砂まみれ…
スタッフも砂まみれ…
写真は三連休が終わってからにします。
明日も忙しいので、今日はここまで。
Y’s Dreamというところは、まだまだ会社組織になっていない。そのため、「ただ風船を膨らませていればいい」というような状況ではない。言い換えれば、営業も経理も総務も何もかも一人でこなさなければいけないのである。
個人営業をしているところはそれで当然、といえばそれまでである。大企業だって、個人商店で出発したところは、最初はそうであった。
このことで私は何を言いたいのか、というと、バルーンアートの世界を、「ただ風船を膨らますのが仕事」と勘違いしている人に、「現実は厳しいぞ」と言い聞かせたいのである。
技術を身につけたところで、お客様が居なければ、それはただの持ち腐れになる。逆に、営業ができても、技術がなければ、お客様の期待を裏切ることになる。早い話、技術力も営業力も、一人で兼ね備えなければ、バルーンのプロにはなれないのである。
さらに言えば、経理の能力も、なければならない。言い換えれば、バルーンの仕事をするにあたっては、「コスト意識」を絶えずもたなければいけない。
私の場合、その経理能力がまったくないのである。結果、無駄が多くなってしまう。
技術もまだまだ身に付けなければいけないことが多すぎる。湯布院でやりたいこと、やれるだけの事はやったが、まだまだ不十分である。
営業に付いても、まだまだ基本がなっていない。
早い話、私はサラリーマンを、これまでどおりやっていたほうがいいのでは、と思える。
しかし、私はこうして、風船の道を極めようとしている。その理由はただ「風船が好きだから」である。
実際にバルーンビジネスの世界に飛び込んで半年、Y’s Dreamはまだまだ赤字である。そしてわかったことは、「技術も営業も経理も何もかも一人でやっていかなければいけない」という事実であった。
「好き!」という気持ちだけでは、バルーンビジネスはできないのである。
バルーンアートの世界に飛び込みたい、と思っている人は、そのことを肝に命ずるべきである。
(なんだか今回のコラムは、書いている自分自身が自己嫌悪に陥ってしまっている・・・)(2000年5月26日)
これは10年前のコラムである。
10年の月日が流れ去り、これに大きな仕事が加わった。
それは商品開発である。
…今私は、先ほどの記事にもあるように、どこのバルーン業者もやっていない演出を研究・開発中である。
とにかく試行錯誤、失敗を繰り返している。
しかし今週末がおそらく商品開発のラストチャンスになる…
なぜなら、来週以降、
秋のブライダルラッシュが始まるからである。
一組一組に責任を持って
最高の瞬間を作り上げる時がやってくる。
分刻みのスケジュールに追われる。
絶対に穴をあけることなど許されない
最低でも100%、あるいはそれ以上のものが求められる。
そうやって10年間私は駆け抜け、やってきた。
ものすごいプレッシャーのなか、毎週末仕事に取り組んできた。
そうして今がある。
気がつけば作り上げてきた最高の瞬間は幾多にも及ぶ。
そして生命を吹き込んだ風船の数はそれこそ数えきれない。
正直言って精神的にも肉体的にもしんどい。
失敗する時もある。
本番での失敗は取り返しがつかない。
本当に新郎新婦の前で土下座したい気持ちになるし、実際土下座したこともあった。
ブライダルフェアなど、どちらかといえば失敗が許される場であっても、悔しい気持ちになる。
足に足かせがついたような、重い足取りで引き上げることになる。
しかしこの仕事、どんなに辛いことがあっても絶対にやめられない。
なぜなら・・・
成功したときの最高の感動
あの地響きにも似た大歓声
この上ない快感である。
その究極ともいうべきものをいま私は目指している。
この演出が形になったら、本当に最高である。
こんばんは。
今日も酷暑の中、スパークバルーンを3か所でやってきました。
成功したときの地響きにも通じる大歓声…
だからこの仕事を私は愛しているのです。
そんな中、私は今までにないバルーン演出にチャレンジし続けています。
この夏はまさに、そのチャレンジの連続でした。
JBAN Conventionの作品にしてもそうです。
あの作品は先を見据えて作ったものです…
あのバルーンがはじけた瞬間を想像していただきたい…
おそらく、今までにない感動をもたらすことができるのではなかろうか…
一度実際にスパークさせてみるつもりではあるが…
最初単なるゲートとして見せかけておき、実際にある瞬間にはじけると、まさに主役にとっては人生最高の瞬間であり、最高の祝福の形になる…
それだけではありません。
二段式スパーク…下段のバルーンがはじけると舞い上がる小さなバルーンとともに上段のバルーンが上昇し、一定の高さではじけ中の小さなバルーンが舞い降りる…
この演出、難易度は非常に高く、特に屋外では気象条件(特に風)に左右されるという大変な代物であるが、是が非でもこの演出を完成させたい。
おそらくどこにもない、最高の感動の瞬間になるのではないか、と思う…
その感動の瞬間を極めるのが私の目標になってきた…
そしてたくさんの人の心の中にいつまでも感動として残る演出…そういう最高の瞬間を私はどんどんこれから作り上げていきたいのです。
こんばんは。
昼の寿司食い放題で夜はお茶づけをすすりながら、私はある番組を見ていました。
この番組、昨日BS2でオンエアーされたものですが…
すごい感動しました!
あの作品、確かに素晴らしかったのですが、
その背景にはこういうドラマがあったのですね…
毎年箱根駅伝さながらの筋書きのないドラマが繰り広げられるJBAN Conventionですが、
このようなドキュメントをみると、
日ごろの自分のバルーンへの取り組む姿勢を見つめなおすいい機会になります。
バルーンアートという存在、
まだまだ知らない人も多い。
その中でのものづくりの素晴らしさ、
一つの作品を作り上げることの素晴らしさ、
その喜びを知った彼女たちは、
将来この経験が必ずどこかで生きるであろう。
一方の私であるが…
一瞬の感動を作りだす、という仕事をいましている。
今日も一組だけではあったが、最高の瞬間を作りだしてきました。
やっていることは違うが、
同じ空間で時間と、そして風船とたたかったものとして、
共感しながらこの番組を見ていました。
私はここ数年、コンテストの場で、その作品の先を見据えた作品を作っている。このことについては日を改めて述べるが、コンテストの作品はそれ自体が一つの表現であり、そのプロセスには作品の数だけのドラマがあるのです。
一度私はJBAN Conventionそのものをドキュメント番組で取り上げてほしい、と思っているところです。
作品を作り出すのも
瞬間を作り出すのも
私たちバルーンアーティストの仕事なのですから。
そしてそれらが
一人でも多くの人に幸福感と感動を与えていくのです。
小野学園中学・高等学校バルーンアート&ハンドクラフト部の皆さんの作品
プロの作品となんら遜色ありません。
話は変わりますが、私はテレビを持っていません(というよりアナログテレビをリサイクルに出して、処分しました)。パソコンにチューナーを付けて地デジ放送を見ています。見出しの番組は実を言うとNHK-BS2の番組で、私は本来見ることができないのですが…ある方法で見ることができました。
その方法は…¥945円を払って「NHKオンデマンド」の会員になるという方法です。ちなみに私が申し込んだコースは「1ヶ月間見逃した番組を好きなだけいつでも見れる」ものです。ADSL以上の方は、FLASHPLAYERを最新版にするだけで¥945円を払って会員になればパラボラアンテナやケーブルテレビに入ってなくても見ることができます。
今日はアーカイブ。10年たっても色あせない話。というより、そのようになっているのが現代…ストレス社会の今、必要とされているものなのかも…
「風船の力」・・・・早い話が、バルーンセラピー、言い換えれば風船のもついやしの力である。
風船には、人々を元気にしてくれる力がある、という。風船を見て、Happyな気持ちにならない人はいないであろう。そうなのである。風船とは、本来「華やか」「楽しい」「幸せ」というイメージのものであり、実際あらゆるhappyなシーンで、風船を用いているのである。結婚式、イベント、パーティー・・・・・
その風船が偶然からまって始まったのが、Balloons Artだそうである。今から20数年前のことである。それが今ではぐんぐん成長し、Balloons Artとして、今では職業にまでなりつつある。
そのBalloonsに魅せられる人も数多い。風船に見せられて、その道を極めようとしている人も10年前に比べて、はるかに多くなった。
そうして、いまや世界的に「産業」「文化」にまで発展した風船の世界、一体何が世界中の多くの人を魅了するのだろうか。
それを考える点で、「風船の力」、バルーンセラピーには、大いに関心を抱くことになる。
4月、湯布院での出来事であった。子供たちが風船の海に飛び込んでいっては、たくさんの風船と一緒に戯れていた。一方で大人たちは、記念写真をとったりする人もいた。風船で幸せな気持ちになるのは、大人も子供もかわらない。
実は、そこにバルーンセラピーのかぎがある。
ストレスの多い現代社会、何かと落ち込むことも多いだろう。落ち込んだままでは何も始まらない。そんなときこそ、たくさんの風船を膨らませて、部屋中を風船でいっぱいにしてみてはいかがだろうか。カラフルな色は元気を出させるのにふさわしい。一方白や透明といった色の風船は、穏やかでやさしい気持ちにさせてくれる。
実際病気になったとき、お見舞いにBalloons Bouquetをいただくと、「元気になるぞ!」という気力が沸く、ともいわれている。お見舞いの際には、カラフルなBalloonsのほうが好まれている、とも言われている。
それだけではない。これはLatex Balloons、つまりゴム風船に特にいえることであるが、なんともいえないやさしさ、ぬくもりといったものを感じることがあるという。これは私も実感している。風船をぬいぐるみ代わりに抱きかかえてみると、それを実感できる。それゆえに「風船フェチ」なるものが生じるのだろうが・・・。
フェチズムはともかくとして、風船の持つ、人を幸せにする魔法のような力を、大いに引き出すのが、われわれBalloons Artistの役目であろう。確かにBalloons Artの仕事は、見た目の華やかさとは対照的である。見た目だけにあこがれて、そのきつさを実感して、いやになってしまう人もいるようである。しかし作品を完成させたり、演出がばっちり決まったときの達成感は、とにかくすごい。自分自身、感無量になる。そのときの快感は、何者にもたとえようがない。
だから、Balloons Artistはやめられない。どんなにつらいことがあっても、耐えることができるのである。
バルーンセラピーというテーマから外れたので、元に話を戻すが、いずれにせよ、風船には人をHappyにする力、幸せにする力というものがある。それを一つ一つ集めて形にしていくBalloons Artが、多くの人に幸せと楽しさを与えているのは言うまでもない。何の変哲もない一つ一つの風船が集まってひとつの形を作り上げている、その形がどれだけの人をHappyにしていくのか・・・。
その点では部屋中を風船で埋め尽くすのもひとつのBalloons Artになる。部屋を埋め尽くした風船が、落ち込んだ人を元気にさせ、Happyにさせ、幸せを祝福する・・・・。
精神医学の世界でも、バルーンセラピーが注目されつつある、という。カラーセラピーやアロマテラピーについて、あまり詳しくないので、私はこの分野には言及しない。詳しくはそちらのホームページや書物を見ていただくことになるが、バルーンセラピー、風船のもついやしの力が注目される日も、そう遠くはないであろう。
そして風船の力によって、犯罪、特に少年少女の犯罪が減少したり、不登校や引きこもりがなくなっていけば、これほど幸せなことはない。風船の力で立ち直って元気になった少年少女を、風船で祝福する日がくれば、社会全体が明るくなるであろう(2000年8月5日)。
この選挙運動期間中、私は島根県のある過疎地の公民館で、風船とバルーンアートの講演を行った。私は実際に子供たちにバルーンモデリングとバルーンリリースを体験させた。そのときの子供たちのひとみは輝いていた。風船が持つ温かい力を過疎地の子供たちにも伝えたい・・・その願いは通じたに違いない。みどりあふれる山並みに虹色の風船が舞い上がる・・・いつまでも空に舞い上がる風船を見つめる子供たちの姿が印象的であった。
この子供たちにつらい思いをさせてはならない・・・。
それが政治家の責任である(2001年7月30日)。
→今民主党の代表選挙が盛んである。特定の政党の代表選挙にとりたてて触れる必然性はないのだが、この2001年に小学校4年生だった人は今、大学1年生もしくは専門学校生もしくは新社会人である。
あれから日本はどう変化したのだろうか…
世の中、Balloons Artistにあこがれている人も多くなってきた。ある人の作品にあこがれてBalloons Artistを目指している、という人も時々見られるようになった。
その「憧れ」という人は、私など足元にも及ばない、日本でも屈指のBalloons Artistばかりである。
ところが、先日、ある小学校のホームページを見て、私は驚いた。うれしいという以上に、これは責任重大だ、と思わせる出来事があったからである。
その内容については、ここ をクリックしていただいて、確認していただきたい。
最初この作文を見た私は「テレビチャンピョンの間違いじゃないの!?」と思った。確かに2000年度のテレビチャンピョンの優勝者、Iさん(=家泉あづささん)は、すごい感性の持ち主で、Tさんも言うように、「Balloons Artの天才」といっても過言ではない。「とにかく風船がすき」というだけで、ここまでのし上がった努力は、すごい、と私も思う。
しかし、そこには{「誰でもピカソ」を見て、すごいと思った}とかいてあるのである。この番組に出演したBalloons Art関係者は私しかいない。ということは・・・・・・
私にあこがれてBalloons Artistになりたくなった
ということになってしまう。
確かに、私は「Balloons界の奇才」とあの番組では呼ばれている。しかし、私よりレベルの高いBalloons Artistは何人もいる。私なんぞにあこがれて・・・・本当にいいの!?
これは責任重大である。私にあこがれてBalloons Artistになりたい、という人が現れた、ということである。そうなると私にあこがれた人に対しての責任を、私は全うせねばならない。その責任とは、更なる努力を積み重ねて、多くの人に夢と感動を与えつづけるBalloons Artistにならなければならない、ということである。
翻って、今の私を反省してみる。果たして今の自分は、その責任を全うしているのだろうか・・・。
残念ながら、今の自分は、その責任を果たしているとはいいがたい。
しかし、このことを忘れてはいけない、と思う。
日本のどこかで、私を応援している人が一人もいなくなるまで、私は風船を膨らませつづける使命がある
何年か前、「応援してくれる人が一人もいなくならない限り、私はうたいつづける」といったシンガーがいた。同じことが私に当てはまるのではないか。
今回の件で、私は図らずも応援しつづけている人がいることを思い出させることになった。湯布院の個展の際に、私は自由に名前を書いていただくノートを用意したが、そのノートに名前を書いていただいた人は90人近くいた。名刺やパンフレットを持ってかえった人は、数え切れないくらいいた。一日で名詞が80枚なくなった日もあった。それだけではない。時々ファンレターがくることもある。このコラムを励みにしている現役のBalloons Artistもいるようである。
これらの方々は、すべて私を応援していただいている人たちである。私の作品を見てHappyになり、私に「多くの人を幸せにするために、がんばってほしい」と有限・不言のメッセージを伝えているのである。
私がここまでBalloons Artを続けているのも、ひとえに彼ら・彼女らのおかげである。応援していただいているすべての皆様の期待にこたえること、それがすなわち私の責任を全うすることなのである。
今回、それを思い出させてくれた「めぇーちゃん」 さんには、本当に感謝しています(2000年8月13日)。
この「めぇーちゃん」さん、1999年に小学校6年生だったという。いまでは社会人になっているはずである。
どのような仕事をしているのだろうか…
その10年以上の間、私は同じ仕事を続けている…
大人になると、現実に縛られて、無邪気さを忘れる…
こんばんは。
本当にいろいろなお問い合わせをいただき、ありがとうございます。
今日もバルーン演出の打ち合わせでした。
聞くと、今までにないようなバルーン演出をしたいそうで、
さまざまな提案をしてきました。
その時の打ち合わせがまたまた盛り上がりました。
お客様曰く
こんなにうれしそうな表情をして提案してくるバルーン業者は
そうそうない
とのこと。
そして、また言われました…
もしかして、あなたの恋人って風船?
ひょっとしたらそうかもしれない…
でも、私が作りだそうとしているのは
一瞬の芸術
である。
多くの人に驚きと感動を・・・
最高の瞬間を・・・
そしてそれがいつまでも心に残る…
そのような作品を作っていきたい…
こんにちは。
毎日暑い日々が続いています…
暑いと風船のゴムが熱せられ、紫外線で弱くなり、スパークバルーンがいきなり暴発…という危険が生じることがあります。昨年は8月に標高1000メートルの高原で8度!を経験するほど、秋の訪れが早く、私は大助かりでしたが…今年の猛暑はここ数年なかった異常なものです。過去猛暑だった年には、必ず事故が起きていました…最初のころは原因不明で、販売停止の危機にさらされたりもしました…温度計を現場に持ち込んで調査した結果、事故の原因が猛暑、と判明しましたが、
相手は地球規模の異常気象、
もはや予防線を張るしか対応のしようがないのです…
スパークバルーンだけではありません。ヘリウムガスは熱い所で膨張し、涼しい所で収縮する性質があります。そのためバルーンギフトも対策が必要になります。
冷房負けしたバルーンギフトを夏になると毎年のように見かけます…中には夏場の営業を見合わせるところもあるくらいです。
弊社でも真夏の「舞い上がるスパークバルーン」の制作は基本的に行っておりません。夏場は空気で膨らませた風船を中心に扱います。空気で膨らませた場合、ビニールで梱包すれば、何とか対応できるからです。ヘリウムガス風船については、「風船のえさ」というノズルタイプのヘリウムガスを同封するなどの対策をとります。というよりこれをサービスでつけるしか、対処のしようがありません。
とにかく風船は猛暑に弱いです。
人間は梅雨が一番いやな季節ですが、風船にとってはまだましです。
猛暑が風船にとっては一番つらいです。
早く涼しくなってほしいです!
私はBalloons Artistとして、この仕事についているのであるが、よく聞かれることに、「どうしてこの仕事についたのか」とか、「どうして風船が好きになったのか」という質問があげられる。これまでこの質問には「ただなんとなく・・・」としかこたえていなかった。というより、こたえられなかった。
ところがある日、ふとあるサイトを見てみると、とても興味深いことが書いていた。その内容は「私がどうして風船が好きになったのか・・・」というないようであった。
私自身の経験から言わせていただくと、私も最初、風船が怖かったようである。風船を見ると泣き出す・・・そんな子供だったらしい。加えて私は、発育障害の傾向があり、特に言葉がぜんぜんしゃべれず、小学校入学時は養護学級に入ることも検討されていたらしい。つまるところ、普通の子供とは違うような成長をしているのである。
そんなころの話である。クイズ番組などでくす玉がはじけ、風船と紙ふぶきが舞うシーンに、私は不思議と恐怖を抱いていたようであった。私はこのシーンになると泣き出したり、目をそむけたりしていた。ところが何かの拍子で、このシーンがこの上なく感動的で、この世の中で最高の光景とまでに思えるようになるのである。
これが私にとって、最初の怖いものみたさで好きになったものではないだろうか。
そう思えるようになったのは小学3年生のころではなかっただろうか。
しかし、私はもともと「鉄道少年」で、そのようなものにはあまり関心を示さなかった。ただ、「くす玉がはじけ、中から風船と紙ふぶきが舞う」光景に胸をときめかせたのだけは事実であった。
ところが、ふと目にしたある番組で、私の風船好きが一気に広がってしまうのである。それは、他ならないあの「夕焼けニャンニャン」である。私は当時、まじめ少年で、このような番組は可能な限り避けてとおっていた。また、両親との対立がもっともひどい時期で、2度にわたり家出を繰り返していた。加えて、学力低下にも悩まされ、進路に悩む時期であった。時期的には1986年、私が高校1年生のときである。
それから、私は風船が本格的に好きになった。しかし、今度は大学受験の時期にあたり、私の風船好きは封印状態になった。日本初のBalloons Shop[Tuxedo Bear]を知ったのもこのころである。
1990年、私は九州の大学に進学した。それからは以前述べたとおりなので省略するが、このサイトを見ることで私の風船に対する「原体験」について思い出させるような出来事を思い起こさせた。
私はBalloons Artistになって、一番やってみたい仕事はというと、何万個ものBalloons releaseや、Balloons Dropである。しかしこれらの「特殊効果系」が非常に難しいのである。実際私も何度かやってみたが、完璧な成功は皆無である。ただうまくいったときの快感は、たとえようがない。あまりいい表現ではないが、エクスタシーさえ覚える。
2000年のカウントダウンのことであった。私は2000個のBalloons Dropを担当することになった。「失敗したらどうしよう・・・」ものすごいプレッシャーであった。そしてカウントダウン、3,2,1、ゼロ!
私は無心になって紐を引っ張った。2000個のBalloonsは無事舞い降りた。このとき私はものすごい快感を経験した。スタッフと抱きあっていた。
それから、私はエクスタシーを感じるような仕事には残念ながらめぐり合えていない。というか、「うまくいってあたりまえ」と思えるようになってしまった。そして失敗したときのむなしすぎる気持ちを味わったことさえあった。
それでも私は風船が大好きである。この世の中にあるものの中で一番すきである。そして今でもBalloons DropやBalloons releaseに対して胸がときめく。自分がやるときには「絶対成功させるぞ」という強い気持ちになる。
次にエクスタシーを感じるほどの感激的な仕事を成功させるのはいつのことやら・・・。(2001年2月7日)
おはようございます。
今日も暑くなりそうです。
さて、とある方のブログにすごくいいことが書いてありました。
私も忘れかけていた初心を思い出しました。
私は本当に風船が好きだったから
今の仕事をしているのですが…
実を言いますと、
バルーンアートの存在を知るまで、
私は
ギャンブルに溺れていたことがあるのです…
競馬
競輪
競艇
そしてパチンコ
競馬・競艇・競輪は少しの金で抑えようとすれば抑えることができる。
しかしパチンコは…
一体何と言ったらいいのだろうか…
運をマシンにゆだねるという、今にしてみればこれほどあほらしい遊びはなかった…
今でもたまにパチンコをするが、あくまでも「1円パチンコ」ばかりであり、ギャンブルではなく単なるストレス解消と暇つぶしの手段である。
さらに言わせていただければ、
パチンコが原因で
以前付き合っていた彼女が嫌気がさして別れたという過去も…
私にはあるのです。
まさにパチンコ地獄にはまりかけ、会社の中では「ダメ社員」のレッテルをはられかけていた頃…
私はバルーンアートに出合ったのです。
「全国各地でバルーンアートの学校を開校しているところがあるらしい」
という情報が入り、そこへ駈け込んで基礎だけしっかり学びました。
このスクールが今日まで続くエミリーズバルーンアートビジネススクールだったのです。
14年前のことでした。
当時は「いつか役に立つことがあるかも…」としか思っていなかったのですが…
1997年1月の第1回のJBAN Conventionに参加して
私は目覚めました…
風船が大好きな一人として、社会に役立つことはないか…
まさにこれが今日まで続くY’s Dreamの源流となったのです…
続きはいずれ…
ただ、もし風船と私が出会っていなかったら、
今頃私は
ダメ社員のまま、ギャンブルに溺れ続け、廃人になっていた
会社に愛想をつかれ、ホームレスになっていた(もっとひどければ自殺していたかも)
という悲惨な人生か
当時加わっていた労働組合活動と予想されていた交通機関の規制緩和問題に関する疑問に対するため、労働組合の上部組織に入り、政治活動に足を突っ込んで、労組がらみで民主党に入党し、国政選挙に関係していた
かのいずれかだったでしょう。
私は勤めていたバス会社を退職する1年ほど前、労働組合の総会で「会社・組合・公共交通全般、これでいいのか?」という内容の熱弁を30分近くにわたってふるったことがあります。この時点では退職の意向が明らかになっていなかったこともあり、いろいろな憶測を会社内で呼びましたが、内心この時点で私は「プロのバルーンアーティストとしていずれはやっていくことになる」という気持ちでいました。いずれにせよ勤めていたバス会社に対して疑問を抱いていたのは事実でした。
かりに私が入社していたバス会社が岡山の両備バスとかだったら、私はプロのバルーンアーティストになることはなく、あくまでも風船は趣味としてやっていくという選択をしていたでしょう。いい会社というのはどんなダメ社員でもよいところを見つけて伸ばしていくシステムがあるのです。私がいたバス会社には残念ながらそのような視点が欠けていました。