ふうせんへの思い…伝えたかったこと

こんにちは。

このたびサイトを再編・リニューアルし、このブログは風船に対する思いをテーマにしたブログに生まれ変わりました。

作品集表紙Y’s Dream作品集

KIMG0146v最新のY’s Dreamの作品集

くまさんのげんきだま2016表紙くまさんのげんきだま(発達障がいのお子様及びその親へのメッセージ)

ここでは2010年8月から現在進行形で風船を通して私が伝えたかった思いといったものをまとめております。プロのバルーンアーティストとして活動してきた軌跡から、将来を担う若者たちに伝えたいメッセージをお届けします。

このサイトは次のような方にぜひ読んでいただきたいです。

バルーンアーティスト・バルーンデコレーターを目指したい人

人々に夢を与え、感動させる仕事に就きたい若者

将来何をしていいのかわからずに迷っている若者

私は自閉症スペクトラムに属する発達障害を抱えています。そのためストレス耐性が非常に弱く、その結果うつを発症して休業に追い込まれ、最終的に一度は引退に至りました。今は別の仕事をしながら、形を変えてバルーンアートに取り組んでおります。

私は2013年8月にこれまで13年以上にわたってプロとしてバルーンアートの活動を一度終了しました。

2014年より少しずつ再開し、2016年1月より新屋号「AWESOME!」として、新たな活動を開始していますが、プロとしての活動すなわちバルーンアートで営利を追求する活動はかつてのY’s Dreamより規模を縮小しており、無理のない範囲で行っております。

Y’s DreamからAWESOMEへ…Balloons Make Everyone Happy!という思い

こんばんは。

2015年12月25日

長年親しまれてきましたY’s Dreamですが、本年12月31日をもちまして、営業を終了させていただきます。
そして来年1月からは、
AWESOME!
という新名称で気持ちも新たにスタートすることになりました!

このAWESOME!という言葉、
たとえようもない感動
を意味する英語です。

今、私は障がいを抱えながらも夢と未来に向かって一生懸命に生きる子供たちや若者たちに、風船を通して夢と感動を与えるという、とてつもなく素晴らしい仕事を、地域循環型社会を創造することを目指している企業の中の一員として取り組ませていただくという、素晴らしくかつきわめて恵まれた環境の中にいます。
このクリスマスは、サンタクロースにふんして子供たちにクリスマスプレゼント(もちろんバルーンつき)を配って回るという役目を担いました。
その中で自分自身が思わず
AWESOME!!
と思わずにいられませんでした。

私がやっていることは、子供たちの心の中にいつまでも残る感動と幸せをもたらすことだったのです。
そして、障がいに立ち向かう若者たちにとっては、元気の源となり、これから頑張ろう!という気持ちにさせるものになっていたのです。

BALLOONS MAKE EVERYONE HAPPY!

BALLOONS MAKE EVERYONE HAPPY!

思えば20年近く前、競馬と競輪とパチンコしか趣味のない状態だった私を救ったのは風船でした。18年前、仮称でつけた名前がY’s Dreamでした。この名前はあくまでも仮の名前でしたが、それがいつしか定着し、16年間続きました。この間に生み出した感動は数知れず…多くの人の心の中にいつまでも残るものとなりました。

その中で私は、いつの間にか原点を忘れていたのかもしれません。忙しさのあまり心が滅び、鬱になってしまいました。そして正体不明の生きづらさの原因が発達障害だということがあらわになりました。

私は暗闇の中をさまよい続けました。

両親との関係は心の闇をより深くさせました。背景に両親の無理解があったからなのです。本来最後に頼るべき両親が、私にとっては戦う相手になってしまっていた…これほどつらいことはありません。

でも、風船と接することだけが自分らしく生きるすべであるであることは忘れませんでした。

結果…

たどり着くべき場所にたどり着いたのです。
風船を膨らませて、子供たちや障害に苦しむ人たちに幸せと感動を与え、そして私が膨らませた風船によって感動した人たちの姿を見て自分もたとえようのない感動を得ることができる…

この時、
私の心の中のくす玉がはじける、たとえようもない感動を実感するのです。

その言葉を英語で言い表すと、
AWESOME!
となるのです。

最高の屋号をいただいた、と思いました。

この屋号に恥じぬよう、これからもがんばります!
そして、
Balloons Make Everyone Happy!
という思いは変わりません。

ある意味最高の会社と最高のチームメートにたどり着いた、と私は実感しましたし、この会社の一員として誇りを持って頑張る気持ちを新たにしました。

 

2015年12月30日

そしてY’s Dreamの今後の扱いですが、
活動そのものは新しく立ち上がるブランド、AWESOME!に原則として移行します。
代金及び報酬をお客様から頂いて活動するものはすべてAWESOME!名義で行います。

ボランティア活動などごく一部残る非営利活動については、現行のY’s Dreamブランドを使用して行いますが、この場合、代金は頂きません。ただし、大幅に活動範囲及び規模を限定させていただきます。

作品のアップは「ワイズドリーム」のフェイスブックページで行います。
ただ、AWESOME!のオフィシャルページは別に立ち上げます。新たに制作するAWESOME!オフィシャルページに営業案内から作品紹介まで一切を掲載しますし、インスタグラムページも用意する予定です。ホームページがすでにAWESOME!を名乗っていますが、このページは窓口とします。ここから今の職場で制作するオフィシャルページへのリンクを張ることにしております。

よって、原則としてAWESOME!(アウサム!)に、これまでY’s Dreamとして行ってきた活動はごく一部の例外を除いて集約されます。
今後Y’s Dreamを訪ねてきたお客様はすべてAWESOME!へご案内する形になります。

結局、Y’s Dreamはバルーンのブランドとしては消滅するものの、完全な消滅とはなりません。作品紹介および活動案内の場としては残る形になります。

…スパークバルーンがはじけた時、そしてその風船たちが持てる力をすべて発揮したとき、そしてその風船たちによって多くの人たちにいつまでも心に残る感動をもたらすことができたとき、その快感と達成感を英語で表した言葉
AWESOME!
が新しい屋号となった2016年正月、これからはホームパーティーやサプライズの演出を通して、これまで手掛けてきた感動を生み出すノウハウを皆様のもとに届けていきます。そしてもう一つの使命、というよりこちらの方がもっと重要なのですが、
障碍者福祉とエンターテイメントの融合

バルーンを通して、精神障碍者・発達障碍者の自信を身に着けさせ、一般就労へのきっかけを作る…

一人でも多くの人にくす玉の種を植え、大輪の花を咲かせる手助けをしていく

これが今年、そしてそれ以降私がなすべき仕事です。
幾多のくす玉バルーンをはじけさせた者として。

昨日12月30日の段階で、私が述べていきたいことはすべて語りつくしました。

この「ふうせんでつたえたいこと」の更新は本日、2015年12月31日をもって終了とさせていただきます。

もう伝えたいことはすべて伝えきりました。

伝えきれない思いがまだまだあり、また、2016年10月末を目標に「私が制作したバルーンの作品を通して障がいがある子供たちや若者に元気と自信をつけるきっかけを見つけ出す小冊子」をAWESOME!として制作することになりました。その小冊子のベースとして、この「ふうせんで伝えたいこと」を活用しますので、更新を7月末より再開します。

ただ、この思いはY’s DreamからAWESOME!に屋号が変わっても、変わりません。

BALLOONS MAKE EVERYONE HAPPY!

くす玉のような存在になりたい…無数の「くす玉バルーン」をはじけさせ、無数の感動を創り出した経験からの想い

私の想いは、この11月から12月に述べてきた次のような思いに尽きるでしょう。以下はこの11月から12月にアップした記事の抜粋です。

2015年11月4日

私自身、
「くす玉のような存在の人になりたい」
という思いが子供のころからありました。
そして、その思いは、今でもかなっています。
一度その思いはついえかけましたが、今は再びかなっています。
かつてのY’s Dream最盛期ほどではありませんが、昨日もその思いをかなえることができました。

その瞬間、その一瞬のために、すべてを注ぐ
その思いがかなった時、とてつもない感動が多くの人を包み込む
その思いを表現できる存在でありたい

私が長年風船で表現したかったのはまさしくこれだったのかもしれません。
だからこそ何千、何万もの「くす玉バルーン」に生命を吹き込めたのかもしれません。
そして「くす玉バルーン」という名前、15年前に私が名づけました。
やがて「スパークバルーン」という名称が一般化しました。

そして、一つ一つの風船に生命を吹き込んで、多くの人にいつまでも心に残る感動を提供できる存在である私の姿そのものが
くす玉のような存在
である私の姿を体現できているのかもしれません。

そして、
くす玉のような存在
に曲がりなりにも一度なった私が次に目指すこと、次にすべきこと…

多くの若い人たちの心に「くす玉」を植え付ける
そしてその「くす玉」を開花させる手助けをする

今、若者、…とりわけニート、ひきこもり、毒親、精神障害、発達障害…に苦しむ若者がたくさんいます。
私も現に発達障害と毒親に苦しんでいますし、そういう人たちの苦しみは痛いほどわかります。
そして若者の多くが夢を見失っています。夢をあきらめて、目標もなく、ただその日暮らしを繰り返す若者が多数います。私もそうなりかけました。だからこそ
夢を持って、目標を持って生きることの大切さを知ってほしいのです。

2015年11月19日

以前、とあるブライダル司会者の方が
スパークバルーンのことを「子宝に恵まれる」と表現してくださっている
のを記事にしていたのを見たことがあります。
10年かあるいはそれ以上前のことでしたので、記憶は定かではありませんが、とても感動し、うれしかった記憶があります。

考えてみれば、母親のおなかの中にいる赤ちゃんが産まれるとき、妊婦さんはものすごい産みの苦しみを味わうといいます。そしてその産みの苦しみの向こうに、とてつもない人生最高の感動があるといいます。

ある意味「くす玉」は妊婦さんに存在が近いのかもしれません。そしてその中に入っている風船や紙ふぶきといったようなものは、自らその力を発揮するためにその中で力を蓄えているのかもしれません。

私はこれまで、数えきれないほどの「くす玉バルーン」を制作してきましたが、
単に「風船を膨らませる」というより、「風船に生命を吹き込む」という姿勢で一つ一つの風船に接してきました。
「スパークバルーン」という名前の方が一般的になりましたが、「くす玉=割れる」という縁起かつぎで売れなかった2000年ごろに比べて、もう完全に浸透し、定着してしまいました。
その「スパークバルーン」の全国宅配を2000年に「くす玉バルーン」として全国で最初に手掛け、一時代を築いたのはほかならぬ私であり、今でもこのことは誇りに思っています。

残念なのは、運送事情が厳しくなったため、大きなサイズ(直径約75センチ)の「スパークバルーン」(2013年ごろまではこれがレギュラーサイズだった)が宅配送料がものすごく高くなって、宅配が困難になったことです。一方でバルーンショップが日本のいたるところにできて、そこに行けば容易にスパークバルーンが手に入る時代になりました。ただ、あまりに定着しすぎたのか、ブライダルでは人気が低迷しているということもあり、市場が小さくなってしまいました…(一時期二次会の需要が多かったが、最近はそれも減少したような印象がする)。
しかし他では相変わらずニーズがあり、特に子供たちはとても喜びます。一回り小さいサイズでお手頃なのが今の宅配スパークバルーンの主流になっているようで、誕生日パーティーといった新たな需要も生まれているようです。ホームパーティーのバルーン演出は今後も伸びが期待できる分野です。

バルーンデリバリーサービス

バルーンデリバリーサービス

こうしてみると、私が産み出してきたのは
いつまでも心に残る感動の瞬間
であったことは間違いないようです。

そして、たくさんの「くす玉バルーン」をはじけさせてきた私がこれからすべきことは
一人でも多くの人たちの心の中に「くす玉」の種を植え付け、その「くす玉」をはじけさせ、大輪の花を咲かせる手助けをしていくこと
だと思います。

2015年12月6日

2012年から2013年ごろにかけて、バルーンアートの活動が存亡の危機にあった状況とは異なり、活動のステージが変わるということに過ぎないので、私のバルーンへの思いも変わりませんし、私が創り上げる作品の世界も基本的には変わりません。むしろ、ここ数か月このブログで述べ続けてきた
子供たちや若者にくす玉の種を植え、大輪の花を咲かせる手助けをしていきたい
という思いがこれからの私の取り組むべき課題になるということです。その活動の一環として私がこれまで長年してきたバルーンの経験を生かしたものになる、ということなのです。
長年くす玉をはじけさせてきた私が、これからは多くの障害に苦しむ子供たちや若者の心の中にくす玉の種を植え、それをはじけさせる手伝いをする
ということなのです。

2015年12月13日

風船の仕事、本当にハードです。華やかな表舞台とは裏腹に、舞台裏は壮絶です。しかし私はそれでも風船が大好きでした。
私の作ったものはどうやら
人を幸せな気持ちにしてくれる
魔法の力があるようです。

昨日にしても、酒を飲みながら、一方で写真を撮りまくりながら、バルーンを膨らませていました。そして最後は
バルーンクラッカー
まで作っちゃいました。

風船には人を幸せにする力があります。
人を幸せにする思いを形にする存在が私なのかもしれません…
そういう私は本当に素晴らしい会社に入らさせていただいたのかもしれません。

くす玉にしてもそうです。
はじける瞬間はほんの一瞬です。
その一瞬がそれを目にした人たちの心の中にいつまでも残るのです。

それは本当に変わりません、私の活動のステージが変わり、Y’s Dreamの名が消滅しても。

想いを形にする、ということ

こんにちは。

先日とある企業様の福祉イベントのテーマが、見出しの通りで「想いをかたちに」した。

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障がいのある人たちとともに生き、ともに歩める社会をつくることを目指したこのイベント、若干のハプニングはあったものの、おおむね大成功でした。

私は障がい者の就労にバルーンを役立てることはできないのか、これまで様々な模索を繰り返してきました。その模索をこうして形にすることができ、そして花開いたのです。

この作品は私だけで作られたものではありません。この会社にかかわる人たち一人一人の協力がなければできませんでした。

夢のある福祉、本当の意味で人を幸せにする福祉

…私がこれから目指していくところです。

一方、私は最近、フォトショップを加工して一枚の作品をつくることにはまっています。

本当に好きだからこそなしえたこと

本当に好きだからこそなしえたこと

私の風船に対する思いが、ほぼすべてのグラフィック作品に込められています。

これを見た人は、例外なく感動します。

どうしてなのか…考えたのですが、1枚の絵を自らの作品だけで構成しているからかもしれません。

素材から構成まで、すべて自分がこれまで手掛けてきた作品でできているということ自体、すごいことなのかもしれません。

そして、一つ一つの作品そのものすべてが、私の思いが、私の汗と涙が風船の中にいっぱい詰まっているものなのです。

私はこれまで、風船一つ一つに生命を吹き込むという考えで、風船を膨らませてきました。

その膨らませた風船それぞれが、多くの人々の心の中にいつまでも忘れない感動として生き続けています。

その私が膨らませた風船で新たな作品が作られ、それがより大きな感動をもたらす…

そのような1枚の絵(=グラフィック)が、すべて自分の作品だけで作ることができる、ということ自体、すごいことをやってきたのかもしれません。自分の作品ですから、著作権など関係ありません。

そうしてみると、私は

やりつくした以上に、やり遂げた

のかもしれません。そして、やり遂げたからこそ、次のステップに足を踏み出せるのかもしれません。

私がこれからすべきことは

「障がいに苦しむ子供たちや若者にくす玉の種を植え、そのくす玉をはじけさせる手助けをしていく」

ことです。大輪のくす玉の花を咲かせた私だからこそ、できることがあると思います。

咲かせよう 笑顔の大輪の花

咲かせよう 笑顔の大輪の花

このグラフィックは、上の作品とバルーンリリースを組み合わせ、はじける花火をスパークバルーンがはじける瞬間を用いて表現しました。このように、私の思いを自らの作品を用いて1枚の絵にする…その絵を見た人もまた、元気づけられる作品をこれからも作っていきたいですし、自分もそういう生き方をしていきたいです。

 

大輪の「くす玉」が花開く瞬間(とき)

 こんばんは。

ここ数日、私はある「挑戦」をしていました。
後日このことについては記事にするつもりです。
一言でいえば
「やるだけのことはやった」
ということです。

そういう私ですが、まずは次の画像から。

 

 

 

 私が一番好きな
大きな風船の中に小さな風船がぎっしり詰まっていて、大きな風船がはじけた瞬間
をいくつかピックアップしました。

最初の1枚は、仕込段階のものです。

そしてこの瞬間を集めたグラフィックがこれ

スパークバルーンに恋して

 これらの瞬間を1分余りの間にまとめた動画はこちらです。

もうこれ以上は多くを語るつもりはありません。
ただ、この瞬間、
とてつもなくものすごいパワー
を発揮することだけは間違いありません。
私はこれまでこの一瞬のために、どれだけの汗と涙を流してきたことでしょうか…

その一瞬が
いつまでも心に残る感動
になるのです。

ここまでの話は、いつも私がここで述べてきたものです。

今日はここからが本題です。

私自身、
「くす玉のような存在の人になりたい」
という思いが子供のころからありました。
そして、その思いは、今でもかなっています。
一度その思いはついえかけましたが、今は再びかなっています。
かつてのY’s Dream最盛期ほどではありませんが、昨日もその思いをかなえることができました。

その瞬間、その一瞬のために、すべてを注ぐ
その思いがかなった時、とてつもない感動が多くの人を包み込む
その思いを表現できる存在でありたい

私が長年風船で表現したかったのはまさしくこれだったのかもしれません。
だからこそ何千、何万もの「くす玉バルーン」に生命を吹き込めたのかもしれません。
そして「くす玉バルーン」という名前、15年前に私が名づけました。
やがて「スパークバルーン」という名称が一般化しました。

そして、一つ一つの風船に生命を吹き込んで、多くの人にいつまでも心に残る感動を提供できる存在である私の姿そのものが
くす玉のような存在
である私の姿を体現できているのかもしれません。

そして、
くす玉のような存在
に曲がりなりにも一度なった私が次に目指すこと、次にすべきこと…

多くの若い人たちの心に「くす玉」を植え付ける
そしてその「くす玉」を開花させる手助けをする

今、若者、…とりわけニート、ひきこもり、毒親、精神障害、発達障害…に苦しむ若者がたくさんいます。
私も現に発達障害と毒親に苦しんでいますし、そういう人たちの苦しみは痛いほどわかります。
そして若者の多くが夢を見失っています。夢をあきらめて、目標もなく、ただその日暮らしを繰り返す若者が多数います。私もそうなりかけました。だからこそ
夢を持って、目標を持って生きることの大切さを知ってほしいのです。

咲かせよう、大輪の「くす玉」の花

おはようございます。

なんだか
すごくいいことを書いているような記事がありました。

詳細はリンク先を読んでいただくとして、
頑張っている自分自身の今をお祝いすべく、
かつてもがき苦しんでた自分に向かってくす玉を割って激励してあげましょうよ。

というようなことが書いてありました。

そうすると、
来年の今頃、今日のあなたに、パンパカパーン!とくす玉ハグつきのお祝いが降ってくるんだじぇーい!
(上記ソウスより引用)
そうです…

そういう私ですが、
どうして風船の世界にこんなにどっぷりとはまってしまったのか…

理由はいろいろありますが…
1995年の私は、ギャンブルしか趣味がありませんでした。
職場では今で言ったら「パワハラ」に苦しみ、当時の彼女とは別れさせられ、ボロボロでした。
そんな私が「エミリーズバルーンアートビジネススクール」を知ったのが1996年3月。
…一番言えるのはこれでしょう。
私があこがれていたのは、この瞬間でした。
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画像は「帝釈峡湖水開き」のものです。

とどのつまり、
くす玉のはじける瞬間に魅かれて、この感動をいつか自分の手で作り上げたい
と思い、風船の世界に入ったのです…

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この画像は、2009年の「帝釈峡湖水開き」のもの。
正直いい出来とは言い難かったが、安全に配慮した結果の最善の結果でした。
これ以上のものをつくろうとしたら、危険を冒さないといけませんでした。
その後紆余曲折を経て、今では200~300個ぐらいのバルーンを画像にある竜の模型のついた船からリリースする形になっているようです。一度2000個のバルーンを船からリリースするという案が出て、私がテストを行ったのですが、「転落の危険あり」と判断して止めた経緯があります。その時の記事はこちら

しかし、私はそれ以上に、無数の数えきれないほどの最高の瞬間を、自らの手で作り上げてきました。

HI3G0008 spark047-9_edited-1spark047-17_edited-12012年10月の「ふれあい東城まつり」の画像です。

余談ですが、「帝釈峡」は広島県庄原市東城町と神石高原町の境界にあります。

偶然同じ町の別々のイベントの画像が並ぶ格好になりましたが、
私は結果、1997年から2013年までの16年間の間に、数知れないほどの無数の風船に生命を吹き込み、あまたのいつまでも心に残る感動の瞬間を作り上げてきました。

失敗したときは本当に悔しく、奈落の底に落ちたような気持になりますが…

成功したときの快感は
とにかくたとえようのないものでした…
これ以上の快感はない、というほど…


で、ここからが本題。

今日は若い人たちへのメッセージです。
特に発達障害・ニート・ひきこもりに苦しんでいる人たちへのメッセージです。

あるいは、今もがき苦しんでいる人たちへのメッセージになるかもしれません。

確かに今、あなたはもがき苦しんでいるかもしれません。
しかし、その苦しみがやがて大輪の花を咲かせる時が来ます。
そして、その時が来た時、
かつてもがき苦しんでいた自分に向かって
くす玉をはじけさせてみてください。

あるいは、少しでも進歩していると思ったら、
今、かつてもがき苦しんでいた自分に向かって、
くす玉をはじけさせてください。

そうすることによって、とてつもない大きなくす玉をはじけさせることができるでしょうし、その時、自分自身は大輪の花を咲かせることができるでしょう。

確かに「くす玉」のはじける瞬間は一瞬です。
しかし、その一瞬がいつまでも多くの人々の心の中に残る感動になります。
そういう瞬間を私は創りあげてきました。

スパークバルーンに恋して

かなえよう 夢

かなえよう 夢

このグラフィックは、すべて私が創りあげた感動の瞬間だけで構成されています。

あるいは、48ページにも及ぶ私の作品集を一つ一つ見て下さってもよいでしょう。
はたまた、YouTubeのY’s Dreamの動画集を見ても構いません。

2013年までの作品集

あの作品集や動画集を見た人は例外なく
とても素晴らしいものを見させていただいた
感動した
と言ってくださいます。
その時、やはり私の心の中で「くす玉」がはじけます。

ここ数か月、私は完全引退も考えました。
しかし、プロとして引退する方針に変わりはありませんが、「完全引退」はしばらくはしないことにしました。
私がこれからすべきことは、
このようなとてつもなく素晴らしい経験を、発達障害や精神障害、ひきこもり、ニートに苦しむ若者がチャンスをつかむために生かしていく
ことだと思っています。

私が生命を吹き込んだ風船でもたらされたものがいかに素晴らしかったかを、この週末、改めて痛感しました。
だからこそ、やめるわけにはいかない、と思いました。

私が風船に託した思いって…

こんばんは。

私はただ単に「風船を膨らませてきた」わけではありません。

その風船一つ一つすべてに「いのち(=生命)」を入れるという気持ちで風船を膨らませてきました。

その数、本当に数知れず。

とにかく私が膨らませてきた風船によって、数多くの人たちの心に生涯忘れられない感動が刻まれたのは事実です。

バルーンメイクエブリワンハッピー

私が膨らませてきたもの、つくりあげてきたものは、単なる「風船の山」ではありません。

それに接してきた人たちの心の中にいつまでも残る

感動の瞬間

であり、

幸せな思い出

なのです。

私は最近、インスタグラムを始めました。

インスタグラムのY’s Dreamのページ

このページに今回、私が吹き込んだ作品でもたらされた笑顔の表情をアップしてみました。

実は、10年以上風船に生命を吹き込んできながら、このようなことをするのは初めての試みです。

確かに私がつくりあげてきたものはすごいものだったのかもしれません。でも、その実感が私にはなかなか感じることができなかったのもまた事実でした。

10年以上前、2003年の段階で、私が創りあげた感動の瞬間に接して

「鳥肌が立った。生涯忘れられない」

と言われました。すごく感動しました。

体中を突き抜けるような快感を覚えました。

しかし、私が創りあげてきたもの、積み重ねてきたものがいかにすごいものだったのか、一度離れてみるまで全くわかりませんでした。

常に上を、頂点を見続けていたのです。

そして私は身を滅ぼしました…

そういう感動を作り上げることが当たり前になっていたのです。そうして、失敗すると「返還欠場」とかいうような無茶をしていたのです。

完璧主義ゆえの悲劇でした…

しかし、私が風船でしてきたことは、多くの人の心の中にいつまでも忘れない感動の瞬間と、最高の素晴らしい思い出を刻むという、とてつもないことでした。

バルーンドレス

バルーンドレス

バルーンドレス

バルーンドレス

バルーンドレス後姿

バルーンドレス後姿

バルーンドレスと私

バルーンドレスと私

今回、私はバルーンドレスを初めて作品として作ってみました。

今、バルーン業界ではバルーンドレスが当たり前のように作られています…が、どうも業界の中の内輪の盛り上がりに過ぎないような印象がします。

確かにすごい時間がかかるのは事実でした。

しかし、私があえてこの場でやったのは、

「風船でこのようなことができる」

ということをただ単に見せたかったのと、バルーンドレスの制作現場をライブで見せることで、私の風船に対する思いを見せたかったのです。

正直言って、バルーンドレスは私はまともなものは作れません。本当に手先が不器用で、技術はプロのレベルの足元にはるかに及びません。

でも、私はあえて今回、制作現場を見せ、作品をありのまま見せました。

結果、写真に残す方は数知れず。

「初めて見た」という方も多数。

それだけではありません。私は今回、思い切ってイベント会場に入ってきた方にどんどんバルーンで着飾ってしまいました。結果、この記事の冒頭のリンク先のような状況になりました。

まさに私がやりたいことができました。

このイベント、来年が最後だそうです。来年の内容は決めています。というか、今日この瞬間に私が決めました。

お祭りのおみこしの数だけ「くす玉バルーン」を用意し、子供たちにはじけさせてもらう。

そして最後の「くす玉バルーン」がはじけると同時に、イベントのクライマックスに向かい、何百もの風船をその場にいる人たち全員で空に放つ…

バルーンリリース

バルーンリリース

今日、急きょ行ったバルーンリリースでした。

残っていた風船とヘリウムガスをあるだけ全部膨らませました。30個はあったでしょうか。

それだけではありません。前日の夜に行われた「誕生祭」と銘打ったライブステージでは予定になかったスパークバルーンを投入したりしました。

私が現役のプロのバルーンアーティストだったころの座右の銘

数えるべきはお金ではない。膨らませた風船の数だ

いつしか、気がつくと私はお金を数えてしまっていました。

思えば…

18年前、由布院の一角から由布岳を眺めて「ここでバルーンをたくさん飛ばせたらいいだろうな」と思いました。15年前、それが現実になりました。

1000個のバルーンリリース、2000年4月

1000個のバルーンリリース、2000年4月

14年前、広島市内のとある結婚式場を眺めて、「ここで風船をたくさん降らせたらいいのにな」と思いました。11年前、それは現実になり、そればかりか、この結婚式場では8年間にわたり1000組以上ものカップルの最高の瞬間を彩り続けました。それだけではなく、今でもこの結婚式場の「伝説」となり、時折行われています。

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全国のバルーンデコレーターに言いたいのは、

「あなたたちは生涯心に残る思い出を風船を膨らませることによってつくっているという、極めて重要でかつ素晴らしく、最高の仕事をさせていただいているのだ」

ということを忘れてほしくないのです。というか、そのような気持ちで風船に接してほしいし、そのような気持ちを忘れて、ただ惰性で風船を膨らませてほしくないのです。

私が膨らませた風船、私が生命を吹き込んだ風船は数えきれません。でも、一つ一つの風船すべてに、生命があり、人々の心を感動させる力があることは間違いないのです。

私は「人を幸せにする仕事」をしてきましたし、これからもしていきたいのです。人を幸せにできた時、私の心の中で大きなくす玉が大輪の花を咲かせるのです。その気持ちを忘れてはいけません。

スパークバルーンに恋して

 

自分がバルーンでできることは何か

こんにちは。

ウエルカムゾーン

ウエルカムゾーン

エントランスゾーン2

エントランスゾーン2

とある披露宴のバルーンです。上の写真が受け付け、挙式をしている間にこのバルーンを披露宴会場に運び、下の写真のように再び飾りました。

メインテーブル

メインテーブル

披露宴会場

披露宴会場

披露宴会場2

披露宴会場2

披露宴会場3

披露宴会場3

披露宴会場(後方)

披露宴会場(後方)

全国的に見ても珍しい天井の高い、まるでプラネタリウムのような披露宴会場。

演出に集中したため写真はありませんが、天井から約200個のハートの風船が舞う演出もしました。舞い降りたのはもちろんテーマカラーの水色と黄色のハートです。

(動画がアップされていましたので、ご覧ください!)

この演出はこの結婚式場のかつての名物演出で、延べ1000組以上手掛けていました。

詳しくはこちらをご覧ください(この会場さんのブログにリンクを張っております)

1997年から2013年までの16年間、私はとにかく数えきれない感動の瞬間を自らの手で作り出してきました。このことは今でも誇りに思っています。

ハッピーバルーンウェディング

しかし、2012年ごろには長年の無理がたたり、体も心も言うことを聞かなくなってしまいました。その上に2012年秋から2013年春にかけてヘリウムガスが一時払底し、一見安定しているように見える今でも世界情勢に左右されているのが現状で、ヘリウムガスの価格は高騰してしまいました。

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2012年11月の披露宴

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これも2012年11月の披露宴。

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2013年7月の披露宴

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旧Y’s Dream最後の披露宴のバルーン演出。2013年8月のことでした。

私はバルーン業界から足を洗うつもりでした。でも…それはできませんでした。

2014年の作品たち

2014年の作品ばかりを集めて作ったグラフィックです。

北広島ミュージカル2010-2015

2015年7月の「きたひろしまミュージカル」の作品(一部過去のものも含まれています)。

お気づきでしょうか。

私は細長い風船をひねるのが実は得意ではないのです。手先はとにかく不器用です。2014年に職業評価を受けた際、バルーンデコレーターはむしろ「不適」という判定を受けています。

(広島でバルーンドレスなどの細長い風船を使った作品をお探しなら「からふる工房」さんや「じゃっきい」さんをお勧めします)

しかし、丸い風船・ハートの風船など、細長くない風船ならまだまだ彼ら・彼女らに負けません。というか、丸い風船やハートの風船といったいわゆる「ひねらない」風船、とりわけゴム風船の方が、本来の風船の持ち味を持っているような気がします。

そして私は今、発達障害や精神障害を抱えて生きにくさに苦しむ人たちにバルーンを通して社会参加のきっかけをつかむことと、将来のバルーン業界やブライダル業界など、人々を感動させ、幸せな気持ちにさせる職業を目指す若者たちに、バルーンを通した自らの経験及びノウハウを提供するという取り組みに中心を移しています。

限界まで取り組んだからこそ、できることだと私は考えています。

いつまでも心に残る感動の瞬間の作り方

いつまでも心に残る感動の瞬間の作り方

 

 

 

 

バルーンで忍耐力と自信をつける、ということ

こんにちは。

2015年4月から、私は障碍者の就労移行支援にバルーンを生かすための取り組みを進めています。

これまでは私がデザインしたものをメンバーの皆さんとともに制作したり、バルーンショップのオープンを視野にアレンジの制作を行うなどしていましたが、少しずつ方向が変わってきました。

きっかけは、7月の区民ふれあいコンサートのバルーン装飾のデザインをメンバー及び職員に任せてみたことでした。

コンサートエントランス

コンサートエントランス

コンサートステージ

コンサートステージ

コンサートステージ全体

コンサートステージ全体

この時のデザインは、エントランスをメンバーが、ステージを職員が考えました。

これをベースに今回、あるチャレンジが行われました。

アーチ原画

アーチ原画

エントランスアーチ

エントランスアーチ

メンバーの方にデザインを考えさせ、グループワークでどのようなデザインにするか全員で決めるというワークを導入しました。今回はとあるメンバーの方のデザインを基に、看板をバルーンで作るという案で決まりました。本当はひまわりと朝顔もバルーンで作る計画でしたが、次に述べるプランが浮上、これが壮大なものだったため、計画変更しました。

それは、

ウィンドウディスプレイ壁画をバルーンで制作する

というものだったのです。

作業開始前

作業開始前

風船はあらかじめ分類しておく

風船はあらかじめ分類しておく

風船は制作しても長持ちしないので、膨らませて制作するのは前日に集中して行います。これらの下準備はあらかじめ済ませておきます。もちろん仕入れ・検収・パネルの制作(100円ショップで売られているものを改造して使う)・風船の分類などもメンバーの訓練の一環となります。なお原画は今回、何を作りたいのかというメンバーの意見を基に職員が作りました。

作業開始4時間後

作業開始4時間後

午前10時ごろ作業を開始、これは午後2時過ぎの様子です。実は正午ごろの状況はこれの半分以下で、

「お先真っ暗」

という状態でした。あまりの状況の厳しさに昼休み返上で複数のメンバーが立ち上がり自主的に制作を続け、職員も私もそれに加わるという場面がありました。そして午後4時過ぎ…

完成!

完成!

完成しました!

私が艶出しスプレーを吹き付けて、長持ちするように加工したこともあって…

翌日の様子

翌日の様子

翌日、すなわちイベント当日(8月29日土曜日)でもこの通りでした!

しぼんでいたのは、1056個のうち、たった4個だけでした!

エントランス全体図

エントランス全体図

注目度は抜群で、信号待ち(このすぐそばに幹線道路と交わる交差点がある)の間に写メを取る人が続出でした。

イベントの様子

イベントの様子

エントランス全景2

エントランス全景2

イベントは大成功でした。

春から半年近く続いた就労移行支援とバルーンの融合、ようやく方向性が見えてきました。

2010~2015 子供たちに夢を与え続けて…

ご無沙汰しております。どうしてもつたえたい思いがあり、こちらにアップします。

2010年、北広島町という少子高齢化が進む中山間地域に一つの小さなミュージカル劇団が誕生した。

「きたひろしまミュージカル」

当時、Y’s Dreamは毎週のように結婚式やイベントでの風船演出の依頼が殺到していた。その中で、北広島町…大朝、豊平、千代田という地域を拠点に全国を飛び回っていた私は、地域の子供たちに夢を、という願いから、協賛することにした。

2010年の北広島ミュージカルのエントランス

2010年12月

2010年12月、千代田開発センターで記念すべき第1回公演が開催された。

当時は「いつかアステールプラザで…」という目標だったらしい。アステールプラザとは、広島市中心部、平和祈念公園の近くにある広島屈指の大ホールである。

2011年12月、同じ千代田開発センターで第2回公演が行われたが、その時私は北広島町にいなかった。遠く離れた東京にいて、何もできなかった。(実際にはいくつかおいて行ったが、ただヘリウム入り風船を膨らませただけだったので、データも何もない)

2012年、私は諸般の事情で北広島町を後にした。そして私は病に倒れた。追い打ちをかけるようにこの年の晩秋以降、ヘリウムガスが日本に入らない状態になった。

しかし、幸か不幸か、きたひろしまミュージカルはこの年、公演がなかった。

2013年7月、私は危機にあった。前年秋以降続いたヘリウムガス払底と自らの病気、実際には幼少期の発達障害が原因の適応障害によって、Y’s Dreamは営業継続断念に追い込まれていた。いわゆるブラック企業に転職して、風船を忘れてすべてをリセットすることすら考えていた。

2013年7月のエントランス

2013年7月

見ての通り「在庫処分モード」。このままでは処分される可能性のあった風船に生命を吹き込んだ。

しかしこれが意外と好評だったらしい。

さらに進んで2014年。この時私は広島市内の某企業に勤めていた。幸いブラック企業でなかったため、デコレーションすることができた。

2014年7月の舞台

2014年7月

キノコがテーマでした

2014年7月

この年のテーマは「きのこ図鑑」。予算もあまりなく、シンプルだった。作品自体も中途半端な感じになってしまった。むしろこの年はアレンジメントやツイストバルーンといった、現在バルーンの主流になっている作品を多く作っていた。これらの作品をプロの作品として提供するには、自らの技術が伴っていない、自らのバルーンの腕前は「焼きが回って」いたことを実感させられた。それに、他に本業があることだし、風船を生業にするのはもうやめよう、と考えていた。

この時私は、「来年が最後になるだろう」ということを告げられた。

私は「絶対に最後は最高のものを作り上げたい」と思った。

そして迎えた2015年7月。

例年「きたひろしまミュージカル」公演は1回しかなかった。ところが今回は最後。土曜日の夕方と日曜日の昼、2回公演になった。そればかりか、あまりのチケットの売れ行きに急きょ日曜日の午前公演が追加、計3回公演となった。

1回目公演

2015年7月4日

1回目公演

2015年7月4日

1回目公演

2015年7月4日

1回目公演クライマックス

2015年7月4日

1回目公演終了後

2015年7月4日

エントランスアーチ

2015年7月5日

エントランスアーチ

2015年7月5日

2回目公演(追加公演分)

2015年7月5日

エントランスアーチ

2015年7月5日

3回目公演

2015年7月5日

外からステージを望む

2015年7月5日

バルーンドロップ

バルーンドロップ

会場は2013年以降、「さんちゃんホール」という廃校の講堂。この日こそグラウンドは車でいっぱい(すぐ近くの農協の跡地(!)も駐車場にしたが、そこもいっぱいだった)だが、普段は本当に静かな場所。このようににぎわうのは例年は5月の花田植の時と、秋の神楽の時しかない。

さんちゃんホール

さんちゃんホール

脇を流れる清流

脇を流れる清流

今回の作品、あらゆる面で私のバルーンアーティスト人生の中でトップ5に入る最高の作品になった。

旧Y’s Dreamから続く北広島町という地域との絆。

老朽化した廃校に生命を吹き込んだこと。

ミュージカルと一体となったバルーン。

今主流となっているツイストバルーンに頼らない、本来の風船の良さを引き出した作品づくり。

そして…私が追い求めてきた、「いつまでも心に残る最高の瞬間」を作るという思い。

 

これから私は、自らのバルーンでの経験を、次の世代に伝える役目を果たしていくことにしている。そして同じ障害に苦しむ人たちに自信をつけさせ、社会に足を踏み出すきっかけを作ることに役立てる活動に踏み出すことにしている。

もう、風船を生業とすることはしない。

しかし、私が吹き込んだ風船でいつまでも心に残る最高の瞬間を作り上げることは、続けていくであろう。

その姿を見て、同じ障害に苦しむ若者や、未来を担う子供たちの励みになるのであれば、これほどうれしいことはない。

「きたひろしまミュージカル」は完結した。中山間地域の少子高齢化はとどまるところを知らず、北広島町の中でもいわゆる「限界集落」が生じている。しかし、この貴重な思い出を作り上げた人たちが、いつか再び再演することになるかもしれない。

その時、私は同じ障害に苦しむ若者でチームを組んで、再び「いつまでも心に残る感動」を創りあげることになるだろう。