風船・バルーン」カテゴリーアーカイブ

くす玉のような存在って?

こんにちは。

たびたび出てくる「くす玉のような存在」って、どういうこと?

と思われる方が多い。というか、このような表現、非常にまれな部類で、私以外に使っている人はほとんどいないに違いない。ある意味文学の領域かもしれない。

いくつか集めてみた。

恋とは、頭の中のくす玉が割れることだ。…中谷彰宏「尊敬できる男と、しよう。: 女を上げる43の方法」~

感動する力を表し、小さいことでも感動できるようにしよう、という意味らしい。

大きな花火が打ち上げられた時に、ドーンって音がお腹の底に響くのって快感ですよね?…とある掲示板の書き込みより

おなかに響く快感と花火が花開く瞬間のあまりの美しさに感動した人の意見らしい。

そうしてみると、やはり「感動」と「快感」に通じるものがあるらしい。

私が考え出したバルーン演出が完璧に成功すると、天にも舞い上がるような、あるいは体中に電流が走るような、飛び上がりたくなるほどの快感を覚える。「エクスタシー」といってもいいほどである。

それだけではない。私が風船の話をしていると、周りの人が幸せな気持ちになるほど、すごい笑顔になっているという。先日ラジオに出演する機会があったが、その時の様子がすごい笑顔が素敵だったらしい。

その感動を生み出す力が私にはある。

一方で、花火師もそうだが、風船を膨らませる作業は地道そのもの。単純作業の積み重ねなのである。考えてみてほしい。一つ一つの風船は口で膨らませることをせず、ポンプやインフレーターなどの機械などを使うにしても、手で口を結ぶなどしている。そういう地道な作業を長い時間続けて、ほんのわずかな時間の感動の空間を創り出している。スパークバルーンがはじける瞬間に至ってはほんの一瞬だ。そのほんのわずかな時のために、地道な作業をしているのである。

「感動を生み出し、接する人を幸せな気持ちにする人」

これが「くす玉のような存在」なのである。

その「くす玉」を華開かせる種を私はこれから多くの人に植え付けていきたいのである。そのためには自らが「くす玉のような存在」であり続ける必要がある。あるいは数多くの感動の瞬間を生み出した実績が必要である。

中でも、発達障がいに苦しむ人たちはそのような「感動する機会」そのものが少ないような印象がする。

そういう人たちが、バルーンの制作に加わることを通して、感動を共有し、自信を身に着けさせ、社会人として就労し、自立した生活を送ることができるように、私は今取り組んでいるのである。そのために制作したのが

くまさんのげんきだま

という小冊子なのである。

くまさんのげんきだま表紙

くまさんのげんきだま表紙

くまさんのげんきだまの一部

くまさんのげんきだまの一部

この「くまさんのげんきだま」については、現在希望者に無料で頒布しています。ご希望の方はこのホームページの「お問い合わせ」からメールでご連絡いただければ送料無料でお送りいたします。

この本にもあるが、「くす玉」こそ「くまさん」すなわち私にとっての「げんきだま」すなわち「目指すべきところ」なのである。

想いがカタチとなり、そしてはじける!、ということ

こんにちは。

エントランス

エントランス

エントランス全体

エントランス全体

受付のアーチ

受付のアーチ

受付の反対側のバルーン

受付の反対側のバルーン

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観客席ゾーン

観客席ゾーン

ステージ

ステージ

以上が先日行われた、現在私が所属している会社の年に一度の大イベント。

 

想いがカタチになり、そしてはじける

見ている人のだれもが感動したそうです。

以下は私のフェイスブックより。

思えば昨年、この「夢FESTA 2015」で、自分が目指しているものとは何かを思い知らされた。それは、「くす玉のような存在になりたい」ということでした。
この一年、「くす玉のような存在」を目指すべく、現在所属している会社の枠の中で生きてきました。いろいろなことがありました…

そして今回の夢FESTA2016、会場内のバルーン装飾はデザインから制作に至るまで私が一人で行い、設営は私と多数の仲間たち、すなわち現在所属している会社のみんなが力を合わせて行いました。
その思いが、今日の「夢FESTA2016」の会場全体に伝わり、まさに広島マリーナホップ内マーメイドスペースの全体が巨大な「くす玉」のようになりました。そして最後、クライマックスには大きなスパークバルーンが一斉にはじけ、とてつもない感動を生み出しました。

スパークバルーン本番までの1時間近く、私はこれまでにない緊張感の時間を過ごしました。一つの組織が生み出そうとする感動が、私の全身にのしかかっていたのです。会社の運命さえ左右しかねないほどのプレッシャー…一生に一度の結婚式よりも大きいプレッシャーでした。

成功させた時の感動は、とてつもないものでした。
地響きのような歓声が会場を包み込みました。

私にはいわゆる「アスペルガー」の障害があります。これは極度の集中等の傾向があり、特定の分野に偏ってしまう傾向がある障がいです。そのため社会生活上厳しい状況に追い込まれます。
しかし、その障がいを逆手にとって、とてつもないものを創り出すこともできるのです。私が生命を吹き込んだ無数の風船、そしてその風船が生み出すいつまでも心に残る感動…今回、多くの社員の方々から感動の声をいただきました。(2016年11月3日付)

デザイン、制作は私が一人で行った旨、一昨日書き込みました。しかし、もちろん私だけで制作したものではありません。会社の中にディレクターがいて、そしてプロデューサー、チーフプロデューサーがいます。どうすれば最高の感動を創り出せるか、連日ディレクター、プロデューサーと議論を重ねてデザインをし、制作しました。
制作は会社がもともと使っていて、現在は会議室として使っている部屋で3日間かけて行い、それらを普段は利用者の皆さんの送迎に使う車両6台で運びました。
このとき、ある社員の方は「これだけでも素晴らしい、私たちが絶対形にしなくては」と思ったそうです。まさに私の想いが社員の皆さんに伝わった瞬間でした。
その後の設営は多数の仲間たちの力を借り、順調に仕上げることができました。この時点で会場の中は、現在所属している会社の社員の皆さんの想いがぎっしり詰め込まれたものになりました。
さらに開場後、時間を追うにつれて利用者の皆さんの想いも加わりました。社員たちが結成した楽団の演奏、児童デイサービス利用者の皆さんのダンス、そして全員の合唱…そこではじけた大輪の花…夢と希望がぎっしり詰まった風船が会場中を包み込みました!

その時その場にいた人たちは、いつまでも心に残る感動を共有できたことでしょう。そしてそれを創り上げたのが、現在所属している会社の全社員及び利用者の皆さんの想いだったのです。その想いが大きな「くす玉」のごとくはじけ、大輪の花を咲かせ、笑顔と感動を数多くの人にもたらすことができたのです。

あの時はじけたのは、大きな風船だけではなく、有限会社リラックスに携わるすべての人たちの想いだったのです!
私はその想いを花開かせるきっかけをになうという重責を担っていたのです。

あの日あの場所にいた皆さんには、現在所属している会社に携わるすべての人たちの想いが届いたことかと思います。(2016年11月5日付)

笑顔が溢れる感動のフェスタ!!!!
みんなの夢を膨らませて作ったような素晴らしいバルーンアートが会場を包んでいました
フィナーレには、大きな風船から、たくさんの「夢と希望という名のバルーン」が飛び出し、歓声が上がりました♬
お子様やスタッフの方のステージも笑顔いっぱいでステキでした!
歌もダンスもとっても素晴らしかったです!!!!
とても心があたたまるステキな時間を過ごさせて頂きました!
ありがとうございます!!(上記記事に寄せられた感想)

もう言うまでもないでしょう。

中には感動のあまり涙を流す人もいたとか…

夢と希望と想いがぎっしり詰まった風船たち。

私が「風船に生命を吹き込むこと」とはこういうことなのです。

その夢と希望と想いがはじけた時、とてつもない、たとえようもない感動が生まれ、いつまでも心に残る感動の瞬間として多くの人々の心に刻まれるのです。

そのような感動を、私はこれからも創っていきたいです。

私の風船に対するこだわり

こんにちは。

最近、バルーンアートというと、細長い風船の方が主流になっている。細長い風船は表現方法が多様にわたり、無限大の作品を創り出せる。

しかし、その主流はキャラクターだったりする傾向が多い。いかにそれに近いものをつくるか…

こうなると手先の器用さがものを言う。

正直言う。

おそらく私は、日本で風船に携わる人たちの中で、一二を争う不器用さではないか。

2013年の春ごろの話。私が鬱に苦しんで、ヘリウムガスは払底状態が続き、引退を真剣に考えていたころのことである。私は「職業適性検査」なるものを「職業センター」で受けてみた。すると…

手先の器用さが求められる仕事には不適

との判定が出た。バルーンデコレーターは「職業として適していない」という結論になったのである。しかも私は自閉症の傾向があり、コミュニケーション能力にかなりの問題があると診断されている。それも先天的なものに原因があり、加えて両親は子供の人生に自分たちの価値観を押し付ける傾向のある「毒親」。「アダルトチルドレン」の傾向もあるといわれた。

手先が不器用、自閉症傾向(=発達障害)、アダルトチルドレン…

ありとあらゆる悪条件を抱えていたことになる。

そのような悪条件をどうして克服できたのか…

「好き」という思い。

ただそれだけである。

そのような私が創り出す風船の作品、一定の傾向があるように思える。

三次蔵プロジェクトの作品たち

三次蔵プロジェクトの作品たち

これは2007年から2016年まで10年続いた「三次蔵プロジェクト」での私の作品。リンコルーンを使ったり、ツイストバルーンを使ったり、いろいろやってみた、特に初期は。2015年はバルーンドレス制作にチャレンジした。そして今年…私は丸い風船で勝負した。

風船の持つ暖かさ、優しさ…これを思う存分生かす作品に今年は仕上げた。大正初期建築の廃屋(今後リノベーション予定)を風船でまるごと飾ってみた。使った風船は16インチと11インチのラウンドバルーンのみ。そのうち11インチはすべてドット模様のバルーンにした。そしてこれに途中から6インチのハート(ライブで私がスパークさせたスパークバルーンのハート)とツイストバルーンで作ったパラソルを加えた。

ツイストバルーンのパラソル

ツイストバルーンのパラソル

パラソルは建物の外に括り付けた。

11インチのドット模様入りバルーン kimg3757v

11インチのバルーンは天井に飾ってリボンを垂らした。

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圧巻は16インチのバルーンを高さをバラバラにして浮かせた作品。

半透明とそうでない風船を交えて、高さをバラバラにして浮かせた。

さらにイベントの所々でスパークバルーンをはじけさせ、1回あたり約60個、合計300個の小さなハートの風船が舞い降りたり、舞い上がったりした。

舞い降りた風船とハイポーズ

舞い降りた風船とハイポーズ

風船が舞う瞬間、子供たちも大人たちも目を輝かせた。

そして…

クライマックスのバルーンリリース

クライマックスのバルーンリリース

10年分の想いを乗せて舞い上がる

10年分の想いを乗せて舞い上がる

バルーンリリース。

奇跡的にその瞬間だけ雨が止んだ…

これらの作品を通して、私が何を言いたいのか…

そう、これらの作品はギャラをいただいて制作したものではない。一種の芸術表現である。

それゆえ、私が一番表現したいものを創り上げた。

私が風船を通して表現したいもの…それは

風船の持つ楽しさ、美しさ、そして華やかさをそのまま表現し、それに接する人たちにいつまでも心に残る幸せな思いをもたらしたい

ということなのである。

すでに何度も私はブログなどで述べてきた。

くす玉のような存在になりたい…

その思いを私は前述した障害を克服して実現している。その思いを一冊の小冊子にまとめたのが

くまさんのげんきだま

という本。

この本については、電子書籍として配布する予定は当面ない。今勤務している会社において同じような障害に苦しむ人たちに配布し、私の体験を話す際に使う目的で制作したのがそもそもの発端。

いずれは講演の機会があるかもしれない。その際に配布する予定である。

そして、私の作品は一貫している。私が生命を吹き込むすべての風船たちには

風船の持つ楽しさ、美しさ、そして華やかさをそのまま表現し、それに接する人たちにいつまでも心に残る幸せな思いをもたらしたい

という私の気持ちが吹き込まれているのである。

 

 

価値観の違い…越えられない壁

こんばんは。

三連休、正直遠出したくなる天気でしたが、自重せざるを得ませんでした。

車検でお金がかかるのです…というより、バルーンの大型プロジェクトがこれから11月中旬にかけて連続するのです。加えてブライダルも所々で…

バルーンのことを忘れて過ごしたかったのですが、できたのは初日だけ。

さて、先日このようなサイトを見つけました。

ソウス「一瞬で5万円も!?」

実はバルーンリリースの良い所って1つしか無いんですよ。

それは、

写真にすると凄くキレイ!

という点です。実際にブライダルカメラマンでしたので分かります。フォトアルバムの背景にできるくらい青い空と赤いハート風船・カラフルな風船のカラーは素敵です。

それ以外にメリットはありません。飛ばして終わりですから。キャンドルサービスや別の演出のように時間を延ばす効果はゼロ。挙式後の気持ちに華やかさを残す演出だと思って下さい。

私は自分の結婚式でバルーンリリースはしませんでした。バルーンリリース写真の素晴らしさを知りながら行わなかった理由は以下の2つです。

他の演出に比べて高い

一瞬で終わるのに値段が高いんです。

バルーン1つがおよそ700円。50~60名のゲストだと5万円必要です。

もし、新郎新婦用の大きなバルーンを追加するのなら7万円になります。7万円あればタワー式のウェディングケーキや披露宴での生演奏音楽を追加できます。

バルーンリリースは意外に盛り上がりません。また、ゲストは風船を撮影するため、バルーンリリース中の新郎新婦の姿は見ていません。

天候に左右される

バルーンリリースは青空だから美しいんです。曇りだと写真も悪くなります。

最悪なのは雨と雪。もちろん中止になります。代わりに披露宴でのバルーンサービス(キャンドルの代わりに大きなバルーンを割る演出)となりますが、これには5万円も払う価値はありません。披露宴内ならキャンドルサービスや光を使った演出の方が盛り上がるからです。

専門式場やレストランウェディングでは会場が狭いため、バルーンリリースそのものを行えない可能性もあります。

引用ここまで

2012年秋以降のヘリウムガス払底を引き金にヘリウムガスの価格が高騰し、2013年冬以降にカタール産のヘリウムガスが入るようになって流通が安定しても価格は高止まり。2013年秋にも一時的に払底が起きていたようです。その結果結婚式におけるバルーンリリースは「費用対効果」の問題が起きて、激減してしまいました。

5万円払うなら、もっと価値のあるバルーン演出を創り出すべきでしたし、現にそれに取り組んだバルーンデコレーターさんもいました。5万円、10万円、あるいはそれ以上出す価値のあるいつまでも心に残るような感動的なバルーン演出を提供することを目指すべきだったのです。

私は旧Y’s Dream末期、2012年秋から2013年夏にかけて、本当にゲストの皆さんを感動させたい新郎新婦様のためにのみバルーン演出を提供していました。その金額は大半が10万以上でした。それでも複数のカップル様からご注文をいただきました。

しかしニッチすぎて市場が成り立たず、加えてバルーンの主流がツイスティングとギフトに移り、バルーンの立ち位置が変化してしまい、コミュニケーション能力にハンデのある私は立ち位置を失って引退に追い込まれました。

ところが2015年から少しずつ状況が変化し、加えて障がいのある若者の就労に私が長年取り組んできたバルーンの経験が生きることが分かり、形を変えて再開しています。

私が取り組んできたことは

いつまでも心に残る感動の瞬間を創り上げること

でした。

そのために10年以上にわたって風船に生命を吹き込み続けたのです。

バルーンリリースはそれ自体、いつまでも心に残る感動の瞬間なのかもしれません。

バルーンデコレーションに接すること自体、いつまでも心に残る感動の思い出になるかもしれません。フォトブースの作品が増えているのもそれだからでしょう。

しかし、それに更なる驚き、サプライズを加えることによって、本当にいつまでも心に残る感動を創り出せるのです。

私は今、再び風船に携わっています。

風船を通してどのような価値を生み出すことができるのか?

価値を生み出せないのなら、そのまま完全に身を引くのが正解だったということになります。

だからこそ、何らかの価値を生み出さなければいけないのです。それが障がい者福祉の面であったとしても、あるいはバルーン演出の新境地の開拓だったとしても。だから私は自らの生い立ちを一冊の小冊子にまとめたのです。

 

本当に風船が好き、その先にあるもの…

こんばんは。

今日はとあるイベントに参加しました。

といってもノーギャラ、それどころか参加費用を払っています。

参加費用には有名仕出し店のデラックス弁当(調べると1620円相当)とビール・チューハイ飲み放題が含まれていますが…

勤務している会社の児童デイサービス関係者ということで優待扱いで参加させていただきました。

当然子供さんいっぱい。

雨の中盛り上がりました…

が、この画像をよく見ると、見慣れたものが…

そう、風船を持ちこんだのです!

ちなみにイベント中にバルーンクラッカーを仕込みました。

よりによって仕込中に1個間違って割ってしまう…(残り1個で無事バルーンクラッカーの演出ができましたが…)

でも楽しかったです。

それだけ私は風船が好きなのです…が

風船でもたらされるものは、笑顔、幸せ、そして感動…

私が10年以上にわたって風船に「生命を吹き込む」ことができるのも、それだからなのでしょう。

仕事でなくても、自然とやってしまう…

本当に楽しいです。

私は技術を競って、ストイックになってしまっているような印象を、一時期バルーン業界に抱いていました。私もかつてはJBAN Conventionなどの大きな大会に出場し、技術を競っていたことがありました。しかしその技術だけが独り歩きし、コンテストの結果に一喜一憂する…それが数年前のJBAN Conventionなどで感じられた印象で、

本来の目的を見失っていないか

という危機感をバルーン業界に抱くに至ったのです。

そして私は一時期

風船を見るのも嫌になった

ことがありました。その結果、一度3年前に引退しました。

でも風船が嫌いになったのはほんの一時期だけでした。

やはり私は風船が本当に好きでした。

かつてのように世界にも通用するような大きな大会で技術を競い合うつもりはさらさらありません。むしろ障がいのある子供たちに風船を通して自信と生きる力を身につけることこそが、今私がすべきことなのです。それができるのも

本当に私が風船が好きだから

なのかもしれません。

現在、来月出版を目標に、これまでの作品をベースにしたグラフィックを中心にした小冊子を制作しています。この小冊子を、私が今勤務している児童デイサービスの保護者には無料で頒布することを検討しています。一般にも数量限定で無料頒布する予定です。テーマは

好きなことを見つけることによって生きる力を身につける

ということです。

何度も言うように、私は

風船と出会わなければ、今頃この世にいないか、塀の向こう側だったかもしれない

のです。だからこそ本当に風船が好きなのかもしれません。

 

発達障害を乗り越えて…

こんばんは。

よりによって私は歓喜の瞬間を見逃してしまいました…

思うところがあって愛媛県に行っていて、松山発広島行きのフェリーに乗っていたのですが、船内のテレビはどういうわけかNHK総合テレビのカープ戦中継を放送していなかったのです…聞くと「地上デジタル放送のアンテナを撤去した」とか。私を含めた多数の乗客から怨嗟の声が飛び交いました。

なぜそこまでしてこんな日に四国は伊予に向かっていたのか…2か月後、私が勤務する会社では「夢フェスタ」なるイベントを開催するのですが、今のバルーン業界、とりわけバルーンショップの在り方が、井の中の蛙になっていてはいけないと実感していたからなのです。

これまでにも日本各地のバルーンショップに私は足を運び、作品からそれを制作する人の人柄に至るまで、たくさん見てきましたし、学ぶべきところも多いと実感しています。

「心に響く表現者になりたい…」ということを述べていた有名バルーンアーティストの方もいます。この方はすでに世界に通用する、日本トップクラスのバルーンアーティストに成長しています。

今日もですが、「Y’s Dream」のホームページにあった作品に、目指すべき方向性を見出した方に出会いました。

ところで私は、ちょっとしたことでもネガティブなアクションを起こされると、

「自分は何か相手に悪いことをしてしまったのか」

と深く考えてしまいます。このこと自体、自閉症由来の発達障害の特性なのです。

しかし、それが逆に私の純粋な心の在り方なのです。

それゆえ、風船に対する思いは日本でも屈指の強さだと思いますし、それゆえに生み出した感動の瞬間はいつまでも多くの人の心に残っているのです。

プロのバルーンデコレーターから感動されたことも幾度かありました。「このような感動を生み出したい」といわれたこともありました。その時、私の心の中にあるくす玉がはじけます。

「くす玉バルーン」というのがあります。「スパークバルーン」の別名なのですが、元は私が「くす玉バルーン」と名付け、それが縁起が悪いという理由で「スパークバルーン」に変わり、定着したものです。(私から言わせると、「クラッシュバルーン」の方がもっとよくないネーミングに思えるが…クラッシュ=破壊・墜落…なので)

そもそも「くす玉」は「久寿玉」であり、めでたいものの象徴なのです。

そういう想いを共有している人たちが、私と結びつく傾向にあるようです。

だからこそ、私は発達障害を乗り越えることができたのかもしれません。

明日(というよりもう「今日」になるが)、そういう想いを一冊の絵本に仕上げていきます。

そして、この絵本が、同じような障害に苦しむ子供たちの未来を切り開くことができることを目指しています。

そのために、私は今日(というより昨日)、動いたのです。

スマホの万歩計を見ると36000歩!10000歩で8キロと計算すると、1日で30キロ歩いた計算に!

もはや「強歩」のレベルです…

あと、分かった事実。

私は「高所恐怖症」だったこと…

しまなみ海道のある橋を渡ったのですが、

正直怖かった…

でも、渡り切った時は

快感だった

怖さと快感

バルーン演出に通じるものがある…

失敗を恐れては何もできない

その先にとてつもない感動がある…

はじけるくす玉

はじけるくす玉…私の想いそのもの

 

本当に私が風船が好きになったきっかけとは…

なぜ、私は「くす玉がはじける瞬間」の虜になってしまったのか…

 

私は小さいとき、風船が怖かったらしい。本当に幼少期のことである。

そのころ私は、「くす玉がはじける瞬間」から目をそらしていたような記憶がある。

ところがちょっとしかきっかけでその虜になってしまった。

 

その心境について、私はよく覚えていないが、世に中には私とほとんど同じような方もいて、その方が結構前にブログに書き留めていた。このブログの記事は今でも残っているようなので、参考までにリンクを貼っておく。

何故私が “風船属性” を身につけるに至ったか

私が好きな風船シチュのひとつが、「頭上から風船が舞い降りる」というものです。

 

これらの引用元の記事はそれこそ2006年から2009年ごろの記事です。

このころ私はバリバリの現役のバルーンアーティストでした。

Y’s Dreamは人一人が十分に生活していけるだけの利益を上げていました。

 

というわけで、話は1995年、21年前にさかのぼります。

このころ私はとんでもない状態でした。今なら「パワハラ」に該当する行為を上司から受け、それこそ「ギャンブル依存症」に近い状態でした。当時交際していた彼女ともその上司によって別れさせられ、挙句の果てにはとある新興宗教に走る始末でした。

そのころ目にした「エミリーズバルーンアートスクール」のチラシ。

私は最も近い日程に初級と中級のみ申し込みました。後々役に立つかもしれない、と思ったからです。これが20年前、1996年のことでした。

さらに翌年1997年1月、私は1回目のJBAN Conventionに参加しました。あまりのすごさに感動しました。この感動、風船に携わることの素晴らしさを社会に還元したい、という想いからY’s Dreamはスタートしたのです。

以来2012年に鬱を発症し、ヘリウムガス払底が追い打ちをかけて活動停止に至るまで、Y’s Dreamは続きました。

その中で私は幾多の感動の瞬間を創りだし、その多くが一人ひとりの心の中に刻まれ、中には10年以上たった今でも「忘れられない瞬間」として生き続けている人がいるという、普通ではなしえないようなことをやり遂げていたのです。

その中には自分自身が天にも舞い上がるほどの快感を覚えるほどの感動の瞬間を創り上げたこともありました。もちろんその瞬間に接した人も多くが感動し、中にはそれこそ今でも鮮明に覚えている人がいるそうです。

 

2013年、私は引退を決断しました。

震災をきっかけに人々の心の在り方が変化し、ヘリウムガスの国内流通が数か月にわたり停止し、結果バルーンの立ち位置が大きく変化して、その流れに私はついていけないと判断したからです。

 

それから2015年までの記録はこのブログにある通りです。

 

2015年の夏ぐらいから、私しかなしえないような感動の空間を創り上げる局面が続きました。

山の中の廃校の講堂でのミュージカルでの空間演出、バルーンがテーマの結婚式、そして障がい者と社会をつなぐイベントでの空間演出…

 

「障がい者と社会をつなぐイベントでの空間演出」の結果、私はそのイベントを主催した会社に入らさせていただくことになった。かねてから障がい者雇用と就労移行支援の問題に取り組みたいと考えていた私は、この問題に今真剣に取り組んでいる。

その中でバルーンを活用しているのだが、今年の秋には再びあのイベントが開催されるという。当然バルーンは組み込まれている。昨年できなかった「自動スパークバルーンシャワー」も今年はぜひやるつもりだ。今までになかった感動を生み出したいと私は考えているし、毎年新たな演出を取り入れ、感動のクライマックスとし、名物に育て上げたいという思いがある。その中で障がいのある人たちにも制作に加わってもらい、感動の瞬間を一緒に生み出すことによって、自らの自信に結び付けたいという思いがある。

同時に今回私は、このイベントに向けて、自らがバルーンで実践してきたことを1冊の本(10ページ程度)にしたいと考えている。このブログの記事も一部組み込むつもりです。

私が生命を吹き込み風船が一人でも多くの人の元気と勇気の種になってほしい

…という想いで、今年は取り組みます。

はじけるくす玉

はじけるくす玉

 

これはこの7月に、これまであった動画集を再アレンジして制作したものです(2017年6月に入れ替え)。

自己否定を克服する、ということ

おはようございます。

 

私はかつて、自己否定の塊だった。

それはバルーンアーティストとして実績を積んでいた時期でさえもそうだった。

絶えず上を目指していた。どこに頂点があるのかわからない状態だった。実際トップランナーだったとしても、その中での先頭を目指していた。

 

そうして長年の無理が蓄積し、鬱を発症した。

私はバルーンアーティストだった自分を否定しようとした。

そして全く違う、40年以上むだに年を重ねた自分になろうとした。とある転職コンサルタントの方もそれを促した。

 

徹底した自己否定をもってしても、バルーンアーティストだった自分を否定することができなかった。両親はこれを否定しようとしたし、今でもしようとしている。その結果、母親はどうしようもない精神障害と身体症状に苦しんでいる。私もこれを試みた。新興宗教や人格改造セミナーの力を借りることさえ考えた。実際バルーンアーティストになる前、すなわち20年前ギャンブルにおぼれていたどん底の時期、私はとある新興宗教に数か月間はまっていた。違和感を感じて新興宗教はすぐにやめた。

 

結局たどり着いたところは「形を変えた復帰」だった。

自己否定は全く何ももたらさなかったのだ。

 

こうなると発達障害が疑われると診断された際の幼少期の親の対応が重要になってくる。

ここで自己否定をするよう、子供をしつけると、「ゆがんだ躾=押し付け」となってしまい、後々苦しむことになる。たちの悪いことに、昭和の時代はこれが「正解」とされていたのだから、今日の虐待や「やさしい虐待」問題、すなわち「毒親」の問題になる。

 

さて、自己否定の鎧を捨てた私は、バルーンアーティストだった自分の評価が実際はかなり高いものだったことに気が付いた。

バルーン業界というところは、一時期ある意味生き馬の目を射抜くようなところだった面がある。プロスポーツ界、芸能界、政財界に近いところだった。そのようなところにいたから、客観的に自分がやってきたことがすごいことだったにもかかわらず、その中での相対評価をするようになり、結果厳しい自己評価→自己否定につながった。

他方、バルーン業界はここ数年、大きく変化した。昔と異なり、それぞれのやり方でやっていく分野に変わった、というか私が現役だったころから変わり始めていた。昔の見えない頂上を目指すような考えの時代ではなくなっていたにもかかわらず、昔のままにとらわれていたのである。

今、バルーンアーティストであったかつての自分に対する再評価がいろいろなところで起きていることを実感している。そこにあるのは「自己肯定感」である。

私が生命を吹き込んだ風船によって多くの人に幸せと感動、そしていつまでも忘れない思い出を刻んでいる…このことがいかに素晴らしいことなのか、今あらためて実感している。その素晴らしさを次世代、とりわけ同じ障害に苦しむ子供たちや若者たち、それに若手バルーンデコレーターに伝えるのが今の私の仕事だと思うし、まさに今その仕事に取り組んでいるのである。

風船でハッピーに!2016夏

風船でハッピーに!2016夏

風船でもたらされるもの、それは幸せと感動と思い出であり、それを伝えることによってその人にもたらされるものは自己肯定感であり、その自己肯定感が一歩前に進む自信につながるのである。

職業、バルーンアーティスト。って胸を張って言える社会にするために…

おはようございます。

 

先日、ある高校生の方が問題提起をしてくださいました。

私も一連の議論に参加したのですが、最大の問題点は

バルーンアーティストという職業はすでに確立しているのに、その社会的認知度がきわめて低いところにある

と考えています。

 

ところで、今年の3月、すなわち熊本・大分両県が震災に見舞われる前に、私は由布院・阿蘇・久住を訪れていたのだが、その際に「ななつ星」に出会った。70万もするJR九州のあのクルーズトレインである。

クルーズトレインはJR東日本もJR西日本も準備中だそうだが、クルーズ船という概念が日本に入って30年近くたつそうである。鉄道ジャーナル2016年7月号によると、クルーズ船で旅行する市場人口は30年ほどの間にあまり増えていない、つまり市場が思ったより広がっていないという。結局クルーズ船やクルーズトレインは「ニッチ市場」の域を出ない、と論じられていた。

バルーンの市場も同じだと思う。インターネット通販でバルーンギフトは手軽に買うことができるようになり、バルーンショップは昭和の時代は東京、それも渋谷と麻布にしかなかったのが、今では日本の主な都市にはどこにもバルーンショップが存在するようになった。複数のバルーンショップが半径10キロ圏内にあるケースもある。しかし…

どこで風船を買えるのかわからない

という声がいまだに存在するのも事実である。そしてバルーンを買う顧客が予想以上に増えていない、と思う。

厳しいことを言うようだが、

バルーンアートはまだまだニッチ市場の域を出ていない

と私は考えている。

 

現実の声として、将来バルーンアーティストをめざしているとある高校生の意見をフェイスブックから引用する。

高校卒業したら就職しないといけないから職場をよく見ておけって先生が言って、私が「進学者は?」と聞いたら「大学卒業後どんな就職に就きたいか考えておけばいい」と。
「私バルーンアートやるんですけどー」って言ったら「そっか!君はバルーンアートやっていたよね!じゃあ将来はプロの道に進んで、もしかすると有名になったりするのかな!?」→「いやいや有名にはww」

そしたら友達が
「まずバルーンを職業にしている人がいるかどうかだよね。」って。

まだまだバルーンって本当に知られていない。
私は同級生に「それが職業になるかどうか」
「無料で配っているんだから全部無料でやっている」「職業にしている人がいない」って言われてきました。

大人になってもっと素晴らしい作品を作って皆さんに見てもらえるようになろう。

 

 

エミリーズバルーンアートビジネススクールの第1回が開催されたのが1995年。

それまでにもわずかながら様々なバルーンアート作品が存在した。

この高校生は、私が制作した作品の作品集をじっくりと隅から隅までご覧いただいた。

その中には1997年や1998年の作品も含まれていた。

「私が生まれる前からこのような作品を作り続けてきたのか…凄い」と一言。

私はとてもうれしかった。

 

にもかかわらず、バルーンが「ニッチ産業」の域を出ていないという現実。

バルーン人口は確かに増えたが、市場はそこまで大きくなっていないという現実。

 

私は再就職活動に取り組んだ際、とあるエージェントの人にこう言われた。

「そのキャリア、ホストを20年近く続けたのと大した違いはない」

とてもショックだった…というか、私にとってこの言葉は重石になってしまい、一時はキャリア白紙化も考えるほどだった。結局今の会社が旧Y’s Dreamを引き取る形で私はその会社に就職し、こうしてバルーンアーティストであることを再び始めた。しかも、障がいのある人たちにバルーンを通して自信を身に着け、社会参加のきっかけをつかむという新たな使命を担ってである。

 

今、その思いを現実の形にするために、会社の中で準備を進めている。

バルーンの市場を拡大することもその中で重要になっている。潜在需要の掘り起こし…

私がこれまでの推移の中で実感してきたのは

バルーン人口の増加に市場の拡大が追い付いていない

という問題。バルーンが「ニッチ市場」のままであっては、

供給過剰

といわざるを得ない。だから私は撤退という選択を一度した。それでも私は結局バルーン業界に戻ってきた。本当に風船が好きだからである。

 

この度、この高校生が問題提起をしてくださったこと、大変意義深いと私は思う。

「職業、バルーンアーティスト」と胸を張って主張できる人がこれまでより多くなっていくことがニッチ市場からの脱却につながるのではないか、と私は思っている。

ツイスターズ2016…とてもうれしかったこと

こんにちは。

珍しい金曜休みです。

業務関連とツイスターズの影響が重なり、結果今日休みです。

やっと名刺の整理ができました。

 

ツイスターズからもう1週間近くがたつのですね。

次はJBAN Conventionです。今年は20周年のメモリアルイヤー。何としても行きたいです。というか申し込みをすでにしました。来週給料が入るので、そこで入金します。ホテルも予約済みです。もちろん予算も確保しています。というかギリギリなんですが…

 

そのツイスターズでとてもうれしかった出来事。

とある女子高生がツイスターズに参加していました。その女子高生に私の作品集(2013年までの、あの旧Y’s Dreamの完全版)を見せると、時間をかけて食い入るように見ていました。そしてこう言ってくださったのです。

 

私が生まれる前から作品を作り続けていて、一度やめたのにこうして今も続けているということ、とても素晴らしい。私もこういう風な人を感動させる作品を創ることのできるようなバルーンアーティストになりたい

 

…また一つ、心の中でくす玉がはじけました…

 

他にも数名、私の作品集を食い入るように見る人がいました。

 

…私がやってきたことは間違ってなかったのです…道なき道を切り開いたこと…

 

そして、一度辞めてもなお再び風船に携わることができるという今の幸せ・・・

 

私は自閉症スペクトラムという生まれながらの障害に苦しんでいます。

※一般的には「アスペルガー症候群」に該当し、実際2012年に出た診断は「アスペルガー」だったが、2013年のDSM-5(米精神医学会の診断の手引-第5版)基準でこの呼称は廃止されているので、私はこの表記を使用していません。

表面上は分からないのですが、実際はこれまで述べてきたとおりです。

誤った理解をするなど、対処法を間違えると大変なことになる場合が多いです。とりわけ親が対処法を間違えると、自殺などの悲劇や、最悪の場合無差別殺人といった大惨劇につながりかねません。

ところがこういう障がいを抱えている人は、えてして何らかの才能を発揮できることが大いにあるのです。そして集中力がすごいです。だからこそあれだけの作品を創り上げることができたのですが…

 

あの作品集を作って3年が経過しようとしています。

本当なら私は3年前にバルーン業界から姿を消してしかるべきでしたし、私もそのつもりで転職活動に取り組んでいました。しかし…

 

私は形を変えてバルーンに再び携わることになり、私が16年にわたって築き上げたものは再び生きようとしている…

 

いかに私が築き上げたものが大きかったのか、ということを痛感しましたし、それが次の世代につながるということの素晴らしさも体感しました。

 

今、私は同じような障がい、あるいは自閉症が背後にあるとみられるニート、ひきこもりの人たちにバルーンを通して社会参加のきっかけをつかみ、就労につなげるという取り組みを会社という枠に所属する形で進めています。すでに受け皿となるバルーンショップは形になりつつあり、風船を買いに私が今働いている職場に来る人も現れ始めています。本年度の経営計画にも入っています。

 

そのような中で、過去の私の作品集が次世代のバルーンアーティスト育成に役に立つ…

これほどうれしいことはありません!

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