風船・バルーン」カテゴリーアーカイブ

心に残る表現者として大切なこと

こんばんは。

今日は2018年8月6日です。

8月6日の広島…は広島に住む者にとって、大きな意味を持つ日である。

以前、このようなことがあった。場所は東京である。首都圏で流れる某FM局の番組でのやり取り。

DJ「8月6日という意味に何があるの?別に8月4日でもいいじゃん」

ゲストアーティスト「8月6日でないといけない意味がある」

これは某FMで生番組の中で実際にされたやり取り。私はその日、東京都江東区内のとあるウイークリーマンションにいて、この放送を聞いていた。ゲストアーティストが何を言おうとしているのか分かったので、私はこれ以上突っ込まなかったが、DJは8月6日という日が何かわかっていないと言わざるを得ず、憤慨した。

別の年の8月6日午前8時15分。

私は東京都内のとある駅のホームの片隅で西南西の方角を向いて黙とうした。周りの大人たちは何をしているのかわからない人が多すぎた。たまにメッカの方角を向いてお祈りする人を見かけるが、それと同列に思われた(私はイスラム教徒に見えた?)ようであった。

このようなことは複数回あった。O線とC線の接続駅のYU駅、T線NK駅…大阪でも同じようなことがあり、この時は競艇場で有名な地下鉄と新交通システムの乗換駅であるS駅で同じようなことをした。

このように、旧Y’s Dream時代、8月6日の前後は広島を脱出する(東京へ脱出するケースが多かったが、S駅のように大阪へ脱出したケースもあった)ことが多かったです。なぜなら、この日の広島はカオスで、交通マヒになることが多く、仕事にならないことが多かったからなのです。とりわけ8月6日が平日にあたる場合、たいてい広島を脱出していました。

その脱出に際して、大きな理由になっていたのが、

バルーンアートの全国大会

JBAN Convention

2012年にうつ病で倒れるまで、ほぼ毎年皆勤状態でした。1997年に第1回が開催され、夏開催に移行した1999年以降、8月に行われることが多く、とりわけ8月6日前後に開催されるケースが非常に多かったような気がしますし、今年2018年もまさに今開催中です。

2011年(この年は東日本大震災で開催が危ぶまれたが、「絆…頑張ろう日本」というテーマで開催された)まで、15回中欠場はわずか1回。あまりにも忙しすぎて、しかもクレーム対応まで重なった2004年だけでした。コンテストも複数回出場し、2002年にはラージスカルプチャーに挑戦したこともありました(この時に自分の限界を感じ、ラージはこの時限りとし、ほかの部門にチャレンジするようになった…チャレンジして発信することが大切と考えたからである)。

私は

「悔いの残らない作品が作れたら、その作品から多くのことをバルーンアーティストが学ぶことができる。賞取りレースは二の次だ」

という考えで臨んでいたので、

時間内に仕上げる(作品の形として残す)

ことを最優先にしていました。実際2000年(第4回)に制作した作品は作品の形が崩れ、悔いが残りました。2002年(第6回)、2006年(第10回)、2010年(第14回)の作品は自分としてはベストを尽くせたかな、と思っていますし、それで入賞しないのですから、いかにレベルが高いか、ということです。

しかし、2012年5月、うつ病を発症。

2012年、多忙という理由以外で初の欠場。2013年も深刻な状況だったため行くことができず、2014年、状況が落ち着いてきたので「バルーンの今を見に行く」という目的で作品を見に行くだけしました。

そこで私はショックを受けました。

「技術が独り歩きをしている」

以前から薄々感じてはいましたが、2012年秋以降のヘリウムガス払底(私が引退を決めた引き金ともなった)以降、バルーン業界の流れが私の望む方向と別の方向に向かっているような印象がしたのです。

2015年も参加を見送り、2016年、20回目の節目ということもあって参加。

その時受けた印象は

業界の流れの多様化

でした。

私はある意味安心しましたが、同時にこう思いました。

私はもういいだろう

私個人としては、

これからのバルーン業界を担う若い人たちにどんどん参加していただきたい

と思い、若い人たちや経験の浅い人たちにどんどんJBAN Conventionへの参加を勧める一方、私は

数年おきに顔を出すぐらいでいいのでは?

と思うようになりました。

この2016年のファイナルパーティーで今後のJBANの方向性が示され、私はいよいよ後進へ道を譲ろうという意思を固めました。

昨年は遠い東北盛岡での開催だったこともあり、参加を見送りましたが、今年は東京での開催。参加してもよかったのですが、見送りました。2012・2013・2015年のような状態の悪さもありません。それでも見送ったのには理由があります。

もっと大切なことがある

と思ったからなのです。

今、私は給料の一部を毎月積み立てています。そのほかに、クラウドファウンディングも検討しています。何のためか…

来年春開催の作品展のための資金

なのです。

一方、最近この資金の一部を切り崩しました。理由は西日本豪雨の被災地のためなのですが…

西日本豪雨の被災地の中でもかなり気の毒な状況にあるのが、呉市の子どもたちなのです。

呉市から目と鼻の先にある広島市。通常なら最短30分で行き来できます。ところが…

JR呉線と広島呉道路が土石流で寸断され、中間にはこの西日本豪雨最大の被災地の一つである小屋浦と天応があり、連日2~3時間かかるという状態。早く行こうとすると江田島へ回って船を使うか東広島市を遠回りするかしかない状況になっています。

加えて犠牲者が多数出て、一時は全域が断水…花火大会をはじめとしたありとあらゆるイベントや夏の楽しみが奪われ、子どもたちの笑顔がなくなっている状態。

私は呉市在住の複数の方から

子どもたちの笑顔が消えている

という訴えを受けました。ましてや呉市は

エスカリエ青山メモリアル2007-2015

エスカリエ青山メモリアル2007-2015

幾度となく足を運んだ場所。

私は

自分でできることは何か

を考え、実行しました。

元気を出そう!

元気を出そう!

 

 

既に積極的にボランティアイベントに参加しています。

今後は今秋(10月下旬or11月上旬)に呉市某所にてその地域の保育園児・幼稚園児全員参加した約800個のバルーンリリースを計画しています。

それだけではありません。来年春の作品展では合計約1000個のスパークバルーンシャワー、それに続くエクストラステージ(北広島町大朝で2019年4月29日開催予定)では約1000個のバルーンリリースを計画しています。

それによってもたらされるものは何か…

無数の笑顔の華が花開く、いつまでも忘れることのない心に響く瞬間

なのです。

私が生命を吹き込んだ風船たちが、多くの人を元気づけているという事実

があるのです。

そのような感動の瞬間を少しでも多く創り出すために、より多くの資金と労力を費やしたい

のです。

JBAN Conventionでは、

一年に一度出現する日本で最もハッピーな空間

を何度も味わってきました。

旧Y’s Dreamを立ち上げたのも、

風船に接することによってもたらされる喜び、幸せ、うれしさ、楽しさ、華やかさというものを多くの人に広げたい

という想いからでした。

経験の浅い人たちは、どんどんJBAN Conventionなどに足を運んでいただきたいです。

他方私は、もう十分に味わいつくしたので、ある意味「もういい」です。数年に1回、思い出したかのように顔を出す程度で十分です。

JBAN Conventionに参加するためには、10万近いお金が必要です。そのお金を今本当に私が生命を吹き込む風船を必要とする人たちのために使いたいので、私は今年もJBAN Conventionは欠場しました。

 

 

 

 

 

 

汗と涙を積み重ねて生み出してきた感動

こんにちは。

まずはこの動画をご覧ください。

 

私が生命を吹き込んだ風船たちがはじける瞬間を集めた動画ですが、実はこれらの感動を生み出していたのは「イージーポップ」と呼ばれる、2000年代前半に開発された無線を用いて風船をスパークさせる、小さな機械を用いていたものが多く含まれています。

その機械がこれなのですが、ついにこの機械が動作しなくなってしまいました。というか、反応が鈍くなってしまいました。

前々から怪しかったのですが、とうとう寿命が来てしまったようです。

思えばこの機械によって生み出された感動の瞬間は数知れません。

この機械を使い始めたのは2004年。

同時期にマスターした別のもう一つの方法(一定の高さで大きな風船がスパークする方法)と併せ、長年私が夢見ていた感動の瞬間を現実に創り出すことができるようになったのです。

以来私は2013年、引退するまでこの機械を愛用し続けてきました。

この機械によって生み出された感動の瞬間は数知れず。

エスカリエ青山メモリアル2007-2015

エスカリエ青山メモリアル2007-2015

ありがとう、Easy Pop!

ありがとう、Easy Pop!

これらはほんの一例。

この演出が成功した時、いつも私はたとえようのないほどの達成感を覚えました。

やったー!!!!!

その代わり、失敗したときは…

奈落の底に沈む…

2012年、引退の引き金になった「大返還」もこの機械によってもたらされたのです。

 

もちろん、成功させるためには全力を尽くします。

導通チェック、電池交換、点検…

失敗して悔いを残さないために、ベストを尽くすのです。

それでも失敗することがあります…

 

失敗した時の悔しさは、想像してください。

 

その私が引退し、2年余りの歳月を経て現役復帰を果たしました。

しかし、この機械はレパートリーから外しました。

「やれることをやろう。もう無理はしない」

そうして、この機械は「ここ一番」という時で、かつ失敗しても逃げ道がある場面でのみ使用しました。まさに「伝家の宝刀」扱いとなったのです。そして今回、引退決定…

その私が今、生み出しているのが

夢の国

ファンタジーランド

ようこそ夢の国へ!

ようこそ夢の国へ!

多くの人を感動させ、元気づけ、夢と希望をもたらし、明日への活力につながる作品たち、瞬間たちを生み出せる、今の自分があるのです。

この機械がなくても、生み出せる感動はいっぱいあります。

しかし、この機械を操ることによって得た経験、生み出した感動の瞬間、流した汗と涙、時に流した悔し涙、そして体感したとてつもない達成感…

この機械に出会えたからこそ、今の自分があるのです。

ありがとう、イージーポップ。

大きな夢を追いかけよう!

こんばんは。

今日、とあるコンサートを見に行く機会がありました。

そこで感じたこと。

「夢をかなえようとするその姿ほど、人の心を打つものはない」

そこから得られるものは、計り知れない感動と、明日、未来を生きる活力、そして元気です。

ここで自分を顧みてみましょう。

私は、一度夢をかなえています。

そして、夢をあきらめました。

さらに、そこから

一度夢をかなえたからこそできることがある

と思い、今を生きています。

夢を追いかけよう!

夢を追いかけよう!

今日(2018年6月17日)に制作したバルーングラフィックです。

このバルーングラフィック、2008年から2013年にかけて、私が生み出した感動の瞬間たちから構成されています。

このところ、最新の作品ばかりでバルーングラフィックを制作していて、作品が似てきた、同じような作品ばかりができている、と思っていました。

夢を一度かなえたからこそ、生み出せるものなのですが、何か満たされない気持ちになっていました。

振り返ってみれば、2008年から2011年、私は挑戦を続けていました。

「まだ誰も見たことのない感動の瞬間を生み出す」

ということに。

2012年、私は鬱に倒れました。

それでも私は夢を追いかけ続けていました。

結局、2012年11月に起きた「ヘリウムガス払底」騒動が大きなきっかけとなり、私は

もう夢を追いかけるのはやめよう

と考え、引退を決断しました。

このバルーングラフィックには、私の引退作品となったものも含まれています。2013年8月の作品です。

しかし、私は形を変えて、今風船を膨らませ続けています。

なぜそのようなことができるのか…

客観的にみて、

自分のやってきたことがすごく、かつ素晴らしいことだった

という評価がされたから、だと考えています。

一度夢をかなえたからこそ、今がある

と私は実感しています。

だからこそ、私は

夢をあきらめないでほしい

というメッセージを発することができるのです。

今日のバルーングラフィックは、夢をかなえようとしていた、そして最後まで夢を追いかけ続けていた旧Y’s Dreamの作品たちで構成しました。そしてそこにあるメッセージは

大きな夢をいつまでも追いかけてほしい

ということです。

自己肯定感と達成感と…

こんにちは。

先日のフラワーフェスティバルのパレードの記事がとあるカー雑誌に取り上げられていました。

私が考え出した演出が大きく取り上げられていました。

一方、先日の講演会。

 

キーワードは

達成感と自己肯定感

この動画の最後には以下のようなメッセージがあります。

私が生命を吹き込んだ風船たちが、その場に居合わせた人たちの中に
いつまでも心に残る感動を刻んだ時、私の心の中でとても大きなくす玉がはじけ、無数の風船と紙吹雪が舞います。
そして、私が風船たちに生命を吹き込むその姿、さらにその風船たちが大きな感動を生み出すという事実、それこそが私自身をくす玉のような存在として、自分らしく輝く人生を歩むことができているのかもしれません。

この動画を見ていただくとわかるのですが

いたるところで歓声が聞こえてきます。

やっているときはもうすべてを出し尽くす、という気持ちで取り組みますが、その時の表情も改めてみると、

まさにはじけるくす玉のごとく、感動を生み出すものでした。

だからこそ、感動を生み出せるのでしょう。

私が風船を通して一番伝えたいことは

驚きと感動をつくりあげるときの自らの姿から

より多くのことを感じていただき

同時に自ら風船に生命を吹き込むことによって

達成感と自己肯定感を感じていただく

ということです。

これらの写真は、先日とある高齢者デイサービスで行った、全く新しい形のバルーンショーです。

バルーンアーチを実際に作っていくのを実演したのですが、これもまたすごく好評でした。

本当に好きなことを見つけ出し、それを自ら極めようとして、生み出されるもの…

そこに感動があるのかもしれません。

 

 

感謝と感動と感激で…

言葉になりませんでした。

これは昨日、2018年5月26日のことです。

こんにちは。

「きらり輝く仕事人」という親子向けの講演会に招待され、講師として講演をしてきました。

ふうせんでつたえたいおもい

ふうせんでつたえたいおもい

画像をクリックすると、私の風船に対する想いというものがそれこそくす玉のようにぎっしり詰まっているPDFファイルを読めます。

この本を手にされた方がその内容に大変感激され、講師として是非お話ししていただきたい、という依頼をいただきました。

現実にこの本の内容をベースにして講演を行いました。

10組以上の親子が参加されたのですが、その感想。

親御さんの感想

とても楽しそうに話をされていたこと、人柄が伝わりました。

子どもの楽しそうな顔が印象的でした。これからもたくさんの子どもたちにバルーンアートの楽しさを伝えてください。

みんなが笑顔になれました。人に喜んでもらえる仕事っていいなあ。

たくさんの笑顔をこれからも多くの人を楽しませてください!(❤あり)特に子どもたち!

「自分で決めた仕事をやり通す、やり続けることが大切」と言っておられた言葉が、いつも自分の娘のすべてをあらわにしていると実感しました。

子どもたちのみならず親にも希望、勇気をギフトにしてくださり、本当にありがとうございました。これからも未来の子どもたちに夢をギフトしてください。感謝!(❤あり)

ご両親が受け入れることができなかった、でも自分にはバルーンしかないと続けていて、ご両親のこと、自分のこと、しっかり理解してわかっていることが一番印象に残りました。

いろいろな苦難を乗り越えたからこそ、自分のバルーンに対しての気持ちに素直になり、それを伝えたいという気持ちがよく伝わりました。素敵だなと本当に思いました。

風船が大好きで愛されていることが伝わり、私自身も楽しくなりました。わが子を生み出すように風船をふくらます…好きなことをお仕事に、素晴らしい生き方です。

風船は大人になっても見ていて夢いっぱいになります。楽しそうに風船の話をされるのが伝わってきました。本当にありがとうございました。

親が子どものくす玉を割ってはいけない、という言葉が一番印象に残りました。

以前リラックスのイベント(「夢フェスタ」)で風船をやっていたのを見せていただきましたが、そのイベントをされていた方にきょうお会いできてよかったです。

好きなことを続けたことで人生が開けたこと、発達障害の方の子ども目線の気持ちが聞けたこと、親が子どもの気持ちに寄り添うことがとても心に残りました。

楽しいことやしんどかったことを率直にお話しいただいてありがとうございました。お話をもとに子どもとの関わり方を常に見つめていきたいと思います。そして、そのことをまたほかの人に伝えていけたらと思います。

子どもさんの感想

くす玉を割ってびっくりしたことが一番心に残りました。今日はいろいろな作り方や話を教えてくださってありがとうございました。

ふうせんにふうせんをいれたのと、くす玉を割ってたくさんのハートを拾ったことが一番心に残りました。今日のバルーンは楽しかったです。

くす玉バルーンが一番楽しかった。ありがとうございます。(風船の絵あり)

ふうせんがたのしかったです。

ふうせんにはただ空気を入れるだけかと思っていたら、命を入れると聞いてびっくりしました。

障がいがあるのに仕事をがんばっているからすごいと思いました。これからもがんばってください。

以上がアンケートから拾った感想なのですが…

ありがとう、という思い

ありがとう、という思い

私の心はまさにこの絵です。

 

6月10日追記 動画を追加しました。

そして今日(5月27日)は

 

一つ一つの風船に対する想いを今日も一つ一つ詰め込み、そしてはじけました。

これこそが私の生きざまなのです。

 

風船って…いつも脇役だけど(2)

こんばんは。

こちらからの続きです

私は数多くの感動の瞬間をつくりあげてきました。

しかし、何か引っかかるものがあります。それは

風船はいつも主役の引き立て役

風船を主役にしたイベントをやってみたい

というものでした。

過去に私は作品展を開催したことがありました。

これは2000年4月に大分県由布院で開催された作品展のオープニングでのバルーンリリース。

約1000個の風船が舞い上がる演出で、私の作品展のオープニングを演出してみました。

この作品展は1か月にわたるロングランで、私は由布院に住み込み、いろいろな作品を制作しました。

当時はバルーンアートの認知度は非常に低く、道なき道を開拓しているような状態でした。

それから私は作品展開催を封印しました。

さらにさかのぼり、平成元年。広島のとある商店街で「ふうせんまつり」なるものが開催されました。この「ふうせんまつり」、ただヘリウムガスで膨らませた風船をたくさん飾っただけのもの。しかも当時はバルーンリリースが環境破壊につながるとは思ってもみなかった時代。プラスティックバルブを結び口につけた風船が様々なところでたくさんリリースされ、結果このプラスティックバルブを飲み込んだウミガメが死んでしまうということが報じられ、バルーンリリースは急速に廃れました。

その後、ゴム風船は天然ゴム100%の生分解性のものが主流になり、ひももすべて和紙製などの生分解性のものに切り替えられました。結果、バルーンリリースは結婚式やオープニングセレモニーなどで多く使われる演出になりました。

一方私は、数多くの感動の瞬間をつくりあげ続けてきました。

その中で思ったこと。

風船をテーマにした、風船が主役のイベントをやってみたい

客観的にみて、私がやってきたことは本当にすごいことだと思います。しかし、その背後にあるものは、流したたくさんの汗と涙なのです。

そうやって生み出した感動の瞬間が、無数の笑顔の華を花開かせるのです。

今後、私は無数の笑顔の華を花開かせた経験を、多くの将来を担う子どもたち、とりわけ発達障がいのある子どもたちのために役立てたい、と考えています。

この「ふうせんでつたえたいおもい」、もとは「くまさんのげんきだま」から生まれたものでした。そして数多くのバルーングラフィック作品…

自分は気が付くと、自分のなしえたことが、多くの人に夢と感動と元気を与える存在になっていたのです。そのことに私は気が付かず、ひたすら走り続けてしまい、ついには精神疾患を患うまでになってしまったのです。

それに気が付いて、自分を認めることから私自身の再生は始まりました。それまで私は、

自己否定の塊

だったのです。その自分が今では

くす玉のような存在

であることを自他双方認めるまでになっています。

で、再びこの写真。

そしてこの写真。

この光景にあこがれ、自らバルーンアーティストとしての人生を歩んできました。

結果生み出された感動の瞬間は数知れません。

自分が生み出したくす玉がはじけるとき、多くの人が感動し、同時に自分の中で大きなくす玉がはじけるのです。それを繰り返し、今の自分がある、ということに最近になってようやく気が付いたのです。

 

くす玉のような存在であり続けたい…

くす玉のような存在であり続けたい…

これは私の思いを表現したバルーングラフィックです。

このような絵を自分の作品だけで書き上げることができ、表現できること自体がすごいことらしいです。実際「元気が出た」「生きる希望を見出せた」という声を数多くいただいています。そのような声をいただいた時、私の心の中でくす玉がはじけるのです。

ありがとう、という思い

ありがとう、という思い

くす玉がはじけ、無数の風船と紙吹雪が舞う光景…

この世界観をリアルに体験していただきたい

という思いで、作品展を開催することに決めました。

期日は来年4月下旬です。

風船って…いつも脇役だけど(1)

こんばんは。

今年2月のこの記事…感動の光景を生み出す力とは

2008年まで

2009年

その後の経緯

一昨年、このイベントがリニューアルしたのをテレビのローカルニュースで見て知った私は、今の姿を見るべく、広島県神石高原町、帝釈峡に向かいました。

 

写真では正直わかりづらいです。あたり一面に風船が舞う光景が繰り広げられました。太鼓、爆竹と現地で見ないと体感できない光景が繰り広げられました。

すごい

感動した

という声が数多く聞かれました。

見た限り、私が安全に関して助言し、その結果が反映された形で行われていると思いました。

私が2009年に受けたクレーム…「写真映えしない」

2009年と、2008年までの画像を見比べてみれば分かります。

いかに2008年までの「巨大くす玉」とこいのぼりがすごい迫力だったのかが分かります。

上記リンクにもありますが、2011年以降一時期、くす玉も風船もこのイベントは廃止していました。そしていろいろな地域でよくあるような芸能発表会と著名人のショーのステージに、地域の特産を生かす出店を組み合わせた、どこにでもあるイベントに変化しました。その結果、写真撮影に来る人たちは激減したそうです。

加えて、このイベント、私がバルーンアーティストを目指そうとしたきっかけの一つなのです。

自らの手で感動の瞬間を作り上げたい…

このイベントを最初に見たのは22年前、1996年のことです。正直感動しました。

当時の私は、できて間もないエミリーズバルーンアートビジネススクールに2日間通ったばかりで、風船を仕事にすることなど、考えてもいませんでした。

第1回のJBAN Conventionが開催されたのが1997年1月。今は亡きエミリー杉浦氏が立案し、実施したイベントだったのですが、これに参加してバルーンシャワーを体験した私は、

この感動を多くの人に伝えていきたい

と思い、バルーンアーティストとしての道を歩み始めたのです。

様々な分野のバルーンに取り組みましたが、結果自分が一番やりたかったのがバルーン演出。「くす玉のはじける瞬間」にあこがれ、それを自らの手で創り出したいという思いから、試行錯誤を重ね、結果数多くの感動の瞬間を生み出すことができたのです。

その中でいただいたご縁。安全と自らの思いのはざまで考え出した結果が、2009年の私が手掛けたものでした。

1週間前に急遽お願いされたこともあり、準備不足もありました。その中で安全に最大限配慮してこの演出を作ったのですが、それまでのこいのぼりと巨大くす玉がすごすぎて、結果クレームに…

翌年はロケハンにロケハンを重ねました。可能な限り華やかなものを作り上げたい…一方で安全に配慮する必要がある…私は敢えて悪天候の日にロケハンを実施しました。当日が最高の好天になるとは限らない、と判断したからです。(実際にショッピングモールのオープニングセレモニーのバルーン演出を手掛けようとして、当日激しい風雨に見舞われ、中止となり、ギャラだけいただいたことがあった)

結果、人命にかかわる危険を排除できず、私は断ることを決断(この帝釈峡では過去に遊覧船が転覆し、遠足の小学生と引率の教師が犠牲になった痛ましい出来事もあった)。

ところが、岡山の某イベント業者が敢行。成功したのですが…「危険な思いをした。もうお断りだ」と言ってきたそうです。このイベント会社は私の指摘が的を得ているとも話していたそうです、「どこのバルーン屋さんもこれは断る。私たちはイベント屋だからできたが、もうやりたくない」と。

結果、

くす玉も風船も廃止(2011年、東日本大震災も影響したが、数年間この状態が続いた)→イベント内容衣替え→来場者減少→リニューアル決断(2015年、竜の船を紅白2隻にし、安全な数だけの風船を飛ばすようにした{合計500個})→現在に至る

という経緯をたどりました。

そして、今日目の当たりにしたのが

すごい

感動した

という声。

いかに私が手掛けてきたことがすごいことだったのか、あらためて実感しました。

そして、今もなお感動の瞬間を多く生み出すことができるという事実、一度諦めてもそれを乗り越えて再び感動の瞬間を創り出すことができているという事実…

長くなるので続く

障がいは社会の側にある

こんにちは。

まず、見出しの言葉。

もとはとある国立大学名誉教授の言葉であるが、今はむしろ某大手就労移行支援事業所の運営会社のスローガンになっています。

というより、最近、私もそう思えるようになりました。

ソウス…発達障がい者が実際にとある特例子会社で働いてみての感想

詳しくは上記のリンクをご覧いただきたいが、要は

特例子会社を含む障害者枠というと、どうしても仕事や業務が限定されてしまう

ということです。

他方、発達障がいを抱えている人たち、とりわけアスペルガー症候群やADHDに分類される人たちの中には、

特定の分野において並外れた能力を持っていることがある

とされています。

私は生まれつき自閉症で、今でも音声過敏(サイレンの音に異常に反応する)、食毛症(強迫神経症に近い…これは幼少期に厳しすぎる躾を親から受けた場合に発症することが多い)などの障害が残っており、アスペルガー症候群に分類され、軽度発達障害に認定されています。

ところが、このアスペルガー症候群に分類される自閉症を抱える人たちは、時として「天才」と呼ばれるほどの才能を持っていることがある。あるいは、特定の分野においてものすごい能力を発揮することがあります。

私もどうやらこのパターンに分類されるらしい。というか、私の場合、まさに「風船」がそうであした。

これは昨日(4月22日)、とあるイベントで制作した作品の一部。

単なる会場装飾に一見見えるが、実はスパークリング日本酒の華やかさをイメージして制作した作品です。

ここで供されたのが「三谷春」という日本酒。実際私もいただいたが、特筆すべきはこちら

リンク先に具体的な商品が記載されているので、紹介はそちらに譲りますが、率直な感想

こんな華やかな日本酒の香りは今まで体験したものではなかった

まさに口に含んだ瞬間、花吹雪が舞った

という印象でした。

華やかな印象のお酒、といえば、これまでシャンパンをイメージしていましたが、これはそのシャンパンに匹敵するものでした。

この素晴らしい日本酒と私が制作したバルーンのイメージが重なり合い、宴は大変すばらしくかつ有意義なものになりました。

その際、この「三谷春」さんの蔵元のオーナーの方とお会いしたのですが、私の風船に対する思いにすごく感動し、絶賛してくださいました。

そこで出たのが、私の発達障がいについての話。

「障害は、社会が決めつけている節がある」

このオーナーさんは、そう話してくださいました。

私は納得しました。

才能を生かさずに、ただ「規格外」として扱おうとするから、障害と判定される、ということなのです。

私が常々唱えている言葉。

くす玉を見つけ出すのも自分自身。

そのくす玉を花開かせるのも自分自身。

親はそのそばで応援するのが役目。必要に応じて手助けしてもよいが、決してそのくす玉に手を出してはいけない。

絶対に親がやっていけないことは、くす玉を探してきて割って見せることと、見つけ出したくす玉を片付けて、捨てること。

私の場合、親は何をしたのか…見つけ出したくす玉を勝手に片づけ、捨ててしまったのです。

これは絶対にやってはいけません。飲酒運転などと同じ「絶対アカン行為」なのです。

これをされた子供は、生涯無気力感をもって生き続けることになり、結果自立できなくなるのです。

一種の「虐待」です。表に見えにくい「虐待」であり、犯罪行為です。

その結果、子どもはストレスを抱え、最悪強迫神経症およびそれに近い症状に至り、二次障害に陥ってしまうのです。

Thanks for Everything!

Thanks for Everything!

私がこうして今風船に生命を吹き込み続けることができるのも、いま所属している会社の理解があってからこそです。私が風船に生命を吹き込み続けることによって、発達障害があるとされる子どもたちとその親に、夢を持ち続け、実現に向かって努力するという私の生きざまを伝え続けるということは、私の果たすべき使命であると考えます。その思いを一つ一つの風船に詰め込み、形作り、感動を生み出すことによって、社会が勝手に作った「障害」という概念を変えていくことを私は目指しているのです。

夢を抱くことのすばらしさを伝えたい

こんにちは。

この秋、とてつもない仕事が入ってくる可能性が出てきました。

11000個のバルーンリリース

普通サイズ(12インチ)の風船が1000個入る網を10個用意し、その網に合計10000個の風船を入れる。

その10個の網を船に括り付ける。

網の中心には直径約2メートルの大きな風船があり、その中には小さな風船が約500個ずつ、合計1000個詰まっている。

風船は1日かけて数を増やす。300人が33個ずつ、100人なら100個ずつ、朝から晩までかけて膨らませる。

そして全部の風船が膨らんだら、網を1個ずつ外す。合計1000個の風船が大空に舞い上がり、時間をかけてすべての風船が舞い上がる。

最後に直径約2メートルの大きな風船2個が同時に舞い上がり、上空15メートルではじけ、中の風船1000個が舞う…

生涯叶わない、と思っていました。

しかし、叶う可能性が出てきました。

コンセプトはこれらしいのですが、よく読むと、

夢をかなえることの素晴らしさを忘れたすべての人へのメッセージ

なのです。

ソウスが何かは伏せます(リンクは張っておきます)が…

一方で、このプロジェクトはほんの少しずつではありますが、進んでいます。

11月をめどに本格始動する方針です。

この二つに共通することは何か、と言いますと、

夢を抱くということ、その夢に向かって進んでいくことが、いかに素晴らしいことなのか

ということを伝えることなのです。

spark!spark!spark!

spark!spark!spark!

これは先日制作したバルーングラフィック。

スパークバルーンに恋して

くす玉のはじける瞬間にあこがれた私が手掛けた感動の瞬間

これは2014年に制作したバルーングラフィック。

私は一度、夢をあきらめました。

その理由は、自分だけではどうすることもできないところにありました。生まれつき抱えた自閉症(=発達障害)、親が受けた厳格すぎる躾、そして家族全体が抱えた闇…

しかし、細々と続けているうちに、再び夢をかなえる機会が巡ってきたのです。

とりわけ同じ自閉症、発達障害に苦しむ子どもたちとその親たちに、私がこれまでやってきたことを通して、生きる希望を見出すことができるということに気が付き、それを伝えることが今の自分の役目ということを十分認識しています。

その役目を担っているのが、これまで制作してきたバルーングラフィックなのです。

来年4月下旬(4月29日を予定)、その世界観を実際に風船で再現しようというのが、いま私が計画している作品展の構想のもとなのです。

ここでは、バルーングラフィックをA3サイズの紙に出してすべて並べて、1枚の大きな絵にするコーナーも設けます。

そのようなことができるのも、すべてのバルーングラフィックには、私が生命を吹き込む風船たちと同様に、人々を元気づけ、感動させる力をもたらす魂を入れ込んでいるからなのです。その理由は、

風船たちはすべて100%私が生命を吹き込んだもので構成されている

からなのです。他人の作品は一切含んでいません。他人の作品でバルーングラフィックを作っても、何の意味もありません。紙吹雪のイラストは素材集から頂戴したものもありますが、あくまでも主役は自らの手で生命を吹き込んだ風船たちなのです。

もちろん主役は風船たちです。

風船たちの力によって、たくさんの笑顔の華を花開かせたい

というコンセプトがあります。

風船を通して、そしてバルーングラフィックを通して、たくさんの笑顔の華を花開かせることができる自分は、本当に幸せだと感じています。その喜びを大切にして、日々取り組んでいきたいと思っています。