風船・バルーン」カテゴリーアーカイブ

達成感と自己肯定感…くす玉がはじけるとき

こんにちは。

2018年10月の第1週、今年最大の山場でした。

1年に一度クラスの大きなイベント装飾及び演出が立て続けに重なったのです。

とあるオープンスペースの周年イベント会場装飾。

1年に一度の大イベント。

この「1年に一度の大イベント」…2年前(2016年)

 想いがカタチになり、そしてはじける

エントランス

1年前(2017年)

さらにもう一つ。昨年の「とあるオープンスペース」の周年イベント。

 

「いつもとちょっと違うぞ」とお気づきでしょうか。

もしお気づきの方がいたら、その方はすごい。それこそバルーンクラッカーをプレゼントしたいくらいだ。

正解は…

「あれ」がない。

私のシンボルとも代名詞ともいうべき「あれ」がないのです。

今回、「あれ」に関して聴覚過敏の問題など、様々なご意見をいただき、「あれ」は抜きにしよう、ということにしたのです。

代わりに制作したのが

であり

でした。

しかし、必ずしも「あれ」は完全に消えたわけではありませんでした。形を変えて登場しました。

風船の中に風船を入れる「体験ワークショップ」として登場しました。

キーワードは

「できた!」という「達成感」。

風船の中に風船を入れる、というのは一般的に難しく感じられるようです。しかし、実際は思ったほど難しくないのです。実際に体験することによって、「できた!」という達成感とともに心の中でくす玉がはじける感動、それを味わってほしいのです。

私は1999年、「くす玉バルーン」なるものを世に送り出し、以来旧Y’s Dreamの代名詞としてあまたの感動を届けてきました。そして、このような動画を制作するまでになりました。

 

これは私が手掛けたバルーン演出を集めた動画です。2017年12月に制作したものですが、過去に同じような動画を制作したことがあり、この動画が再生回数が1万回を超えるまでになっています。

さらに、2年前(2016年)にはこのようなものも制作しました。

くまさんのげんきだま2016表紙

「くまさんのげんきだま」…私の生い立ち、バルーンアーティストになるまで、そして風船に対する想いを小学生低学年の子どもたちにもわかるように、かつ読み聞かせにも使えるように、ひらがなでわかりやすく述べた絵本仕立ての小冊子です。

今までできなかったことができるようになった時、あるいはある目標を達成した時、

やったー!

というものすごい自己肯定感と達成感を感じるでしょう。その時の気持ちは、さながら風船と紙吹雪が舞うかのような気持ちでしょう。その姿は、周りの人を感動させます。そういう時、素直に周りにいる人たちは祝福してほしいのです。

過去には「くす玉のひもを引っ張る気持ちよさ」という投稿をしたこともあります。

この達成感と自己肯定感を実際に「くす玉バルーン」を制作することによって実感し、明日、そして未来への生きる希望として結びつけるのが、このワークショップの狙いなのです。一昨年(2016年)のママフェスタで導入したところ大変好評で、以来バルーンショップAWESOME!のメインとなっています。

…考えてみれば、「達成感と自己肯定感」を実感することによって、生きる力を身に着けるのが放課後等児童デイサービスの使命です。その延長線上に

就労=働くこと=社会の一員として役に立つこと

があります。

私は一時期、自らをむなしくして両親に盲目的に従い、それこそロボットのように働くという生き方を模索したことがありました。徹底的に今までの自分を否定し、儒教の教えを鵜呑みにしようとしました。今でも「親の意向に忠実に従うのが親孝行であり、子どもの最大の義務は親孝行である」と信じて疑いません。そして、こうして風船を膨らませる、言い換えれば風船に生命を吹き込み、感動的な空間と瞬間を創り出し、いつまでも心に残る思い出を彩る、そしてその感動によって未来への生きる希望につなげる、という生き様をしていることに対して、両親には申し訳なく思っていますし、桜島を望む高台にある私の先祖の墓の前で毎年謝罪しています。

しかし、その生き様によって生み出された感動は

自分の人生そのもの

であり、その生き様がまさしく「くす玉のような存在」であり、多くの人に夢と希望と感動を与えているのも事実なのです。

制作中の一コマ

今回はバルーンドロップでした

最後に引用。この文章を見た時、一体いくつのくす玉が心の中ではじけたのでしょう。

あれ(=「くす玉バルーン」ないしは「スパークバルーン」)がなくても、それと同等の感動を生み出せた証です!

(ソウス…「夢FESTA2018 ~福祉とつながる僕らのイベント~ 登壇させて頂きました。{Full Of  Life}より」)

…そして、感動のフィナーレへ。
子供たちが一同にステージへ。
ステージも会場も一体となって
「世界に一つだけの花」を大合唱。
子供たちは手話の振り付けを、
体いっぱいに表現しながら歌います。
みんなの心が一つになったその瞬間、
なんと、会場にバルーンが降りました!
バルーンアーティストの梶川さん
仕掛け人です。

感動で、何も言えない私・・・(笑)

ただただ、「ありがとうございました。」
を繰り返したのでした。。。(笑)

家族が、
クラスが、
学校が、
地域が、
事業所が、
作業所が、
市が、
県が、
国が、
世界が、
・・・・・

色んな個性を認め合い、
尊重し合える、
そんな社会を作りたい!

本気でそう思えるイベントでした。

さぁ、本日からも頑張るぞ!
(‘◇’)ゞ

見るだけで元気が出るような空間演出をめざして

こんにちは。

前回の記事から1か月半程度がたちました。

既に来年に向けてのプロジェクト

平成が終わるまでに

合計2019個の風船を降らせよう(バルーンシャワー)

合計2019個の風船を飛ばそう(バルーンリリース)

9月も下旬に差し掛かり、現在こうなっています。

    

バルーンリリース 延べ400個

バルーンシャワー 延べ250個

※9月22日現在、対象になっているイベントのみ計上しています。

今後、今年11月下旬及び12月上旬、来年4月にこのプロジェクト関連のイベントを計画しています。このうち来年4月はたびたび予告している

「平成最後のふうせんまつり」

です。一緒にイベントをつくりあげるチームを12月中旬をめどにスタートさせる予定です。キックオフは11月下旬を予定しています。

さて、今日のテーマ。

見るだけで元気が出るような空間を創りたい

ということ。

先日、とあるピアノコンサートを鑑賞する機会がありました。そこで感じたのは

弾き手によってピアノの音色が全然違う。生命を感じる音色にもなるし、ただの「音」にもなりうる

ということでした。生命を感じる音色から感じるものは、

明日への元気や希望

であると強く感じました。

一方の風船。

すべて今月(2019年9月)に入ってからの作品です。

で、ある方からこういわれました。

すごい元気が出る

私にとって最高の評価です!くす玉がいくつもはじけるような気持になりました!

そもそも、これらの風船たち、すべて私一人が生命を吹き込んだものなのです。デザイン、構成、環境…風も吹くので安全にも配慮しなければなりません。前日仕込めるところは可能な限り仕込み、当日は夜明け前からひたすら感動の一瞬のために汗にまみれる…

 

風船が大好きで、くす玉がはじける瞬間を愛し、その結果築き上げたものはとてつもなく大きいと、今にして思っています。

とにかく風船が好き、だからこそ生み出すことができる感動…

これからも創り続けていきます。

心に残る表現者として大切なこと

こんばんは。

今日は2018年8月6日です。

8月6日の広島…は広島に住む者にとって、大きな意味を持つ日である。

以前、このようなことがあった。場所は東京である。首都圏で流れる某FM局の番組でのやり取り。

DJ「8月6日という意味に何があるの?別に8月4日でもいいじゃん」

ゲストアーティスト「8月6日でないといけない意味がある」

これは某FMで生番組の中で実際にされたやり取り。私はその日、東京都江東区内のとあるウイークリーマンションにいて、この放送を聞いていた。ゲストアーティストが何を言おうとしているのか分かったので、私はこれ以上突っ込まなかったが、DJは8月6日という日が何かわかっていないと言わざるを得ず、憤慨した。

別の年の8月6日午前8時15分。

私は東京都内のとある駅のホームの片隅で西南西の方角を向いて黙とうした。周りの大人たちは何をしているのかわからない人が多すぎた。たまにメッカの方角を向いてお祈りする人を見かけるが、それと同列に思われた(私はイスラム教徒に見えた?)ようであった。

このようなことは複数回あった。O線とC線の接続駅のYU駅、T線NK駅…大阪でも同じようなことがあり、この時は競艇場で有名な地下鉄と新交通システムの乗換駅であるS駅で同じようなことをした。

このように、旧Y’s Dream時代、8月6日の前後は広島を脱出する(東京へ脱出するケースが多かったが、S駅のように大阪へ脱出したケースもあった)ことが多かったです。なぜなら、この日の広島はカオスで、交通マヒになることが多く、仕事にならないことが多かったからなのです。とりわけ8月6日が平日にあたる場合、たいてい広島を脱出していました。

その脱出に際して、大きな理由になっていたのが、

バルーンアートの全国大会

JBAN Convention

2012年にうつ病で倒れるまで、ほぼ毎年皆勤状態でした。1997年に第1回が開催され、夏開催に移行した1999年以降、8月に行われることが多く、とりわけ8月6日前後に開催されるケースが非常に多かったような気がしますし、今年2018年もまさに今開催中です。

2011年(この年は東日本大震災で開催が危ぶまれたが、「絆…頑張ろう日本」というテーマで開催された)まで、15回中欠場はわずか1回。あまりにも忙しすぎて、しかもクレーム対応まで重なった2004年だけでした。コンテストも複数回出場し、2002年にはラージスカルプチャーに挑戦したこともありました(この時に自分の限界を感じ、ラージはこの時限りとし、ほかの部門にチャレンジするようになった…チャレンジして発信することが大切と考えたからである)。

私は

「悔いの残らない作品が作れたら、その作品から多くのことをバルーンアーティストが学ぶことができる。賞取りレースは二の次だ」

という考えで臨んでいたので、

時間内に仕上げる(作品の形として残す)

ことを最優先にしていました。実際2000年(第4回)に制作した作品は作品の形が崩れ、悔いが残りました。2002年(第6回)、2006年(第10回)、2010年(第14回)の作品は自分としてはベストを尽くせたかな、と思っていますし、それで入賞しないのですから、いかにレベルが高いか、ということです。

しかし、2012年5月、うつ病を発症。

2012年、多忙という理由以外で初の欠場。2013年も深刻な状況だったため行くことができず、2014年、状況が落ち着いてきたので「バルーンの今を見に行く」という目的で作品を見に行くだけしました。

そこで私はショックを受けました。

「技術が独り歩きをしている」

以前から薄々感じてはいましたが、2012年秋以降のヘリウムガス払底(私が引退を決めた引き金ともなった)以降、バルーン業界の流れが私の望む方向と別の方向に向かっているような印象がしたのです。

2015年も参加を見送り、2016年、20回目の節目ということもあって参加。

その時受けた印象は

業界の流れの多様化

でした。

私はある意味安心しましたが、同時にこう思いました。

私はもういいだろう

私個人としては、

これからのバルーン業界を担う若い人たちにどんどん参加していただきたい

と思い、若い人たちや経験の浅い人たちにどんどんJBAN Conventionへの参加を勧める一方、私は

数年おきに顔を出すぐらいでいいのでは?

と思うようになりました。

この2016年のファイナルパーティーで今後のJBANの方向性が示され、私はいよいよ後進へ道を譲ろうという意思を固めました。

昨年は遠い東北盛岡での開催だったこともあり、参加を見送りましたが、今年は東京での開催。参加してもよかったのですが、見送りました。2012・2013・2015年のような状態の悪さもありません。それでも見送ったのには理由があります。

もっと大切なことがある

と思ったからなのです。

今、私は給料の一部を毎月積み立てています。そのほかに、クラウドファウンディングも検討しています。何のためか…

来年春開催の作品展のための資金

なのです。

一方、最近この資金の一部を切り崩しました。理由は西日本豪雨の被災地のためなのですが…

西日本豪雨の被災地の中でもかなり気の毒な状況にあるのが、呉市の子どもたちなのです。

呉市から目と鼻の先にある広島市。通常なら最短30分で行き来できます。ところが…

JR呉線と広島呉道路が土石流で寸断され、中間にはこの西日本豪雨最大の被災地の一つである小屋浦と天応があり、連日2~3時間かかるという状態。早く行こうとすると江田島へ回って船を使うか東広島市を遠回りするかしかない状況になっています。

加えて犠牲者が多数出て、一時は全域が断水…花火大会をはじめとしたありとあらゆるイベントや夏の楽しみが奪われ、子どもたちの笑顔がなくなっている状態。

私は呉市在住の複数の方から

子どもたちの笑顔が消えている

という訴えを受けました。ましてや呉市は

エスカリエ青山メモリアル2007-2015

エスカリエ青山メモリアル2007-2015

幾度となく足を運んだ場所。

私は

自分でできることは何か

を考え、実行しました。

元気を出そう!

元気を出そう!

 

 

既に積極的にボランティアイベントに参加しています。

今後は今秋(10月下旬or11月上旬)に呉市某所にてその地域の保育園児・幼稚園児全員参加した約800個のバルーンリリースを計画しています。

それだけではありません。来年春の作品展では合計約1000個のスパークバルーンシャワー、それに続くエクストラステージ(北広島町大朝で2019年4月29日開催予定)では約1000個のバルーンリリースを計画しています。

それによってもたらされるものは何か…

無数の笑顔の華が花開く、いつまでも忘れることのない心に響く瞬間

なのです。

私が生命を吹き込んだ風船たちが、多くの人を元気づけているという事実

があるのです。

そのような感動の瞬間を少しでも多く創り出すために、より多くの資金と労力を費やしたい

のです。

JBAN Conventionでは、

一年に一度出現する日本で最もハッピーな空間

を何度も味わってきました。

旧Y’s Dreamを立ち上げたのも、

風船に接することによってもたらされる喜び、幸せ、うれしさ、楽しさ、華やかさというものを多くの人に広げたい

という想いからでした。

経験の浅い人たちは、どんどんJBAN Conventionなどに足を運んでいただきたいです。

他方私は、もう十分に味わいつくしたので、ある意味「もういい」です。数年に1回、思い出したかのように顔を出す程度で十分です。

JBAN Conventionに参加するためには、10万近いお金が必要です。そのお金を今本当に私が生命を吹き込む風船を必要とする人たちのために使いたいので、私は今年もJBAN Conventionは欠場しました。

 

 

 

 

 

 

汗と涙を積み重ねて生み出してきた感動

こんにちは。

まずはこの動画をご覧ください。

 

私が生命を吹き込んだ風船たちがはじける瞬間を集めた動画ですが、実はこれらの感動を生み出していたのは「イージーポップ」と呼ばれる、2000年代前半に開発された無線を用いて風船をスパークさせる、小さな機械を用いていたものが多く含まれています。

その機械がこれなのですが、ついにこの機械が動作しなくなってしまいました。というか、反応が鈍くなってしまいました。

前々から怪しかったのですが、とうとう寿命が来てしまったようです。

思えばこの機械によって生み出された感動の瞬間は数知れません。

この機械を使い始めたのは2004年。

同時期にマスターした別のもう一つの方法(一定の高さで大きな風船がスパークする方法)と併せ、長年私が夢見ていた感動の瞬間を現実に創り出すことができるようになったのです。

以来私は2013年、引退するまでこの機械を愛用し続けてきました。

この機械によって生み出された感動の瞬間は数知れず。

エスカリエ青山メモリアル2007-2015

エスカリエ青山メモリアル2007-2015

ありがとう、Easy Pop!

ありがとう、Easy Pop!

これらはほんの一例。

この演出が成功した時、いつも私はたとえようのないほどの達成感を覚えました。

やったー!!!!!

その代わり、失敗したときは…

奈落の底に沈む…

2012年、引退の引き金になった「大返還」もこの機械によってもたらされたのです。

 

もちろん、成功させるためには全力を尽くします。

導通チェック、電池交換、点検…

失敗して悔いを残さないために、ベストを尽くすのです。

それでも失敗することがあります…

 

失敗した時の悔しさは、想像してください。

 

その私が引退し、2年余りの歳月を経て現役復帰を果たしました。

しかし、この機械はレパートリーから外しました。

「やれることをやろう。もう無理はしない」

そうして、この機械は「ここ一番」という時で、かつ失敗しても逃げ道がある場面でのみ使用しました。まさに「伝家の宝刀」扱いとなったのです。そして今回、引退決定…

その私が今、生み出しているのが

夢の国

ファンタジーランド

ようこそ夢の国へ!

ようこそ夢の国へ!

多くの人を感動させ、元気づけ、夢と希望をもたらし、明日への活力につながる作品たち、瞬間たちを生み出せる、今の自分があるのです。

この機械がなくても、生み出せる感動はいっぱいあります。

しかし、この機械を操ることによって得た経験、生み出した感動の瞬間、流した汗と涙、時に流した悔し涙、そして体感したとてつもない達成感…

この機械に出会えたからこそ、今の自分があるのです。

ありがとう、イージーポップ。

大きな夢を追いかけよう!

こんばんは。

今日、とあるコンサートを見に行く機会がありました。

そこで感じたこと。

「夢をかなえようとするその姿ほど、人の心を打つものはない」

そこから得られるものは、計り知れない感動と、明日、未来を生きる活力、そして元気です。

ここで自分を顧みてみましょう。

私は、一度夢をかなえています。

そして、夢をあきらめました。

さらに、そこから

一度夢をかなえたからこそできることがある

と思い、今を生きています。

夢を追いかけよう!

夢を追いかけよう!

今日(2018年6月17日)に制作したバルーングラフィックです。

このバルーングラフィック、2008年から2013年にかけて、私が生み出した感動の瞬間たちから構成されています。

このところ、最新の作品ばかりでバルーングラフィックを制作していて、作品が似てきた、同じような作品ばかりができている、と思っていました。

夢を一度かなえたからこそ、生み出せるものなのですが、何か満たされない気持ちになっていました。

振り返ってみれば、2008年から2011年、私は挑戦を続けていました。

「まだ誰も見たことのない感動の瞬間を生み出す」

ということに。

2012年、私は鬱に倒れました。

それでも私は夢を追いかけ続けていました。

結局、2012年11月に起きた「ヘリウムガス払底」騒動が大きなきっかけとなり、私は

もう夢を追いかけるのはやめよう

と考え、引退を決断しました。

このバルーングラフィックには、私の引退作品となったものも含まれています。2013年8月の作品です。

しかし、私は形を変えて、今風船を膨らませ続けています。

なぜそのようなことができるのか…

客観的にみて、

自分のやってきたことがすごく、かつ素晴らしいことだった

という評価がされたから、だと考えています。

一度夢をかなえたからこそ、今がある

と私は実感しています。

だからこそ、私は

夢をあきらめないでほしい

というメッセージを発することができるのです。

今日のバルーングラフィックは、夢をかなえようとしていた、そして最後まで夢を追いかけ続けていた旧Y’s Dreamの作品たちで構成しました。そしてそこにあるメッセージは

大きな夢をいつまでも追いかけてほしい

ということです。

自己肯定感と達成感と…

こんにちは。

先日のフラワーフェスティバルのパレードの記事がとあるカー雑誌に取り上げられていました。

私が考え出した演出が大きく取り上げられていました。

一方、先日の講演会。

 

キーワードは

達成感と自己肯定感

この動画の最後には以下のようなメッセージがあります。

私が生命を吹き込んだ風船たちが、その場に居合わせた人たちの中に
いつまでも心に残る感動を刻んだ時、私の心の中でとても大きなくす玉がはじけ、無数の風船と紙吹雪が舞います。
そして、私が風船たちに生命を吹き込むその姿、さらにその風船たちが大きな感動を生み出すという事実、それこそが私自身をくす玉のような存在として、自分らしく輝く人生を歩むことができているのかもしれません。

この動画を見ていただくとわかるのですが

いたるところで歓声が聞こえてきます。

やっているときはもうすべてを出し尽くす、という気持ちで取り組みますが、その時の表情も改めてみると、

まさにはじけるくす玉のごとく、感動を生み出すものでした。

だからこそ、感動を生み出せるのでしょう。

私が風船を通して一番伝えたいことは

驚きと感動をつくりあげるときの自らの姿から

より多くのことを感じていただき

同時に自ら風船に生命を吹き込むことによって

達成感と自己肯定感を感じていただく

ということです。

これらの写真は、先日とある高齢者デイサービスで行った、全く新しい形のバルーンショーです。

バルーンアーチを実際に作っていくのを実演したのですが、これもまたすごく好評でした。

本当に好きなことを見つけ出し、それを自ら極めようとして、生み出されるもの…

そこに感動があるのかもしれません。

 

 

感謝と感動と感激で…

言葉になりませんでした。

これは昨日、2018年5月26日のことです。

こんにちは。

「きらり輝く仕事人」という親子向けの講演会に招待され、講師として講演をしてきました。

ふうせんでつたえたいおもい

ふうせんでつたえたいおもい

画像をクリックすると、私の風船に対する想いというものがそれこそくす玉のようにぎっしり詰まっているPDFファイルを読めます。

この本を手にされた方がその内容に大変感激され、講師として是非お話ししていただきたい、という依頼をいただきました。

現実にこの本の内容をベースにして講演を行いました。

10組以上の親子が参加されたのですが、その感想。

親御さんの感想

とても楽しそうに話をされていたこと、人柄が伝わりました。

子どもの楽しそうな顔が印象的でした。これからもたくさんの子どもたちにバルーンアートの楽しさを伝えてください。

みんなが笑顔になれました。人に喜んでもらえる仕事っていいなあ。

たくさんの笑顔をこれからも多くの人を楽しませてください!(❤あり)特に子どもたち!

「自分で決めた仕事をやり通す、やり続けることが大切」と言っておられた言葉が、いつも自分の娘のすべてをあらわにしていると実感しました。

子どもたちのみならず親にも希望、勇気をギフトにしてくださり、本当にありがとうございました。これからも未来の子どもたちに夢をギフトしてください。感謝!(❤あり)

ご両親が受け入れることができなかった、でも自分にはバルーンしかないと続けていて、ご両親のこと、自分のこと、しっかり理解してわかっていることが一番印象に残りました。

いろいろな苦難を乗り越えたからこそ、自分のバルーンに対しての気持ちに素直になり、それを伝えたいという気持ちがよく伝わりました。素敵だなと本当に思いました。

風船が大好きで愛されていることが伝わり、私自身も楽しくなりました。わが子を生み出すように風船をふくらます…好きなことをお仕事に、素晴らしい生き方です。

風船は大人になっても見ていて夢いっぱいになります。楽しそうに風船の話をされるのが伝わってきました。本当にありがとうございました。

親が子どものくす玉を割ってはいけない、という言葉が一番印象に残りました。

以前リラックスのイベント(「夢フェスタ」)で風船をやっていたのを見せていただきましたが、そのイベントをされていた方にきょうお会いできてよかったです。

好きなことを続けたことで人生が開けたこと、発達障害の方の子ども目線の気持ちが聞けたこと、親が子どもの気持ちに寄り添うことがとても心に残りました。

楽しいことやしんどかったことを率直にお話しいただいてありがとうございました。お話をもとに子どもとの関わり方を常に見つめていきたいと思います。そして、そのことをまたほかの人に伝えていけたらと思います。

子どもさんの感想

くす玉を割ってびっくりしたことが一番心に残りました。今日はいろいろな作り方や話を教えてくださってありがとうございました。

ふうせんにふうせんをいれたのと、くす玉を割ってたくさんのハートを拾ったことが一番心に残りました。今日のバルーンは楽しかったです。

くす玉バルーンが一番楽しかった。ありがとうございます。(風船の絵あり)

ふうせんがたのしかったです。

ふうせんにはただ空気を入れるだけかと思っていたら、命を入れると聞いてびっくりしました。

障がいがあるのに仕事をがんばっているからすごいと思いました。これからもがんばってください。

以上がアンケートから拾った感想なのですが…

ありがとう、という思い

ありがとう、という思い

私の心はまさにこの絵です。

 

6月10日追記 動画を追加しました。

そして今日(5月27日)は

 

一つ一つの風船に対する想いを今日も一つ一つ詰め込み、そしてはじけました。

これこそが私の生きざまなのです。

 

風船って…いつも脇役だけど(2)

こんばんは。

こちらからの続きです

私は数多くの感動の瞬間をつくりあげてきました。

しかし、何か引っかかるものがあります。それは

風船はいつも主役の引き立て役

風船を主役にしたイベントをやってみたい

というものでした。

過去に私は作品展を開催したことがありました。

これは2000年4月に大分県由布院で開催された作品展のオープニングでのバルーンリリース。

約1000個の風船が舞い上がる演出で、私の作品展のオープニングを演出してみました。

この作品展は1か月にわたるロングランで、私は由布院に住み込み、いろいろな作品を制作しました。

当時はバルーンアートの認知度は非常に低く、道なき道を開拓しているような状態でした。

それから私は作品展開催を封印しました。

さらにさかのぼり、平成元年。広島のとある商店街で「ふうせんまつり」なるものが開催されました。この「ふうせんまつり」、ただヘリウムガスで膨らませた風船をたくさん飾っただけのもの。しかも当時はバルーンリリースが環境破壊につながるとは思ってもみなかった時代。プラスティックバルブを結び口につけた風船が様々なところでたくさんリリースされ、結果このプラスティックバルブを飲み込んだウミガメが死んでしまうということが報じられ、バルーンリリースは急速に廃れました。

その後、ゴム風船は天然ゴム100%の生分解性のものが主流になり、ひももすべて和紙製などの生分解性のものに切り替えられました。結果、バルーンリリースは結婚式やオープニングセレモニーなどで多く使われる演出になりました。

一方私は、数多くの感動の瞬間をつくりあげ続けてきました。

その中で思ったこと。

風船をテーマにした、風船が主役のイベントをやってみたい

客観的にみて、私がやってきたことは本当にすごいことだと思います。しかし、その背後にあるものは、流したたくさんの汗と涙なのです。

そうやって生み出した感動の瞬間が、無数の笑顔の華を花開かせるのです。

今後、私は無数の笑顔の華を花開かせた経験を、多くの将来を担う子どもたち、とりわけ発達障がいのある子どもたちのために役立てたい、と考えています。

この「ふうせんでつたえたいおもい」、もとは「くまさんのげんきだま」から生まれたものでした。そして数多くのバルーングラフィック作品…

自分は気が付くと、自分のなしえたことが、多くの人に夢と感動と元気を与える存在になっていたのです。そのことに私は気が付かず、ひたすら走り続けてしまい、ついには精神疾患を患うまでになってしまったのです。

それに気が付いて、自分を認めることから私自身の再生は始まりました。それまで私は、

自己否定の塊

だったのです。その自分が今では

くす玉のような存在

であることを自他双方認めるまでになっています。

で、再びこの写真。

そしてこの写真。

この光景にあこがれ、自らバルーンアーティストとしての人生を歩んできました。

結果生み出された感動の瞬間は数知れません。

自分が生み出したくす玉がはじけるとき、多くの人が感動し、同時に自分の中で大きなくす玉がはじけるのです。それを繰り返し、今の自分がある、ということに最近になってようやく気が付いたのです。

 

くす玉のような存在であり続けたい…

くす玉のような存在であり続けたい…

これは私の思いを表現したバルーングラフィックです。

このような絵を自分の作品だけで書き上げることができ、表現できること自体がすごいことらしいです。実際「元気が出た」「生きる希望を見出せた」という声を数多くいただいています。そのような声をいただいた時、私の心の中でくす玉がはじけるのです。

ありがとう、という思い

ありがとう、という思い

くす玉がはじけ、無数の風船と紙吹雪が舞う光景…

この世界観をリアルに体験していただきたい

という思いで、作品展を開催することに決めました。

期日は来年4月下旬です。

風船って…いつも脇役だけど(1)

こんばんは。

今年2月のこの記事…感動の光景を生み出す力とは

2008年まで

2009年

その後の経緯

一昨年、このイベントがリニューアルしたのをテレビのローカルニュースで見て知った私は、今の姿を見るべく、広島県神石高原町、帝釈峡に向かいました。

 

写真では正直わかりづらいです。あたり一面に風船が舞う光景が繰り広げられました。太鼓、爆竹と現地で見ないと体感できない光景が繰り広げられました。

すごい

感動した

という声が数多く聞かれました。

見た限り、私が安全に関して助言し、その結果が反映された形で行われていると思いました。

私が2009年に受けたクレーム…「写真映えしない」

2009年と、2008年までの画像を見比べてみれば分かります。

いかに2008年までの「巨大くす玉」とこいのぼりがすごい迫力だったのかが分かります。

上記リンクにもありますが、2011年以降一時期、くす玉も風船もこのイベントは廃止していました。そしていろいろな地域でよくあるような芸能発表会と著名人のショーのステージに、地域の特産を生かす出店を組み合わせた、どこにでもあるイベントに変化しました。その結果、写真撮影に来る人たちは激減したそうです。

加えて、このイベント、私がバルーンアーティストを目指そうとしたきっかけの一つなのです。

自らの手で感動の瞬間を作り上げたい…

このイベントを最初に見たのは22年前、1996年のことです。正直感動しました。

当時の私は、できて間もないエミリーズバルーンアートビジネススクールに2日間通ったばかりで、風船を仕事にすることなど、考えてもいませんでした。

第1回のJBAN Conventionが開催されたのが1997年1月。今は亡きエミリー杉浦氏が立案し、実施したイベントだったのですが、これに参加してバルーンシャワーを体験した私は、

この感動を多くの人に伝えていきたい

と思い、バルーンアーティストとしての道を歩み始めたのです。

様々な分野のバルーンに取り組みましたが、結果自分が一番やりたかったのがバルーン演出。「くす玉のはじける瞬間」にあこがれ、それを自らの手で創り出したいという思いから、試行錯誤を重ね、結果数多くの感動の瞬間を生み出すことができたのです。

その中でいただいたご縁。安全と自らの思いのはざまで考え出した結果が、2009年の私が手掛けたものでした。

1週間前に急遽お願いされたこともあり、準備不足もありました。その中で安全に最大限配慮してこの演出を作ったのですが、それまでのこいのぼりと巨大くす玉がすごすぎて、結果クレームに…

翌年はロケハンにロケハンを重ねました。可能な限り華やかなものを作り上げたい…一方で安全に配慮する必要がある…私は敢えて悪天候の日にロケハンを実施しました。当日が最高の好天になるとは限らない、と判断したからです。(実際にショッピングモールのオープニングセレモニーのバルーン演出を手掛けようとして、当日激しい風雨に見舞われ、中止となり、ギャラだけいただいたことがあった)

結果、人命にかかわる危険を排除できず、私は断ることを決断(この帝釈峡では過去に遊覧船が転覆し、遠足の小学生と引率の教師が犠牲になった痛ましい出来事もあった)。

ところが、岡山の某イベント業者が敢行。成功したのですが…「危険な思いをした。もうお断りだ」と言ってきたそうです。このイベント会社は私の指摘が的を得ているとも話していたそうです、「どこのバルーン屋さんもこれは断る。私たちはイベント屋だからできたが、もうやりたくない」と。

結果、

くす玉も風船も廃止(2011年、東日本大震災も影響したが、数年間この状態が続いた)→イベント内容衣替え→来場者減少→リニューアル決断(2015年、竜の船を紅白2隻にし、安全な数だけの風船を飛ばすようにした{合計500個})→現在に至る

という経緯をたどりました。

そして、今日目の当たりにしたのが

すごい

感動した

という声。

いかに私が手掛けてきたことがすごいことだったのか、あらためて実感しました。

そして、今もなお感動の瞬間を多く生み出すことができるという事実、一度諦めてもそれを乗り越えて再び感動の瞬間を創り出すことができているという事実…

長くなるので続く