風船・バルーン」カテゴリーアーカイブ

発信力と爆発力と

こんにちは。

本体のホームページを現状に沿った形に変化させました。

最新の作品集タイトル

2014年以降の作品集

バルーングラフィックタイトル

バルーングラフィック集

さて、最近私はとあるネットラジオ局の関係者の方々と親しくなりました。

昨年、このネットラジオ局とは別のコミュニティFMラジオ局の番組に出演した際、生放送中にバルーンクラッカーをスパークさせるなど、まさに「くす玉のような」放送をお送りすることができました。私の想いが十分に伝わったようでした。

そのようなこともあったので、そのネットラジオ局がパーソナリティを募集していたのを見かけ、応募するかどうか検討しました。さんざん悩みましたが、結局今回は時期尚早で見送り、ということにしました。

理由は

「常に」発信し続けることができる状態に今自分はなっていない

このような状態で「常に」心に響くメッセージを届けることはできない

というものです。

ただ、このラジオ局の番組には、今後何度もゲストとして出演していただけることになりそうです。そして、私の風船に対する思い、さらには私に接する人を幸せにしていきたいという思い、といったものをどんどん伝えていくことにしています。

「くす玉のような存在」になりきってからでも遅くない、と思い、機の熟していない今の段階ではまだ早い、と考えて、「常に」自らの夢と情熱を伝える必要のある自分の番組を持つことは見送ったのです。

この「常に」というのがポイント。

どんなつらいことがあっても、常に笑顔で前向きにいられることができるのが、真の「プロ」の発信者。私はかつて、それこそ「プロ」として活動できていました。だからこそ、何千もの風船に生命を吹き込むことができたのだし、それによって数多くの人に夢と感動を届けることができたのです。

2012年、私は長年の無理がたたり、鬱を発症してしまいました。薬が効かないのでおかしい、これはもしや…と思い、調べてみると案の定発達障害が見つかりました。鬱はそれに伴う二次障害で、適応障害を引き起こしていました。

その後、いわゆる「アスペルガー症候群」の傾向があると診断され、正式に「自閉症」の診断が出たのが2013年。一方、2012年の秋ごろ、ヘリウムガスが日本中から払底し、バルーン演出の需要が激減。バルーン業界の在り方が大きく変化する中で私は立ち位置を失いつつあった上に、母親の精神疾患が深刻になり、私は引退を決断したのです。

それから数年、私が長年してきたことが認められ、加えてその実績を発達障がいのある人たちの生きる力に結び付けるべく、今の会社に入社した経緯があるのです。

ですから、私が発信し続け、たびたび述べている「くす玉のような存在」になりきれることによって、同じ障がいに苦しむ人たちに自信と生きる力をもたらし、ひいては会社の業績に貢献することになるのです。

だからこそ、無理をして何もかもが中途半端になってはいけない、と思ったから、今回は時期尚早として見送ったのです。

そういう私が、

風船に対する思い、さらには私に接する人を幸せにしていきたいという思い

を伝え続けるために身に着けようとしているのが

爆発力

いいかえれば

はじける力

です。

花火が空高く舞い上がり、大輪の華を咲かせようとするとき

桜の花がつぼみから花開かせようとするとき

女性が赤ちゃんを産みだすとき

とてつもない力が必要となります。

そして同時に

とてつもない感動を生み出します。

くす玉も同様に、はじける瞬間にとてつもない感動を生み出します。

私は一つ一つの風船全てを「生命を吹き込む」という気持ちで膨らませています。そして作品は、わが子を送り出すような気持ちで世に出すのです。バルーンギフトアレンジなどもすべてそうですが、とりわけスパークバルーンなどのバルーン演出には思い入れが特に強いです。

わずかな瞬間の感動が、いつまで心に残る思い出になる…

その時、生みだされるパワーはとてつもないものです。

そういうものを生み出すことにあこがれて私は風船屋を職業にしたほどです。そして、私は数多くの感動を生み出すことができました。

これから私がすべきことは、

子どもたちや若者に夢を持つことの大切さを伝え、

子どもたちや若者の心に大輪の華を咲かせるための種を植え付けること

そのために、私自身が

くす玉のように感動を生み出すことができるような存在であり続ける

必要があるのです。

そうあり続けるためにも、

無理は禁物なのです。

スパークバルーンに恋して

くす玉のはじける瞬間にあこがれた私が手掛けた感動の瞬間

 先日の結婚披露宴でのバルーンクラッカー

くまさんのげんきだま2016表紙

くまさんのげんきだま2016表紙

はじけるくす玉

はじけるくす玉に対する私の想いを表現したグラフィック

今でいうスパークバルーンは、当初「くす玉バルーン」と呼んでいました。そして、それを私は1998年から作り続け、2000年には全国宅配を始めた、先駆者的存在なのです。そして市場は大きく成長しました。「くまさんのげんきだま」は、私の「くす玉バルーン」に込めた思い、そして道なきところに道を切り開いた経験のある人ゆえ伝えることができる思いを小学生でも理解できるようにまとめた小冊子なのです。

このような小冊子を制作して、世に送り出すことができること自体、自分のしてきたことがいかにすごいことだったのかを端的に示しているのかもしれません。

 

はたを楽にする、という意味

おはようございます。

最近、このような言葉を耳にしました。働くとは、「はたをらくにする」ということである。ここでいう「はた」とは、「自分の周囲にいる人」の意味。とある政治家の国会答弁から生まれた言葉らしい。

現状を考える。

自分が仕事をすることによって、「はた」を「楽」にしているか。

答えは「否」である。

自分が生活するだけで精一杯で、周囲の人の生計を楽にする余裕はない。というか、ここ数か月を振り返ってみると、

自己投資、すなわち自分のために稼いできたお金を使いまくっている

のが現状。

自己投資先は、バルーンの技術を身に着けるためではない。というか、今のバルーン業界の現状は、「技術だけが先走っている」現状の一方、「コミュニケーション能力が高くないといけない」状態。手先の器用さもコミュニケーション能力も他のバルーンアーティストやデコレーターの皆さんに比べてはるかに劣る私としては、とてもついていけない状況である。だからバルーンセミナーの類には参加しない。

よって、違う方向へ自己投資をしている。

今年に入って、とりわけ1月下旬から力を入れたのは

少しでも多くの人に会うこと

であった。同時に

少しでも自分のしてきたこと、していることを知ってもらう

ことである。

昨年私は

くまさんのげんきだま

という小冊子を作った。自分のしてきたことを振り返るとともに、自分のこれからすべきことをはっきりさせるためである。

この小冊子や

バルーングラフィックタイトル

バルーングラフィック集

で表現したいこと…それは

「風船によってもたらされる美しさ、華やかさ、楽しさ、幸せ」はもちろんだが、それを表現することによって自分がしてきたこと、自分がこれからしていきたいこと、そして自分の想いを伝えることなのである。

そして、新たな作品を現在会社で営んでいるバルーンショップAWESOME!で制作し、それによって一人でも多くの人に幸せと感動をもたらすことによって、同じ苦しさに直面している人たちを元気づけ、自信をつけるということなのである。

昨年、今勤務している会社の中で「バルーンショップAWESOME!」を立ち上げたが、なかなか知名度が上がらない。本来の目標は「障がい者の働く場を創造する」ことであり、「風船に接することで生きる力と自信を身に着け、自立した社会人になる」ことなのだが、そのためにはバルーンの潜在需要を掘り起こさなければならない。そのため、私は今、人脈を広げるために動いているのである。

すでに、いくつか話をいただいている。「ママフェスタ」というイベントに出展し、そこを糸口に仕事をいただいたケースもあった。そこで出会った人がまた広めてくれる…こうやって今どんどん広げている。

私が本当に今していきたいことは何か。

風船を通して私がやってきたことを、次の世代に伝える

ことであり、同時に

自分が直面した生きづらさに苦しむ人たちに自信と生きる力を身に着けてもらうことによって、自立へのきっかけをつかんでいただく

ことである。

だから私は、バルーンセミナーで技術を身につけるのではなく、自分の生きざまを伝えるための人脈づくりに取り組んでいるのである。

そのフレーズとして取り入れたのが

くす玉のような存在になりたい

ということである。

というか、自分の生き様が

くす玉のような存在

になりつつある。

そして、私が目指しているのは

一人一人の心の中にくす玉の種を植え、そのくす玉が大輪の華として花開くのを手助けしていく

ことなのである。

「はたをらくにする」ということは、

周囲の人を幸せにする

という意味もある。その意味で私は「働くことができている」のかもしれない。

「バルーングラフィック」、何を伝えたかったのか?

こんにちは。

この文章は、宮島の町家通りにある「みやじまガラス工房 Fizz Glass」さんで出会ったMasukoさんがしたためてくださった新聞「Feel So…」から引用させていただきました。ある作品を見てArtについて書いたMasukoさんの日記の文章です。

※太字、カラー表示の部分が引用です※

あまりに自分に通じるものがあり、感動したので、本人の承諾を得て掲載させていただきます。

Masukoさんの文章、すべての部分が私のバルーンに対する思いに通じるものがあります。

「人には芸術の分野を通じて発揮される(芸術)本能があり、その芸術本能が行き来していることが、人の生命の自然だと思う」…私が風船に対する思いを語り出すと、私の表情がたとえようのない素晴らしい笑顔になり、それに接する人がみな元気になるという。それがすなわち「くす玉のような存在」なのである。

「芸術の分野には最高にわかりやすく、伝わりやすい原因がつまっている」…私の作品はすなわち私の想いであり、同時に皆さんの想いである。その想いがそれこそ「くす玉」のようにぎっしりと詰まっている。それがはじけることによって多くの人を感動させることになる。

「初めに一つがあり、そこから広がる風が一つずつになり、ハーモニーを奏でる個個になる」…私が風船を膨らませることはすなわち、私が風船に生命を吹き込んでいることである。何十、何百、時には何千にも及ぶ風船一つ一つに私の想いを詰めているのである。

「それが全体を生かし、ここを支える力とつながる。そんなもの(作品とは)…」…私が創り出した作品たちや感動の瞬間。それがそこを構成する全体とつながり、一つになって、感動を生み出す。

「作品はその人そのものだなあ。その作品は、もっと真実になりたがっていた。大きくなって風を吹かせている。」…私が創り上げる作品たち、そして感動の瞬間は、いつまでも多くの人たちの心の中に生き続ける。忘れがたき思い出として。風船はやがてはしぼむもの。だからこそ、その瞬間瞬間の想いを届けていきたいのである。

「一つ一つの素材とカタチの生み出すハーモニーをもっとシンプルで優しくて風そのものに。」…風船にはいろいろな素材がある。いろいろな色がある。そして形がある。それらがまじりあって、一つの作品を創り上げていく。それを創り上げていくのが、私たちバルーンアーティストなのである。

「やわらかく、一つ一つの風を吟味し、シンプルに形をきわめる。たとえば、扱いやすい素材で全体の形をエスキースしていく。高いテクニックでまとめる前にシンプルな形で確認していく。」…風船という素材そのものを生かす、というのが私の作品をつくるにあたっての考えであり、基本的な想い。風船は1個あるだけでもその場の雰囲気が和み、幸せな空間を作り出す力がある。それらを組み合わせて、思いが詰まった作品たちを創り上げるのが私たち、バルーンアーティストである。

「それをわかりやすくするために大きく表現してみる。大きくなった時、いいものはもっとよく見えている。」…私がバルーンアーティストであり続ける理由、そして風船で一人でも多くの人を幸せにし続けたいと思う理由はすなわちこの思いである。私が創り出す作品たちや感動の瞬間が一人でも多くの人々にいつまでも忘れがたき思い出として、そして未来に向かって生きる力となるとき、私の中で心の中のくす玉がはじけ、また新たな感動を生み出すことができるのである。

バルーングラフィックという、私の作品だけで構成したコラージュ画を、なぜ私は創るようになったのか…

私の想い、そしてみんなの想いを託した風船たちを通して、伝えたいものがあるからなのです。

このバルーングラフィック、そもそもは2013年に私が引退した際、「私が風船で伝えたかったのはいったいなんだったのか」を振り返るのに作ったのが最初です。この「ふうせんでつたえたいこと」も同じ想いでいつもしたためています。

やがて私は、形を変えて再び風船に生命を吹き込むことができるようになりましたが、風船で伝えたい想いは変わることがなく、こうして作り続けているのです。

それを見た人たちが改めて感動します。

私がしていることのみならず、自分の作品で表現したいことを表現できていることに…

風船に想いを託そう!

風船に想いを託そう!

 

夢を持つことの大切さ

こんにちは。

私はつい最近まで、自己否定を徹底していました。自分で自分をほめることができる人は、すなわち傲慢な人と思っていました。そして少しでも問題があると、「自分はダメだ」と決めてかかっていました。ひたすら自分を追い詰めていました。

さらに、ほめられても「何か裏がある」と疑ってかかってきて、素直に喜ぶことができませんでした。

今はそれを乗り越え、「くす玉のような人々を元気づける存在」に近づきつつあります。

ではなぜ、私はそう変わることができたのでしょうか?

詳しくはこちらをご覧ください。風船の楽しさ、美しさ、華やかさとは対照的なサイトです。

ふうせんだいすきおっさんのひとりごと

上記のサイトで自己否定していた自分については詳しく述べています。

その自分がどうして今、「くす玉のような存在」を自ら語ることができるほど、自己肯定感を身に着けたのかですが、やはり周囲の存在が大きいでしょう。自分がやってきたことがいかにすごいことだったのかに、周囲の人たちの力によって気づくことができたことではないでしょうか。

私が生命を吹き込んだ風船には、すごい力があるといいます。人を元気づけ、人を感動させ、そして人を幸せにする…

とにかく、私は一つ一つの風船に気持ちを込めていました。

私が膨らませた、すなわち生命を吹き込んだ風船によって、どれだけの人を勇気づけ、どれだけの人にいつまでも心に残る感動を残すことができ、そしてどれだけの人を幸せにできたのか…風船一つ一つに、私の想いがぎっしり詰まっていたのです。

そういうことを積み重ねた結果、気が付くと、自ら目指していた「くす玉のような存在」にいつの間にかなっていたのです。

それに私はつい最近まで気づくことができませんでした。

昨年のことでしたが、とあるラジオ番組に出演する機会がありました。その中で風船に対する思いを30分近く話させていただきましたが、パーソナリティの女性の方が「元気が出た」と感じるほど、私ははじけていたようです。まさに「くす玉のような存在」だったのです。

結局、私が創り上げてきたものがすべて「財産」「資産」になっていたのです。

そのような存在にどうしてなることができたのか…

曲がりなりにも一度夢をかなえることができたから

なのです。

子どもたちに伝えたいのは

夢を持つことの大切さ

であり、

その夢に向かって努力することの大切さ

なのです。

そして、その親たちに伝えたいのは

子どもたち自身の力で見つけた夢をくじくようなことを決してしてはいけない

ということと

親の夢を子どもたちに押し付けてはいけない

ということです。

親の夢を子供たちに押し付けたり、子どもたちが見つけ、抱いた夢をあきらめさせることは、すなわち「お躾」であり、決してすべきことではありません。これをすると、子どもの自己肯定感を損ない、将来「生きづらさ」を抱えたまま人生を歩むことになるなど、子どもの人生に取り返しのつかない悪影響を及ぼす危険が高いです。

そして、大人たちも子どもたちも

どんなに小さくてもいいから、心の中にくす玉を持ってほしい

と私は思います。

あのくす玉を花開かせるんだ

という強い思いが、努力することにつながり、結果、成功体験を積み重ね、自己肯定感を高めることができるのです。そして、大輪の華を咲かせることができるのです。

今や、私に夢を託す人さえ現れました。その方が抱いた夢をかなえることがすなわち私の夢であり、その夢がかなった時、お互いがくす玉のような存在となって、多くの人を感動させ、夢と希望を与える存在になると思います。

くまさんのげんきだま2016表紙

くまさんのげんきだま2016表紙

私の想いがぎっしり詰まった風船たち、私が創り上げた感動の瞬間、そして夢と希望に満ちあふれた作品たちで創り上げた一冊の小冊子です。この小冊子自体、私の周囲にいる仲間たちの協力によってできたものです。自分自身、自己否定の塊だったころにこの小冊子をつくることはまずありえなかったでしょうし、まず思いもよらなかったでしょう。自己否定を乗り越え、「自分がやってきたことはとてつもなく素晴らしいことだった」という自己肯定感を感じることができるようになったからこそ、この小冊子をつくることができるようになったのです。

はじけるくす玉がもたらすものって…

こんにちは。

今年の春をめどに、資格取得を目指すことにしました。

何か、というと、

レクリエーション介護士

です。

現在、私は障がい者福祉にかかわっています。そして「生涯支援体制」という名の下、0歳から100歳近くに至るまで、幅広い年齢層の支援を手掛けている会社に在籍しています。

一方、バルーンのニーズはブライダルや式典といったニーズは小さくなる一方、バルーンギフトやホームパーティーから高齢者向けレクリエーションに至るまで、幅広い分野で伸びています。

私も近日中に高齢者向けバルーン教室を初めて開催することになり、現在勤務時間中にレジュメを作成するなどしています。大まかな構成はすでに出来上がっています。

先週テキストが届き、今日初めてテキストを開いて、「序章」の部分を勉強したのですが、まさに私がこれから進めようとしているものでした。PDC(企画・計画→実施→見直し)が大切とか、参加された高齢者や介護福祉関係者の感想をフィードバックさせる必要性とか…

むろん、私が行うレクリエーションは、バルーンが中心。

私が長年培ってきた「風船の楽しさ、美しさ、華やかさを一人でも多くの人に伝え、幸せを感じていただきたい」という想いを、高齢者向けにアレンジしてお届けしたいと考えています。そして手先を動かすことによって、認知症予防にも役立てたいと思うところです。

さて、ここからが本題。

昨日のことでした。

知り合いが行っていたとあるイベントに顔を出しました。そこにいた方が、つい最近どこかでお会いしたようなのです。そこで用意していたAWESOME!のバルーンパンフレット一式を渡すと、

やばい!すごい!

を連発しました。そして

広島でどこにお願いしていいのかわからなかったのよ!探していたものに出会えた!

という声が複数…

頼みたいのに頼めないという状況が起きている現実に、潜在ニーズをいかに掘り起こすか、という課題も見えてきたのですが、それ以上に

私のあのパンフレットだけで感動させることができる…

バルーンスパーク&クラッカーチラシ

バルーンスパーク&クラッカーチラシ

ホームパーティーチラシ

ホームパーティーチラシ

バルーンデコレーションチラシ表面

バルーンデコレーションチラシ表面

バルーンギフトチラシ表面

バルーンギフトチラシ表面

バルーンギフトチラシ裏面

バルーンギフトチラシ裏面

バルーンデコレーションチラシ裏面

バルーンデコレーションチラシ裏面

バルーンパンフレット配布用2017年度版

バルーンパンフレット配布用2017年度版

AWESOME!で配布中のパンフ2

AWESOME!で配布中のパンフ2

※これらのパンフレットはバルーンショップAWESOME!閉店に伴い2019年1月をもって配布中止となりました。

これだけでも「やばい!」と感動するのですから、生で見たら…

感動のあまり涙を流すのではないでしょうか…

昨年のあのイベントでも、感動のあまり涙を流す人がいたとか…

そして私の想いをまとめた小冊子

くまさんのげんきだま2016表紙

くまさんのげんきだま2016表紙

も差し上げました。

それにしても、パンフレット一つだけで「やばい!」と高く評価される…。「すごい!」の上を行く言葉が「やばい!」だそうだが、思わずこの言葉が出るくらい、私がやってきたことがいかに素晴らしいことであり、すでに目指しているあの存在…

くす玉のような存在

になっているという証しなのでしょうか…

違う角度から見れば、人生を無駄に過ごしてきたキャリアも経験も実績も何もない単なるスカスカ人間と評されているのに…

それだけ私がやってきたことが本当に「やばい!」レベルのすごく、かつ素晴らしいことなのかもしれません。

それに甘えることなく、更なる先を見据えて行動する…一方で夢を託してきた人の夢をかなえてあげる…

本当の「くす玉のような存在」になりつつあるのかもしれません。そしてそういう存在になることによって、多くの人を元気づけることができる…

くす玉のはじける瞬間に接して夢と元気と感動を得られる…それにあこがれた私が実際に感動の瞬間を創りだす側になった…一度力尽きても、そこからよみがえって再び感動の瞬間を創りだしている…だから私の創り出すものに触れて感動するのかもしれない…

でもそれに甘えてはいけない。常に先を見据えて行動し、さらなる感動を生み出す…

私が目指すべきところは、

私自身の生き様が夢と感動をもたらすものとなる

なのかもしれません。

生まれつきの自閉症、発達障害、「療育」という概念がなかったころの誤った医療的アプローチと間違った厳しさをもって臨んだ両親の子育て、その結果私はコミュニケーション障害に、母親は精神疾患に、さらに親子ともどもアダルトチルドレンに苦しみ、一歩間違えれば引きこもり、家庭内暴力、さらには自ら命を絶つか罪を犯して塀の中(もっとひどければ法によって命を絶つことを宣告される)…

そうなってもおかしくなかった私が、こうして多くの人を感動させることができるまでになったのは、ある意味風船とくす玉のおかげなのかもしれません。

そして同時に支えていただいている多くの仲間たちに感謝したいです。

風船はみんなの気持ちをつなぐ

こんばんは。

今日、無性にある方に手紙が書きたくなりました。

私からその方に感謝の気持ちを伝えたくなって、手紙を書いたのです。

実は、この方、私が大変お世話になった方。その方が転職されることになり、送別会で大きなハートの風船に寄せ書きをされたそうです。もちろんその風船は私が用意しました。

私も誘われたのですが、諸般の事情で参加できず。

帰った後私はたまらなくなり、「感謝の気持ちを手紙に書こう!」という気持ちになりました。

同時にこの方、私が常日頃唱えている

「くす玉のような存在になりたい」

という私の気持ちを理解してくださっていた一人でした。

そこで私は

感謝の気持ちをくす玉に託して

感謝の気持ちをくす玉に託して

このバルーングラフィックをアレンジして、レターセットを手作り。そのレターセットに私の感謝の気持ちをしたためました。

このバルーングラフィックは例のグラフィック集には掲載していません。

私が本当に感謝の気持ちを伝えたい人だけに提供する、特別なバルーングラフィックなのです。ここでも今回だけの特別公開です。

今日、私は送別会に出席した上司と同僚から話を聞くことができました。すると

あの寄せ書きの風船は、みんなの気持ちを一つにした

とのこと。

私も今回、とびきりのバルーンギフトを制作したのですが、それ以上に

風船がみんなの気持ちをつないでくれた

のです。

私は今、

成功体験というくす玉をはじけさせることを積み重ねることによって、大輪の華が開く

ということを唱えています。その達成感はとてつもない貴重な経験になります。

思えば昨年の11月、みんなの気持ちが一つになって、風船たちに乗り移り、とてつもない感動の瞬間を生み出すことができました。みんなの気持ちが一つにならなければ、とてつもない感動の瞬間を生み出すことはできなかったと思います。風船に生命を吹き込むのは私です。しかし、その風船に魂を吹き込みのはみんなの一人一人の想いなのです。

想いがはじける

想いがはじける

今私は、とても素晴らしい仲間たちに恵まれている、と思います。

今回の一件にしても、素晴らしい仲間たちとともに仕事をさせていただいている、その中でみんなの気持ちを一つにする仕事をしている、ということを改めて実感しました。その中に私が生命を吹き込んだ風船があるのです。

 

それぞれの得意分野を伸ばす

こんばんは。

2017年になって以降、20年ぶりにインフルエンザにかかってしまいました。

旧Y’s Dream時代は、風邪を引いたことは何度かあった(何故か夏風邪も何度かあった)が、インフルエンザは一度もありませんでした。今の会社に入ってから、公共交通機関で通勤するようになり、加えて住居と職場が分離。今の職場で集団感染が発生してしまい、私も20年ぶりにインフルエンザにやられてしまいました…。

今日は、そんなこんなで2017年初めての体調の良い休日となりました。

そこで私は、予め仕入れていた情報をもとに、とあるカフェを訪れました。

そこにあったのは、とあるバルーンアーティストの方の作品。この方が作品展を開いていたのです。

この方は、ここ数年世界大会や全国大会で優勝や入賞を重ね、経験2年にしてトップクラスのバルーンアーティストに成長した方です。私も何度かお会いしています。

このカフェで、実際に私は作品を拝見させていただいたのですが、何がしたいのかすぐに私はわかりました。

「バルーンアートの可能性、素晴らしさというものをより多くの人に知っていただきたい」

正直言います。

私も反省しなければいけないのですが、

バルーンの可能性というものがまだまだ一般の人に知れ渡っていない

のが現状ではないでしょうか。

私がバルーンに携わるようになって、およそ20年の歳月が流れています。にもかかわらず、まだまだ一般の人のバルーンに対する意識は

子供のおもちゃ、あるいは、ただでもらうもの

という程度のものにとどまっているのが現状です。

私はそこから、風船で全く新しい価値を生み出すことに長年取り組んできました。

旧Y’s Dream時代は、

風船で全く新しい感動を生み出す

ことに長年力を注いできました。今では一般化した宅配スパークバルーンを2000年の段階で実用化したのは私ですし、様々な方法を用いて感動の瞬間を創りだすことに挑んできたのは事実です。

今私が取り組んでいるのは、

バルーンと障がい者及び高齢者福祉の融合

です。高齢者福祉については、すでに認知症予防におけるバルーンの効用について取り組みが進みつつあり、私も現在構成を組み立てているところです。来月初めてそれに基づいたバルーンイベントを実施し、今後のフォーマットづくりに生かす段階です。

一方の障碍者福祉ですが、精神障がいや発達障がいの人たちが自信を取り戻せるようなプログラムを創り出すべく、切り出し作業を進めています。すでにいくつかの作業については可能という結論に達していて、それらの作業をいかにして障がい者の就労に結び付けるか、という段階に進んでいます。

一方で、障がい者就労においては難しい、と思うものも出てきています。たとえば細長い風船をひねってバルーンアート作品を作る、というものですが、これは先天的な手先の器用さがものをいいます。やりたいという人が現れた場合はともかく、そうでなければ訓練に組み込むべきではない、という結論に達しました。私自身が手先が不器用で、出来上がったものが大きさが完全に均一でない、という状況です。ある程度は慣れと訓練で克服できますが、越えられない一線がある、というのが私の経験で実感しました。もうそうなると生まれ持ったものの違いというところになり、努力の限界、才能の領域、というところになってしまいます。このようなものを障がい者就労として組み込むわけにはいきません。やりたい人に対して最低限の助言をする程度にとどめるべきです。

そして私の作風ですが、細長い風船をひねって創り出す作品は他の人にはるかに劣るにしても、丸い風船などを用いて作る作品は、まだまだ負けていないし、焼きが回ったといえども十分に感動させることのできるものを創り出せるという事実。

これは2016年の作品だけで構成した現在のデコレーションパンフです。

2016年の作品たち

2016年の作品たち

2016年の作品たちギフト版

2016年のバルーンギフトの作品たち

そしてこれらは2016年の作品だけで構成したグラフィックなのですが、一度引退して焼きが回ってなお、これだけの作品を創り出せているという事実。

自分の作風を確立している、という事実を踏まえて、それぞれの得意分野で勝負すれば、全体の市場がまだまだ伸びる余地がある、というのが私の持論です。

かくいう私もまだまだ努力不足で、反省しなければいけないのが現状ですが…

こうしてみると

バルーンパンフレット配布用2017年度版

バルーンパンフレット配布用2017年度版

昨年の代表作が過去の作品となんら遜色がない…

やってきたことは間違っていなかった、ということになる…

そのような中で、今私ができることはいったいなんだろうか…

カウントダウンでのバルーン…お国柄の違い

こんにちは。

いよいよ2016年も押し迫ってきました。

昨年のように旧Y’s Dreamの完全消滅→AWESOME!への移行、というイベントもなく、またかつてのY’s Dreamのように、全国各地のカウントダウンイベントで、私が膨らませたスパークバルーンやバルーンシャワーがはじけるとともに新年を迎える、ということもありません。ほとんどが宅配で、2001年の東京西新宿に始まり、2013年の京都先斗町まで、旧Y’s Dreamが営業していた時期は毎年どこかで私が膨らませた風船がはじけていました…

バルーンシャワーセットの操作がうまくいかなかったよう(反対に引っ張ってしまった模様)で、1個失敗していたようです…この時期、他にも失敗事例の報告があり、この年(2008年)2月以降説明書を同封しました(以降クレームはなくなり、定着した)

上の動画のイベント主催者様がリピートしてくださり、今度は2011年に旧Y’s Dreamの看板商品だった「くす玉バルーン」をご利用いただきました。

海外ではバルーンシャワーで新年を迎えるのが定番なのですが、日本では…

実際多く利用されていたのが、クラブやバー、それにレストランなどでした。

上の画像は比較的大きいイベントだったのですが、中~小規模のカウントダウンでの需要が安定してあり、開業から廃業まで毎年ありました。1999~2000年のミレニアムから2012~2013年に至るまで、毎年日本のどこかで、私が生命を吹き込んだ風船が、新年を彩ってきました。カウントダウンの注文だけは、営業している間毎年途切れることがありませんでした。

ある年はスパークバルーン

ある年はバルーンシャワー…

これは2004年から2005年へのカウントダウンイベントの様子。 
 
広島県内の某テレビ局の企画で、某スキー場で行ったもの。バルーンリリースとスパークバルーンリリースを行いました。

現場で年越しの場合、成功するとその場に居合わせたスタッフと抱き合うほど、感動する…

が、これ以外では1999年から2000年への、あのミレニアムのカウントダウンの時しかありませんでした。

ちなみにこのカウントダウンの後、車が雪に埋まって出られなくなり、熱で車に積もった雪を取り除いたところ、車のリアガラスが割れるという大災難に見舞われました…

さらにいえば、実は、廃業後の2013年11月ごろにあるところから打診があり、カウントダウンイベントで大がかりなスパークバルーンシャワーをするという話があったのですが、廃業後だったため、丁重に断らざるを得ませんでした。もし仮に続けていたとすれば、受けていたのは言うまでもありませんでした…が、2012年12月ごろに始まったヘリウムガスショックで事業継続を断念していた可能性の方が高く、いずれにせよ…でした。

もしも…を言うのはやめましょう。

で、話は変わります。

日本のカウントダウンイベントといえば、花火とジェット風船が主です。

しかも地域ぐるみのカウントダウンイベントは、1999年から2001年がピークだったような印象がします。

日本の正月といえば、初もうで…でしょうから、世界で当たり前になっているホテルなどでのバルーンシャワーが非常に少ないのです。

やはりお国柄や風土的な違いがあるから、仕方ないのかもしれません…

今日のグーグルのトップを見て、ふとそんな気持ちになりました…

というわけでよいお年を。

 

 

夢をかなえたその先にあるもの

こんにちは。

ある統計によれば、日本においては夢をあきらめる年齢が23歳とも24歳ともいわれている。その理由が「才能の限界を感じた」というもの、あるいは金銭的理由だという。

逆に、私は実をいうと、夢を持って生きたことが26歳までなかった。

高校生時代の「東京の大学に進学する」ぐらいであった。それとて大学に入ってから次に何を目指すか考えるつもりでいた。

1997年、バルーンアートの素晴らしさを知って、初めて夢を抱いた。

Y’s Dreamを立ち上げようとした1997年から2013年の休業に至るまで、一貫していた思い…

Balloons Make Everyone Happy!

これだけであった。

私が生命を吹き込んだ風船で一人でも多くの人に幸せと感動をもたらす…

唯一抱いた夢で、かつ唯一かなった夢である。

そして私は引退を決断し、徹底した自己否定を通してバルーンアーティストであった自分を捨て去り、真っ新な自分に生まれ変わろうとした。ところがそれはできなかった。

バルーンアーティストとして夢をかなえた経験を持つ自分ができることは何か…

風船で夢を持つことの大切さを次の世代に伝えることであった。

2016年の作品たち

2016年の作品たち

2016年の作品たちギフト版

2016年のバルーンギフトの作品たち

2015年の作品たち

2015年の作品たち

2014年の作品たち

2014年の作品たち

一度引退して、「焼きが回った」状態で、それでもこれだけの作品をつくることができるとは、それ自体すごいことなのかもしれない。

そして、今年はこのような小冊子を制作した。

くまさんのげんきだま表紙

くまさんのげんきだま表紙

くまさんのげんきだまの一部

くまさんのげんきだまの一部

発達障害に苦しむ親子のために、私が風船を通して自立する過程を一冊にまとめた小冊子、

くまさんのげんきだま

である。

これはもともと今勤務している会社の利用者の親子向けに制作したのだが、九州のとある放課後等児童デイサービスの運営者の方から「ぜひ活用したい」という声が出て、すでにお届けした。

夢を曲がりなりにも一度叶えたからこそできたことであった。

なぜなら、この小冊子、ほとんどが私の作品のコラージュで構成されていて、それを今勤務している会社の同僚の方が絵本仕立てにアレンジしてくださったものだからである。そもそも、この小冊子自体、この「ふうせんでつたえたいこと」のダイジェスト版で、しかも小学校低学年の子供さん及びその親が理解できるように噛み砕いている。もちろんそれ以上の年齢の子供さんにも対応している。

さらに、今年、私は表現者としての自分にある程度の区切りをつけることにした。一度引退して、復帰したらその間にバルーンの在り方が大きく変わり、今の自分にやれることは限りがあると考えたからである。

現状、バルーンの主流はギフトとツイスティング、パフォーマンス。エンターテイナーが求められている。

私のようにコミュニケーション能力に生まれつきの問題があり、加えて翳を抱えていて、さらに手先が不器用。バルーンアーティストは本来不適なのである。それを「好き」という想いだけで乗り越えようとして、限界まで挑んだのが私。

来年やってみたいのは、児童デイサービスを利用される子供さんに自由に夢を描いてもらい、それを風船で形にすること。今の自分の技術には限界がある。それでも可能な限り挑んでみたい。幸い私にはバルーンドレスを曲がりなりにも作れるだけの技量はある。リンコルーンも扱える。

同時に、同じ障害に苦しむ人たちで作品を作るという構想もある。

いずれにせよはっきりしているのは、自分が主役にならないこと。

一方で、私が制作したバルーンドレスを着て、私が装飾したステージに立ち、私が演出したバルーンシャワーが舞う中歌って踊りたいという人が最近になって現れた。私に夢を託してきたのである。そういう人が現れること自体夢をかなえたからこそであり、私にとって新たな夢になった。来年、絶対にその夢をかなえてあげたいし、同時に私の夢がかなうことになる。

夢をかなえようとする姿ほど美しいものはないし、その姿、その生きざまそのものが多くの人に感動を与える。私はすでに一度そうなった。それが「くす玉のような姿」だった。そこから私は多くの人の心にくす玉の種を植え、それを花開かせる手助けをしていく存在になる…それが私の夢なのである。

私の風船への想い

こんにちは。

私の風船に対する思い…

とてつもなく強い。

一つ一つの作品に対する思いは、まるでわが子を産み育てるがごとく、すべての風船に想いを吹き込んでいる。

想いがはじける

想いがはじける

想いが強すぎて、勢い余ることもある。

でも、その思いが、その場で作品に接する人一人一人の心の中にいつまでも忘れない感動として刻まれる…

私の風船に対する思いそのものがみんなを元気づけ、感動させている…という現実。

そしてその思いに触れることによって、「自分も頑張ろう」という気持ちにさせているという現実。

その思いがその人の心の中の「くす玉」の種となって、いつか大輪の華としてはじける。

納得いかない出来の時もある。

素人には理解しづらいかもしれない。

でも、私の風船に対する思いは変わらないし、変わってはならない。

その思いで風船に接する姿そのものが、生きる希望となっている人もいるし、また目標とする人もいるという事実。

…それに接する人が笑顔になり、いつまでも忘れない感動を心に刻む…

その体験を通して自信を身に着けさせ、生きる力を身に着けさせるのが、これか私が風船を通してやっていくべきこと。

だから今回、私は自分の想いをすべてぶつけた。譲れなかった。

自分の想いから多くの人を感動させることができたことが、すなわちその人にとっての生きる力になる…

そういう作品を作りたかった。

私の風船に対する思いは変わらない。

その思いを、これからは同じ障害に苦しむ人たちの力に変えていくことが、これから私が風船ですべきことだと思う。