こんにちは。
本体のホームページを現状に沿った形に変化させました。
さて、最近私はとあるネットラジオ局の関係者の方々と親しくなりました。
昨年、このネットラジオ局とは別のコミュニティFMラジオ局の番組に出演した際、生放送中にバルーンクラッカーをスパークさせるなど、まさに「くす玉のような」放送をお送りすることができました。私の想いが十分に伝わったようでした。
そのようなこともあったので、そのネットラジオ局がパーソナリティを募集していたのを見かけ、応募するかどうか検討しました。さんざん悩みましたが、結局今回は時期尚早で見送り、ということにしました。
理由は
「常に」発信し続けることができる状態に今自分はなっていない
このような状態で「常に」心に響くメッセージを届けることはできない
というものです。
ただ、このラジオ局の番組には、今後何度もゲストとして出演していただけることになりそうです。そして、私の風船に対する思い、さらには私に接する人を幸せにしていきたいという思い、といったものをどんどん伝えていくことにしています。
「くす玉のような存在」になりきってからでも遅くない、と思い、機の熟していない今の段階ではまだ早い、と考えて、「常に」自らの夢と情熱を伝える必要のある自分の番組を持つことは見送ったのです。
この「常に」というのがポイント。
どんなつらいことがあっても、常に笑顔で前向きにいられることができるのが、真の「プロ」の発信者。私はかつて、それこそ「プロ」として活動できていました。だからこそ、何千もの風船に生命を吹き込むことができたのだし、それによって数多くの人に夢と感動を届けることができたのです。
2012年、私は長年の無理がたたり、鬱を発症してしまいました。薬が効かないのでおかしい、これはもしや…と思い、調べてみると案の定発達障害が見つかりました。鬱はそれに伴う二次障害で、適応障害を引き起こしていました。
その後、いわゆる「アスペルガー症候群」の傾向があると診断され、正式に「自閉症」の診断が出たのが2013年。一方、2012年の秋ごろ、ヘリウムガスが日本中から払底し、バルーン演出の需要が激減。バルーン業界の在り方が大きく変化する中で私は立ち位置を失いつつあった上に、母親の精神疾患が深刻になり、私は引退を決断したのです。
それから数年、私が長年してきたことが認められ、加えてその実績を発達障がいのある人たちの生きる力に結び付けるべく、今の会社に入社した経緯があるのです。
ですから、私が発信し続け、たびたび述べている「くす玉のような存在」になりきれることによって、同じ障がいに苦しむ人たちに自信と生きる力をもたらし、ひいては会社の業績に貢献することになるのです。
だからこそ、無理をして何もかもが中途半端になってはいけない、と思ったから、今回は時期尚早として見送ったのです。
そういう私が、
風船に対する思い、さらには私に接する人を幸せにしていきたいという思い
を伝え続けるために身に着けようとしているのが
爆発力。
いいかえれば
はじける力
です。
花火が空高く舞い上がり、大輪の華を咲かせようとするとき
桜の花がつぼみから花開かせようとするとき
女性が赤ちゃんを産みだすとき
とてつもない力が必要となります。
そして同時に
とてつもない感動を生み出します。
くす玉も同様に、はじける瞬間にとてつもない感動を生み出します。
私は一つ一つの風船全てを「生命を吹き込む」という気持ちで膨らませています。そして作品は、わが子を送り出すような気持ちで世に出すのです。バルーンギフトアレンジなどもすべてそうですが、とりわけスパークバルーンなどのバルーン演出には思い入れが特に強いです。
わずかな瞬間の感動が、いつまで心に残る思い出になる…
その時、生みだされるパワーはとてつもないものです。
そういうものを生み出すことにあこがれて私は風船屋を職業にしたほどです。そして、私は数多くの感動を生み出すことができました。
これから私がすべきことは、
子どもたちや若者に夢を持つことの大切さを伝え、
子どもたちや若者の心に大輪の華を咲かせるための種を植え付けること
そのために、私自身が
くす玉のように感動を生み出すことができるような存在であり続ける
必要があるのです。
そうあり続けるためにも、
無理は禁物なのです。
今でいうスパークバルーンは、当初「くす玉バルーン」と呼んでいました。そして、それを私は1998年から作り続け、2000年には全国宅配を始めた、先駆者的存在なのです。そして市場は大きく成長しました。「くまさんのげんきだま」は、私の「くす玉バルーン」に込めた思い、そして道なきところに道を切り開いた経験のある人ゆえ伝えることができる思いを小学生でも理解できるようにまとめた小冊子なのです。
このような小冊子を制作して、世に送り出すことができること自体、自分のしてきたことがいかにすごいことだったのかを端的に示しているのかもしれません。