変容的学習理論…バルーン業界に必要?

おはようございます。
この記事はわざと45日前にアップした形の「過去記事」でアップします。
今、「アンラーニング(学習棄却)」を学ぶにあたってぶち当たった「変容的学習理論」について勉強しているのですが、それについてこのようなくだりがありました。
ソウス(スキーマからの脱却)

変容的学習理論を参考にしてスキーマから脱却する方法を考えると、「6つのパス」、「3グループの非顧客層」、「4つのアクション」を問いかけてくれるようは、自分とは見方や考え方が異なるディスカッション・パートナーが欠かせないということになります。とはいうものの、同じ組織の中で、異なる見方・考え方を持つ人を見つけることは困難な場合が多いと思われます。このような状況を打破するための方法の一つとしては、経営レベルの取組としてはできるだけ多様な人材を採用すること、そして個人レベルの取組としては社外ネットワークから積極的にフィードバックをもらう努力をすることが考えられるでしょう。

(注3)「6つのパス」とは以下の6つである。
1. 代替産業に学ぶ
2. 業界内のほかの戦略グループに学ぶ
3. 買い手グループに目を向ける
4. 補完財や補完サービスを見渡す
5. 機能志向と感性志向を切り分ける
6. 将来を見通す

(注4)「3グループの非顧客層」とは以下の3つである。
1. 市場の縁にいるが、すぐに逃げ出すかもしれない層
2. あえてこの市場の製品やサービスを利用しないと決めた層
3. 市場から距離のある未開拓の層

(注5)「4つのアクション」とは以下の4つである。
1. 取り除く:業界常識として備わっている要素のうち、取り除くべきものは何か
2. 減らす:業界標準と比べて、思い切り減らす要素は何か
3. 増やす:業界標準と比べて、大胆に増やすべき要素は何か
4. 付け加える:業界でこれまで提供されていない、今後付け加えるべき要素は何か

引用ここまで
こうしてみると、これらはバルーン業界にこそ今求められているものではないだろうか。特に色を変えている部分が重要だと思う。
私はことあるごとに「バルーン業界の現状は厳しい」と述べている。特にブライダルやイベント演出におけるバルーンの市場は確実に縮小していると考える。

それゆえ
バルーンを福祉と結びつけ、発達障碍者をはじめとした就労困難者に自信を身につけさせる機会を与える
という取り組みをしているのです。これは4つのアクションのうち「3:増やす」「4:付け加える」にあたります。
一方私はこれまでのY’s Dreamでやってきたことの大部分を「1:取り除く」ことにしました。これを繰り返すことは失敗を繰り返すのみです、バルーンの市場は確実に縮小しているのですから。
さらに3グループの非顧客層の中でも重点的に取り組む層があります。それが
「3:市場から距離のある未開拓の層」
これを掘り起こすことが重要になるのです。…が、旧Y’s Dreamを含め、これができていません。そして増えているのが「2:あえてこの市場のサービスや製品を利用しないと決めた層」です。
これが増えているのがバルーン業界(およびブライダル業界並びにイベント業界)の最大の問題です。理由は…この記事を目にしたバルーンデコレーターの皆さんがそれぞれ考えていただきたいと思います。ただ私から言わせていただければ、いたるところに問題点が転がっています。「独り歩き」「自己満足」「市場の変化に気づかない」…

そして一番私が重要視しているのが「6つのパス」の中にある
1. 代替産業に学ぶ
5. 機能志向と感性志向を切り分ける
6. 将来を見通す
という点です。
ブライダルやイベントにおけるバルーンの衰退に反比例してキャノン砲や花火といった代替演出が増えています。一方で感性志向のバルーンは堅調に推移していますが、かつてはピカチュウなど、今ならくまモンやジバニャンといったいわゆる「型にはまったキャラクター」だけが堅調に推移しているという考えです。それが証拠にバルーンドレスが結婚式で実際に使われているという話をあまり聞きません。この傾向はヘリウムガスが一時期日本国内全体で払底し、その後価格が高止まりした2013年ごろからより顕著になっています。世界情勢の変化によっては再びヘリウムガスの払底や暴騰が起きてもおかしくありません。そのように将来を厳しく見通したから私は2013年にプロ引退・Y’s Dream廃業を決め、現在は福祉という角度からバルーンへのアプローチを試みています。
しかしそれもまた厳しいのが現状で、そうなると出る結論が
風船・バルーンで培ってきた私の経験をすべて捨て去る
自分の器をすべて空にする

というところに至ります。

結果こういうことになります。
やれるだけのことをやってもだめなら自分をすべて無にしてもかまわない
ということです。そういう風に結論付けられるのも、一度やりぬいたからなのです。
逆に言えば、そこまでやりぬいた経験をした人が少ないのが現状です。

 

もっと夢を抱こうよ!

こんにちは。

昨日の記事

身もふたもない

ものでした。

しかしあえて今回はそのままにしておきます。

だってこれが現実なんですから。

そして改めて計算してみると…

2000年から2010年までの10年間では減っても10%だったのが、2010年から2013年の3年間で半減!

この現実を踏まえて、バルーンアーティストは何ができるか、考える必要があります。もちろん私も考えます。

この際ですから、新規需要開拓だの、技術のさらなる習得だの言うつもりはありません。

大切なのは

風船で何がしたいのか

風船で何ができるのか

この二つなのです。

私は今、バルーン業界復帰を真剣に検討しています。しかし、市場が縮小している現在、今までのやり方を繰り返していては、

再び破綻するだけです。

そして、現実になかなか目を向けようとしないバルーン業界全体に対して、ある意味いらだちを感じています。それこそが

私がバルーン業界復帰を真剣に考える最大の理由なのです。

といっても、何度も述べているようにバルーンを生業にするつもりはさらさらありません。

私が目指しているものは

その場にいる人たちすべてを幸せな気持ちにし、感動させる

ことなのです。

私は結婚式の現場を数多く見てきました。お客様(新郎新婦様からゲストの皆様まですべて)を感動させるために120%の仕事をするのは当たり前です。私はその上を目指しています。というかこのような現場を幾度か経験しました。

新婦様が私と抱き合ってうれし泣きした

配膳のアルバイト同士が感動のあまりうれし泣きしていた

舞台裏で私とケーキ屋さんと美容師さんがハイタッチし合った

中には

演出が失敗になりかけた時、とっさの機転を利かして仕掛けを再操作して普通に成功した以上に感動的な光景を作り上げた(これは今でも関係者の間で語り草になっている)

というのもありました。

こういう舞台裏からもたらされるものは

感動と笑顔

だけです。そしてそれが

いつまでもその場にいたすべての人々の心に残る

のです。

私がバルーンに携わる目的は

決してお金を稼ぐためではありません。

いつまでも心に残る、場合によっては白い灰になるまで残る

人生にとって大きな感動と最高の笑顔を作り上げる

それを生み出すために、私はこれまで何千、何万もの風船に生命を吹き込んできたのです。

 

それを忘れて、ただ仕事に追われ、最後は「大返還」…

限界まで夢を追いかけたのです、私は。

だからこそ言いたいのです。

バルーンに携わるみんな

ブライダルに携わるみんな

もっと夢を抱こうよ!

ハッピーバルーンウェディング

 

最高の瞬間を作り上げるということ

こんばんは。
本当に今度こそ、2014年最後になります。2014年が終わる前に一つだけ述べておきたいことがあります。

日本人はどうして、春は桜、夏は花火に感動するのでしょうか…

たとえはかなくても、いつまでも心に残る瞬間だからではないのでしょうか…

同じことがバルーン演出にも当てはまる、と思います。

私は現役時代、そのような瞬間を作り上げてきたのです。

この「ふうせんでつたえたいこと」には、私のスパークバルーンに対する思いといったものも述べてきました。
花火もそうですが、最高の瞬間を演出するためには、すべてを集中させ、すべてをその瞬間のために注ぎ込む力が必要です。それも1日ではなく、何日も準備を重ねるのです。

どんなに辛くても、どんなにきつくても、
風船がはじけ、舞う一瞬がもたらす感動のためにあったのです。
そしてその瞬間が多くの人にもたらすものは
いつまでも心に残る感動なのです。
その思いが伝わった時、私の中に、たとえようもない快感が走り抜けます。
それを何とたとえたらいいのか、いまだにわかりません。天に舞い上がる気持ちというべきか、それとも体中を電流が走る抜ける気持ちというべきか…
それぐらい、つくりあげる自分にとっても感動的なのです。
それだけのために、これまでやってきたのです。

その思いを、私は1枚のコラージュにまとめました。
スパークバルーンに恋して

このコラージュ、すべて私がつくりあげた感動の瞬間で彩られています。

このコラージュを作りながら、私はバルーン演出が成功したときのあの瞬間を思い出していました。

このような瞬間を味わうことは、恐らく今後、あるかどうかわかりません。

ただ、これだけのものを作り上げてきたということが自分の人生の中で大いに生きることは間違いありません。

成功したときのたとえようもない快感…挑戦する価値は十分にあると思いますし、機会があれば、私はまた挑戦したいです。

一番良いのは、これから経験を重ねようという若いバルーンデコレーターの皆さんが、このような演出に挑戦することです。失敗したときの悔し涙を恐れてはいけません。成功したときのうれし涙を流すために、どんどん頑張っていただきたいです。
そのために、私は自分が築き上げたノウハウをこれからもどんどん提供していきたいです。

この「ふうせんでつたえたいこと」で一番私が伝えたかったことは、そのような心構えで風船に接する若いバルーンデコレーターを育てたかったからなのです。
それだけではありません。私が風船に接する態度から、これから社会で活躍するであろう若い人たちに、「夢をかなえるということはどういうことなのか」「夢をかなえるためには何をすべきか」ということを学び取ってほしかったのです。
だから、このような過去を振り返るコンテンツを作ってきたのです。過去から学んで未来に生かす…私が生命を吹き込んだ一つ一つの風船に、未来への希望を託していきたいと思います。

2014年、風船の可能性とその限界

おはようございます。
おそらく今年のブログ更新はこれが最後になるでしょう。

これまで私は風船の可能性を追いかけ、それに挑み続けてきました。
昨年表舞台から引退し、今年は「できることから」風船に向かい合ってみました。

そして、

この業界はどこへ向かおうとしているのか

分かってきたのですが、やはり自分がかつて目指していた方向とは違うところに向かっているような気がしてきました。

引退は必然の選択だったような気がします。

私は今年、バルーンギフトやアレンジメントをいろいろ作ってみました。

喜ばれたのは言うまでもないですが、どんどんこの分野は進化が進んでいて、それに自分はついていけなくなってしまっていることを痛感させられました。

今年たびたび出てきた

焼きが回る

という言葉、それを痛感せざるを得ませんでした。

このような状況下で、風船で生計を立てることを考えても、他のプロで活動されているバルーンデコレーターの皆さんに迷惑をかけるだけです。

もう私は、バルーン業界の進化についていけません。

老兵はただ消え去るのみです。

他方、私の経験は、

様々なところで生かすことができることもまた実感しました。

バルーン業界のみならず、すべてにおいてです。

突き詰めて考えてみると、

風船でどれだけの人を笑顔にし、幸せにしていくことができるのだろうか

そして、これから私は

自らの経験をどれだけの多くの人に伝えることによってどれだけの人を幸せにしていくことができるのだろうか

というところにたどり着きそうな気がします。

はっきりしたのは

自分が風船に16年以上の長きにわたって真剣に向かい合ったことはすなわち人生における大きな財産になった

ということだけです。

この財産をどう生かしていくかが来年以降の課題になるのは言うまでもありません。

2014年の作品たち

焼きが回った、といってもこれだけの作品を作り上げること自体「すごい」ということが客観的な評価のようです。

もっとも、私から言わせると、

プロはこのくらいできて当たり前です。

厳しい言い方をすると

ただ風船を膨らませるばかりのバルーンデコレーターは退場しろ

となります。

結局、最後は心の問題です。

どれだけの人を自らが生命を吹き込む風船を通して幸せにしていきたいのか

ということです。

私はプロとして10年以上活動してきたものとして、この姿勢を忘れずに、来年も風船を膨らませ続けることします。

ふうせんでかけよう えがおのかけはし

プロからアマチュアに転向しても、思いは変わらない

こんにちは。
プロとしての活動を休止してはや1年以上が経過しています。
一方、今年2014年は、アマチュアとしての活動を再開しました。

今更に思うのですが、アマチュアという立場に戻っても、風船に対する思いは全く変わっていませんでした。

確かに技術的には焼きが回ってしまいました。もうプロ時代と同様の作品を作ることは難しいです。

しかし、私ができることはまだあることがわかりました。

それは、風船の楽しさ、美しさ、華やかさを多くの人に伝えることです。

その一環として、私はグラフィック作品を制作しました。上の項目にある
バルーングラフィック集
をリンクしていただくと、作品の一覧がご覧いただけます。

以下はダイジェスト画像です。クリックするとフルサイズの画像がご覧いただけます。

バルーンメイクエブリワンハッピー

ふうせんでかけよう えがおのかけはし

バルーンでもたらされる笑顔

スパークバルーンに恋して

2014年のクリスマス

2014年の作品たち

ハッピーバルーンウェディング

バルーンリリース

 

一時代を築く、ということ

こんばんは。

あと2日。

このブログの更新もあとわずかです。

今回はこの写真をアップします。

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とあるところで行われた1998年のバルーンショーです。

今ではほとんどのバルーンショー、クライマックスにはスパークバルーンが定番になっています。

当時スパークバルーンは「くす玉バルーン」と呼んでいました。

というより私がそう名付けたのです。

当時私は石見交通という島根県西部にある小さなバス会社に勤務していました。ところがあの

たけしの誰でもピカソ

に出演して以降、いろいろなところに呼ばれるようになりました。

それまでは有給休暇をあまり使わない方でしたが、一転一番消化する社員になってしまいました…

もちろんバルーンアーティストとして呼ばれないときは、通常勤務をこなしていました。

路上故障時の対応もしましたし、元日の当番もしたことがあります。路線バスを走らせている以上、元日も動きがあります。

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こちらは2000年1月ごろの「くす玉バルーン」の写真。

この時点で全国発送をしていました。

確かこの写真はご利用いただいたお客様から送られてきたものでした。

そしてひたすら風船を膨らませて10年以上の月日が流れました…

気が付けばバルーン業界は大きく変化していました。

私がバルーンアートの世界に足を踏み入れた当時、業界は今とは比べ物にならないほど閉鎖的でした。

それが今では、趣味でバルーンアートを手軽に楽しめるようになり、バルーンギフトは定着しました。

日本に数えるほどしかなかったバルーンショップはいたるところにでき、ほとんどの都市でバルーンが手軽に手に入るようになりました。

さらにインターネットでもバルーンショップは

乱立

状態になり、逆に店の個性を出していかないと淘汰されるほどになりました。

2003年ごろでしたか、とある方が

道なき道を切り開いてまだ10年もたっていません

とおっしゃっていました。この方も一時代を築き、今では人材育成に力を入れられている方です。

それから10年近くがたち、今ではひとつの文化に発展しました。

バルーン業界はもはや

多様化と成熟

の時を迎えつつあります。

多様化と成熟に至っていたからこそ、ヘリウムガス払底という事態にも大幅な需要低下、市場縮小の影響を最小限に食い止めることができたのかもしれません。

その一方でバルーン業界は姿を変えつつあります…

このブログでは何度も述べてきましたが

ギフト部門はフラワーアレンジやラッピングとの融合が進み

バルーンパフォーマンスは芸人の世界として一分野を確立し

バルーンドレスなるものも見られるようになりました。

一方パーティー、さらにはブライダルはは大掛かりで派手なものから

家族や友達、さらには恋人との絆を確かめ合う場に変化しました。

その中でバルーンの立ち位置も大きく変化しました。

時代は大きく動いています。

バルーンの在り方も大きく変わりました。

当然バルーンに携わる人たちに求められるものも変わります。

時代を作り上げるという気概を持つことから

日常の些細な感動を分け与えられる人たち

そして人と人の絆を大切にできる人たちに

主役が変わりつつあります。
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実は、今月12月に入って久しぶりに風船を膨らませて作品を作りました。実に3か月ぶりです。この写真はその作品です。

上はとあるオフィスでのクリスマスパーティー、下はとあるところに私個人から送ったバルーンギフトです。

私は今後、プロとしてではなく、アマチュアの立場で風船を膨らませることになるはずです。

この記事の最初の写真のころに戻ることになります。

もう私が目指していたものは、時代が必要としなくなりました。

時代の変化に合わせてバルーンの世界も変化し続けるでしょう。

一つの時代を築き上げたからこそ、私に悔いはないのです。

まさに一つの道ができて、町ができ、町が成長し、そして次の世代へ引き継がれるがごとく…

私はひっそりと役目を終えます。

夢を売る仕事…納得する仕事ができるか?

こんにちは。

このブログもあと2日で更新終了です。

言いたいことをほとんど言い尽くしました…

ただ、絶対に風船に携わる職業についている皆さんに忘れてほしくないこと

それは

「夢を売る仕事」

であること。

私は最後の方では、惰性で風船を膨らませていました。

風船に携わる仕事の中で、最も大切なことを忘れていました。

かつて、

風船は金のなる木

という動機からバルーンビジネスの世界に入った方々がいました。

そういう人たちを私は知っています。

そもそもの出発点が違いました。

出発点が違えば、目的地も違いました。

一致していたのは「風船」という手段だけでした。

結局私は自分を見失ってしまいました。

最後は納得するような仕事ができなくなっていました。

そこへ追い打ちをかけるように

自らは精神疾患を発症し、

家族も精神疾患に陥り

さらにヘリウムガス払底…

私は引退を決断しました。

納得のいく仕事ができない状態になった以上、仕方ありません。

ここまで書いてきてぜひご覧いただきたいものがあります。

Y’s Dreamサービスポリシー

 

スパークバルーンへの思い

※リンク先のページは廃止されましたので、当ホームページ内の別のリンクに貼っています。

そして

Balloons Make Everyone Happy!

この原点を忘れてしまったら

歌を忘れたカナリヤ

と同じです…

だから、風船に携わるプロフェッショナルは

夢を売る仕事であることを忘れてはいけない

のです。

私はこのようなことをかつて言ったことがあります。

本当にお金のことだけ考えてビジネスをするのなら

私は葬儀屋をやっていた

だったらなんで葬儀屋でなく風船屋をするに至ったのか

本当に風船が好きだったから

としか答えようがありません。

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本当に風船が好きだから、可能性を追いかけ続けてきました。
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最後の最後まで夢と可能性を追いかけ続けてきたのです。

♪夢を追いかけるなら、たやすく泣いちゃだめさ…

かつての名曲、渡辺美里「My Revolution」より

これだけは言っておきたい…その3

おはようございます。
とても表に言えない、身もふたもないことを↓に書いたので、この記事は限定公開記事にしました。
これから述べることは胸を張って言えることなので、公開記事にします。
昨日
日本最大のバルーン演出が見れる番組
を最初から最後まで見ていました。
公式のツイッターにまでバルーン演出の一部が公開され、それを制作した会社のツイッターには出演者の予告が…どこで使われるのか注目しましたが、まさか複数回使われるとは…
しかし番組を通して思ったことは
「もはや行き着くところまで行ってしまった。これ以上は新しいものは生み出せそうもない」
ということでした。
そしてこうも思いました。
「切り口を変えることでしか新しいものは生み出せない」
今年のJBAN Convention(毎年夏に行われる日本最大のバルーンアートの祭典)のバルーン演出セミナーは
「きっかけとストーリー」
がテーマでした。これは何を意味するのか…演出部門で新しいものは出尽くした、ということにほかなりません。

デコレーションやギフトでは、新しいものがどんどん生み出されています。どんどん進化するバルーンアート…一方で演出は限界…
かれこれもう4年近くになるのですが、このようなセミナーがありました。
同じところが主催していたのですが、当時はバルーン演出がどんどんまだまだ開拓の余地がありました。そしてその年(2010年)のJBAN Conventionで出した作品がこちら。

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これがこの作品の原型となりました。

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そして

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へと進化したのです。
そして、私は
やりつくした
というような気持にいまなっています。
決して「やり遂げた」のではありません。
「やり遂げた」という言葉を使うのは真の成功者、人生の勝者だけです。
私のような人はおこがましくて使えません。
やりつくしてもこれ以上の発展は見込めない
だったら撤退しかない

のです。
ただ、やりつくすことは別の意味で達成感があります。
やれるだけのことはやった
だからもういい

やりつくした以上、次の手を考えなければいけないのですが…
そこでたどり着いたのが、
学術的な研究
というテーマでした。
どうして風船は人々の心を幸せにするのだろう
そういうところについて、勉強していきたくなってきました。
未知の世界に挑む、というのが私は好きです。
バルーン演出にもはや、未知の世界はないようです。
一方バルーンや風船の心理的、学術的研究は全くなされていないのが現状です。
ただただビジネスとして前へ前へ進んでいったというのが正直実感している現状です。

そういう意味で、私はやりつくしたのです。
一方ここ数年でバルーンアートの世界は大きく変化しました。
新たに展開しようとすれば、勉強に勉強を重ねるしかない。
それができないところは、お客様から見放される
お客様から見放されたところは衰退するしかない
私が限界を感じていたのは事実でした。
辞め時、引き際を探していたのもまた事実。
来年2014年以降、私は違う形でバルーン、風船に接していくつもりです。
一度やりつくしたからこそできることがあります。
それに私は取り組むことにします。

これだけは言っておきたい…その2

こんばんは。

さて、間もなく日本最大のバルーン演出が見れる番組がスタートします。

何かは推理してください。

なお、宮崎・高知・島根・鳥取のごく一部の地域ではご覧いただけません。

閑話休題。

「価値観の違い」

なのですが、これについて思うところがあるのです。

バルーン演出にいったいどれだけのお金がかかるものなのか、いまだに知らない人が結構います。

風船、どうせ安いものでしょ、と思ってはいけません。

結構なお金がかかっているとだけお伝えしておきます。

というより、いいものにはそれなりにお金がかかってしかるべきものなのです。

その一方で私はバルーン演出の需要の開拓という命題に取り組みました。

スパークバルーンの全国宅配を最初に始めたのは私です。

2000年にはすでに販売を始めていました。

最初、私は「くす玉バルーン」と名付けていました。ところが「割る=縁起でもない」という発想からなかなか売れず、そのうちにスパークバルーンという名前が定着しました。

そして10年以上かけて、市場を作り上げてきました。

「感動の瞬間を手軽に楽しめるようにしたい」

という一心から13年以上の間ひたすら風船に生命を吹き込み続けました。

結果、スパークバルーン市場は成熟しました。

今では日本のほとんどの場所でスパークバルーンが手に入ります。スパークバルーンをお求めの皆様、今後は皆様お住まいの地域の最寄りのバルーンショップをご利用ください。

結局市場を創造することによって、新たな価値を生み出すことができるようになるのです。

そのためには血の汗を流す努力と覚悟が必要なのです。

全くないところから市場を作った…

というのは私のバルーンアーティスト人生の中でも誇りに思いますし、

人生最高の財産だと思います。

その中でも忘れられないのが…

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2007年、夕張市の成人式に無償提供したもの(財政難のため成人式予算がなく、余ったブライダルフェア用の予備を提供したら、大反響を呼んだ)
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2006年、八女郡上陽町の成人式のスパークバルーン(吸収合併に伴う最後の成人式)
2013年もあと4日。

このブログもあと数回…

これだけは言っておきたい…その1

こんにちは。

ブログに終止符を打つ前に、どうしてもバルーン業界に言っておきたいことがいくつかあります。

今日から数回に分けて、それらを書いていきますが、その中にはどうしても厳しいことが含まれています。

この点を承知の上でお読みいただければ幸いです。

ここ数年のバルーンギフトブーム。

バルーンショップも多様化し、様々なタイプの店が全国各地に増えてきました。

それぞれの店が個性を出し合って、それぞれの店が伸びています。

しかし中には

「この店、何がしたいのかわからない」

という印象を抱かざるを得ない店が散見されるのも事実です。

数年前、私にバルーンショップのことで相談をした方がいました。

私はその方が経営するバルーンショップを訪問しました…が

これといった方向性が見当たりません

私は相談をお願いしてきたオーナーの方にいろいろ聞きました。

家賃のこと、客層のこと…

そして、私はこの方に

「これでは赤字を垂れ流すだけ。閉店した方がよい」

と告げました。

私の勧告を受け入れ、このバルーンショップはすぐに閉店しました。

以後も私の仕事を何度か手伝うなどしていましたが、結果1年程度で挫折してしまいました。

要は

自分の目指すべき方向性がはっきりしていないところはもたない

ということです。

私が引退を決めたのも

自分の目指すべき方向性を失った

からでした。

あと、バルーン業界の流れはこれからも少しずつ変化していくでしょう。

東日本大震災、ヘリウムガス払底といった事態がここ数年の間に立て続けに起き、バルーン業界の流れが一気に変化しました。この2,3年のようなドラスティックな変化はしばらくは起きないでしょう。しかし少しずつ変化していくということは大いに考えられます。象徴的だったのが東京ディズニーリゾートでのバルーンのテーマにもかかわらず風船を使わなかったという事例でした。

とどのつまり、

バルーンデコレーターになるという夢をかなえることがゴールではない

のです。

バルーンデコレーターになって、それからどのような作品を作っていくか

そしてどのようなマネジメントを行っていくか

ということが重要なのです。

そのためには勉強を怠ってはいけません。

惰性で、あるいはただ何となく風船を膨らませて売っているバルーンショップが散見されますが、

そのような店は間違いなく淘汰されます。

私のバルーンアーティスト人生16年余りは

絶えず研究、探究、勉強の連続でした。

そしてある時は悔し涙を流し、

またある時はたとえようのない快感を経験しました。

一部の方からですが

私のバルーンに対する真摯な姿勢から多くのことを学んだ

という声をいただいています。

その中には、今第一線で活躍されている方もいます。

それでいいのです。

私がやってきたことは間違っていなかった、ということになるのですから。

何度も言うようですが

ただ風船を膨らませたり

お金のことだけを考える

というようなバルーンデコレーターはもういりません。

どれだけの人を幸せにできるか

どれだけのハピネスを人々の心に届けることができるか

それがバルーンデコレーターの使命であり、仕事であり、すべてなのです。

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私の今年の作品のコラージュです。