船で夢を持つことの大切さを次の世代に伝えることであった。

2016年の作品たち

2016年の作品たち

2016年の作品たちギフト版

2016年のバルーンギフトの作品たち

2015年の作品たち

2015年の作品たち

2014年の作品たち

2014年の作品たち

一度引退して、「焼きが回った」状態で、それでもこれだけの作品をつくることができるとは、それ自体すごいことなのかもしれない。

そして、今年はこのような小冊子を制作した。

くまさんのげんきだま表紙

くまさんのげんきだま表紙

くまさんのげんきだまの一部

くまさんのげんきだまの一部

発達障害に苦しむ親子のために、私が風船を通して自立する過程を一冊にまとめた小冊子、

くまさんのげんきだま

である。

これはもともと今勤務している会社の利用者の親子向けに制作したのだが、九州のとある放課後等児童デイサービスの運営者の方から「ぜひ活用したい」という声が出て、すでにお届けした。

夢を曲がりなりにも一度叶えたからこそできたことであった。

なぜなら、この小冊子、ほとんどが私の作品のコラージュで構成されていて、それを今勤務している会社の同僚の方が絵本仕立てにアレンジしてくださったものだからである。そもそも、この小冊子自体、この「ふうせんでつたえたいこと」のダイジェスト版で、しかも小学校低学年の子供さん及びその親が理解できるように噛み砕いている。もちろんそれ以上の年齢の子供さんにも対応している。

さらに、今年、私は表現者としての自分にある程度の区切りをつけることにした。一度引退して、復帰したらその間にバルーンの在り方が大きく変わり、今の自分にやれることは限りがあると考えたからである。

現状、バルーンの主流はギフトとツイスティング、パフォーマンス。エンターテイナーが求められている。

私のようにコミュニケーション能力に生まれつきの問題があり、加えて翳を抱えていて、さらに手先が不器用。バルーンアーティストは本来不適なのである。それを「好き」という想いだけで乗り越えようとして、限界まで挑んだのが私。

来年やってみたいのは、児童デイサービスを利用される子供さんに自由に夢を描いてもらい、それを風船で形にすること。今の自分の技術には限界がある。それでも可能な限り挑んでみたい。幸い私にはバルーンドレスを曲がりなりにも作れるだけの技量はある。リンコルーンも扱える。

同時に、同じ障害に苦しむ人たちで作品を作るという構想もある。

いずれにせよはっきりしているのは、自分が主役にならないこと。

一方で、私が制作したバルーンドレスを着て、私が装飾したステージに立ち、私が演出したバルーンシャワーが舞う中歌って踊りたいという人が最近になって現れた。私に夢を託してきたのである。そういう人が現れること自体夢をかなえたからこそであり、私にとって新たな夢になった。来年、絶対にその夢をかなえてあげたいし、同時に私の夢がかなうことになる。

夢をかなえようとする姿ほど美しいものはないし、その姿、その生きざまそのものが多くの人に感動を与える。私はすでに一度そうなった。それが「くす玉のような姿」だった。そこから私は多くの人の心にくす玉の種を植え、それを花開かせる手助けをしていく存在になる…それが私の夢なのである。

私の風船への想い

こんにちは。

私の風船に対する思い…

とてつもなく強い。

一つ一つの作品に対する思いは、まるでわが子を産み育てるがごとく、すべての風船に想いを吹き込んでいる。

想いがはじける

想いがはじける

想いが強すぎて、勢い余ることもある。

でも、その思いが、その場で作品に接する人一人一人の心の中にいつまでも忘れない感動として刻まれる…

私の風船に対する思いそのものがみんなを元気づけ、感動させている…という現実。

そしてその思いに触れることによって、「自分も頑張ろう」という気持ちにさせているという現実。

その思いがその人の心の中の「くす玉」の種となって、いつか大輪の華としてはじける。

納得いかない出来の時もある。

素人には理解しづらいかもしれない。

でも、私の風船に対する思いは変わらないし、変わってはならない。

その思いで風船に接する姿そのものが、生きる希望となっている人もいるし、また目標とする人もいるという事実。

…それに接する人が笑顔になり、いつまでも忘れない感動を心に刻む…

その体験を通して自信を身に着けさせ、生きる力を身に着けさせるのが、これか私が風船を通してやっていくべきこと。

だから今回、私は自分の想いをすべてぶつけた。譲れなかった。

自分の想いから多くの人を感動させることができたことが、すなわちその人にとっての生きる力になる…

そういう作品を作りたかった。

私の風船に対する思いは変わらない。

その思いを、これからは同じ障害に苦しむ人たちの力に変えていくことが、これから私が風船ですべきことだと思う。

 

くす玉のような存在って?

こんにちは。

たびたび出てくる「くす玉のような存在」って、どういうこと?

と思われる方が多い。というか、このような表現、非常にまれな部類で、私以外に使っている人はほとんどいないに違いない。ある意味文学の領域かもしれない。

いくつか集めてみた。

恋とは、頭の中のくす玉が割れることだ。…中谷彰宏「尊敬できる男と、しよう。: 女を上げる43の方法」~

感動する力を表し、小さいことでも感動できるようにしよう、という意味らしい。

大きな花火が打ち上げられた時に、ドーンって音がお腹の底に響くのって快感ですよね?…とある掲示板の書き込みより

おなかに響く快感と花火が花開く瞬間のあまりの美しさに感動した人の意見らしい。

そうしてみると、やはり「感動」と「快感」に通じるものがあるらしい。

私が考え出したバルーン演出が完璧に成功すると、天にも舞い上がるような、あるいは体中に電流が走るような、飛び上がりたくなるほどの快感を覚える。「エクスタシー」といってもいいほどである。

それだけではない。私が風船の話をしていると、周りの人が幸せな気持ちになるほど、すごい笑顔になっているという。先日ラジオに出演する機会があったが、その時の様子がすごい笑顔が素敵だったらしい。

その感動を生み出す力が私にはある。

一方で、花火師もそうだが、風船を膨らませる作業は地道そのもの。単純作業の積み重ねなのである。考えてみてほしい。一つ一つの風船は口で膨らませることをせず、ポンプやインフレーターなどの機械などを使うにしても、手で口を結ぶなどしている。そういう地道な作業を長い時間続けて、ほんのわずかな時間の感動の空間を創り出している。スパークバルーンがはじける瞬間に至ってはほんの一瞬だ。そのほんのわずかな時のために、地道な作業をしているのである。

「感動を生み出し、接する人を幸せな気持ちにする人」

これが「くす玉のような存在」なのである。

その「くす玉」を華開かせる種を私はこれから多くの人に植え付けていきたいのである。そのためには自らが「くす玉のような存在」であり続ける必要がある。あるいは数多くの感動の瞬間を生み出した実績が必要である。

中でも、発達障がいに苦しむ人たちはそのような「感動する機会」そのものが少ないような印象がする。

そういう人たちが、バルーンの制作に加わることを通して、感動を共有し、自信を身に着けさせ、社会人として就労し、自立した生活を送ることができるように、私は今取り組んでいるのである。そのために制作したのが

くまさんのげんきだま

という小冊子なのである。

くまさんのげんきだま表紙

くまさんのげんきだま表紙

くまさんのげんきだまの一部

くまさんのげんきだまの一部

この「くまさんのげんきだま」については、現在希望者に無料で頒布しています。ご希望の方はこのホームページの「お問い合わせ」からメールでご連絡いただければ送料無料でお送りいたします。

この本にもあるが、「くす玉」こそ「くまさん」すなわち私にとっての「げんきだま」すなわち「目指すべきところ」なのである。

想いがカタチとなり、そしてはじける!、ということ

こんにちは。

エントランス

エントランス

エントランス全体

エントランス全体

受付のアーチ

受付のアーチ

受付の反対側のバルーン

受付の反対側のバルーン

kimg3933v

観客席ゾーン

観客席ゾーン

ステージ

ステージ

以上が先日行われた、現在私が所属している会社の年に一度の大イベント。

 

想いがカタチになり、そしてはじける

見ている人のだれもが感動したそうです。

以下は私のフェイスブックより。

思えば昨年、この「夢FESTA 2015」で、自分が目指しているものとは何かを思い知らされた。それは、「くす玉のような存在になりたい」ということでした。
この一年、「くす玉のような存在」を目指すべく、現在所属している会社の枠の中で生きてきました。いろいろなことがありました…

そして今回の夢FESTA2016、会場内のバルーン装飾はデザインから制作に至るまで私が一人で行い、設営は私と多数の仲間たち、すなわち現在所属している会社のみんなが力を合わせて行いました。
その思いが、今日の「夢FESTA2016」の会場全体に伝わり、まさに広島マリーナホップ内マーメイドスペースの全体が巨大な「くす玉」のようになりました。そして最後、クライマックスには大きなスパークバルーンが一斉にはじけ、とてつもない感動を生み出しました。

スパークバルーン本番までの1時間近く、私はこれまでにない緊張感の時間を過ごしました。一つの組織が生み出そうとする感動が、私の全身にのしかかっていたのです。会社の運命さえ左右しかねないほどのプレッシャー…一生に一度の結婚式よりも大きいプレッシャーでした。

成功させた時の感動は、とてつもないものでした。
地響きのような歓声が会場を包み込みました。

私にはいわゆる「アスペルガー」の障害があります。これは極度の集中等の傾向があり、特定の分野に偏ってしまう傾向がある障がいです。そのため社会生活上厳しい状況に追い込まれます。
しかし、その障がいを逆手にとって、とてつもないものを創り出すこともできるのです。私が生命を吹き込んだ無数の風船、そしてその風船が生み出すいつまでも心に残る感動…今回、多くの社員の方々から感動の声をいただきました。(2016年11月3日付)

デザイン、制作は私が一人で行った旨、一昨日書き込みました。しかし、もちろん私だけで制作したものではありません。会社の中にディレクターがいて、そしてプロデューサー、チーフプロデューサーがいます。どうすれば最高の感動を創り出せるか、連日ディレクター、プロデューサーと議論を重ねてデザインをし、制作しました。
制作は会社がもともと使っていて、現在は会議室として使っている部屋で3日間かけて行い、それらを普段は利用者の皆さんの送迎に使う車両6台で運びました。
このとき、ある社員の方は「これだけでも素晴らしい、私たちが絶対形にしなくては」と思ったそうです。まさに私の想いが社員の皆さんに伝わった瞬間でした。
その後の設営は多数の仲間たちの力を借り、順調に仕上げることができました。この時点で会場の中は、現在所属している会社の社員の皆さんの想いがぎっしり詰め込まれたものになりました。
さらに開場後、時間を追うにつれて利用者の皆さんの想いも加わりました。社員たちが結成した楽団の演奏、児童デイサービス利用者の皆さんのダンス、そして全員の合唱…そこではじけた大輪の花…夢と希望がぎっしり詰まった風船が会場中を包み込みました!

その時その場にいた人たちは、いつまでも心に残る感動を共有できたことでしょう。そしてそれを創り上げたのが、現在所属している会社の全社員及び利用者の皆さんの想いだったのです。その想いが大きな「くす玉」のごとくはじけ、大輪の花を咲かせ、笑顔と感動を数多くの人にもたらすことができたのです。

あの時はじけたのは、大きな風船だけではなく、有限会社リラックスに携わるすべての人たちの想いだったのです!
私はその想いを花開かせるきっかけをになうという重責を担っていたのです。

あの日あの場所にいた皆さんには、現在所属している会社に携わるすべての人たちの想いが届いたことかと思います。(2016年11月5日付)

笑顔が溢れる感動のフェスタ!!!!
みんなの夢を膨らませて作ったような素晴らしいバルーンアートが会場を包んでいました
フィナーレには、大きな風船から、たくさんの「夢と希望という名のバルーン」が飛び出し、歓声が上がりました♬
お子様やスタッフの方のステージも笑顔いっぱいでステキでした!
歌もダンスもとっても素晴らしかったです!!!!
とても心があたたまるステキな時間を過ごさせて頂きました!
ありがとうございます!!(上記記事に寄せられた感想)

もう言うまでもないでしょう。

中には感動のあまり涙を流す人もいたとか…

夢と希望と想いがぎっしり詰まった風船たち。

私が「風船に生命を吹き込むこと」とはこういうことなのです。

その夢と希望と想いがはじけた時、とてつもない、たとえようもない感動が生まれ、いつまでも心に残る感動の瞬間として多くの人々の心に刻まれるのです。

そのような感動を、私はこれからも創っていきたいです。

私の風船に対するこだわり

こんにちは。

最近、バルーンアートというと、細長い風船の方が主流になっている。細長い風船は表現方法が多様にわたり、無限大の作品を創り出せる。

しかし、その主流はキャラクターだったりする傾向が多い。いかにそれに近いものをつくるか…

こうなると手先の器用さがものを言う。

正直言う。

おそらく私は、日本で風船に携わる人たちの中で、一二を争う不器用さではないか。

2013年の春ごろの話。私が鬱に苦しんで、ヘリウムガスは払底状態が続き、引退を真剣に考えていたころのことである。私は「職業適性検査」なるものを「職業センター」で受けてみた。すると…

手先の器用さが求められる仕事には不適

との判定が出た。バルーンデコレーターは「職業として適していない」という結論になったのである。しかも私は自閉症の傾向があり、コミュニケーション能力にかなりの問題があると診断されている。それも先天的なものに原因があり、加えて両親は子供の人生に自分たちの価値観を押し付ける傾向のある「毒親」。「アダルトチルドレン」の傾向もあるといわれた。

手先が不器用、自閉症傾向(=発達障害)、アダルトチルドレン…

ありとあらゆる悪条件を抱えていたことになる。

そのような悪条件をどうして克服できたのか…

「好き」という思い。

ただそれだけである。

そのような私が創り出す風船の作品、一定の傾向があるように思える。

三次蔵プロジェクトの作品たち

三次蔵プロジェクトの作品たち

これは2007年から2016年まで10年続いた「三次蔵プロジェクト」での私の作品。リンコルーンを使ったり、ツイストバルーンを使ったり、いろいろやってみた、特に初期は。2015年はバルーンドレス制作にチャレンジした。そして今年…私は丸い風船で勝負した。

風船の持つ暖かさ、優しさ…これを思う存分生かす作品に今年は仕上げた。大正初期建築の廃屋(今後リノベーション予定)を風船でまるごと飾ってみた。使った風船は16インチと11インチのラウンドバルーンのみ。そのうち11インチはすべてドット模様のバルーンにした。そしてこれに途中から6インチのハート(ライブで私がスパークさせたスパークバルーンのハート)とツイストバルーンで作ったパラソルを加えた。

ツイストバルーンのパラソル

ツイストバルーンのパラソル

パラソルは建物の外に括り付けた。

11インチのドット模様入りバルーン kimg3757v

11インチのバルーンは天井に飾ってリボンを垂らした。

kimg3687v  kimg3721v kimg3692c

圧巻は16インチのバルーンを高さをバラバラにして浮かせた作品。

半透明とそうでない風船を交えて、高さをバラバラにして浮かせた。

さらにイベントの所々でスパークバルーンをはじけさせ、1回あたり約60個、合計300個の小さなハートの風船が舞い降りたり、舞い上がったりした。

舞い降りた風船とハイポーズ

舞い降りた風船とハイポーズ

風船が舞う瞬間、子供たちも大人たちも目を輝かせた。

そして…

クライマックスのバルーンリリース

クライマックスのバルーンリリース

10年分の想いを乗せて舞い上がる

10年分の想いを乗せて舞い上がる

バルーンリリース。

奇跡的にその瞬間だけ雨が止んだ…

これらの作品を通して、私が何を言いたいのか…

そう、これらの作品はギャラをいただいて制作したものではない。一種の芸術表現である。

それゆえ、私が一番表現したいものを創り上げた。

私が風船を通して表現したいもの…それは

風船の持つ楽しさ、美しさ、そして華やかさをそのまま表現し、それに接する人たちにいつまでも心に残る幸せな思いをもたらしたい

ということなのである。

すでに何度も私はブログなどで述べてきた。

くす玉のような存在になりたい…

その思いを私は前述した障害を克服して実現している。その思いを一冊の小冊子にまとめたのが

くまさんのげんきだま

という本。

この本については、電子書籍として配布する予定は当面ない。今勤務している会社において同じような障害に苦しむ人たちに配布し、私の体験を話す際に使う目的で制作したのがそもそもの発端。

いずれは講演の機会があるかもしれない。その際に配布する予定である。

そして、私の作品は一貫している。私が生命を吹き込むすべての風船たちには

風船の持つ楽しさ、美しさ、そして華やかさをそのまま表現し、それに接する人たちにいつまでも心に残る幸せな思いをもたらしたい

という私の気持ちが吹き込まれているのである。

 

 

価値観の違い…越えられない壁

こんばんは。

三連休、正直遠出したくなる天気でしたが、自重せざるを得ませんでした。

車検でお金がかかるのです…というより、バルーンの大型プロジェクトがこれから11月中旬にかけて連続するのです。加えてブライダルも所々で…

バルーンのことを忘れて過ごしたかったのですが、できたのは初日だけ。

さて、先日このようなサイトを見つけました。

ソウス「一瞬で5万円も!?」

実はバルーンリリースの良い所って1つしか無いんですよ。

それは、

写真にすると凄くキレイ!

という点です。実際にブライダルカメラマンでしたので分かります。フォトアルバムの背景にできるくらい青い空と赤いハート風船・カラフルな風船のカラーは素敵です。

それ以外にメリットはありません。飛ばして終わりですから。キャンドルサービスや別の演出のように時間を延ばす効果はゼロ。挙式後の気持ちに華やかさを残す演出だと思って下さい。

私は自分の結婚式でバルーンリリースはしませんでした。バルーンリリース写真の素晴らしさを知りながら行わなかった理由は以下の2つです。

他の演出に比べて高い

一瞬で終わるのに値段が高いんです。

バルーン1つがおよそ700円。50~60名のゲストだと5万円必要です。

もし、新郎新婦用の大きなバルーンを追加するのなら7万円になります。7万円あればタワー式のウェディングケーキや披露宴での生演奏音楽を追加できます。

バルーンリリースは意外に盛り上がりません。また、ゲストは風船を撮影するため、バルーンリリース中の新郎新婦の姿は見ていません。

天候に左右される

バルーンリリースは青空だから美しいんです。曇りだと写真も悪くなります。

最悪なのは雨と雪。もちろん中止になります。代わりに披露宴でのバルーンサービス(キャンドルの代わりに大きなバルーンを割る演出)となりますが、これには5万円も払う価値はありません。披露宴内ならキャンドルサービスや光を使った演出の方が盛り上がるからです。

専門式場やレストランウェディングでは会場が狭いため、バルーンリリースそのものを行えない可能性もあります。

引用ここまで

2012年秋以降のヘリウムガス払底を引き金にヘリウムガスの価格が高騰し、2013年冬以降にカタール産のヘリウムガスが入るようになって流通が安定しても価格は高止まり。2013年秋にも一時的に払底が起きていたようです。その結果結婚式におけるバルーンリリースは「費用対効果」の問題が起きて、激減してしまいました。

5万円払うなら、もっと価値のあるバルーン演出を創り出すべきでしたし、現にそれに取り組んだバルーンデコレーターさんもいました。5万円、10万円、あるいはそれ以上出す価値のあるいつまでも心に残るような感動的なバルーン演出を提供することを目指すべきだったのです。

私は旧Y’s Dream末期、2012年秋から2013年夏にかけて、本当にゲストの皆さんを感動させたい新郎新婦様のためにのみバルーン演出を提供していました。その金額は大半が10万以上でした。それでも複数のカップル様からご注文をいただきました。

しかしニッチすぎて市場が成り立たず、加えてバルーンの主流がツイスティングとギフトに移り、バルーンの立ち位置が変化してしまい、コミュニケーション能力にハンデのある私は立ち位置を失って引退に追い込まれました。

ところが2015年から少しずつ状況が変化し、加えて障がいのある若者の就労に私が長年取り組んできたバルーンの経験が生きることが分かり、形を変えて再開しています。

私が取り組んできたことは

いつまでも心に残る感動の瞬間を創り上げること

でした。

そのために10年以上にわたって風船に生命を吹き込み続けたのです。

バルーンリリースはそれ自体、いつまでも心に残る感動の瞬間なのかもしれません。

バルーンデコレーションに接すること自体、いつまでも心に残る感動の思い出になるかもしれません。フォトブースの作品が増えているのもそれだからでしょう。

しかし、それに更なる驚き、サプライズを加えることによって、本当にいつまでも心に残る感動を創り出せるのです。

私は今、再び風船に携わっています。

風船を通してどのような価値を生み出すことができるのか?

価値を生み出せないのなら、そのまま完全に身を引くのが正解だったということになります。

だからこそ、何らかの価値を生み出さなければいけないのです。それが障がい者福祉の面であったとしても、あるいはバルーン演出の新境地の開拓だったとしても。だから私は自らの生い立ちを一冊の小冊子にまとめたのです。