何だったのだろうか
こんにちは。
今、ある方から電話がありました。
…友達の結婚式でバルーンリリースを断念された…
…自分の結婚式でスパークバルーンシャワーがやりたい…
…ヘリウムガスの現状はいったいどうなっているのか…
私がバルーンの仕事の中で一番やりたかったことはいったいなんだったのか
この動画にやっぱり凝縮されているのかな…と思う
私がつくりあげた瞬間…
今も電話がかかってきた。
ぜひお願いしたい…
それにしてもなぜ私は
「最高の感動的な瞬間を作り出す」
という仕事をするようになったのか…
スパークバルーン…
当初私はこれを「くす玉バルーン」と呼んでいた。
「くす玉」=割る、という連想から、全然当時は売れなかった。
まだ20世紀の話である。
もう13年も前のメインテーブルの画像。スパークバルーンを組み込んでいるが、自動ではない。
21世紀に変わったころあたりから、定番商品になり始めた。
以来13年、あまたの感動的な瞬間を彩ってきた。
今でこそコモディティ化しているが、スパークバルーンの宅配を最初に始めたのはこの私である。
というより、定番になってしまった。
でも全く何もないところから市場を作ったということだけは…
私の人生の中で一番の大きな足跡なのかもしれない。
だからこのようなことが書けるのかも…
というか、私しか書けない。
このようなことを自分の口で言えるのは、日本に何千人もいるバルーンデコレーターのうち、ほんの一握りの人たちだろう。
裏を返せば、それだけ自分がやってきたことは大きかったのである。
私は自分のやりたかったことをこの13年間やってきただけである。
でもそれが大きな実績に…
なっていた。
今私は、ドリームバルーンやスパークバルーンシャワー、自動スパークバルーンといった現場での瞬間勝負の仕事は1日1組限定にしている。このような現場での瞬間勝負はものすごいエネルギーとパワーをその瞬間に注がなければいけない。しかし成功したときの感動は…
計り知れない
一日に7組もこの演出をしたことがあった。卓上バルーンサービスやバルーンリリースも加えると、合計12件を1人でやったことがある。
その時もものすごい充実感だった…が
長年の無理は確実に私をむしばんでいた
そして昨年の今頃…倒れた。
昨年末ヘリウムガスが払底し、バルーン演出は難しくなった。
何組もの新郎新婦様がバルーンリリースを断念された。
私は一番やりたい仕事ができなくなった。
廃業・転進を真剣に考えるまでになった。
ヘリウムガスの需要が回復しつつあり、景気もアベノミクスで上向き傾向にある今だが、
これで需要が回復するか…
いつまでもしがみつくわけにはいかない…が
私には私しかできない仕事があるのもまた事実
はたしてそれを捨てていいのか…