風船・バルーン」カテゴリーアーカイブ

私が風船に託した思いって…

こんばんは。

私はただ単に「風船を膨らませてきた」わけではありません。

その風船一つ一つすべてに「いのち(=生命)」を入れるという気持ちで風船を膨らませてきました。

その数、本当に数知れず。

とにかく私が膨らませてきた風船によって、数多くの人たちの心に生涯忘れられない感動が刻まれたのは事実です。

バルーンメイクエブリワンハッピー

私が膨らませてきたもの、つくりあげてきたものは、単なる「風船の山」ではありません。

それに接してきた人たちの心の中にいつまでも残る

感動の瞬間

であり、

幸せな思い出

なのです。

私は最近、インスタグラムを始めました。

インスタグラムのY’s Dreamのページ

このページに今回、私が吹き込んだ作品でもたらされた笑顔の表情をアップしてみました。

実は、10年以上風船に生命を吹き込んできながら、このようなことをするのは初めての試みです。

確かに私がつくりあげてきたものはすごいものだったのかもしれません。でも、その実感が私にはなかなか感じることができなかったのもまた事実でした。

10年以上前、2003年の段階で、私が創りあげた感動の瞬間に接して

「鳥肌が立った。生涯忘れられない」

と言われました。すごく感動しました。

体中を突き抜けるような快感を覚えました。

しかし、私が創りあげてきたもの、積み重ねてきたものがいかにすごいものだったのか、一度離れてみるまで全くわかりませんでした。

常に上を、頂点を見続けていたのです。

そして私は身を滅ぼしました…

そういう感動を作り上げることが当たり前になっていたのです。そうして、失敗すると「返還欠場」とかいうような無茶をしていたのです。

完璧主義ゆえの悲劇でした…

しかし、私が風船でしてきたことは、多くの人の心の中にいつまでも忘れない感動の瞬間と、最高の素晴らしい思い出を刻むという、とてつもないことでした。

バルーンドレス

バルーンドレス

バルーンドレス

バルーンドレス

バルーンドレス後姿

バルーンドレス後姿

バルーンドレスと私

バルーンドレスと私

今回、私はバルーンドレスを初めて作品として作ってみました。

今、バルーン業界ではバルーンドレスが当たり前のように作られています…が、どうも業界の中の内輪の盛り上がりに過ぎないような印象がします。

確かにすごい時間がかかるのは事実でした。

しかし、私があえてこの場でやったのは、

「風船でこのようなことができる」

ということをただ単に見せたかったのと、バルーンドレスの制作現場をライブで見せることで、私の風船に対する思いを見せたかったのです。

正直言って、バルーンドレスは私はまともなものは作れません。本当に手先が不器用で、技術はプロのレベルの足元にはるかに及びません。

でも、私はあえて今回、制作現場を見せ、作品をありのまま見せました。

結果、写真に残す方は数知れず。

「初めて見た」という方も多数。

それだけではありません。私は今回、思い切ってイベント会場に入ってきた方にどんどんバルーンで着飾ってしまいました。結果、この記事の冒頭のリンク先のような状況になりました。

まさに私がやりたいことができました。

このイベント、来年が最後だそうです。来年の内容は決めています。というか、今日この瞬間に私が決めました。

お祭りのおみこしの数だけ「くす玉バルーン」を用意し、子供たちにはじけさせてもらう。

そして最後の「くす玉バルーン」がはじけると同時に、イベントのクライマックスに向かい、何百もの風船をその場にいる人たち全員で空に放つ…

バルーンリリース

バルーンリリース

今日、急きょ行ったバルーンリリースでした。

残っていた風船とヘリウムガスをあるだけ全部膨らませました。30個はあったでしょうか。

それだけではありません。前日の夜に行われた「誕生祭」と銘打ったライブステージでは予定になかったスパークバルーンを投入したりしました。

私が現役のプロのバルーンアーティストだったころの座右の銘

数えるべきはお金ではない。膨らませた風船の数だ

いつしか、気がつくと私はお金を数えてしまっていました。

思えば…

18年前、由布院の一角から由布岳を眺めて「ここでバルーンをたくさん飛ばせたらいいだろうな」と思いました。15年前、それが現実になりました。

1000個のバルーンリリース、2000年4月

1000個のバルーンリリース、2000年4月

14年前、広島市内のとある結婚式場を眺めて、「ここで風船をたくさん降らせたらいいのにな」と思いました。11年前、それは現実になり、そればかりか、この結婚式場では8年間にわたり1000組以上ものカップルの最高の瞬間を彩り続けました。それだけではなく、今でもこの結婚式場の「伝説」となり、時折行われています。

DSC00871c DSC00875

全国のバルーンデコレーターに言いたいのは、

「あなたたちは生涯心に残る思い出を風船を膨らませることによってつくっているという、極めて重要でかつ素晴らしく、最高の仕事をさせていただいているのだ」

ということを忘れてほしくないのです。というか、そのような気持ちで風船に接してほしいし、そのような気持ちを忘れて、ただ惰性で風船を膨らませてほしくないのです。

私が膨らませた風船、私が生命を吹き込んだ風船は数えきれません。でも、一つ一つの風船すべてに、生命があり、人々の心を感動させる力があることは間違いないのです。

私は「人を幸せにする仕事」をしてきましたし、これからもしていきたいのです。人を幸せにできた時、私の心の中で大きなくす玉が大輪の花を咲かせるのです。その気持ちを忘れてはいけません。

スパークバルーンに恋して

 

自分がバルーンでできることは何か

こんにちは。

ウエルカムゾーン

ウエルカムゾーン

エントランスゾーン2

エントランスゾーン2

とある披露宴のバルーンです。上の写真が受け付け、挙式をしている間にこのバルーンを披露宴会場に運び、下の写真のように再び飾りました。

メインテーブル

メインテーブル

披露宴会場

披露宴会場

披露宴会場2

披露宴会場2

披露宴会場3

披露宴会場3

披露宴会場(後方)

披露宴会場(後方)

全国的に見ても珍しい天井の高い、まるでプラネタリウムのような披露宴会場。

演出に集中したため写真はありませんが、天井から約200個のハートの風船が舞う演出もしました。舞い降りたのはもちろんテーマカラーの水色と黄色のハートです。

(動画がアップされていましたので、ご覧ください!)

この演出はこの結婚式場のかつての名物演出で、延べ1000組以上手掛けていました。

詳しくはこちらをご覧ください(この会場さんのブログにリンクを張っております)

1997年から2013年までの16年間、私はとにかく数えきれない感動の瞬間を自らの手で作り出してきました。このことは今でも誇りに思っています。

ハッピーバルーンウェディング

しかし、2012年ごろには長年の無理がたたり、体も心も言うことを聞かなくなってしまいました。その上に2012年秋から2013年春にかけてヘリウムガスが一時払底し、一見安定しているように見える今でも世界情勢に左右されているのが現状で、ヘリウムガスの価格は高騰してしまいました。

dream0049-0_edited-1

dream0049-3_edited-1

dream0049-7_edited-1

2012年11月の披露宴

spark050-0_edited-1 spark050-4_edited-1

これも2012年11月の披露宴。

spark052-9_edited-1

2013年7月の披露宴

DSCF1306 spark054-8_edited-1

旧Y’s Dream最後の披露宴のバルーン演出。2013年8月のことでした。

私はバルーン業界から足を洗うつもりでした。でも…それはできませんでした。

2014年の作品たち

2014年の作品ばかりを集めて作ったグラフィックです。

北広島ミュージカル2010-2015

2015年7月の「きたひろしまミュージカル」の作品(一部過去のものも含まれています)。

お気づきでしょうか。

私は細長い風船をひねるのが実は得意ではないのです。手先はとにかく不器用です。2014年に職業評価を受けた際、バルーンデコレーターはむしろ「不適」という判定を受けています。

(広島でバルーンドレスなどの細長い風船を使った作品をお探しなら「からふる工房」さんや「じゃっきい」さんをお勧めします)

しかし、丸い風船・ハートの風船など、細長くない風船ならまだまだ彼ら・彼女らに負けません。というか、丸い風船やハートの風船といったいわゆる「ひねらない」風船、とりわけゴム風船の方が、本来の風船の持ち味を持っているような気がします。

そして私は今、発達障害や精神障害を抱えて生きにくさに苦しむ人たちにバルーンを通して社会参加のきっかけをつかむことと、将来のバルーン業界やブライダル業界など、人々を感動させ、幸せな気持ちにさせる職業を目指す若者たちに、バルーンを通した自らの経験及びノウハウを提供するという取り組みに中心を移しています。

限界まで取り組んだからこそ、できることだと私は考えています。

いつまでも心に残る感動の瞬間の作り方

いつまでも心に残る感動の瞬間の作り方

 

 

 

 

バルーンで忍耐力と自信をつける、ということ

こんにちは。

2015年4月から、私は障碍者の就労移行支援にバルーンを生かすための取り組みを進めています。

これまでは私がデザインしたものをメンバーの皆さんとともに制作したり、バルーンショップのオープンを視野にアレンジの制作を行うなどしていましたが、少しずつ方向が変わってきました。

きっかけは、7月の区民ふれあいコンサートのバルーン装飾のデザインをメンバー及び職員に任せてみたことでした。

コンサートエントランス

コンサートエントランス

コンサートステージ

コンサートステージ

コンサートステージ全体

コンサートステージ全体

この時のデザインは、エントランスをメンバーが、ステージを職員が考えました。

これをベースに今回、あるチャレンジが行われました。

アーチ原画

アーチ原画

エントランスアーチ

エントランスアーチ

メンバーの方にデザインを考えさせ、グループワークでどのようなデザインにするか全員で決めるというワークを導入しました。今回はとあるメンバーの方のデザインを基に、看板をバルーンで作るという案で決まりました。本当はひまわりと朝顔もバルーンで作る計画でしたが、次に述べるプランが浮上、これが壮大なものだったため、計画変更しました。

それは、

ウィンドウディスプレイ壁画をバルーンで制作する

というものだったのです。

作業開始前

作業開始前

風船はあらかじめ分類しておく

風船はあらかじめ分類しておく

風船は制作しても長持ちしないので、膨らませて制作するのは前日に集中して行います。これらの下準備はあらかじめ済ませておきます。もちろん仕入れ・検収・パネルの制作(100円ショップで売られているものを改造して使う)・風船の分類などもメンバーの訓練の一環となります。なお原画は今回、何を作りたいのかというメンバーの意見を基に職員が作りました。

作業開始4時間後

作業開始4時間後

午前10時ごろ作業を開始、これは午後2時過ぎの様子です。実は正午ごろの状況はこれの半分以下で、

「お先真っ暗」

という状態でした。あまりの状況の厳しさに昼休み返上で複数のメンバーが立ち上がり自主的に制作を続け、職員も私もそれに加わるという場面がありました。そして午後4時過ぎ…

完成!

完成!

完成しました!

私が艶出しスプレーを吹き付けて、長持ちするように加工したこともあって…

翌日の様子

翌日の様子

翌日、すなわちイベント当日(8月29日土曜日)でもこの通りでした!

しぼんでいたのは、1056個のうち、たった4個だけでした!

エントランス全体図

エントランス全体図

注目度は抜群で、信号待ち(このすぐそばに幹線道路と交わる交差点がある)の間に写メを取る人が続出でした。

イベントの様子

イベントの様子

エントランス全景2

エントランス全景2

イベントは大成功でした。

春から半年近く続いた就労移行支援とバルーンの融合、ようやく方向性が見えてきました。

2010~2015 子供たちに夢を与え続けて…

ご無沙汰しております。どうしてもつたえたい思いがあり、こちらにアップします。

2010年、北広島町という少子高齢化が進む中山間地域に一つの小さなミュージカル劇団が誕生した。

「きたひろしまミュージカル」

当時、Y’s Dreamは毎週のように結婚式やイベントでの風船演出の依頼が殺到していた。その中で、北広島町…大朝、豊平、千代田という地域を拠点に全国を飛び回っていた私は、地域の子供たちに夢を、という願いから、協賛することにした。

2010年の北広島ミュージカルのエントランス

2010年12月

2010年12月、千代田開発センターで記念すべき第1回公演が開催された。

当時は「いつかアステールプラザで…」という目標だったらしい。アステールプラザとは、広島市中心部、平和祈念公園の近くにある広島屈指の大ホールである。

2011年12月、同じ千代田開発センターで第2回公演が行われたが、その時私は北広島町にいなかった。遠く離れた東京にいて、何もできなかった。(実際にはいくつかおいて行ったが、ただヘリウム入り風船を膨らませただけだったので、データも何もない)

2012年、私は諸般の事情で北広島町を後にした。そして私は病に倒れた。追い打ちをかけるようにこの年の晩秋以降、ヘリウムガスが日本に入らない状態になった。

しかし、幸か不幸か、きたひろしまミュージカルはこの年、公演がなかった。

2013年7月、私は危機にあった。前年秋以降続いたヘリウムガス払底と自らの病気、実際には幼少期の発達障害が原因の適応障害によって、Y’s Dreamは営業継続断念に追い込まれていた。いわゆるブラック企業に転職して、風船を忘れてすべてをリセットすることすら考えていた。

2013年7月のエントランス

2013年7月

見ての通り「在庫処分モード」。このままでは処分される可能性のあった風船に生命を吹き込んだ。

しかしこれが意外と好評だったらしい。

さらに進んで2014年。この時私は広島市内の某企業に勤めていた。幸いブラック企業でなかったため、デコレーションすることができた。

2014年7月の舞台

2014年7月

キノコがテーマでした

2014年7月

この年のテーマは「きのこ図鑑」。予算もあまりなく、シンプルだった。作品自体も中途半端な感じになってしまった。むしろこの年はアレンジメントやツイストバルーンといった、現在バルーンの主流になっている作品を多く作っていた。これらの作品をプロの作品として提供するには、自らの技術が伴っていない、自らのバルーンの腕前は「焼きが回って」いたことを実感させられた。それに、他に本業があることだし、風船を生業にするのはもうやめよう、と考えていた。

この時私は、「来年が最後になるだろう」ということを告げられた。

私は「絶対に最後は最高のものを作り上げたい」と思った。

そして迎えた2015年7月。

例年「きたひろしまミュージカル」公演は1回しかなかった。ところが今回は最後。土曜日の夕方と日曜日の昼、2回公演になった。そればかりか、あまりのチケットの売れ行きに急きょ日曜日の午前公演が追加、計3回公演となった。

1回目公演

2015年7月4日

1回目公演

2015年7月4日

1回目公演

2015年7月4日

1回目公演クライマックス

2015年7月4日

1回目公演終了後

2015年7月4日

エントランスアーチ

2015年7月5日

エントランスアーチ

2015年7月5日

2回目公演(追加公演分)

2015年7月5日

エントランスアーチ

2015年7月5日

3回目公演

2015年7月5日

外からステージを望む

2015年7月5日

バルーンドロップ

バルーンドロップ

会場は2013年以降、「さんちゃんホール」という廃校の講堂。この日こそグラウンドは車でいっぱい(すぐ近くの農協の跡地(!)も駐車場にしたが、そこもいっぱいだった)だが、普段は本当に静かな場所。このようににぎわうのは例年は5月の花田植の時と、秋の神楽の時しかない。

さんちゃんホール

さんちゃんホール

脇を流れる清流

脇を流れる清流

今回の作品、あらゆる面で私のバルーンアーティスト人生の中でトップ5に入る最高の作品になった。

旧Y’s Dreamから続く北広島町という地域との絆。

老朽化した廃校に生命を吹き込んだこと。

ミュージカルと一体となったバルーン。

今主流となっているツイストバルーンに頼らない、本来の風船の良さを引き出した作品づくり。

そして…私が追い求めてきた、「いつまでも心に残る最高の瞬間」を作るという思い。

 

これから私は、自らのバルーンでの経験を、次の世代に伝える役目を果たしていくことにしている。そして同じ障害に苦しむ人たちに自信をつけさせ、社会に足を踏み出すきっかけを作ることに役立てる活動に踏み出すことにしている。

もう、風船を生業とすることはしない。

しかし、私が吹き込んだ風船でいつまでも心に残る最高の瞬間を作り上げることは、続けていくであろう。

その姿を見て、同じ障害に苦しむ若者や、未来を担う子供たちの励みになるのであれば、これほどうれしいことはない。

「きたひろしまミュージカル」は完結した。中山間地域の少子高齢化はとどまるところを知らず、北広島町の中でもいわゆる「限界集落」が生じている。しかし、この貴重な思い出を作り上げた人たちが、いつか再び再演することになるかもしれない。

その時、私は同じ障害に苦しむ若者でチームを組んで、再び「いつまでも心に残る感動」を創りあげることになるだろう。

変容的学習理論…バルーン業界に必要?

おはようございます。
この記事はわざと45日前にアップした形の「過去記事」でアップします。
今、「アンラーニング(学習棄却)」を学ぶにあたってぶち当たった「変容的学習理論」について勉強しているのですが、それについてこのようなくだりがありました。
ソウス(スキーマからの脱却)

変容的学習理論を参考にしてスキーマから脱却する方法を考えると、「6つのパス」、「3グループの非顧客層」、「4つのアクション」を問いかけてくれるようは、自分とは見方や考え方が異なるディスカッション・パートナーが欠かせないということになります。とはいうものの、同じ組織の中で、異なる見方・考え方を持つ人を見つけることは困難な場合が多いと思われます。このような状況を打破するための方法の一つとしては、経営レベルの取組としてはできるだけ多様な人材を採用すること、そして個人レベルの取組としては社外ネットワークから積極的にフィードバックをもらう努力をすることが考えられるでしょう。

(注3)「6つのパス」とは以下の6つである。
1. 代替産業に学ぶ
2. 業界内のほかの戦略グループに学ぶ
3. 買い手グループに目を向ける
4. 補完財や補完サービスを見渡す
5. 機能志向と感性志向を切り分ける
6. 将来を見通す

(注4)「3グループの非顧客層」とは以下の3つである。
1. 市場の縁にいるが、すぐに逃げ出すかもしれない層
2. あえてこの市場の製品やサービスを利用しないと決めた層
3. 市場から距離のある未開拓の層

(注5)「4つのアクション」とは以下の4つである。
1. 取り除く:業界常識として備わっている要素のうち、取り除くべきものは何か
2. 減らす:業界標準と比べて、思い切り減らす要素は何か
3. 増やす:業界標準と比べて、大胆に増やすべき要素は何か
4. 付け加える:業界でこれまで提供されていない、今後付け加えるべき要素は何か

引用ここまで
こうしてみると、これらはバルーン業界にこそ今求められているものではないだろうか。特に色を変えている部分が重要だと思う。
私はことあるごとに「バルーン業界の現状は厳しい」と述べている。特にブライダルやイベント演出におけるバルーンの市場は確実に縮小していると考える。

それゆえ
バルーンを福祉と結びつけ、発達障碍者をはじめとした就労困難者に自信を身につけさせる機会を与える
という取り組みをしているのです。これは4つのアクションのうち「3:増やす」「4:付け加える」にあたります。
一方私はこれまでのY’s Dreamでやってきたことの大部分を「1:取り除く」ことにしました。これを繰り返すことは失敗を繰り返すのみです、バルーンの市場は確実に縮小しているのですから。
さらに3グループの非顧客層の中でも重点的に取り組む層があります。それが
「3:市場から距離のある未開拓の層」
これを掘り起こすことが重要になるのです。…が、旧Y’s Dreamを含め、これができていません。そして増えているのが「2:あえてこの市場のサービスや製品を利用しないと決めた層」です。
これが増えているのがバルーン業界(およびブライダル業界並びにイベント業界)の最大の問題です。理由は…この記事を目にしたバルーンデコレーターの皆さんがそれぞれ考えていただきたいと思います。ただ私から言わせていただければ、いたるところに問題点が転がっています。「独り歩き」「自己満足」「市場の変化に気づかない」…

そして一番私が重要視しているのが「6つのパス」の中にある
1. 代替産業に学ぶ
5. 機能志向と感性志向を切り分ける
6. 将来を見通す
という点です。
ブライダルやイベントにおけるバルーンの衰退に反比例してキャノン砲や花火といった代替演出が増えています。一方で感性志向のバルーンは堅調に推移していますが、かつてはピカチュウなど、今ならくまモンやジバニャンといったいわゆる「型にはまったキャラクター」だけが堅調に推移しているという考えです。それが証拠にバルーンドレスが結婚式で実際に使われているという話をあまり聞きません。この傾向はヘリウムガスが一時期日本国内全体で払底し、その後価格が高止まりした2013年ごろからより顕著になっています。世界情勢の変化によっては再びヘリウムガスの払底や暴騰が起きてもおかしくありません。そのように将来を厳しく見通したから私は2013年にプロ引退・Y’s Dream廃業を決め、現在は福祉という角度からバルーンへのアプローチを試みています。
しかしそれもまた厳しいのが現状で、そうなると出る結論が
風船・バルーンで培ってきた私の経験をすべて捨て去る
自分の器をすべて空にする

というところに至ります。

結果こういうことになります。
やれるだけのことをやってもだめなら自分をすべて無にしてもかまわない
ということです。そういう風に結論付けられるのも、一度やりぬいたからなのです。
逆に言えば、そこまでやりぬいた経験をした人が少ないのが現状です。

 

もっと夢を抱こうよ!

こんにちは。

昨日の記事

身もふたもない

ものでした。

しかしあえて今回はそのままにしておきます。

だってこれが現実なんですから。

そして改めて計算してみると…

2000年から2010年までの10年間では減っても10%だったのが、2010年から2013年の3年間で半減!

この現実を踏まえて、バルーンアーティストは何ができるか、考える必要があります。もちろん私も考えます。

この際ですから、新規需要開拓だの、技術のさらなる習得だの言うつもりはありません。

大切なのは

風船で何がしたいのか

風船で何ができるのか

この二つなのです。

私は今、バルーン業界復帰を真剣に検討しています。しかし、市場が縮小している現在、今までのやり方を繰り返していては、

再び破綻するだけです。

そして、現実になかなか目を向けようとしないバルーン業界全体に対して、ある意味いらだちを感じています。それこそが

私がバルーン業界復帰を真剣に考える最大の理由なのです。

といっても、何度も述べているようにバルーンを生業にするつもりはさらさらありません。

私が目指しているものは

その場にいる人たちすべてを幸せな気持ちにし、感動させる

ことなのです。

私は結婚式の現場を数多く見てきました。お客様(新郎新婦様からゲストの皆様まですべて)を感動させるために120%の仕事をするのは当たり前です。私はその上を目指しています。というかこのような現場を幾度か経験しました。

新婦様が私と抱き合ってうれし泣きした

配膳のアルバイト同士が感動のあまりうれし泣きしていた

舞台裏で私とケーキ屋さんと美容師さんがハイタッチし合った

中には

演出が失敗になりかけた時、とっさの機転を利かして仕掛けを再操作して普通に成功した以上に感動的な光景を作り上げた(これは今でも関係者の間で語り草になっている)

というのもありました。

こういう舞台裏からもたらされるものは

感動と笑顔

だけです。そしてそれが

いつまでもその場にいたすべての人々の心に残る

のです。

私がバルーンに携わる目的は

決してお金を稼ぐためではありません。

いつまでも心に残る、場合によっては白い灰になるまで残る

人生にとって大きな感動と最高の笑顔を作り上げる

それを生み出すために、私はこれまで何千、何万もの風船に生命を吹き込んできたのです。

 

それを忘れて、ただ仕事に追われ、最後は「大返還」…

限界まで夢を追いかけたのです、私は。

だからこそ言いたいのです。

バルーンに携わるみんな

ブライダルに携わるみんな

もっと夢を抱こうよ!

ハッピーバルーンウェディング

 

最高の瞬間を作り上げるということ

こんばんは。
本当に今度こそ、2014年最後になります。2014年が終わる前に一つだけ述べておきたいことがあります。

日本人はどうして、春は桜、夏は花火に感動するのでしょうか…

たとえはかなくても、いつまでも心に残る瞬間だからではないのでしょうか…

同じことがバルーン演出にも当てはまる、と思います。

私は現役時代、そのような瞬間を作り上げてきたのです。

この「ふうせんでつたえたいこと」には、私のスパークバルーンに対する思いといったものも述べてきました。
花火もそうですが、最高の瞬間を演出するためには、すべてを集中させ、すべてをその瞬間のために注ぎ込む力が必要です。それも1日ではなく、何日も準備を重ねるのです。

どんなに辛くても、どんなにきつくても、
風船がはじけ、舞う一瞬がもたらす感動のためにあったのです。
そしてその瞬間が多くの人にもたらすものは
いつまでも心に残る感動なのです。
その思いが伝わった時、私の中に、たとえようもない快感が走り抜けます。
それを何とたとえたらいいのか、いまだにわかりません。天に舞い上がる気持ちというべきか、それとも体中を電流が走る抜ける気持ちというべきか…
それぐらい、つくりあげる自分にとっても感動的なのです。
それだけのために、これまでやってきたのです。

その思いを、私は1枚のコラージュにまとめました。
スパークバルーンに恋して

このコラージュ、すべて私がつくりあげた感動の瞬間で彩られています。

このコラージュを作りながら、私はバルーン演出が成功したときのあの瞬間を思い出していました。

このような瞬間を味わうことは、恐らく今後、あるかどうかわかりません。

ただ、これだけのものを作り上げてきたということが自分の人生の中で大いに生きることは間違いありません。

成功したときのたとえようもない快感…挑戦する価値は十分にあると思いますし、機会があれば、私はまた挑戦したいです。

一番良いのは、これから経験を重ねようという若いバルーンデコレーターの皆さんが、このような演出に挑戦することです。失敗したときの悔し涙を恐れてはいけません。成功したときのうれし涙を流すために、どんどん頑張っていただきたいです。
そのために、私は自分が築き上げたノウハウをこれからもどんどん提供していきたいです。

この「ふうせんでつたえたいこと」で一番私が伝えたかったことは、そのような心構えで風船に接する若いバルーンデコレーターを育てたかったからなのです。
それだけではありません。私が風船に接する態度から、これから社会で活躍するであろう若い人たちに、「夢をかなえるということはどういうことなのか」「夢をかなえるためには何をすべきか」ということを学び取ってほしかったのです。
だから、このような過去を振り返るコンテンツを作ってきたのです。過去から学んで未来に生かす…私が生命を吹き込んだ一つ一つの風船に、未来への希望を託していきたいと思います。

2014年、風船の可能性とその限界

おはようございます。
おそらく今年のブログ更新はこれが最後になるでしょう。

これまで私は風船の可能性を追いかけ、それに挑み続けてきました。
昨年表舞台から引退し、今年は「できることから」風船に向かい合ってみました。

そして、

この業界はどこへ向かおうとしているのか

分かってきたのですが、やはり自分がかつて目指していた方向とは違うところに向かっているような気がしてきました。

引退は必然の選択だったような気がします。

私は今年、バルーンギフトやアレンジメントをいろいろ作ってみました。

喜ばれたのは言うまでもないですが、どんどんこの分野は進化が進んでいて、それに自分はついていけなくなってしまっていることを痛感させられました。

今年たびたび出てきた

焼きが回る

という言葉、それを痛感せざるを得ませんでした。

このような状況下で、風船で生計を立てることを考えても、他のプロで活動されているバルーンデコレーターの皆さんに迷惑をかけるだけです。

もう私は、バルーン業界の進化についていけません。

老兵はただ消え去るのみです。

他方、私の経験は、

様々なところで生かすことができることもまた実感しました。

バルーン業界のみならず、すべてにおいてです。

突き詰めて考えてみると、

風船でどれだけの人を笑顔にし、幸せにしていくことができるのだろうか

そして、これから私は

自らの経験をどれだけの多くの人に伝えることによってどれだけの人を幸せにしていくことができるのだろうか

というところにたどり着きそうな気がします。

はっきりしたのは

自分が風船に16年以上の長きにわたって真剣に向かい合ったことはすなわち人生における大きな財産になった

ということだけです。

この財産をどう生かしていくかが来年以降の課題になるのは言うまでもありません。

2014年の作品たち

焼きが回った、といってもこれだけの作品を作り上げること自体「すごい」ということが客観的な評価のようです。

もっとも、私から言わせると、

プロはこのくらいできて当たり前です。

厳しい言い方をすると

ただ風船を膨らませるばかりのバルーンデコレーターは退場しろ

となります。

結局、最後は心の問題です。

どれだけの人を自らが生命を吹き込む風船を通して幸せにしていきたいのか

ということです。

私はプロとして10年以上活動してきたものとして、この姿勢を忘れずに、来年も風船を膨らませ続けることします。

ふうせんでかけよう えがおのかけはし

プロからアマチュアに転向しても、思いは変わらない

こんにちは。
プロとしての活動を休止してはや1年以上が経過しています。
一方、今年2014年は、アマチュアとしての活動を再開しました。

今更に思うのですが、アマチュアという立場に戻っても、風船に対する思いは全く変わっていませんでした。

確かに技術的には焼きが回ってしまいました。もうプロ時代と同様の作品を作ることは難しいです。

しかし、私ができることはまだあることがわかりました。

それは、風船の楽しさ、美しさ、華やかさを多くの人に伝えることです。

その一環として、私はグラフィック作品を制作しました。上の項目にある
バルーングラフィック集
をリンクしていただくと、作品の一覧がご覧いただけます。

以下はダイジェスト画像です。クリックするとフルサイズの画像がご覧いただけます。

バルーンメイクエブリワンハッピー

ふうせんでかけよう えがおのかけはし

バルーンでもたらされる笑顔

スパークバルーンに恋して

2014年のクリスマス

2014年の作品たち

ハッピーバルーンウェディング

バルーンリリース

 

一時代を築く、ということ

こんばんは。

あと2日。

このブログの更新もあとわずかです。

今回はこの写真をアップします。

balart188 balart189

とあるところで行われた1998年のバルーンショーです。

今ではほとんどのバルーンショー、クライマックスにはスパークバルーンが定番になっています。

当時スパークバルーンは「くす玉バルーン」と呼んでいました。

というより私がそう名付けたのです。

当時私は石見交通という島根県西部にある小さなバス会社に勤務していました。ところがあの

たけしの誰でもピカソ

に出演して以降、いろいろなところに呼ばれるようになりました。

それまでは有給休暇をあまり使わない方でしたが、一転一番消化する社員になってしまいました…

もちろんバルーンアーティストとして呼ばれないときは、通常勤務をこなしていました。

路上故障時の対応もしましたし、元日の当番もしたことがあります。路線バスを走らせている以上、元日も動きがあります。

balart302 balart303

こちらは2000年1月ごろの「くす玉バルーン」の写真。

この時点で全国発送をしていました。

確かこの写真はご利用いただいたお客様から送られてきたものでした。

そしてひたすら風船を膨らませて10年以上の月日が流れました…

気が付けばバルーン業界は大きく変化していました。

私がバルーンアートの世界に足を踏み入れた当時、業界は今とは比べ物にならないほど閉鎖的でした。

それが今では、趣味でバルーンアートを手軽に楽しめるようになり、バルーンギフトは定着しました。

日本に数えるほどしかなかったバルーンショップはいたるところにでき、ほとんどの都市でバルーンが手軽に手に入るようになりました。

さらにインターネットでもバルーンショップは

乱立

状態になり、逆に店の個性を出していかないと淘汰されるほどになりました。

2003年ごろでしたか、とある方が

道なき道を切り開いてまだ10年もたっていません

とおっしゃっていました。この方も一時代を築き、今では人材育成に力を入れられている方です。

それから10年近くがたち、今ではひとつの文化に発展しました。

バルーン業界はもはや

多様化と成熟

の時を迎えつつあります。

多様化と成熟に至っていたからこそ、ヘリウムガス払底という事態にも大幅な需要低下、市場縮小の影響を最小限に食い止めることができたのかもしれません。

その一方でバルーン業界は姿を変えつつあります…

このブログでは何度も述べてきましたが

ギフト部門はフラワーアレンジやラッピングとの融合が進み

バルーンパフォーマンスは芸人の世界として一分野を確立し

バルーンドレスなるものも見られるようになりました。

一方パーティー、さらにはブライダルはは大掛かりで派手なものから

家族や友達、さらには恋人との絆を確かめ合う場に変化しました。

その中でバルーンの立ち位置も大きく変化しました。

時代は大きく動いています。

バルーンの在り方も大きく変わりました。

当然バルーンに携わる人たちに求められるものも変わります。

時代を作り上げるという気概を持つことから

日常の些細な感動を分け与えられる人たち

そして人と人の絆を大切にできる人たちに

主役が変わりつつあります。
DSCF1333x DSCF1326x DSCF1314x

実は、今月12月に入って久しぶりに風船を膨らませて作品を作りました。実に3か月ぶりです。この写真はその作品です。

上はとあるオフィスでのクリスマスパーティー、下はとあるところに私個人から送ったバルーンギフトです。

私は今後、プロとしてではなく、アマチュアの立場で風船を膨らませることになるはずです。

この記事の最初の写真のころに戻ることになります。

もう私が目指していたものは、時代が必要としなくなりました。

時代の変化に合わせてバルーンの世界も変化し続けるでしょう。

一つの時代を築き上げたからこそ、私に悔いはないのです。

まさに一つの道ができて、町ができ、町が成長し、そして次の世代へ引き継がれるがごとく…

私はひっそりと役目を終えます。