風船・バルーン」カテゴリーアーカイブ

職業、バルーンアーティスト。って胸を張って言える社会にするために…

おはようございます。

 

先日、ある高校生の方が問題提起をしてくださいました。

私も一連の議論に参加したのですが、最大の問題点は

バルーンアーティストという職業はすでに確立しているのに、その社会的認知度がきわめて低いところにある

と考えています。

 

ところで、今年の3月、すなわち熊本・大分両県が震災に見舞われる前に、私は由布院・阿蘇・久住を訪れていたのだが、その際に「ななつ星」に出会った。70万もするJR九州のあのクルーズトレインである。

クルーズトレインはJR東日本もJR西日本も準備中だそうだが、クルーズ船という概念が日本に入って30年近くたつそうである。鉄道ジャーナル2016年7月号によると、クルーズ船で旅行する市場人口は30年ほどの間にあまり増えていない、つまり市場が思ったより広がっていないという。結局クルーズ船やクルーズトレインは「ニッチ市場」の域を出ない、と論じられていた。

バルーンの市場も同じだと思う。インターネット通販でバルーンギフトは手軽に買うことができるようになり、バルーンショップは昭和の時代は東京、それも渋谷と麻布にしかなかったのが、今では日本の主な都市にはどこにもバルーンショップが存在するようになった。複数のバルーンショップが半径10キロ圏内にあるケースもある。しかし…

どこで風船を買えるのかわからない

という声がいまだに存在するのも事実である。そしてバルーンを買う顧客が予想以上に増えていない、と思う。

厳しいことを言うようだが、

バルーンアートはまだまだニッチ市場の域を出ていない

と私は考えている。

 

現実の声として、将来バルーンアーティストをめざしているとある高校生の意見をフェイスブックから引用する。

高校卒業したら就職しないといけないから職場をよく見ておけって先生が言って、私が「進学者は?」と聞いたら「大学卒業後どんな就職に就きたいか考えておけばいい」と。
「私バルーンアートやるんですけどー」って言ったら「そっか!君はバルーンアートやっていたよね!じゃあ将来はプロの道に進んで、もしかすると有名になったりするのかな!?」→「いやいや有名にはww」

そしたら友達が
「まずバルーンを職業にしている人がいるかどうかだよね。」って。

まだまだバルーンって本当に知られていない。
私は同級生に「それが職業になるかどうか」
「無料で配っているんだから全部無料でやっている」「職業にしている人がいない」って言われてきました。

大人になってもっと素晴らしい作品を作って皆さんに見てもらえるようになろう。

 

 

エミリーズバルーンアートビジネススクールの第1回が開催されたのが1995年。

それまでにもわずかながら様々なバルーンアート作品が存在した。

この高校生は、私が制作した作品の作品集をじっくりと隅から隅までご覧いただいた。

その中には1997年や1998年の作品も含まれていた。

「私が生まれる前からこのような作品を作り続けてきたのか…凄い」と一言。

私はとてもうれしかった。

 

にもかかわらず、バルーンが「ニッチ産業」の域を出ていないという現実。

バルーン人口は確かに増えたが、市場はそこまで大きくなっていないという現実。

 

私は再就職活動に取り組んだ際、とあるエージェントの人にこう言われた。

「そのキャリア、ホストを20年近く続けたのと大した違いはない」

とてもショックだった…というか、私にとってこの言葉は重石になってしまい、一時はキャリア白紙化も考えるほどだった。結局今の会社が旧Y’s Dreamを引き取る形で私はその会社に就職し、こうしてバルーンアーティストであることを再び始めた。しかも、障がいのある人たちにバルーンを通して自信を身に着け、社会参加のきっかけをつかむという新たな使命を担ってである。

 

今、その思いを現実の形にするために、会社の中で準備を進めている。

バルーンの市場を拡大することもその中で重要になっている。潜在需要の掘り起こし…

私がこれまでの推移の中で実感してきたのは

バルーン人口の増加に市場の拡大が追い付いていない

という問題。バルーンが「ニッチ市場」のままであっては、

供給過剰

といわざるを得ない。だから私は撤退という選択を一度した。それでも私は結局バルーン業界に戻ってきた。本当に風船が好きだからである。

 

この度、この高校生が問題提起をしてくださったこと、大変意義深いと私は思う。

「職業、バルーンアーティスト」と胸を張って主張できる人がこれまでより多くなっていくことがニッチ市場からの脱却につながるのではないか、と私は思っている。

ツイスターズ2016…とてもうれしかったこと

こんにちは。

珍しい金曜休みです。

業務関連とツイスターズの影響が重なり、結果今日休みです。

やっと名刺の整理ができました。

 

ツイスターズからもう1週間近くがたつのですね。

次はJBAN Conventionです。今年は20周年のメモリアルイヤー。何としても行きたいです。というか申し込みをすでにしました。来週給料が入るので、そこで入金します。ホテルも予約済みです。もちろん予算も確保しています。というかギリギリなんですが…

 

そのツイスターズでとてもうれしかった出来事。

とある女子高生がツイスターズに参加していました。その女子高生に私の作品集(2013年までの、あの旧Y’s Dreamの完全版)を見せると、時間をかけて食い入るように見ていました。そしてこう言ってくださったのです。

 

私が生まれる前から作品を作り続けていて、一度やめたのにこうして今も続けているということ、とても素晴らしい。私もこういう風な人を感動させる作品を創ることのできるようなバルーンアーティストになりたい

 

…また一つ、心の中でくす玉がはじけました…

 

他にも数名、私の作品集を食い入るように見る人がいました。

 

…私がやってきたことは間違ってなかったのです…道なき道を切り開いたこと…

 

そして、一度辞めてもなお再び風船に携わることができるという今の幸せ・・・

 

私は自閉症スペクトラムという生まれながらの障害に苦しんでいます。

※一般的には「アスペルガー症候群」に該当し、実際2012年に出た診断は「アスペルガー」だったが、2013年のDSM-5(米精神医学会の診断の手引-第5版)基準でこの呼称は廃止されているので、私はこの表記を使用していません。

表面上は分からないのですが、実際はこれまで述べてきたとおりです。

誤った理解をするなど、対処法を間違えると大変なことになる場合が多いです。とりわけ親が対処法を間違えると、自殺などの悲劇や、最悪の場合無差別殺人といった大惨劇につながりかねません。

ところがこういう障がいを抱えている人は、えてして何らかの才能を発揮できることが大いにあるのです。そして集中力がすごいです。だからこそあれだけの作品を創り上げることができたのですが…

 

あの作品集を作って3年が経過しようとしています。

本当なら私は3年前にバルーン業界から姿を消してしかるべきでしたし、私もそのつもりで転職活動に取り組んでいました。しかし…

 

私は形を変えてバルーンに再び携わることになり、私が16年にわたって築き上げたものは再び生きようとしている…

 

いかに私が築き上げたものが大きかったのか、ということを痛感しましたし、それが次の世代につながるということの素晴らしさも体感しました。

 

今、私は同じような障がい、あるいは自閉症が背後にあるとみられるニート、ひきこもりの人たちにバルーンを通して社会参加のきっかけをつかみ、就労につなげるという取り組みを会社という枠に所属する形で進めています。すでに受け皿となるバルーンショップは形になりつつあり、風船を買いに私が今働いている職場に来る人も現れ始めています。本年度の経営計画にも入っています。

 

そのような中で、過去の私の作品集が次世代のバルーンアーティスト育成に役に立つ…

これほどうれしいことはありません!

AWESOME!で配布中のパンフ1

AWESOME!で配布中のパンフ1

AWESOME!で配布中のパンフ2

AWESOME!で配布中のパンフ2

風船に託したわが社の想い

おはようございます。

昨日はフラワーフェスティバルのパレード・・・でしたが、

よりによってなんでこの日を選んで雨が降るの…もしかしてこれ、くまモンの涙雨!?

というような天気でした。現実に博多どんたくはパレードが中止になったそうです。

 

さて、見出し。

パレードの時間はほんのわずかです。

広島市にある平和大通りを中心部から平和公園まで約1.2キロ行進します。

そのための準備に多大な時間をかけるのです。膨大な書類作成、応募から集計、何度も繰り返されるミーティング…

 

私は昨日までの1週間、すべての勤務がバルーンに費やされました。今日から8日まで連休です。

 

全ては感動の瞬間のために…

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雨が次第に激しくなる一方だったので、平和公園でスパークさせるものを風を計算しながら中心部でするなど、広電や道路の交通に支障となったり原爆ドームなどの世界遺産を傷つけないよう、可能な手はすべて打ちました。地元のテレビ生中継でもスパークする瞬間が放映され、雨に打たれて飛ばなかったバルーンを後方部隊が回収する光景を地元テレビ局が評価するなど、ベストは尽くしました。

 

が、やっぱり雨が…

 

私がこれから会社の中ですることは、

感動を生み出すことによって就労への道を切り開く

ことです。

 

華は開く瞬間によってものすごいパワーをもたらします。

まさに私が創り上げようとしているものそのものです。

これを会社が推進しているのですから、当然私がすべきことが見えてきますし、そういう会社で仕事をしていること自体素晴らしいことだと思うのです。

そのようなものすごいパワーを生み出す会社の中心的存在の一人が私…

 

実際のところ問題点も多々見つかり、とても成功とはいえないが、この結果は実績につながります。そしてそれが「今度こそは成功させる」という原動力になり、より大きな感動を生み出すのです。

鳥肌を立たせるほど感動させることとは

こんばんは。
久しぶりの更新です。

今、ヘリコプターがうるさいです。
何しろ世界の目が広島に注がれる1日です。

そんな中、私はふとしたきっかけでサミット会場の近くへ…

とあるイベントを見に行きました。

音楽と大道芸のイベントだったのですが、一番すごかったのが
書と和太鼓の融合

鳥肌が立つほど感動しました。

実は、この書のパフォーマンスをされた方に、数時間前私はこういわれたのです。

鳥肌が立つほど感動した

その方は書のワークショップをこのイベントでされていたのですが、そこで目にしたのが
ツイスターズ2016広島のチラシ
でした。

私もこのチラシはすでに入手していて、いま勤務している会社が運営するバルーンショップにも置かせていただいてますが、なぜこのチラシが書のワークショップのブースにあるのかすぐにわかりました。
ツイスターズ2016の賞状を担当されるとか。
ちなみにこのイベントのプロデューサーとツイスターズ2016のディレクターは友人同士で、しかも二人とも旧Y’s Dreamと非常に関係が深かった方です。もちろん8年前のツイスターズも中心になって動いていました。

私はこの方のパフォーマンスを見ずに帰るのは失礼と思い、パフォーマンスを拝見させていただきましたが、本当に素晴らしいものでした。

 そのような方に「鳥肌が立つほど感動した」「今日来た甲斐があった」などと言われたのですが、私など今は焼きが回っています。私の作品など序の口レベルです。あまりにも素晴らしい最高レベルのバルーンアートに接して、言葉を失うほど感動することになるでしょう。

河内裕美の書のページ

こんにちは。

今日は花見をしてきました…広島も宮島も廿日市ももう散っています…向かった先は北広島町。

こちらは満開です。

私自身、桜は桜吹雪は言うまでもありませんが、上の写真のようつぼみが開きかけているくらいが一番好きです。今にもはじけそうな、何とも言えない勢いを感じます。そしてその花にはものすごいパワーを感じます。

久しぶりにこの状態の桜をじっくり堪能しました。

さて、下の写真。

さんちゃんホール

さんちゃんホール

昨年(2015年)7月のあの感動の「きたひろしまミュージカル」のフィナーレを彩ったあの場所です。

季節は巡り、桜が咲いています。

あれから9か月の月日が過ぎ去りました。

暑い夏を経て山が色づき、冬を経て春が巡りました。

あの時緑の稲穂は色づいて収穫を迎え、雪に埋もれた後再び耕されていました。あと1か月もすれば新緑が芽生え、今年の稲が植えられます。

そして今日はいくつか懐かしい場所も訪れました。

いずれも2016年

 

2003年から2004年

これだけではありません。デコレーションの写真も数えきれないほどあります。

本当にここには鍛えられました。

まさに「バルーン道場」でした。

広い会場を何度走り回ったことか…

そしていろいろなことにチャレンジさせてくださいました。

ここのおかげで私は自分のスタイルを築き上げることができたのです…

今ではここで結婚式を挙げることも年に1組あるかないかだそうです。

当時、ここの周辺ではハウスウェディング不在ということもあって、非常に人気があったようです。

中でも一番忘れられないのが2003年5月のゴールデンウィークにあった結婚式。

ここのオープン5周年イベントの一環でした。

池の周りに一般のお客様も参加いただき、列席者とともにバルーンリリース。ゲストと列席者で合計500個。新郎新婦の誓いのキスの瞬間に島にあったバルーン5個が一斉にはじけ、合計約700個。総計1200個以上もの風船が一斉に舞い上がるという光景を創りあげました。あの感動は今でも忘れることができません…。

この時司会をしていた方は

「鳥肌が立つほど感動した」

とのこと。

今でもこの場にいた人たちの心に残る光景なのかもしれません…

さらにここも訪れました。

2016年

2007年

ここも何度手がけたことか…

しかし、先述の会場に比べると大がかりではありませんでした。

話を戻すと、

私はほんの一瞬の感動を生み出すために、ものすごい力を費やしてきました。

私が創りあげた瞬間が多くの人の心に響いた時、私の心の中でも大きなくす玉がはじけ、たとえようのない快感を感じました。

そのような瞬間を作るだけのために、10年以上もの日々を過ごしてきたのです。

長年の無理の結果、私は心を滅ぼしました。

しかしこのことに対して全く後悔はしていません。

最近、私がしてきたことがいかにすごかったことなのか、再認識させられる出来事が続いています。

そして、それが今につながっているのです。

そういう感動を生み出すことによって、その人の自信につながるようなことをこれから私はしていきたいのです。

たとえそれが小さなバルーンアレンジであったとしても、それが一つの風船でできた動物であったとしても…

以前述べたように「心の中のくす玉をはじけさせる手伝いをしていきたい」と私は思っていますし、まさに今その仕事についています。それができるのも、「数多くの心のくす玉をはじけさせた経験のある」私だからこそなのかもしれません。

BALLOONS MAKE EVERYONE HAPPY!

BALLOONS MAKE EVERYONE HAPPY!

はじまりから20年…歳月の重み

  こんにちは。
私がエミリーズバルーンアートスクールに通ったのが20年前。1996年4月のことでした。
思えば、これが始まりだったのです…Y’s Dreamの。

当時私はとあるバス会社に勤務するサラリーマンでした。
ギャンブルにおぼれ、当時付き合っていた彼女とは別れ、どうしようもない状態でした。
風船が好きだったのは言うまでもなかったのですが、いったい何ができるのか、後々役に立つかもしれない、と考え、私は参加しました。

やがて私は、「風船を膨らませた方が地域社会に役に立つ」と考え、いろいろなことに挑みました。一方当時勤務していたバス会社は将来の展望を描いていませんでした。ただ縮小均衡だけを望んていたのです。

4年後、私はプロに転向しました。

2年間、模索しながら続けていましたが、2002年、完全に自立。
そこからひたすら走り続けました。

あっという間の10年間でした…

2011年3月11日、東日本大震災発生。
それをきっかけに世の中の流れが少しずつ変わりました。
2012年、長年の無理からうつ発症。加えてヘリウムガス払底が起き、大きく流れが変化しました。
私は引退を決断、2013年8月に旧Y’s Dreamは全面活動停止しました。
その後「風船の世界はどう変わるのか…」を外から見つめ続けました。

2015年、規模を大幅に縮小して細々と再開しました。
できることは限られている、と判断したからです。
そして福祉、とりわけ障害者の就労の分野でバルーンを生かすことはできるのではないか、という結論に至り、今年に入ってからAWESOME!という新名称で活動を本格的に再開しています。

私がこれからやるべきこと、やりたいことは多くの人を感動させる演出を生み出すことではありません。
小さな感動をもたらすことによって自信を身につけさせるためにバルーンを活用し、そこから新たな道を創り出すことなのです。

この三連休、私は久しぶりに弾丸長距離ドライブを行いました。
20年前の同じころもやはり弾丸長距離ドライブを行いました。
あのころは必死に何かを探していました。
今回はあの時とは全く違う目的で弾丸長距離ドライブを行いました。

当時私は20代でした。
今は40代中盤、もう若くありません。

 
バルーンを始めて間もないころ、1997年だったと思うが、由布岳を眺めて「ここでバルーンリリースができたら…」と思った。それは2000年4月に現実になった。

その時の様子。

 
2000年4月、由布院に住み込んで作品展をしていた。これがきっかけで地域と共存するバルーンアトリエを構想するようになり、それは2002年から2011年まで大朝、今の北広島町で実現した。

バルーンドロップ

昨年7月の作品。広島に戻っても、北広島町とのつながりは続いた。

 

この温泉、熊本県の阿蘇外輪山の懐にある。1990年以来の再訪。阿蘇・九重一帯は何度も訪れているが、ここだけは25年ぶり。25年前といえば大学1年生。まだ10代だった…
 
25年前、いや戦前からこのたたずまいだったのだろう。
平和だからこそ風船を膨らませられる、平和だからこそこのようなことができた…

 1997年1月

  1998年11月

 1999年12月

  2000年4月

 2000年7月

  2003年1月

2003年4月
 
 

2004年10月



 
    2006年1月

 2007年4月

  2008年10月

  2009年4月

  2010年12月

  2011年1月

  2012年10月

  2012年11月
 

  2013年3月

  2013年7月

  2013年8月

  2014年3月

3回目公演

外からステージを望む

バルーンドロップ

1回目公演

1回目公演

  2015年7月

  2015年11月

 これでほんの一部。
2013年8月に引退・営業終了する際に作品集をまとめている。このブログからもリンクを張っているので、ご覧いただければと思う。

そして…
  現在進行形。

バルーンショップはプレオープンし、現在営業しながら問題点を模索している段階。結構な問題点が出ている。
随分いろいろな風船屋を私は見てきたが、本格的にやっていくにあたって、まだまだ手探りである。
いずれにせよいえることは、
勉強しなければいけないことは山ほどある
ということ。

経験に甘えてはダメである。

そんなことを身をもって実感した三連休であった。

達成感を味わさせるのが私の仕事

今、本業の仕事で、就労継続支援B型と就労移行支援の在り方について悩んでいます。
まず就労継続支援の定義ですが、A型とB型があります。A型は雇用契約を結ぶのに対し、B型は雇用契約を結ばないという違いがあります。この結果、生活をするのに十分な給与がB型では得られないという問題がある一方、A型では営利追求と利用者の管理の両立が難しく、職員に過重な負担を強いるケースや利用者を危険にさらすようなケースが散見されています。
他方、就労移行支援では、一部で「就職予備校化」の様相を呈しています。訓練プログラムに問題があるようなところも多々あると聞きます。
さらに私が気にしているのが、利用期間の問題です。就労移行支援は一生涯のうち2年しか使えません。その2年のうちに一般就労ができなかったら、容赦なく就労継続支援に移ることを求められます。このため数字稼ぎに走るところも多く、結果「就職予備校化」につながっています。他方、就労継続支援はいつまでも利用できます。結果、障碍者年金と相まって、就労への意識が低下してしまうことに結びついているのかもしれません。
現状、精神・発達障碍者への国民年金の審査は厳しくなる傾向にあります。最初2級と判定された人が、更新の際に3級と判定され、障碍者年金の支給が停止されるケースも見られるようになりました。社会保障費の伸びを抑えるために厚生労働省の役人はあの手この手を考えています。
加えて保守化の流れによって「家族の役割強化」を志向しているといわれ、戦前における家、すなわち「イエ」の在り方に戻ろうという流れになっています。ところがこれは私自身も直面したように、画一的な家族関係を求めようとした結果もたらされる親子間の問題を引き起こしかねず、そのような問題に苦しめられている人たちを孤立させ、悪循環になってしまいます。

そのような問題に直面した私ができることといえば、
風船で人を幸せにする経験を多くの同じような障害に苦しむ人たちに味わさせ、その経験を自信に結び付けさせる
ということだと信じています。
ここ数か月述べ続けている
たくさんのくす玉をはじけさせた私として、同じ障害に苦しむ人たちの心の中にくす玉の種を植え、その種を大輪の花として開花させる手助けをする
ということは、こういうことなのです。

私がもたらしてきたものは、これです。ほんの一例ですが。

風船でもたらされるもの、それは笑顔風船でもたらされるもの、それは笑顔

そのたとえようもない感動を一言で表したのが
AWESOME!
という言葉です!それが今のブランドです!

そのような感動を創造することによって、一般就労に結び付けようというのが、これから取り組もうとするプロジェクトなんですよ!

ふうせんへの思い…伝えたかったこと

こんにちは。

このたびサイトを再編・リニューアルし、このブログは風船に対する思いをテーマにしたブログに生まれ変わりました。

作品集表紙Y’s Dream作品集

KIMG0146v最新のY’s Dreamの作品集

くまさんのげんきだま2016表紙くまさんのげんきだま(発達障がいのお子様及びその親へのメッセージ)

ここでは2010年8月から現在進行形で風船を通して私が伝えたかった思いといったものをまとめております。プロのバルーンアーティストとして活動してきた軌跡から、将来を担う若者たちに伝えたいメッセージをお届けします。

このサイトは次のような方にぜひ読んでいただきたいです。

バルーンアーティスト・バルーンデコレーターを目指したい人

人々に夢を与え、感動させる仕事に就きたい若者

将来何をしていいのかわからずに迷っている若者

私は自閉症スペクトラムに属する発達障害を抱えています。そのためストレス耐性が非常に弱く、その結果うつを発症して休業に追い込まれ、最終的に一度は引退に至りました。今は別の仕事をしながら、形を変えてバルーンアートに取り組んでおります。

私は2013年8月にこれまで13年以上にわたってプロとしてバルーンアートの活動を一度終了しました。

2014年より少しずつ再開し、2016年1月より新屋号「AWESOME!」として、新たな活動を開始していますが、プロとしての活動すなわちバルーンアートで営利を追求する活動はかつてのY’s Dreamより規模を縮小しており、無理のない範囲で行っております。

Y’s DreamからAWESOMEへ…Balloons Make Everyone Happy!という思い

こんばんは。

2015年12月25日

長年親しまれてきましたY’s Dreamですが、本年12月31日をもちまして、営業を終了させていただきます。
そして来年1月からは、
AWESOME!
という新名称で気持ちも新たにスタートすることになりました!

このAWESOME!という言葉、
たとえようもない感動
を意味する英語です。

今、私は障がいを抱えながらも夢と未来に向かって一生懸命に生きる子供たちや若者たちに、風船を通して夢と感動を与えるという、とてつもなく素晴らしい仕事を、地域循環型社会を創造することを目指している企業の中の一員として取り組ませていただくという、素晴らしくかつきわめて恵まれた環境の中にいます。
このクリスマスは、サンタクロースにふんして子供たちにクリスマスプレゼント(もちろんバルーンつき)を配って回るという役目を担いました。
その中で自分自身が思わず
AWESOME!!
と思わずにいられませんでした。

私がやっていることは、子供たちの心の中にいつまでも残る感動と幸せをもたらすことだったのです。
そして、障がいに立ち向かう若者たちにとっては、元気の源となり、これから頑張ろう!という気持ちにさせるものになっていたのです。

BALLOONS MAKE EVERYONE HAPPY!

BALLOONS MAKE EVERYONE HAPPY!

思えば20年近く前、競馬と競輪とパチンコしか趣味のない状態だった私を救ったのは風船でした。18年前、仮称でつけた名前がY’s Dreamでした。この名前はあくまでも仮の名前でしたが、それがいつしか定着し、16年間続きました。この間に生み出した感動は数知れず…多くの人の心の中にいつまでも残るものとなりました。

その中で私は、いつの間にか原点を忘れていたのかもしれません。忙しさのあまり心が滅び、鬱になってしまいました。そして正体不明の生きづらさの原因が発達障害だということがあらわになりました。

私は暗闇の中をさまよい続けました。

両親との関係は心の闇をより深くさせました。背景に両親の無理解があったからなのです。本来最後に頼るべき両親が、私にとっては戦う相手になってしまっていた…これほどつらいことはありません。

でも、風船と接することだけが自分らしく生きるすべであるであることは忘れませんでした。

結果…

たどり着くべき場所にたどり着いたのです。
風船を膨らませて、子供たちや障害に苦しむ人たちに幸せと感動を与え、そして私が膨らませた風船によって感動した人たちの姿を見て自分もたとえようのない感動を得ることができる…

この時、
私の心の中のくす玉がはじける、たとえようもない感動を実感するのです。

その言葉を英語で言い表すと、
AWESOME!
となるのです。

最高の屋号をいただいた、と思いました。

この屋号に恥じぬよう、これからもがんばります!
そして、
Balloons Make Everyone Happy!
という思いは変わりません。

ある意味最高の会社と最高のチームメートにたどり着いた、と私は実感しましたし、この会社の一員として誇りを持って頑張る気持ちを新たにしました。

 

2015年12月30日

そしてY’s Dreamの今後の扱いですが、
活動そのものは新しく立ち上がるブランド、AWESOME!に原則として移行します。
代金及び報酬をお客様から頂いて活動するものはすべてAWESOME!名義で行います。

ボランティア活動などごく一部残る非営利活動については、現行のY’s Dreamブランドを使用して行いますが、この場合、代金は頂きません。ただし、大幅に活動範囲及び規模を限定させていただきます。

作品のアップは「ワイズドリーム」のフェイスブックページで行います。
ただ、AWESOME!のオフィシャルページは別に立ち上げます。新たに制作するAWESOME!オフィシャルページに営業案内から作品紹介まで一切を掲載しますし、インスタグラムページも用意する予定です。ホームページがすでにAWESOME!を名乗っていますが、このページは窓口とします。ここから今の職場で制作するオフィシャルページへのリンクを張ることにしております。

よって、原則としてAWESOME!(アウサム!)に、これまでY’s Dreamとして行ってきた活動はごく一部の例外を除いて集約されます。
今後Y’s Dreamを訪ねてきたお客様はすべてAWESOME!へご案内する形になります。

結局、Y’s Dreamはバルーンのブランドとしては消滅するものの、完全な消滅とはなりません。作品紹介および活動案内の場としては残る形になります。

…スパークバルーンがはじけた時、そしてその風船たちが持てる力をすべて発揮したとき、そしてその風船たちによって多くの人たちにいつまでも心に残る感動をもたらすことができたとき、その快感と達成感を英語で表した言葉
AWESOME!
が新しい屋号となった2016年正月、これからはホームパーティーやサプライズの演出を通して、これまで手掛けてきた感動を生み出すノウハウを皆様のもとに届けていきます。そしてもう一つの使命、というよりこちらの方がもっと重要なのですが、
障碍者福祉とエンターテイメントの融合

バルーンを通して、精神障碍者・発達障碍者の自信を身に着けさせ、一般就労へのきっかけを作る…

一人でも多くの人にくす玉の種を植え、大輪の花を咲かせる手助けをしていく

これが今年、そしてそれ以降私がなすべき仕事です。
幾多のくす玉バルーンをはじけさせた者として。

昨日12月30日の段階で、私が述べていきたいことはすべて語りつくしました。

この「ふうせんでつたえたいこと」の更新は本日、2015年12月31日をもって終了とさせていただきます。

もう伝えたいことはすべて伝えきりました。

伝えきれない思いがまだまだあり、また、2016年10月末を目標に「私が制作したバルーンの作品を通して障がいがある子供たちや若者に元気と自信をつけるきっかけを見つけ出す小冊子」をAWESOME!として制作することになりました。その小冊子のベースとして、この「ふうせんで伝えたいこと」を活用しますので、更新を7月末より再開します。

ただ、この思いはY’s DreamからAWESOME!に屋号が変わっても、変わりません。

BALLOONS MAKE EVERYONE HAPPY!

くす玉のような存在になりたい…無数の「くす玉バルーン」をはじけさせ、無数の感動を創り出した経験からの想い

私の想いは、この11月から12月に述べてきた次のような思いに尽きるでしょう。以下はこの11月から12月にアップした記事の抜粋です。

2015年11月4日

私自身、
「くす玉のような存在の人になりたい」
という思いが子供のころからありました。
そして、その思いは、今でもかなっています。
一度その思いはついえかけましたが、今は再びかなっています。
かつてのY’s Dream最盛期ほどではありませんが、昨日もその思いをかなえることができました。

その瞬間、その一瞬のために、すべてを注ぐ
その思いがかなった時、とてつもない感動が多くの人を包み込む
その思いを表現できる存在でありたい

私が長年風船で表現したかったのはまさしくこれだったのかもしれません。
だからこそ何千、何万もの「くす玉バルーン」に生命を吹き込めたのかもしれません。
そして「くす玉バルーン」という名前、15年前に私が名づけました。
やがて「スパークバルーン」という名称が一般化しました。

そして、一つ一つの風船に生命を吹き込んで、多くの人にいつまでも心に残る感動を提供できる存在である私の姿そのものが
くす玉のような存在
である私の姿を体現できているのかもしれません。

そして、
くす玉のような存在
に曲がりなりにも一度なった私が次に目指すこと、次にすべきこと…

多くの若い人たちの心に「くす玉」を植え付ける
そしてその「くす玉」を開花させる手助けをする

今、若者、…とりわけニート、ひきこもり、毒親、精神障害、発達障害…に苦しむ若者がたくさんいます。
私も現に発達障害と毒親に苦しんでいますし、そういう人たちの苦しみは痛いほどわかります。
そして若者の多くが夢を見失っています。夢をあきらめて、目標もなく、ただその日暮らしを繰り返す若者が多数います。私もそうなりかけました。だからこそ
夢を持って、目標を持って生きることの大切さを知ってほしいのです。

2015年11月19日

以前、とあるブライダル司会者の方が
スパークバルーンのことを「子宝に恵まれる」と表現してくださっている
のを記事にしていたのを見たことがあります。
10年かあるいはそれ以上前のことでしたので、記憶は定かではありませんが、とても感動し、うれしかった記憶があります。

考えてみれば、母親のおなかの中にいる赤ちゃんが産まれるとき、妊婦さんはものすごい産みの苦しみを味わうといいます。そしてその産みの苦しみの向こうに、とてつもない人生最高の感動があるといいます。

ある意味「くす玉」は妊婦さんに存在が近いのかもしれません。そしてその中に入っている風船や紙ふぶきといったようなものは、自らその力を発揮するためにその中で力を蓄えているのかもしれません。

私はこれまで、数えきれないほどの「くす玉バルーン」を制作してきましたが、
単に「風船を膨らませる」というより、「風船に生命を吹き込む」という姿勢で一つ一つの風船に接してきました。
「スパークバルーン」という名前の方が一般的になりましたが、「くす玉=割れる」という縁起かつぎで売れなかった2000年ごろに比べて、もう完全に浸透し、定着してしまいました。
その「スパークバルーン」の全国宅配を2000年に「くす玉バルーン」として全国で最初に手掛け、一時代を築いたのはほかならぬ私であり、今でもこのことは誇りに思っています。

残念なのは、運送事情が厳しくなったため、大きなサイズ(直径約75センチ)の「スパークバルーン」(2013年ごろまではこれがレギュラーサイズだった)が宅配送料がものすごく高くなって、宅配が困難になったことです。一方でバルーンショップが日本のいたるところにできて、そこに行けば容易にスパークバルーンが手に入る時代になりました。ただ、あまりに定着しすぎたのか、ブライダルでは人気が低迷しているということもあり、市場が小さくなってしまいました…(一時期二次会の需要が多かったが、最近はそれも減少したような印象がする)。
しかし他では相変わらずニーズがあり、特に子供たちはとても喜びます。一回り小さいサイズでお手頃なのが今の宅配スパークバルーンの主流になっているようで、誕生日パーティーといった新たな需要も生まれているようです。ホームパーティーのバルーン演出は今後も伸びが期待できる分野です。

バルーンデリバリーサービス

バルーンデリバリーサービス

こうしてみると、私が産み出してきたのは
いつまでも心に残る感動の瞬間
であったことは間違いないようです。

そして、たくさんの「くす玉バルーン」をはじけさせてきた私がこれからすべきことは
一人でも多くの人たちの心の中に「くす玉」の種を植え付け、その「くす玉」をはじけさせ、大輪の花を咲かせる手助けをしていくこと
だと思います。

2015年12月6日

2012年から2013年ごろにかけて、バルーンアートの活動が存亡の危機にあった状況とは異なり、活動のステージが変わるということに過ぎないので、私のバルーンへの思いも変わりませんし、私が創り上げる作品の世界も基本的には変わりません。むしろ、ここ数か月このブログで述べ続けてきた
子供たちや若者にくす玉の種を植え、大輪の花を咲かせる手助けをしていきたい
という思いがこれからの私の取り組むべき課題になるということです。その活動の一環として私がこれまで長年してきたバルーンの経験を生かしたものになる、ということなのです。
長年くす玉をはじけさせてきた私が、これからは多くの障害に苦しむ子供たちや若者の心の中にくす玉の種を植え、それをはじけさせる手伝いをする
ということなのです。

2015年12月13日

風船の仕事、本当にハードです。華やかな表舞台とは裏腹に、舞台裏は壮絶です。しかし私はそれでも風船が大好きでした。
私の作ったものはどうやら
人を幸せな気持ちにしてくれる
魔法の力があるようです。

昨日にしても、酒を飲みながら、一方で写真を撮りまくりながら、バルーンを膨らませていました。そして最後は
バルーンクラッカー
まで作っちゃいました。

風船には人を幸せにする力があります。
人を幸せにする思いを形にする存在が私なのかもしれません…
そういう私は本当に素晴らしい会社に入らさせていただいたのかもしれません。

くす玉にしてもそうです。
はじける瞬間はほんの一瞬です。
その一瞬がそれを目にした人たちの心の中にいつまでも残るのです。

それは本当に変わりません、私の活動のステージが変わり、Y’s Dreamの名が消滅しても。

想いを形にする、ということ

こんにちは。

先日とある企業様の福祉イベントのテーマが、見出しの通りで「想いをかたちに」した。

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障がいのある人たちとともに生き、ともに歩める社会をつくることを目指したこのイベント、若干のハプニングはあったものの、おおむね大成功でした。

私は障がい者の就労にバルーンを役立てることはできないのか、これまで様々な模索を繰り返してきました。その模索をこうして形にすることができ、そして花開いたのです。

この作品は私だけで作られたものではありません。この会社にかかわる人たち一人一人の協力がなければできませんでした。

夢のある福祉、本当の意味で人を幸せにする福祉

…私がこれから目指していくところです。

一方、私は最近、フォトショップを加工して一枚の作品をつくることにはまっています。

本当に好きだからこそなしえたこと

本当に好きだからこそなしえたこと

私の風船に対する思いが、ほぼすべてのグラフィック作品に込められています。

これを見た人は、例外なく感動します。

どうしてなのか…考えたのですが、1枚の絵を自らの作品だけで構成しているからかもしれません。

素材から構成まで、すべて自分がこれまで手掛けてきた作品でできているということ自体、すごいことなのかもしれません。

そして、一つ一つの作品そのものすべてが、私の思いが、私の汗と涙が風船の中にいっぱい詰まっているものなのです。

私はこれまで、風船一つ一つに生命を吹き込むという考えで、風船を膨らませてきました。

その膨らませた風船それぞれが、多くの人々の心の中にいつまでも忘れない感動として生き続けています。

その私が膨らませた風船で新たな作品が作られ、それがより大きな感動をもたらす…

そのような1枚の絵(=グラフィック)が、すべて自分の作品だけで作ることができる、ということ自体、すごいことをやってきたのかもしれません。自分の作品ですから、著作権など関係ありません。

そうしてみると、私は

やりつくした以上に、やり遂げた

のかもしれません。そして、やり遂げたからこそ、次のステップに足を踏み出せるのかもしれません。

私がこれからすべきことは

「障がいに苦しむ子供たちや若者にくす玉の種を植え、そのくす玉をはじけさせる手助けをしていく」

ことです。大輪のくす玉の花を咲かせた私だからこそ、できることがあると思います。

咲かせよう 笑顔の大輪の花

咲かせよう 笑顔の大輪の花

このグラフィックは、上の作品とバルーンリリースを組み合わせ、はじける花火をスパークバルーンがはじける瞬間を用いて表現しました。このように、私の思いを自らの作品を用いて1枚の絵にする…その絵を見た人もまた、元気づけられる作品をこれからも作っていきたいですし、自分もそういう生き方をしていきたいです。