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ysdream について

1997年から2013年までバルーンアーティストとして活動、現在はサラリーマンをしながらボランティアなどでバルーンアートの活動をしています。

私がやってきたこと

おはようございます。

先日、最後の出張に行ってきました。

あとは地元広島での仕事だけです…あと宅配も。

正直言います。

私は本当にこの仕事を心から愛していました。

自分の好きなことをして、人を幸せにできる…

そして自分もお客様もハッピーになる…

私がしてきたことは

ただ風船を膨らませることではなく

風船に生命を吹き込むことでした。

そしていつまでも、時によっては生涯心に残る感動をもたらすのです。

そのために私はひたすら挑戦を続けました。

一体いくつの風船に私は生命を吹き込んできたのでしょうか…

それだけではありません。

全く道のないところに道を作るようなことをしてきたのです。

道なきところに道を作って、気が付けばそこにはたくさんの後輩たちが歩んでいました。

私は大したことをしたつもりは全くありません。

気が付けばそこに大きなものがあったのでした。

その私は、もう限界を悟りました。

バルーン演出の世界、正直言ってある意味職人芸の世界です。

当日の天気・気温・湿度、会場内の構造などによって演出内容や会場動線など変わってきます。

10年以上の間に何千ものバルーン演出をやってきましたが、一つとて同じものはありません。

それら一つ一つがすべて手作りなのです。

体力的にも精神的にももう限界です。

はっきり言います。

今やめても悔いが残らないから

私は引退を決断したのです。

私はやり残したことは正直言ってありません。

もっとやりたいところがあったのは正直言ってあります。

しかしこれ以上やろうとしても、自分の力ではどうにもならないところまで来てしまいました。

世の中はどんどん変化します。

結婚式もイベントの在り方もどんどん変化します。

今や3年ひと昔の時代です。

時代が再び求めるようになれば、復活するかもしれません。

でも一つだけ確かなのは

私はもう限界

です。

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私が一番やりたかったことって一体

何だったのだろうか
こんにちは。
今、ある方から電話がありました。
…友達の結婚式でバルーンリリースを断念された…
…自分の結婚式でスパークバルーンシャワーがやりたい…
…ヘリウムガスの現状はいったいどうなっているのか…
私がバルーンの仕事の中で一番やりたかったことはいったいなんだったのか
この動画にやっぱり凝縮されているのかな…と思う

私がつくりあげた瞬間…
今も電話がかかってきた。
ぜひお願いしたい…
それにしてもなぜ私は
「最高の感動的な瞬間を作り出す」
という仕事をするようになったのか…
スパークバルーン…
当初私はこれを「くす玉バルーン」と呼んでいた。
「くす玉」=割る、という連想から、全然当時は売れなかった。
まだ20世紀の話である。
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もう13年も前のメインテーブルの画像。スパークバルーンを組み込んでいるが、自動ではない。
21世紀に変わったころあたりから、定番商品になり始めた。
以来13年、あまたの感動的な瞬間を彩ってきた。

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今でこそコモディティ化しているが、スパークバルーンの宅配を最初に始めたのはこの私である。
というより、定番になってしまった。
でも全く何もないところから市場を作ったということだけは…
私の人生の中で一番の大きな足跡なのかもしれない。
だからこのようなことが書けるのかも…
というか、私しか書けない。
このようなことを自分の口で言えるのは、日本に何千人もいるバルーンデコレーターのうち、ほんの一握りの人たちだろう。
裏を返せば、それだけ自分がやってきたことは大きかったのである。
私は自分のやりたかったことをこの13年間やってきただけである。
でもそれが大きな実績に…
なっていた。
今私は、ドリームバルーンやスパークバルーンシャワー、自動スパークバルーンといった現場での瞬間勝負の仕事は1日1組限定にしている。このような現場での瞬間勝負はものすごいエネルギーとパワーをその瞬間に注がなければいけない。しかし成功したときの感動は…
計り知れない
一日に7組もこの演出をしたことがあった。卓上バルーンサービスやバルーンリリースも加えると、合計12件を1人でやったことがある。
その時もものすごい充実感だった…が
長年の無理は確実に私をむしばんでいた
そして昨年の今頃…倒れた。
昨年末ヘリウムガスが払底し、バルーン演出は難しくなった。
何組もの新郎新婦様がバルーンリリースを断念された。
私は一番やりたい仕事ができなくなった。
廃業・転進を真剣に考えるまでになった。
ヘリウムガスの需要が回復しつつあり、景気もアベノミクスで上向き傾向にある今だが、
これで需要が回復するか…
いつまでもしがみつくわけにはいかない…が
私には私しかできない仕事があるのもまた事実
はたしてそれを捨てていいのか…

最高の瞬間を生み出すための発想の転換

こんにちは。

今日はピーカン、青空です。

最近までならバルーンリリース日和でした…が

昨今のヘリウムガス事情、さらにブライダル事情の変化で

少なくなってしまいました…

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上から見るとどのような仕掛けで風船が舞いあがっているのかわかりません

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下はこのようになっているのです。仕掛けを引っ張ると舞い上がるのです。

単なるバルーンリリースもこのように感動的な演出にできるのです。

先日の大分でもそうでしたが、

予想だにしない風船の動きが感動を呼ぶ

というのを実感しました。

まさかあんなところではじけるとは…

現場のウェディングプランナーさんも感動しきりでした。

ここ数年大ヒット商品だった

ドロップアンドフライ

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何だ風船をプールに投げるだけか
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うわー舞い上がったぞ…
見たこともない演出が感動を呼ぶのです。

バルーンリリースもスパークバルーンもありきたりの演出となった今

さらなる感動を呼ぶためには、見たことがない演出が必要なのです。

そのためには、新しいことを考えることと、既存の演出から発想を広げることと、両方必要なのです。

 

想像力を膨らませることが創造につながるのです。

現場のウェディングプランナーが新郎新婦様に教えられているようでは、いけませんね。

広島でウェディングプランナーさんが与えられた演出を生かして、それらを引き立てる方法をうまく考えている結婚式場は、

ここぐらいでしょう。ここは本当に現場で働くウェディングプランナーさんが研究熱心です。私も感心しています。

あとは…会場のウェディングプランナーさんが私に信頼を寄せている状態でした。

それを上層部が「利用」してしまい、結局私は壊れたのです。

私がバルーン演出を究めようとした理由

それは…

成功したときの感動が計り知れない

からでした。

ここから風船を舞い上がらせたら

どんなに感動的だろうか…

とか

ただ新郎新婦様が風船から登場するだけでは面白くない

新郎新婦様が風船に包まれて登場したら

どんなに華やかだろうか…

とか

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単なるドリームバルーンだけではない演出

 

 

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デコレーションと見せかけておいて、実際にはスパークする仕掛けとか…

 

 

私は一瞬のためにすべてを注いできました。

最高の一瞬のために…

その最高の瞬間が

生涯心に残る感動になる…

そのためにいろいろなことを考え、形にしてきました。

その歩みは10年以上にわたります…

風船をただただ商材として扱う人たちに

この思いは伝わるのか?

私の風船に対する思いを理解していただいている人たちがいるから、今日までやってこれた。

これこそ感謝すべきことです。

残念なことに私の思いを「利用する」人がいた…

金を生み出す木として…

自分にしかなしえない仕事って一体…

何だろうか…

↓の記事とセットでご覧いただくことをお勧めします。

今日はゴールデンウィーク最終日です。交通機関が混雑する日です。

肝心のはじける瞬間を撮影できませんでしたので、いくつか絶景をご覧ください。

DSCF1238九重連山

DSCF1240はるかかなたに臨む阿蘇五岳

DSCF1241阿蘇外輪山

DSCF1242阿蘇外輪山

DSCF1243祖母・傾山、山の向こうは高千穂

DSCF1245長湯温泉。今回はゴールデンウィークさなか、ということもあって宿が取れず、近くの1台も車のいない駐車場で車中泊した。
DSCF1254明礬温泉。

DSCF1253別府湾
DSCF1257草原に沈む夕日

上記は5月4・5の両日に撮影したのだが、何かお気づきの点があるかもしれない。

昨年11月の画像

つまり、私が仕事をしてきたのは、

大分

でした…

DSCF1247パート1

DSCF1252パート2

やってきたことは同じ…1日2回。

しかし2回目の画像に注目。

1回目の画像にない、白い大きな物体が下の方にある。

これ、当初予定になく、急きょ追加したスパークバルーンシャワー。

1回目ためしにやってみたところ、アトリウムの一部にしか風船が降らなかった…アトリウム全体に風船が舞う光景を作りたい…という話になり、事前に会場の写真をホームページでみていたこともあって、「こういうこともあろうか」と思い、道具を持参していた。しかし使うかどうかわからず、使わなかった場合無駄になることもあって、道具だけの状態で大分に来た。何しろヘリウムガス不足の現状がある。出来るなら使わずにいたかった。

結局「やってみよう」ということになって、追加となった。

2回目はアトリウム全体に無数の風船が舞う光景が展開されたのは言うまでもない。

(どなたか写真ください…あせる

大分

で勘のいい方はお気づきだろう。

ヘリウムガス払底で休業に追い込まれる前の、

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…これも大分県内某所だったのである。

大分での仕事は、無事成功するともれなく温泉がついてくる…

のはいいとして…

これらの作品、私以外の人は作れるのだろうか…

↓の記事のように、感動の瞬間、それがすなわち私の作品であり、その瞬間を自らの手で作り出せるのは自分しかいないのかもしれない…

今、それが危機に立たされている。
世界情勢の変化とその結果によるヘリウムガス不足…一時は払底状態になった。
そもそも今回は最初、宅配だけの予定だった。

ところが地元広島で相次いで日本国内でもめったに見られない本物のバルーンアートの作品が展示された。

私は「負けてはいられない」という気持ちになった。

私にできること、それは最高の瞬間を風船で作り上げること…

私は当初宅配で済ませる予定だった大分のクライアント様に連絡し、出向く旨告げた。

結果大成功になった…「おかげさまで助かりました」

ある意味パセーラと家泉あづささんにこの大分のクライアント様は救われたのかもしれない。これらの作品を見て刺激を受けなければ私は大分に向かうことはなかっただろう。
半年前、「もうだめかもしれない、今回が最後になるかもしれない」と私は思っていた。

正直言って今の方が半年前より状況は厳しい。

しかし「もうダメ…」とは今は思っていない。

正直言って今回、当初予定になかったスパークバルーンシャワーを敢行したのも、技術維持の目的があった。

技術は使ってなんぼ。使わなければいつかは忘れる。そして

絵に描いた餅

になってしまう。

そうならないためにも、実践が必要だった。

いつでも最高の瞬間を作り出せるように…

体が覚えていた。

スパークバルーンシャワーも、

自動スパークバルーンも

そして

成功したときの何とも言えない感動も…

おかげさまで素晴らしい連休になった。

予算オーバーになって財政が厳しいが…

自分にしかなしえない仕事って…

いったいなんだろうか…
昨日5月5日こどもの日、とある県の県庁所在地にあるアトリウムホールでの模擬人前結婚式でスパークバルーンシャワーをしてきた。
瞬間の写真や動画は撮影を忘れた…
が、いたるところから感動の声多数。
「見たことない…」
10年前のやはりゴールデンウィークだったか、この時は広大な自然公園でのスパークバルーンリリース&バルーンリリースで、合計約1100個もの風船を舞い上がらせたとき、
「鳥肌が立つほど感動した…」
という声を複数聞いた。
今やスパークバルーンは定番商品化してしまった…が、自分にしかなしえない仕事がある、というのは本当に素晴らしいことなのかもしれない。

この動画を見ていただいたらわかるか、と思うが、例外なくどよめきに似た大歓声が響いている。
あまりの感動に声を上げている…
私はこの瞬間を自らの手で作り上げているのだが、自ら作り上げた瞬間が成功したときの自分の中に走る感情と言ったら、なんといっていいのだろうか…
………
エクスタシー…
………
とにかく何とも言えない

それぞれの得意分野を生かす

おはようございます。
早朝のパセーラのパブリックスペース(リーガロイヤルホテル広島のフロントにつながっているので、出入り可能)に入って、いろいろ調べてみましたが、やはり広島のバルーンアーティストの作品ではないと判明しました。
これが一昔前だったら、悔しさのあまり…というところでしょうが、今はそういうことはありません。
むしろバルーン業界の幅が大きく広がったのが今の実態です。
関西の方はお気づきかと思いますが、昨年の「ガスてん」。毎年大阪ガスが主催して、関西各地で都市ガスを使ったPRを行うイベントですが、これを手掛けたのは実は広島の「じゃっきい」さんでした。聞いた話では、ものすごい仕事だったとか…膨らませる風船の数が半端ではなかったそうです。
一方私はそのころ、静岡→大分→東京と、まるでボートレーサーのような動きをしていました(ボートレーサーは地元の競艇場で仕事(=レース)をするのは正月とお盆ぐらい)。大がかりなブライダルでのバルーン演出のご依頼があちこちから入っていたのです。
このころは心身の状態が安定しており、ヘリウムガスの状態も悪くありませんでした。復帰を優先して考えていたころです。

全部私が手がけた仕事です。すべて2008年以降の仕事で、2010年ごろの仕事が特に多いです。実質休業状態になった2012年6月以降の仕事も含まれています。
自分は「成功させて当然」という極度のプレッシャーと常に戦っていました…大したことはしてない、と思っていたのですが、気がつくとトップリーダーの位置に…

こちらは2001年から2003年にかけての仕事。
究極の最高の瞬間を追いかけていたころの動画集です。
結局、地元という枠にとらわれてしまうと、いい仕事ができなくなってしまうのかもしれません。
かつて、広島の某バルーン業者の方は自らを「何でも屋」と揶揄していました。一方、バルーンデコレーションの分野は非常に細分化され、結果業界全体が大きくなりました。
その人その人の個性が作品の一つ一つに出てきています。
私が全面廃業ではなく、縮小継続を選択したのも、「私が作り出す瞬間で最高の感動を提供したい」というニーズがあるからなのです。
それがヘリウムガス問題でできなくなっている、というのが現時点での最大の問題なのです。

どこへ行く、バルーン業界

こんにちは。

寒い、雨は降る…

↓の記事のバルーンデコレーション、おそらく今年に入ってから日本最大級でしょう。

というより、ここ数年なかった超大規模のバルーンデコレーションです。

それがここ最近停滞気味だった広島で…東京などでもここまでの規模はめったにないはずです。

全国的に見ても1年に一度あるかないかでしょう。

このようなバルーンデコレーションが当たり前のように全国各地で繰り広げられたら、それこそバルーン業界はもっと発展していたに違いありません…何しろ広島でこのようなバルーンデコレーションを見ること自体数年に一度ですから…

一方最近はバルーンギフトとツイスティングバルーンが主流になっています。

ここ数年のバルーンの分野の広がりは目を見張るものがありました。

そしてバルーン人口も大きく増えました。

バルーンの種類もはるかに増えました。

業界全体は大きく広がりました。

他方で、競争も激化…

とある方がおっしゃっていました。

これから必要なのは、

夢とサービスを売るセールスマン…

なるほど…

ニーズをつかんで大きく成長したところもあります。

私がこれからやるべきことは

本当にたくさんの人に

風船の楽しさ、華やかさ、うれしさ、喜びというものを

多くの人に伝えていくこと

だろうと思っています…

そのために、私は10年以上の長きにわたって

バルーンアーティストとしての活動を続けてきました。

さらに私は

スパークバルーンの前身

くす玉バルーンの宅配を全国で初めて行ったという実績があります。

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この写真、実は2000年の最初のころの写真なのです。

すでに2000年の4月には制作・発送した履歴がありました。

最初の宅配くす玉バルーンは湯治当時作品展を開いていて滞在していた大分県由布院から発送しました。

以来数多くのくす玉バルーンを制作しました。

当時婚礼では「割るなんて縁起が悪い」といわれていました。ところがプロが会場に出向いて制作した同様のバルーンが増えるにつれて一般化し、それぞれの業者さんが「スパークバルーン」と呼ぶようにしているのに倣い、私も改称しました。

しかし、全国各地にこのようなバルーンを作って届けるようにしたのは、私が最初なのは間違いないです。

それがどんどん広がり、今ではキャンドルサービスと並ぶ定番になりました。

くす玉バルーンという名前を付けたのも私が最初です。

もともと私は

くす玉のはじける瞬間がとにかく好き

何とも言い難い瞬間がこの上なく好き

でこの世界に入りました。

いろいろな形で表現すべく、様々なことに挑戦しました。

デコレーションをやってみたり、

ツイストバルーンをやってみたり…

当時の「たけしの誰でもピカソ」に出演したこともありました…

もう15年近く昔のことです。

当時の作品の写真を探したのですが、ない…全部消去してしまっていました。

しかし、私が一番やりたかったのは

バルーン演出でした…

1999年1月、某ライブハウスで500個のバルーンドロップを初めて成功させたとき…

そして2004年2月、某ドーム型の結婚式場で約300個のスパークバルーンシャワーを成功させたとき…

何とも言えない最高の気持ちになった思い出があります。

そして私は気がつくと

トップレベルの一人になっていました…

自分のブログ以外でも

たくさんの方のブログに

私の作った作品たちが

掲載されています…

私の手掛けた作品が

いつまでも心の中に残る…

本当にうれしいことこの上ないです…

しかし私はある種の

燃え尽きた感じが

自分の中にあります。

ヘリウムガスの供給は少しずつ回復してはいますが

先行き不透明のままです。

ヘリウムガスの供給が回復すればまだまだやりたいことは残っています。

しかし、ヘリウムガスが今の現状のままでは、できることは本当に限られています。

私は潮時なのかもしれません。

私がこれから本当に風船が好きなものとして

すべきことは…

風船を通してその喜びを伝えていくこと

であることは間違いありません。

私はバルーンアーティストとして道を作ってきました。

今その道はたくさんの後輩たちが通っています

私は近いうちに引退することになるかもしれません。

しかし私が単なる風船好きからバルーンアーティストとして歩み、築き上げた実績は

生涯残ります。

反社会的行為でもしない限り、色あせることはないでしょう。

私に残されたバルーンアーティストとしての仕事、それは

次の世代に伝えること

なのかもしれません。

そして、

風船の楽しさ、華やかさ、うれしさといったものを伝えることは

私の生涯の仕事になることは間違いありません。

それがどのような形になるかは、まだわかりません。

プロとしては引退し、評論家になるかもわかりません。

どのような形で風船の楽しさを伝えていくか…

心理学、色彩論、芸術論…

勉強しなければいけないことはたくさんあります。

正直言って、私は手先が不器用です。

体力も運動神経もコミュニケーション能力も人より劣ります。

それでもここまでやってこれたのです。

ただ風船が好き

それだけでここまでやってきたのです。

好き、という力は

本当に大きなものだ

と思います。

あるバルーンデコレーターさんから

「あなたって、風船が恋人?」

といわれました。

ある意味そうかもしれません。

そうでなければ、当の昔に挫折していたはずです。

バルーン業界の歴史が少し違ったものになっていたかもしれません。

どのような形で伝えていくか…

 

これから模索することにします。

ヘリウムガスがなくても…?

こんばんは。

ありがたいことに、10年も前からこの保育園の卒園式のデコレーションを手掛けているのです…
今年はリリース用のバルーンのみヘリウムガスを使い、それ以外のデコレーションにはヘリウムガスを使いませんでした。
実は、今年は、一部作り直しを行ったのです。
せっかく作った作品を一度全部つぶした、というのは今回初めて。
それだけヘリウムガスがないと作品づくりは大変ですし、限界があります。
ヘリウムガスがあることによって、風船の持つ魅力が最大限に引き出されるのは言うまでもありません。
ヘリウムガスがなくてもこれだけの作品が作れるということは、それだけ技術がある、ということになるといいたいところなのですが、
これが限界
なのです。

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全部ヘリウムガスを使っていません。
しかし、ヘリウムガスを使わない、ということはすなわち
大きな制約
になっています。
手枷足枷をつけられて制作しているようなものです。
もはや創意工夫だけで対応できません。

北広島町立豊平南小学校閉校、そして…

こんばんは。

昨日行われた豊平南小学校の閉校式のバルーンリリースの様子です。
2013年3月、豊平南小学校が長い歴史に幕を下ろしました。その閉校式でのバルーンリリースの様子をご覧ください。230個用意された風船の中には、2011年3月の東日本大震災で被災した仙台市若林区の沖野東小学校の皆さんが復興を願って栽培したひまわりの種と豊平南小学校の児童・卒業生一人一人のメッセージを入れています。
沖野東小学校にはY’s Dreamが東日本大震災復興祈念企画として行った数量限定無料バルーンプレゼントの風船を提供し、その風船を使って翌2012年7月に栽培したひまわりの種をつけてバルーンリリースを行いました。その際のひまわりの種がY’s Dreamにも送付され、このたび使用させていただきました。

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230個の風船をあっという間に用意いたしました。
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花の種を仕込んでいる様子です。
この花の種は、先ほども述べたとおり、2011年3月に襲った東日本大震災からの復興を願って行った無料バルーンプレゼントキャンペーンで提供した先の小学校さんから送られてきたひまわりの種を使用させていただきました。
実は、以前「どうしてもやらなければならない仕事のために、ヘリウムガスをブロックしている」というようなことを述べましたが、これだったのです。
Y’s Dreamは2002年3月から2011年11月まで10年近くにわたって、北広島町大朝に拠点を構えていました。
地域とともに歩み、地域とともに生きてきたのです。
旧大朝町だったころは、村づくりにも協力し、若者が楽しく暮らせる里山づくりに協力させていただいたこともあります。
行政改革の波は大朝を飲み込み、北広島町全体を飲み込み、故郷は変化してしまいました。
そして私は心身の状態を悪化させ、他方ヘリウムガスの供給は一時払底するなど深刻な状態となり、さらにブライダルもイベントもその在り方が変化するという、極めて厳しい事態が今起きています。
Y’s Dreamも、その在り方を真剣に考えた結果、縮小やむなし、という方向に向かっています。
やめるのではなく、縮小均衡を目指す方針です。
今日はもう一つ動画をアップします。
あのころは無限大の可能性がバルーンにありました…

今、バルーンの方向性は大きく変わりつつあります。
私も変化についていくべく努力したのですが、限界に差し掛かりつつあるのを痛感しています。
この作品たちを制作したのは30歳前後…今はもう40代です。
この動画の最後の動画が、その後のY’s Dreamを決定づけました。
この動画を見た広島市内の某結婚式場が飛びつき導入決定、その後8年にわたって名物演出となり、1150組もの新郎新婦の門出を演出するまでになったのです。

やってみてダメなら仕方ない、やらずしてダメというのは…

こんばんは。

今、ヘリウムガスが手に入りにくい現状…

でも、今日はどうしてもやりたかったバルーンリリースがあった。

本当に晴れてよかった…

詳細は明日アップします。

さて、見出し

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この二つの作品、同じ保育園の卒園式。昨日の夜の製作。

リリース用バルーンをディスプレイしているのは…ともかく

ヘリウムを使わないアーチ…です。

が…

バランスを維持するのが大変!

正直言ってアーチはヘリウムを使うのと使わないのとでは

制作する大変さが全然違う!

ヘリウムガスがないと、表現方法に…限界が。

ヘリウムガスを使わずにこれだけの作品を作れることを高く評価しないでほしい。

厳しいことをいうようだが

バルーンのプロは

このぐらいのことをやって当たり前

である。

というか、

納得いく作品を作ることができない

のである。

特に上のアーチ。

だましだましして形にした。

本当にプロとして恥ずかしい出来である。

どんな状況下でも完璧に作品を作ってこそプロ。

ヘリウムガスがない状況下では

限界がある

率直に言う

全部つぶして作り直そうか、とさえ考えた

さすがにそれはやめたが…

本当のプロフェッショナルは、限界を超える

限界を越えられないのは、まだまだ技術と経験が足りない証拠

である。